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スクウェア・エニックスのオンラインゲーム 【 戦国IXA 】を 応援する煙の妖怪 のろし が 戦国IXAやのろしのことをゆる~くお届けしますもく

【戦国IXA】6 月の追加武将一覧

こんにちはのろしもく ヽ(*^ε^*)

 

はやいものであと3週間ほどで

2021年も半分がおわるのねもく (●´ε`●) シミジミ

 

月日の流れのはやさを感じる今日このごろ 戦国IXA では

 

  6 月追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 山県昌景さん 奥村永福さん 斎藤朝信さん 綾御前さん

【 特 】 根津昌綱さん 乾正信さん 戸田勝成さん

【 上 】 久武親信さん 

【 序 】 具志頭朝盛さん

以上の 9 名と

 

さらに…!!

 

 

「 戦国IXA 千万の覇者 弐 」とのコラボイベント開催

 

【 天 】 武田信玄さん 上杉謙信さん 黒田如水さん 竹中半兵衛さん

 

以上の 4 名が  

コラボ天武将カードとして登場するとのこともく

 

▼ イベントの詳細はこちら  

https://sengokuixa.jp/chiyorozu2021/

 

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斎藤朝信【 極 】、綾御前【 極 】 は 取引不可 で

2021年9月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

武田信玄【 天 】、上杉謙信【 天 】、黒田如水【 天 】、竹中半兵衛【 天 】 は 取引不可 で

詳細については、イベント特設ページをご確認くださいもく

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飯富虎昌さんの弟、あるいは甥であるとされる山県昌景さんは、猛者ぞろいの武田家中でも屈指の猛将で、武田二十四将武田四天王のひとりに数えられているもく

武田信玄さんの嫡男である武田義信さんらが謀反を企てた際、昌景さんは同族である虎昌さんが加担していることを知ったうえで、そのことを信玄さんに知らせたもく

謀反の首謀者として虎昌さんが処刑されると、虎昌さんが率いていた「赤備え」を昌景さんが継承し、武田家の重鎮となっていったもく

敵方を震えあがらせる赤備えを率い、他家にもひろく名を知られた昌景さんだったけれど、信玄さんの没後、武田勝頼さんとの折り合いはよくなかったようで、長篠の戦いでは撤退を進言したものの聞き入れられず織田軍との決戦となり、奮闘むなしく昌景さんは戦死してしまったもく

 

 

 

奥村家は代々前田家に仕えた家系で、通称である助右衛門の名でも知られる奥村永福さんも、はじめ前田利家さんの父である利春さんなどに仕え、一度浪人したのちまた前田家に復帰し、越前国の朝倉攻めなどで活躍したもく

利家さんからの信頼を得て、加賀国能登国をつなぐ要所である末森城を与えられた永福さんは、佐々成政さんの軍に城を攻められた際、二の丸まで落とされるほどの猛攻を受けたものの、援軍が到着するまで寡兵で城を守り抜いたもく

その後も永福さんは前田家で重きをなし、その家系は奥村本家と分家の二家までもが、加賀八家とよばれる一万石以上の重臣となったもく

 

 

 

斎藤朝信さんは上杉謙信さんに仕えた武将で、武勇の誉れ高く「越後の鍾馗」という異名をとったもく

鍾馗というのは中国の道教の神様で、日本では病除けや魔除け、さらには学業成就に効があるとされているんだってもく

また、朝信さんは釈迦十大弟子のひとりで才知に長けた富楼那になぞらえ「富楼那の斎藤」とも呼ばれ、謙信さんの使者として武田信玄さんと対面した際、信玄さんからのいじわるな質問に堂々たる受けこたえをし、信玄さんを感心させたといわれているもく

武勇だけでなく内政や外交、さらには弁舌の能力にも長けた、多才な人物だったみたいもくね

 

 

 

仙桃院の名でも知られる綾御前さんは、上杉謙信さんの姉で、上杉景勝さんの生母もく

長尾政景さんのもとへ正室として嫁ぎ二男二女をもうけ、夫の死後は謙信さんの居城である春日山城に移り住んだもく

謙信さんの死後、家督をめぐるお家騒動の末に景勝さんが上杉家の当主となると、謙信さんの姉であり景勝さんの母でもある綾御前さんは、上杉家中で影響力をもつ存在となり、上杉家の発展や存続におおきな役割を果たしたといわれているもく

また、早い時期に直江兼続さんの能力の高さを見抜き、景勝さんの近習として推挙したという逸話ものこっているもく

 

 

 

根津家は信濃国滋野三氏と呼ばれる家のひとつで、根津昌綱さんは叔父の根津政直さんから家督を継ぐと、徳川家、北条家、上杉家などのあいだで主君を変えながら、生き残りと領土拡大をはかったもく

信濃の真田家とは同族であったようだけど、昌綱さんと真田昌幸さんの代で異なる主君に従うことなり、両家のあいだに不和が生じたみたいもく

のちに上杉景勝さんの説得により、昌綱さんは昌幸さんに臣従することとなり、上田城の戦いの際には、徳川軍が攻め寄せるなか、昌幸さんと昌綱さんがのんびりと囲碁をしていたという逸話がのこっているもく

 

 

 

乾正信さんは、武田二十四将のひとりである板垣信方さんの孫にあたる人物だけれど、父の板垣信憲さんが主君武田信玄さんの勘気をこうむり武田家を追放されたため、不遇の幼少期を過ごすこととなったもく

