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【戦国IXA】2023 年 7 月の追加武将一覧

こーんにーちはーーーのろしもく (ゝε・)ゞ

早いもので今年もあっという間に折り返しもくね

 

2023年下半期の最初の月にどんな武将たちが登場するのか

チェック!チェック!もく ♪ p( ^ε^ )q ♪

 

 7月 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 松寿院さん 結城秀康さん 本多忠勝さん 狩野永徳さん

【 特 】 三好義継さん 乃美宗勝さん 酒井忠勝さん

【 上 】 島津忠長さん 

【 序 】 清水景治さん

以上の 9 名

 

さらに

【 天 】 石田三成さん 黒田如水さん

以上の 2 名が 

スキルやステータスを新しくした復刻版として登場するとのこともく

 

 

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本多忠勝【 極 】、狩野永徳【 極 】

石田三成【 天 】、黒田如水【 天 】は

取引出品・譲与不可で

2023年10月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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側近ともいえる立場で豊臣秀吉さんの天下統一事業を支えた 石田三成 さんは、卓越した行政手腕の持ち主で、豊臣政権の運営に欠かせない存在だったもく

しかし、武勇をもって秀吉さんの天下取りに貢献した福島正則さんや加藤清正さんなどの「武断派」は、三成さんを筆頭とする「文治派」の専横を憎み、秀吉さんの没後は、長老格の前田利家さんがなんとか両派の対立をおさえているという状況だったもく

その利家さんが病死すると、ついに武断派の武将七名が三成さんの屋敷を襲撃し、危機を察知した三成さんは徳川家康さんの屋敷に逃れたといわれ、家康さんは武断派をしずめる一方で、次男の結城秀康さんを護衛につけて、三成さんをその居城である佐和山城へと送り届けたもく

このとき三成さんは随行の返礼として秀康さんに、愛刀の「無銘正宗」を贈ったといわれ、秀康さんはこれを「石田正宗」と名付けて愛用し、その子孫にも代々伝えられたもく

この刀には切込のようなきずがついていることから「石田切込正宗」とも呼ばれるもく

 

 

 

官兵衛の名でも広く知られる 黒田如水 さんは、竹中半兵衛さんとともに「両兵衛」と称される豊臣秀吉さんの軍師で、半兵衛さんが秀吉さんの織田家臣時代に病死してしまったことを考えると、秀吉さんが天下人にまで上り詰めたことに対する如水さんの功績は計り知れないものがあったもく

しかし、その抜群の功績から考えると、如水さんに与えられた恩賞は大きくなく、一説によると秀吉さんは、如水さんに百万石も与えれば天下を奪われてしまうと語るなど、如水さんの神の如き智略をおそれていたといわれているもく

その如水さんの野望のようなものが垣間見えたのは、秀吉さんの没後、黒田家の領国である豊前国中津から遠く離れた関ヶ原にて天下分け目の戦いが繰り広げられたときもく

当主黒田長政さんは黒田軍の主力を率いて徳川家康さんに味方したけれど、合戦が長期化するとにらんだ如水さんは領国に残って軍事行動を開始し、またたく間に九州一円を制圧してしまったもく

このままいけば大勢力を率いて、関ヶ原の戦いの勝者と対峙することも可能と思われたけれど、案に反して関ヶ原の戦いは早期決着し、如水さんの野望らしきものは潰えたもく

 

 

 

松寿院 さんの父は但馬国林甫城主の長連久さんであると考えられ、長家は但馬国に勢力を持つ国人だったとされているもく

しかし、長家は押し寄せる戦乱の波にのみこまれて衰退を余儀なくされ、松寿院さんは諸国放浪の末、因幡国鳥取城主である宮部継潤さんの側室となり、継潤さんが亡くなると宮部家を追われてしまったもく

その後、正室とのあいだに子がなかった藤堂高虎さんの側室として迎えられ、松寿院さんは、のちに伊勢津藩第二代藩主となる藤堂高次さんらの生母となったもく

高虎さんとその正室である久芳院さんは非常に仲睦まじい夫婦だったとされ、周囲が側室を迎えるように進言しても高虎さんはそれを拒みつづけ、後継者問題を憂えた久芳院さんの強い勧めにより、ようやく高虎さんは松寿院さんを側室に迎えたといわれているもく

 

 

 

徳川家康さんの次男であり、江戸幕府第二代将軍徳川秀忠さんの兄にあたる 結城秀康 さんは、家康さんの後継者となっていても不思議ではない存在であったけれど、母が側室だったことなどもあって徳川家を継ぐことはかなわず、豊臣秀吉さんの養子を経て、北関東の名家である結城家の婿養子となったもく

関ヶ原の戦いのあと、秀康さんは越前一国六十八万石余に加増移封され、結城家はのちに松平家を称し、越前松平家は「制外の家」として、御三家などの序列とは別格の扱いを受けたといわれているもく

秀康さんは、武勇抜群で体格にも恵まれていたといわれ、愛用の槍「御手杵」は常人には扱いかねるほどの大身槍だったといわれているもく

しかし、秀康さんは武勇一辺倒の武将ではなく、礼節や謙譲の心も持ち合わせ、だれもが認める優れた武人だったと伝わっているもく

 

 

 

徳川四天王や徳川三傑のひとりにかぞえられ、徳川家康さんからの信頼も厚かった 本多忠勝 さんは、生涯五十七度の戦いに参加しながら傷ひとつ負うことがなかったと伝わる戦国最強の武将もく