武田家の滅亡後、正信さんは武田家旧臣の浪人らとともに小田原征伐で豊臣方として奮戦し、山内一豊さんに召し抱えられ、乾家は山内家の家臣として幕末までつづいたもく 

正信さんを「御調法ノ侍」と表現している資料も残されていて、一豊さんから強い信頼を得ていたことがうかがえるもく

また幕末には、のちに明治維新の元勲で自由民権運動の主導者となる板垣退助さんが、乾家の当主となっているもく
 

 

 

織田信長さんから朱旄を許された「卅六飛将」に名を連ねる戸田勝成さんは、はじめ丹羽長秀さんに仕え、のちに豊臣秀吉さんの家臣となり、越前安居城主として一万石を領したもく

秀吉さんの没後、加増されて二万石を領した勝成さんは、関ヶ原の戦い石田三成さんに与し、本戦においては平塚為広さんらと共に大谷吉継さんの隊に属して、小早川秀秋さんらの軍との激闘の末に討死したもく

東軍諸将にも勝成さんと親交のある者が多かったので、勝成さんの死には多くの武将が涙したと伝わっているもく

 

 

 

武家は代々長宗我部家の家老として主家を支えてきた家柄で、久武親信さんの代の主君は長宗我部元親さんだったもく

元親さんといえば、土佐の豪族から四国の覇者にまでのぼりつめた英雄的人物として有名だけれど、親信さんはその元親さんから伊予攻略の総指揮権を持つ伊予軍代に任じられており、その能力の高さと元親さんからの信頼の厚さがうかがえるもく

しかし親信さんは、その伊予を完全に制圧するまえに、戦上手の土居清良さんの奇略にあって討ち死にしてしまったもく

 

 

 

具志頭朝盛さんは、琉球王国第二尚氏王統の摂政として、兄である尚寧王さんを支えた人物もく

薩摩藩島津家が琉球王国に侵攻し、圧倒的な武力差の前に降伏を余儀なくされ、尚寧王さんが薩摩へ連行された際にも、朝盛さんは尚寧王さんに随行したもく

その後さらに江戸へ連行されることとなった尚寧王さんにも付き従った朝盛さんは、駿府徳川家康さんに謁見したのちに発病して、まもなく他界してしまったもく

家康さんはその死をあわれみ、手厚い葬礼をおこなったと伝わっているもく

 

 

 

諸大名から「甲斐の虎」と畏怖された甲斐武田家十九代当主武田信玄さんは、戦国時代を代表する名将のひとりといえるもく

上杉謙信さんとのあいだで長年にわたって幾度も繰り返された川中島の戦いはあまりにも有名で、後世ではふたりの関係性に、一般的な敵対関係以上のなにかを感じるひとも多いみたいもく

信玄さんが率いた武田騎馬軍団は戦国最強といわれ、「風林火山」の旗印や「赤備え」は対峙する敵兵を震えあがらせたといわれるもく

 

 

 

「越後の龍」の異名を持つ上杉謙信さんは、その圧倒的な戦績から「軍神」とおそれられ、戦国時代でも屈指の戦上手だったとされるもく

武田信玄さんをはじめとする数多くの戦国大名や武将らと合戦を繰り広げたことから、合戦好きの印象をもたれることもあるけれど、助けを求められそれに応じるかたちでおこなった合戦も多く、私利私欲にこだわらない「義の武将」という印象も後世に与えているもく

旗印にも「毘」の文字をつかうほど毘沙門天をあつく信仰し、自らを毘沙門天の生まれ変わりであると信じていたともいわれているもく

 

 

 

黒田官兵衛の名でも知られる黒田如水さんは、竹中半兵衛さんとともに豊臣秀吉さんの天下統一をささえた軍師で、戦国時代屈指の智将といわれているもく

攻城戦でたびたび優れた戦法を献策したといわれる如水さんは、築城の名人としても知られており、だからこそ籠城側の泣き所を見抜くことに長けていたのかもしれないもくね

関ヶ原の戦いの際には、混乱に乗じて九州から天下を狙った気配もあり、秀吉さんが如水さんの才知を高く評価する一方でその智謀の高さをおそれていたという逸話があるのも、納得できる気がするもくね

 

 

 

のちに天下人となる羽柴秀吉さんの軍師として活躍した竹中半兵衛さんは、おなじく秀吉さんの軍師である黒田官兵衛さんとともに「両兵衛」と称されたもく

半兵衛さんは「今孔明」と称されるほど権謀術数に優れた智将だったといわれ、美濃斎藤家の家臣時代には、わずかな兵で主君斎藤龍興の居城である稲葉山城を乗っ取ったという逸話や、美濃に侵攻してきた織田軍を「十面埋伏陣」という独特の戦法で撃退したという話が伝わっているもく

秀吉さんがまだ織田家の武将であるときに享年三十六で病没した半兵衛さんだったけれど、秀吉さんが天下人になれたことに少なからぬ影響を与えたといわれているもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】5 月の追加武将一覧

新緑の木漏れ日にまぎれて

∩(^з^)∩  こんにちはー

★  のろしもく

 

 

さて 戦国IXA では

 

  5 月 の  追加武将  が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 池田恒興さん おつやの方さん 中馬大蔵さん 東郷重位さん

【 特 】 津軽信枚さん 板倉勝重さん 内ヶ島氏理さん

【 上 】 五藤為重さん 

【 序 】 黒田忠之さん

以上の 9 名

 

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池田恒興【 極 】、中馬大蔵 【 極 】、東郷重位 【 極 】 は

2021年8月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

中馬大蔵 【 極 】 、東郷重位 【 極 】は 取引不可とのこともく

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池田恒興さんは、織田信長さんの乳兄弟で、母・養徳院さんが信長さんの父・信秀さんの側室になったことで義理の兄弟関係でもあった人物もく

幼少の頃より信長さんの小姓として仕え、織田家が天下へと突き進んでいく著名な合戦の数々では武将として活躍、功績が認められ犬山城主になると、その後も信長さんを支えたもく

本能寺の変後には羽柴秀吉さんと共に明智光秀さんを討ち、織田家の後継を決める清洲会議にはいずれも織田家重臣である出席者四人の中に名を連ね、賤ヶ岳の戦いには参戦せず、去就が注目された小牧長久手の戦いに羽柴陣営として参戦するも、徳川陣営を相手に戦死となったもく

 

 

 

おつやの方さんは、織田信長さんの祖父・信定さんの娘で、信長さんの叔母にあたる人物だけれど、生年は信長さんと同年代だったと考えられていて、織田家当主となった信長さんの意向により東美濃の有力者であった岩村城主の遠山景任さんに嫁いだもく

東美濃織田家、武田家、斎藤家を近隣とする重要地だったことから政略結婚と推測されるが、二人の間に子供が無いまま景任さんが病死してしまったため、信長さんは自身の子である御坊丸さんを遠山家の養子に送り込んだもく

御坊丸さんがまだ幼かったので、おつやの方さんが女城主として当主の座を引き継いだが、東美濃織田家の勢力下になることを良しとしなかった武田家は侵攻を開始したもく

必死に抵抗するも信長さんからの援軍もままならぬ程の窮地に陥ったため、敵将の秋山虎繁さんと結婚するという条件を受け入れ降伏、配下の者達の命は助かったが、織田家を裏切るというこの選択が凄惨な最期へと繋がってしまうもくぅ

 

 

 

島津家に仕えた中馬大蔵さんは強弓を使いこなす大男だったそうで、また、薩摩隼人らしい大胆な逸話を多く残している豪傑もく

薩摩市来地頭だった比志島国貞さんのもとで初陣を飾るとその怪力で活躍したが、一方で粗暴な行動も目立ち、国貞さんとの関係が悪化すると知行と屋敷を没収されて謹慎処分になってしまったもく
しかし、合戦での活躍ぶりや粗暴な行動を打ち消すほどの豪胆さで島津義久さん、義弘さんに気に入られると、謹慎を解かれた後には肥後との国境最前線に配置、厚遇されたもく

関ヶ原の戦いの折には、義弘さんが僅かな兵士で参戦することを農作業中に聞きつけそのまま直ぐに戦地に馳せ参じると、敗戦後の島津の退き口では居場所の目印になるからと義弘さんの馬印を捨てさせ、食料が少なくなってくると食べるのは主君ではなく主君の輿を担いで走る自分だとして奪い取るなど、平時であれば極刑となるような手段も厭わなかったことで主君と共に生還に成功し、その後は天寿を全うしたもく

 

 

 

薩摩藩を中心に継承された剣術で、藩外に伝授することを禁じられたともいわれる「示現流」、その開祖として知られる剣豪が東郷重位さんもく

重位さんは島津家に仕えた家の生まれで、当時の島津家では「タイ捨流」の者が剣術師範を務めており、重位さんも若い頃より学んで皆伝の腕前だったそうもく

そして、島津家が豊臣秀吉さんに敗れた後、義久さんに従って上洛した時に「天真正自顕流」を伝える和尚と出会いその剣術を学ぶと、薩摩に帰った後に二つの流派を掛け合わせたとも考えられる独自の技を磨いたもく

剣の腕前が知れ渡ると島津忠恒さんの御前試合が組まれて「タイ捨流」師範に勝利、以降は剣術師範となって家内や藩内にその技を浸透させたもく

 

 

 

一代で大名に成り上がり津軽藩初代藩主となった津軽為信さんの三男として生まれたのが津軽信枚さん。

関ヶ原の戦いでは東西どちらの勝利になってもお家存続が叶うように図ったと考えられるが、兄は西軍に与し、父と自身は東軍に与して、東軍勝利の戦後には加増2000石を受けたもく

父、兄の死により家督相続となったため、その報告に江戸を訪れた際に、徳川家康さんの側近として幕府にも絶大な影響力のあった僧・南光坊天海さんに弟子入りしたそうで、以後、相続を争ったお家騒動や転封騒動といった窮地を幕府の働きかけによって乗り切るなど、その師弟関係にはかなりの強い結びつきがあったことが想像できるもく

また、天守炎上により祟りの噂も出ていた藩都の鷹岡を、天海さんの助言により弘前と名を改めると、城下町の整備や青森港の開港を行い、今日の青森県の歴史へと繋がっていく礎を築いたもく

 

 

 

板倉勝重さんは、幼少の頃に出家し僧として過ごしていたが、父の戦死、家督を継いだ弟の戦死が相次いだため、その主君であった徳川家康さんの命により還俗して家督を継承したもく

30代後半にしてはじめて武士となったこと、また、僧時代に培った人柄や多くの書物に触れた経験などから、戦場ではなく内政で力を発揮していくと、駿府町奉行江戸町奉行となって活躍したもく