愛槍は天下三名槍のひとつにかぞえられる「蜻蛉切」で、穂先にとまっただけの蜻蛉(とんぼ)が両断されてしまったという逸話からその名がついたといわれているもく

ひときわ目をひく大身槍の「蜻蛉切」にくわえ、「鹿角脇立兜」と呼ばれる勇壮な兜を愛用していた忠勝さんは、戦場で圧倒的な存在感を放っていたのではないかと想像されるもく

また、本多家は古くから「立ち葵」という家紋を用いており、徳川家が「三つ葉葵」を用いたことで「葵」は特別な紋となったにも関わらず、その後も「立ち葵」の使用を許されたということは、徳川家にとって本多家が特別な存在であったことのあらわれかもしれないもくね

 

 

 

室町幕府に御用絵師として仕えた狩野正信さんを始祖とする狩野派は、室町時代中期から江戸時代末期まで画壇に君臨した絵師集団で、正信さんの曾孫にあたる 狩野永徳 さんは、狩野派四代目棟梁にして、狩野派を、そして日本美術史を代表する画人もく

永徳さんの代表作のひとつ「洛中洛外図屏風」は、将軍足利義輝さんの命令で制作が開始されたけれど、義輝さんが非業の死を遂げたため永徳さんは織田信長さんに接近し、信長さんは、当時敵対することを避けたかった上杉謙信さんに「洛中洛外図屏風を贈ったといわれているもく

その後も安土城聚楽第の障壁画を手がけ、権力者たちに重く用いられた永徳さんだったけれど、膨大な作業量による過労からか、東福寺法堂の天井画の制作中に病にたおれ、ほどなくこの世を去ったもく

 

 

 

一時畿内全域を掌握して三好政権を樹立した三好長慶さんの弟である十河一存さんを父に持つ 三好義継 さんは、長慶さんの世子である三好義興さんが早世したため長慶さんの養子となったもく

長慶さんの没後、若年ながら三好家の当主となった義継さんは、後見役の三好長逸さんら三好三人衆とともに、突如二条御所の将軍足利義輝さんを襲って殺害し、天下に衝撃をあたえたもく

その後、三好家の重臣松永久秀さんと三好三人衆が対立すると、義継さんは久秀さんと結ぶことを選択し、ここから骨肉の争いが繰り広げられ、最期は義継さんみずからが上洛に協力した織田信長さんによって攻め滅ぼされてしまったもく

 

 

 

安芸国の賀儀城主乃美賢勝さんの子である 乃美宗勝 さんは、小早川隆景さんの腹心ともいえる存在で、小早川水軍を率いて各地の戦いで活躍したもく

毛利家と陶家のあいだでおこなわれた厳島の戦いでは、勝敗の行方を左右する村上水軍との交渉役を担って味方に引き入れることに成功し、毛利軍の勝利に大きく貢献したもく

その後も隆景さんに従って数々の合戦に出陣した宗勝さんは、豊臣秀吉さんがおこなった文禄の役にも参加して朝鮮へ渡ったけれど、現地で病気となってしまい、帰国後まもなく亡くなったもく

 

 

 

徳川家康さんに仕える酒井忠利さんの子として三河国西尾に生まれた 酒井忠勝 さんは、関ヶ原の戦いの際に信濃国でおこなわれた第二次上田合戦にて初陣を果たしたもく

第二代将軍となった徳川秀忠さんからの信頼が厚かった忠勝さんは、秀忠さんの後継者である徳川家光さんに仕えることを命じられ、加増を重ねていったもく

家光さんが将軍となってからは、老中、そして大老に就任して幕政を取り仕切り、忠勝さんと松平信綱さんを特に信頼していた家光さんは、「我が右手は讃岐(忠勝)、我が左手は伊豆(信綱)」と語ったといわれているもく

 

 

 

島津貴久さんの弟である島津尚久さんを父に持つ 島津忠長 さんは、有名な島津四兄弟の従兄弟にあたり、四兄弟の長兄島津義久さんらに仕えて、数多くの合戦で手柄を立てたもく

なかでも慶長の役における泗川の戦いでの奮戦ぶりはすさまじく、わずか百の兵をもって一万の大軍を撃破し、島津義弘さんの窮地を救ったといわれているもく

関ヶ原の戦いの際は、本軍には帯同せず、島津家の領国にのこって国境の警備にあたったとされ、戦後は島津家の使者として徳川家との交渉をおこない、島津家の本領安堵に貢献したといわれているもく

 

 

 

清水景治 さんの父清水宗治さんは毛利家に仕えた備中高松城主で、中国攻めに乗り出した織田軍が高松城を包囲した際には、籠城による徹底抗戦をおこなったもく

降伏すれば備中備後の二国を与えるという織田軍の条件にも応じなかった宗治さんだが、羽柴秀吉さんの水攻めによって降伏を余儀なくされ、城兵と領民を守るために、湖のようになった城外に船を浮かべて切腹したもく

景治さんは、宗治さんの死を惜しんだ小早川隆景さんから「景」の一字と屋敷を賜り、毛利輝元さんからも太刀ひと振りを与えられたといわれているもく

さらに後年、天下人となった秀吉さんから大名として取り立てるという話を持ちかけられたけれど、景治さんは小早川家臣でいることを望んで、その話を断ったと伝わっているもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 



 



 

 

他に 「幻の武将 大饗宴」 「『独眼竜政宗【極】』登場」

イベント終了に伴う排出停止がありますもく

 

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