そして、京と周辺の治安維持や朝廷の掌握、西日本諸大名の監視などを目的として江戸幕府が設置した京都所司代に任命されると、柔軟な司法判断で多くの事件を裁いたそうで、中にはねずみによる害の対策として「猫放し飼い令」を発布したというようなこともあったらしいもく

子の重宗さんも京都所司代を継ぎ、父子共に優れた裁きが評判となって「板倉政要」という判例集が後世に伝わったんだってもく

 

 

 

武将達がそれぞれの武や知によって争っていた戦乱の時代、一族滅亡についてもめずらしいことではなかったけれど、その中でも特殊な例として知られる一族の最後の当主・内ヶ島氏理さん。

氏理さんは飛騨の白川郷を本拠としていて、陸の孤島とも評される地の利をいかし、上杉謙信さんや姉小路頼綱さんらの侵攻を撃退していたもく

やがて織田信長さんが勢力を伸ばすと、その配下で越中に本拠を構えていた佐々成政さんに従い、本能寺の変後の小牧長久手の戦いでは成政さんの援軍として越中に出陣したが、留守の間に羽柴秀吉軍の金森長近さんに白川郷を占拠されてしまったもく

内ヶ島家は埋蔵金伝説も残るほど高い鉱山技術を有したといわれ、その影響もあってか秀吉さんに許され白川郷の所領も安堵されたのだけれど、所領安堵の宴のため一族が集まった際に天正地震が発生、周りを囲む山からの土石流により城下町諸共飲み込まれてしまったもく…

 

 

 

尾張黒田に生まれた五藤為重さんは、父の代から縁のあった山内家の一豊さんのもとで活躍したもく

兄・為浄さんと共に一豊さんが出陣した合戦のほとんどに参加、兄は戦死してしまったが自身は戦功を重ね、一豊さんが関ヶ原の戦いの功績で土佐国を与えられた折には、東の要地であった安芸城を預かるまでに至ったもく

また、為重さんには天正地震の際に長浜城から一豊さんの室・千代さんを救出したという逸話があるそうで、兄も戦地で一豊さんの頬を貫いた矢を草履で顔を踏むことも厭わずに抜いて助けたという逸話があり、主君からの信頼の裏には五藤兄弟の古くからの様々な忠義があったことがうかがえるもく

 

 

 

父・長政さんの跡を継ぎ、福岡藩2代藩主となったのが黒田忠之さんもく

祖父・官兵衛さんから続く上流家庭に生まれたためか、苦労知らずでわがままな性格だったといわれており、藩のお金で豪華な大型船を作ったり派手を好む生活を送っていたそうもく

また、旧来よりの家臣を軽んじて自身の側近を重用していたため、ついには長政さん時代からの重臣・栗山大膳さんが幕府に訴えた「黒田騒動」という三大お家騒動に数えられる内紛をまねいてしまったもく

ところがこのお家騒動、死者もなくお咎めもほぼ無い状態で終っていて、今でも黒田親子の関係性、武士のあり方や主従、戦乱から泰平へと移り変わる時代など、騒動の背景について様々な捉え方をされているみたいもく

その後忠之さんは、旧来家臣中心の政治や、幕府への協力に励んだんだってもく

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

また この他にも

今回5月10日(月)のメンテナンスでは一部武将カードの排出停止が行われているとのこともく

「排出停止武将カードのお知らせ」 

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n60862c7c9dd7a

 

なお 4月28日(水)から期間限定で登場中の 

「戦国くじ【春】」のラインナップについては メンテナンス前後で変更はないとのこともく

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n609345bdc60a5

 

 

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【戦国IXA】4 月の追加武将一覧

こんにちはわわわー (。^ε ^。)ノ 

過ごしやすい季節になってきたし 4月ということもあるから 

お部屋の模様替えでもして気分をリフレッシュしようかなと思案中の のろしもく!

 

でも お昼寝が気持ちいい~ 季節でもあるのよね~ 

な♪ の♪ で♪ 今日のところは (˘ε˘ 人 スヤー zzz もく♪

 

さて 戦国IXA では

 

  4 月 の  将  た 

 

追加されるのは

【 極 】 陶晴賢さん 小西行長さん 佐竹義重さん 阿茶局さん

【 特 】 結城晴朝さん 伊東マンショさん 徳川義直さん

【 上 】 都築秀綱さん 

【 序 】 皆川広照さん

以上の 9 名と

 

 

さらに

【 天 】 織田信長さん 今川義元さん

以上の 2 名が 

スキルやステータスを新しくした復刻版として登場するとのこともく

 

 

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佐竹義重【 極 】、阿茶局【 極 】 は 取引不可 で

2021年7月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

織田信長【 天 】、今川義元【 天 】 は 取引不可 で

2021年6月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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陶晴賢さんは代々重臣として大内家につかえた家のうまれで美少年だったと推測されており、幼少の頃から、時の大大名であった主君の義隆さんの寵愛を受けたもく

やがて父譲りの武力で「西国無双の侍大将」と称されるほどに成長すると、家内の武断派の中心を担うようになったもく

しかし、尼子家を相手にした月山富田城攻めの敗戦によって義隆さんが軍事を蔑ろにして貴族文化に傾倒していったことに反発、元々の気性の粗さも相まって謀反を起こすと、ついには主君を討つに至り、中国地方の覇権争いに名乗りを上げたのだが、その眼前には次代の覇者・毛利元就さんが立ち塞がったもく

 

 

 

豊臣政権において交渉役などを務め、キリシタンとしても有名な小西行長さんは、商人の出とも元から武家出身だったともいわれるが生い立ちについてははっきりとはしていないみたいで、その存在が確認できるようになった頃は宇喜多家につかえていたもく

主君が織田家に従ったのを機に、秀吉さんに才覚を見出されて舟奉行に任じられると、海の司令官として手腕を発揮したもく

そして、九州平定の戦功によって肥後国加藤清正さんと分け合う形で与えられたのだが、この隣接する領地の関係や、熱心な日蓮宗信者で武断派でもあった清正さんとは馬が合わなかったようで、文禄・慶長の役では先陣を争ったことがつたわっているもく

反対に文治派の石田三成さんとは朝鮮出兵以降通じるところがあったようで、関ヶ原の戦いでは西軍として参戦し斬首の最期となったもく

 

 

 

戦国時代に不遇の名門となっていた佐竹家を一代にして有力戦国大名に押し上げた佐竹義重さんは、その勇猛さから「鬼義重」と恐れられたもく

外交にも長け、家督を継いだ若年期には上杉謙信さんとの協力に成功し周辺勢力を撃破、関東の覇権を北条家と争うに至った折には結城家や宇都宮家との婚姻による同盟や羽柴秀吉さんとの関係を構築することによって窮地を乗り越えると、成熟期には奥州の諸将をまとめ上げ反伊達連合も結成したもく

長男の義宜さんに家督を譲って隠居した後も実権を握っていたそうだけれど、親子ともに毛虫をあしらった兜を着用していたことがつたわっているもく

 

 

 

徳川家康さんがもっとも信頼した女性ともいわれる阿茶局さんは、はじめ神尾忠重さんのもとに嫁いだもののはやくに死別し、その後、家康さんにつかえて側室となったもく

家康さんは聡明で才略にたけた阿茶局さんを寵愛し、たびたび戦場へもともなったといわれているもく

また、徳川秀忠さんの生母である西郷局さんが亡くなると、奥向きの諸事一切をとりしきり、事実上の正室ともいえる存在だったみたいもく

大坂冬の陣にも同行した阿茶局さんは、淀さんの妹である常高院さんと会見して和議を成立させており、奥向きの仕事のみならず、戦場においても家康さんにとって頼りになる存在だったことがうかがえるもく

 

 

 

小山高朝さんの三男としてうまれた結城晴朝さんは、下総結城家の十六代当主である伯父の結城政勝さんに跡継ぎがなかったためその養子となり、政勝さんが病没すると、関東八屋形に数えられる名家の当主となったもく

晴朝さんは、複雑な勢力図が展開される関東の戦国時代を、合戦もふくめた巧みな外交によって乗り切り、小田原征伐の際には豊臣秀吉さんに従って所領を安堵され、さらに徳川家康さんの子であり、秀吉さんの養子となっていた秀康さんを養嗣子として迎えて家督をゆずったもく

すぐれた外交手腕により名門下総結城家の存続をはかった晴朝さんだったけれど、関ヶ原の戦いのあと結城家は越前国へ転封され、さらに姓を松平に改めることとなり、下総結城家の家名は消滅してしまったもく

 

 

 

祖父である伊東義祐さんが島津家の侵略をうけ、まだ幼い伊東マンショさんは家臣に背負われて、キリシタン大名大友宗麟さんがおさめる豊後国に落ち延びたもく

豊後国キリスト教と出会い洗礼をうけたマンショさんは、宗麟さんの名代として天正遣欧少年使節の正使となりローマに派遣されたもく

けれど、マンショさんがローマに携帯した宗麟さんの書状のなかに「不龍獅子虎」という宗麟さんが他で使用した形跡のない署名があり、この書状が偽作であった可能性や、宗麟さんが少年使節の派遣に関与してなかった可能性なども指摘されているんだってもく

帰国後、マンショさんは勉学に励んで司祭に叙階され、キリスト教の弾圧がすすむなか布教活動にいそしんだもく

 

 

 

徳川義直さんは徳川家康さんの九男で、徳川御三家の筆頭として知られる尾張徳川家の始祖となった人物もく

義直さんは家康さんの実子としてその遺訓をよく守ったけれど、家康さんの実子であるという意識が強すぎたためか、歳の近い甥である三代将軍徳川家光さんとたびたび衝突したといわれているもく

藩政については家臣まかせにせず、新田開発や城下町の整備などを積極的におこない、また、学問を奨励し、家康さんの形見として受け継いだ書物や、みずから収集した書物などをおさめる「蓬左文庫」を創設し、それらの書物を門外不出とすることなく公開したもく

 

 

 

今川義元さんの家臣であった都築秀綱さんは、義元さんが敗死した桶狭間の戦いのあと、今川家内が動揺して離反する者も出るなか変わらずに今川家に仕えつづけ、義元さんの子である今川氏真さんから所領安堵の判物を拝領したもく

しかしのちに秀綱さんは、遠江の今川領に侵攻してきた徳川軍に降伏して、徳川家康さんに仕えることとなったもく

徳川家では本多忠勝さんの与力となって数々の合戦で戦功をあげたといわれ、家康さんの関東移封にともない忠勝さんが城持ち大名となると、秀綱さんは付家老に抜擢されたもく

 

 

 

皆川俊宗さんの次男で、下野の皆川城主、栃木城主だった皆川広照さん。

うまれた頃は上杉謙信さんと北条氏康さんが勢力争いを繰り広げていた時代で、北関東の小勢力は生き残りのために双方への従軍や離反を繰り返しており皆川家もまた例外ではなかったもく

広照さんが家督を継いだ頃には、上杉謙信さんが死去、佐竹家の台頭もあって依然として周辺の不安定な状況が続いていたので、中央の織田信長さんや徳川家康さんに接近するなど存続の道を模索したもく

豊臣秀吉さんの天下統一間際には、北条方として小田原城に入っていたが、豊臣方で繋がりを作っていた徳川家康さんに直ぐに降伏したため所領安堵となり、以降は徳川家に従軍して激動の時代を生き抜くことに成功したもく

 

 

 

三英傑のひとりで、織田家を全国一の勢力にした歴史上屈指の名将織田信長さん。

 

 

 

領地経営能力と戦国武将としての才覚を併せ持ち、今川家の最盛期を築いた今川義元さん。

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】3 月の追加武将一覧

(」>з<)」< こ ん に ち は ー ー ー ! !

のろしもく ヾ(ゝз・)

 

2月の新舞台の開幕から早くも1か月もくね 

春らしい日も増えてきたかなもく

春は出会いと別れの季節ともいわれるけれど

戦国IXAにも 新しい顔ぶれが登場するとのこともく

 

 3 月 の 追加武将 が 公開 されましたもく

 

追加されるのは

【 極 】 竹中半兵衛さん 本多重次さん 天徳寺礼能さん 柳生宗矩さん

【 特 】 武姫さん 九鬼守隆さん 伊集院忠棟さん

【 上 】 桑名吉成さん 

【 序 】 仙石忠政さん

以上の 9 名

 

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天徳寺礼能【 極 】、柳生宗矩【 極 】 は 取引不可 で

2021年6月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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竹中半兵衛さんは、のちに天下人となる羽柴秀吉さんを支えた軍師として有名で、おなじく秀吉さんの軍師である黒田官兵衛さんとともに「両兵衛」などと称されたもく

智略に満ちた逸話が数多くのこされている半兵衛さんだけど、秀吉さんが織田信長さんから、官兵衛さんの子である松寿丸さんを殺すよう命じられた際には、あのおそろしい信長さんの命令にそむいて、松寿丸さんを自らの領地にかくまい命を助けたという逸話も伝わっており、胆力もそなえた智将だったことがうかがえるもく

享年三十六で病没した半兵衛さんは、「千年おゝとり」とよばれる花押を使用しており、その意匠には平和へのおもいがこめられていたといわれているもく

  

 

 

作左衛門という通称から「鬼作左」とあだなされた本多重次さんは、主君徳川家康さんにもはばかりなく諫言し、また戦場においては数十人の敵にかこまれながら、敵兵のひとりが繰り出した槍をつかんで落馬させ、その武士を討ち取ったうえにその馬を奪って逃げおおせたという逸話が伝わっており、「鬼作左」とよばれるのも納得の勇猛さと気性の荒さもく

しかしその一方で、三河三奉行の一人として非常に優秀な行政能力を発揮したといわれており、豪放なだけの人物ではなかったみたいもく

また、陣中から妻へあてた「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」という簡潔な手紙は、日本一短い手紙として有名もく

 

 

 

天徳寺礼能さんは大友家の家臣で、「豊後のヘラクレス」と称されるほどの槍の名手であり、またリイノという洗礼名をもつキリシタンでもあったもく

もとは柴田という姓だったんだけど、大友宗麟さんが礼能さんの子である統勝さんに「天徳寺」という姓を与えたことから、礼能さんもその姓を称することになったみたいもく

礼能さんは大友一族に準ずる扱いをうけるほど宗麟さんに寵愛され、島津軍によって丹生島城が包囲された際にも宗麟さんとともに籠城軍にくわわっていたけれど、礼能さんの兄である紹安さんが島津方に寝返ったことにより、みずからも宗麟さんから疑いをかけられていると知った礼能さんは、我が子とともに決死の出陣をして、父子ともに討ち取られてしまったもく

 

 

 

石舟斎の号で知られる柳生宗厳さんを父にもつ柳生宗矩さんは、江戸初期を代表する剣豪のひとりで、その剣の腕は父宗厳さんをしのいでいたともいわれるもく

柳生家は宗厳さんの代に所領をうしない一度没落したといわれているけれど、黒田長政さんの仲介により二十四歳で徳川家康さんに仕えた宗矩さんは、関ヶ原の戦い大坂の陣での功績により父祖伝来の地をとりもどし、さらに徳川秀忠さんの兵法指南役をつとめるなどして加増され、三千石の旗本となったもく

その後も徳川家光さんの兵法指南役となって新陰流を伝授するなどした宗矩さんは加増をかさね、ついには大和柳生藩初代藩主となり、一剣術家の身から大名にまでのぼりつめた稀有な人物となったもく

 

 

 

蒲生氏郷さんの娘、あるいは養妹という説もある武姫さんは、陸奥盛岡藩初代藩主である南部利直さんの正室もく

氏郷さんは、大百足を退治したという伝説をもつ藤原秀郷さんの後裔とされ、武姫さんは、百足退治につかわれたという矢の根を持参して利直さんのもとへ嫁いだといわれているもく

武姫さんが亡くなったあと、そのからだのしたに異様なかたちの変色があらわれ、大百足の怨念をおそれた利直さんが、武姫さんの墓の周囲に堀をめぐらし堀に橋をかけたところ、一夜にして橋が破壊されるということが繰り返しおこったと伝わっているもく

 

 

 

慶長二年に父の九鬼嘉隆さんから家督を継いだ九鬼守隆さんは、徳川家康さんに従って会津征伐におもむき、そのまま東軍として関ヶ原の戦いにのぞんだもく

しかし父の嘉隆さんは西軍に与しており、戦後、守隆さんによる助命嘆願がみとめられたものの、そのしらせが届くよりも先に、はやまった家臣にうながされて嘉隆さんは自害してしまったもく

その後、志摩鳥羽藩初代藩主となった守隆さんは、大坂の陣でも九鬼水軍を率いて功をたて、その際、船の上廻りまで木や竹で装甲した潜水艦のような軍船を使用したという文献がのこされているもく

 

 

 

古くから島津家に仕えた家柄で、自身も筆頭家老を担った伊集院忠棟さんは、国賊とも島津家滅亡を救った忠義の者とも評される人物もく

細川幽斎さんと親交があり豊臣家のことを知っていたため、秀吉さんの九州征伐の折には早い段階で降伏の姿勢を見せ敗戦処理でも活躍し、その功績により戦後には島津家にも匹敵するような待遇を与えられて、豊臣政権との交渉役もつとめるようになったもく

これを面白く思わなかったのは当然島津家で、忠棟さん自身が次第に野心を抱いたという見方もあるが、島津忠恒さんによって殺されてしまったもくぅ

熱心な一向宗門徒だったそうで、石山本願寺を訪れた際には、親鸞さんの木像を所望し持ち帰ったという逸話が伝わっているもく

 

 

 

桑名吉成さんは、長宗我部家臣として元親さんの四国統一で活躍したことがみとめられ中村城代に任命されたもく

元親さんが秀吉さんに降伏したのちの豊臣家の九州征伐では、主君とともに参戦したものの島津家の前に大敗、この際、落ち武者狩りからの撤退を成功させた手腕に元親さんは大層感銘を受け、後継の盛親さんに合戦では吉成さんを先手とせよと遺言したと伝わるもく

関ヶ原の戦いでは盛親さんに従い西軍として参戦、敗戦により長宗我部家が改易となると、吉成さんは東軍方にも伝わっていた好評により藤堂高虎さんに召し抱えられたもく

そして大坂の陣で様々な思いが交錯していたであろう中、かつての主君盛親さんが率いた軍と戦い敗死したもく

 

 

 

羽柴秀吉さんのもとで一代にして立身した秀久さんの子として生まれた仙石忠政さんは、秀吉さん没後には父とともに徳川家康さんに従い、関ヶ原の戦いでは東軍として上田城の戦いに参加、この時の活躍によって徳川秀忠さんの「忠」の字を拝領したもく

父の死去によって跡を継ぐと戦後荒廃していた信濃小諸藩の農村復興に注力し、大坂の陣での戦功によって上田藩への移封がみとめられると、様々な政策を講じて領地安定を図り、関ヶ原の戦い後の処置によって破壊されていた上田城の復興にも着手したもく

 

 

 

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出会いがあれば別れも

今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

※戦国くじ【祝】には 2021年3月7日(日)23:59までのくじ表示期間中
 明智光秀【天】、初【天】、江【天】が引き続きラインナップに含まれるとのこともく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2 月の追加武将一覧

こんにちは (ヾノ^з^)ノシ のろしもく

 

新舞台『 虚星封天 ~不俱戴天の烈将~ 』 での

初合戦の日が近づいてきたもくね! 

 (・з・σ)σ 初合戦相手国発表は 2月19日(金)予定

 

内政や新戦力の育成は進んでいるかなもく?

 

新戦力といえば 先日登場した新天に続いて

noroshi-sengokuixa.hatenablog.com

 

新戦力候補が戦国IXAに加わるみたいなのでご紹介しますもくー

 

 2 月 の 追加武将 が 公開 されましたもく

 

追加されるのは

【 極 】 本願寺教如さん 妙林尼さん 土居清良さん アルメイダさん

【 特 】 別所長治さん 森長可さん 毛利新介さん

【 上 】 渡辺糺さん 

【 序 】 海北友松さん

以上の 9 名

 

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土居清良【 極 】、アルメイダ 【 極 】 は 取引不可 で

2021年5月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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本願寺教如 さんは、浄土真宗本願寺派第11世宗主である顕如さんの長男として生まれ、本願寺織田信長さんのあいだで合戦が始まると、顕如さんを支え、10年以上にわたり信長さんを苦しめたもく

朝廷の仲介により信長さんと講和を結んだ顕如さんが石山本願寺から紀州鷺森に退去した後も、徹底抗戦を主張する教如さんは、和議を不服とする信徒らとともに石山本願寺に数ヶ月間籠城し、近衛前久さんの説得によりようやく本願寺を信長さんに明け渡したもく

豊臣秀吉さんが天下人となり、顕如さんが病没すると、一度は秀吉さんの朱印状を得て教如さんが本願寺を継承したものの、後に秀吉さんから、弟である准如さんに本願寺法主を譲るよう命じられ、教如さんは退隠させられたもく

しかし秀吉さんが亡くなると、教如さんは徳川家康さんから京に四町四方の寺地を寄進され、本願寺は、教如さんの東本願寺准如さんの西本願寺とに分裂することとなったもく

  

 

 

大友家の家臣である吉岡家に嫁いだ 妙林尼 さんは、耳川の戦いで夫の吉岡鑑興さんが戦死したため、出家して尼となったもく

九州統一の総仕上げとして大友家の所領に侵攻した島津家は、次々と豊後各地を制圧し、大友宗麟さんが籠城する丹生島城に迫り、妙林尼さんが籠もる鶴崎城にも攻略の兵を向けたもく

鶴崎城主である吉岡統増さんも主力の兵を率いて丹生島城に籠城していたため、統増さんの母である妙林尼さんが老兵や農民などを指揮して見事に鶴崎城を守りきったもく

妙林尼さんは十六度に及ぶ島津軍の攻撃をはねかえしたといわれ、その知略と武勇に感心した豊臣秀吉さんがぜひとも面会したいと申し出たけれど、妙林尼さんはその申し出を断ったと伝わっているもく

 

 

 

伊予宇和郡三間に生まれた 土居清良 さんは、大友家の侵攻によって祖父や父をうしない、幼少期を土佐一条家で過ごすこととなったもく

やがて伊予に帰還し大森城主となった清良さんは、西園寺家に属して、大友家や長宗我部家などの侵攻を防ぎ、のちに西園寺十五将のひとりに数えられるようになったもく

清良さんの一族である土居水也さんが記した「清良記」には、清良さんと領内の農巧者である松浦宗案さんの問答などが収録されていて、日本最古の農書といわれることもあるみたいもく

  

 

 

 ポルトガルに生まれた アルメイダ さんは、医師免許を取得したのち、商人として1552年に肥前国平戸を訪れ、日本とマカオを行き来して莫大な財産を築いたもく

日本で宣教師たちと出会ったアルメイダさんは、貧しい人々のあいだで頻繁におこなわれていた赤子殺しや間引きに心を痛め、私財を投じて豊後府内に乳児院や総合病院を建て、さらに「憐れみの聖なる家」といわれるキリスト教徒の互助組織も発足させたもく

アルメイダさんは神父としての活動も行いながら、病院などの資金調達のため貿易への投資も続け、さらには九州全域をまわっての医療活動も行うようになり、病人や乳児、貧しい人々に尽くしたといわれているもく

 

 

 

別所長治さんは、祖父の代で主家・赤松家の衰退と入れ替わるように戦国大名化に成功し、三好長慶さんと争うなど東播磨で勢力を誇っていた別所家を若くして継いだもく

織田信長さんが台頭し始めると早くから従ったそうで、中国の毛利攻めの折には、両者の中間地に位置する播磨で力を有していたことから頼りにされたそうだが、突然離反してしまうもく

この裏切りの理由については、家内の対立構造によるもの、周辺勢力分析によって勝ち馬に乗るための判断、将軍・足利義昭さんや毛利家による工作など諸説考えられているが、結果として、「三木の干殺し」と呼ばれる羽柴秀吉さんからの2年にも及ぶ壮絶な兵糧攻めを受けることになり、妻子兄弟と共に自害となってしまったもくぅ

 

 

 

森蘭丸さんの兄の森長可さんは、弟同様に織田信長さんに大層可愛がられていたと伝わる人物もく

「攻めの三左」と称された父・可成さん譲りの腕前と、人間無骨と彫られた槍を武器に活躍して「鬼武蔵」の異名が知れ渡ったのだけど、かなり気性が荒く血気盛んだったそうで、規律や命令違反も少なくはなく、時には些細な理由で敵でもない相手を斬り殺すこともあったようだが、信長さんは大事にしなかったとのことからもその寵愛ぶりが伺えるもく

一方で、書や茶道を好み、内政にも積極的であったという一面も伝わっているもく

 

 

 

毛利新介さんは、織田信長さんの馬廻として仕え、あの桶狭間の戦いにおいて今川義元さんを討ち取ったことで知られているもく

義元さん最期の意地により指を噛み千切られたといわれているが、以降も信長さんの戦いに参加、しかし戦地で目立って名を挙げることはなかったみたいもく

次第に役人として重用されると尺限廻番衆として信長さんの文書管理などで活躍。

本能寺の変の際も主君の側近として京に滞在するが、織田信忠さんと共に二条城にて討死したもくぅ

 

 

 

渡辺糺さんは、豊臣秀頼さんに仕え指南役を担った槍の名人で、「内蔵助流槍術」の祖ということが伝わっているもく

母が淀さんの側近で秀頼さんの乳母を務めたことに加えて、秀頼さんが花見に出かけた際に巻き込まれた揉めごとを得意の槍によって解決したことなどから、家内でも発言力を有する存在になっていったもく

大坂冬の陣では、豊臣方の中心人物のひとりである大野治長さんと言い争いをするなど勇んだが、敵の上杉景勝さん相手に大敗し嘲笑の的になり、夏の陣で挽回しようと奮戦したが及ばず果てたもく

 

 

 

海北友松さんは浅井家の重臣であった綱親さんの子として生まれたが、主君と父が織田信長さんに敗れ戦死したことを機に京の東福寺に入り僧侶となったもく

その際に室町時代から江戸時代にかけて画壇の中心であった狩野派を学んだとされ、さらには茶道も学び文化人との親睦を深めたもく

還俗し武家再興を目指したが、次第に画家としての才を認められ戦乱の世を生き抜くと、時代を代表するひとりとして晩年には画業に専念するようになっていたそうで、「龍の名手」とも称されたような迫力のあるものから、入念に書き込まれた花の絵や、やわらかくしっとりとした画風のものまで多彩な作品の数々が今日にも残されているもく

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

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