=ヾ(`・ε´・*)9” こんにちはー のろしもくー
だんだんと暑さも本番がやってくるこの季節
戦国IXAでも 激アツな新カードがやって… キターーーもく!!!
7月 の 追加武将 が 公開されました もく
追加されるのは
【 極 】 高橋紹運さん 佐久間信盛さん 天草四郎さん 藤林長門守さん
【 特 】 清原マリアさん 上井覚兼さん 益田正親さん
【 上 】 長続連さん
【 序 】 朝倉景紀さん
以上の 9 名
さらに
【 天 】 柳生石舟斎さん 前田慶次さん 百地三太夫さん
以上の 3 名が
スキルやステータスを新しくした復刻版として登場するとのこともく
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天草四郎【 極 】、藤林長門守【 極 】
柳生石舟斎【 天 】、前田慶次【 天 】、百地三太夫【 天 】は
取引出品・譲与不可で
2025年10月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく
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柳生新陰流の開祖で、刀を持たずに刀を持つ者を制す「無刀取り」により徳川家康さんの信頼を得てお家復活を成した 柳生石舟斎 さんが、イラスト復刻の新カードとして登場もく
上位盟主城を中心に今でもよく見かける石舟斎さん、新カードではどのような活躍を見せてくれるのか楽しみもく!
自由奔放な生涯を送りながらも義侠を重んじていたと伝わる戦国一の傾奇者 前田慶次 さんが、イラスト復刻の新カードとして登場もく
「前田慶次を救いたい。」という名言(⁉)も生み出された飛翔の慶次さん、新カードではどのような活躍を見せてくれるのか楽しみもく!
百地丹波さんと同一視されている江戸時代の物語の登場人物で、石川五右衛門さんや霧隠才蔵さんに忍術を伝授したという伊賀流忍術の祖 百地三太夫 さんが、イラスト復刻の新カードとして登場もく
初期スキルおよび隠し候補スキルの「〇倍して模倣する」効果に脅かされた三太夫さん、新カードではどのような活躍を見せてくれるのか楽しみもく!
高橋紹運 さんは、大友義鑑さんの重臣である吉弘鑑理さんの次男に生まれ、義鑑さんの子の宗麟さんの代になると、立花道雪さんと共に風神雷神と称され大友家の双璧として活躍したもく
大友家が島津家を相手にした耳川の戦いで大敗を喫して斜陽となっていく中でも義を尽くし戦い続けると、岩屋城の戦いでは5万の島津軍を相手にわずか700人強の小勢で抗戦、主家が衰えた時に一命をかけることこそ武家に生まれた者の務めであると降伏勧告も固持して壮絶に散ったもく
豊臣秀吉さんからもその死について惜しまれて、下剋上や裏切りが当たり前になっている世において、紹運さんの忠義心を、乱世に咲いた華だと称えたもく
信秀さんの代から織田家に仕えた 佐久間信盛 さんは、若き信長さんに重臣として付けられたもく
信秀さんが亡くなった後の後継者問題の際には、当時まだうつけ者と評されていた信長さんに一貫して味方し続けたことから、以降信長さんの家臣団で筆頭格として扱われたもく
信長さんの主要な戦いにはほぼ全て参加し、最も危険な任務ともいわれる退却戦の殿軍指揮に優れたことから退き佐久間と称されたもく
その後も長きに渡り筆頭家老を務めたものの、対本願寺戦の総大将を任されながら結果を出せず、また、過去の失態も蒸し返される形で信長さんの怒りを買ってしまい、19条にもおよぶ折檻状を突きつけられて追放されてしまったもく
1612年、江戸幕府により禁教令が発令されると、キリスト教の取り締まりが強化されて各地の宣教師らも国外追放となったもく
宣教活動が盛んだった天草地方でも滞在中の宣教師が「25年後、16歳の天童が現れ人々を救うであろう」という予言を残して去ることになったもく
時は流れて1637年、かつてキリシタン大名小西行長さんが治めていた天草、同じくかつてキリシタン大名の有馬晴信さんが治めていた島原では、苛烈な年貢の取り立てや一層激しさを増すキリスト教の取り締まりに領民達が苦しめられていて、浪人や百姓に転じていた小西家、有馬家の旧臣らを中心に一揆が組織されていったもく
同じ時期同じ地では、確かな教養力と不思議な魅力を持ってキリシタンの間で衆目集めていた16歳の少年がいたもく
「 天草四郎 」と呼ばれたその少年は、一揆軍の総大将に擁立されて、日本史上最も大規模な一揆といわれる島原の乱を指導することになるもく
藤林長門守 さんは、現代において服部半蔵さん、百地丹波さんと並ぶ伊賀の三大上忍の一人に数えられていて、近接する土地を支配していたことから甲賀にも影響力が強かったとされる人物もく
いわゆる忍者と呼ばれる人々は、務めの性質上経歴などがはっきりと後世に伝わっていることは稀で、中でも長門守さんは特に情報が少なく、その分忍び働きに優れていたのかもしれないもく
一説では若い頃に今川義元さんに仕えていたようで、同じく諸説ある人物でのちに武田信玄さんの軍師となる山本勘助さんと親交を深めて、互いに忍術と兵法を伝授しあったらしいもく
伊賀に帰国後は六角家の活動に協力することが主となり、織田家による天正伊賀の乱まで活躍したとも、その頃には息子に代替わりしていたともいわれるもく
代々高名な学者を輩出していた家柄に生まれた 清原マリア さんは、大伯母が細川藤孝さんの生母であったことから細川家の侍女となり奉公していたもく
藤孝さんの子の忠興さんの正室となった、明智光秀さんの娘のたまさんの侍女頭を担い、自身の出自から備わる聡明さや教養により、特に細川家正室の外交面に関してたまさんの力になっていたみたいもく
洗礼により「マリア」の名を授かっており、たまさんが実父による本能寺の変後の激動にさらされてから、洗礼を受けて「細川ガラシャ」の名を授かった際にも深く関わったと伝わるもく
上井覚兼 さんは、島津貴久さん、義久さんに仕えて島津家の奏者や家老として政務を取り仕切った人物もく
また、覚兼さんが役職を担った頃は島津家が九州制覇へと勢いを増していた時代なので戦場でも活躍したもく
非常に筆まめだったようで、14年に渡り書かれた日記「上井覚兼日記」には、島津家や九州の情勢、戦地の様子、芸能や暮らしに至るまで戦国大名家の日常が事細かにつづられており、当時をうかがい知ることができる貴重な史料として現代に伝わっているもく
他にも武士としての心得や教養などをまとめた「伊勢守心得」を著したり、有馬晴信さんから南蛮犬を贈られたりしたそうもく
益田正親 さんは、貧農から黒田官兵衛さんに取り立てられて、下僕や薙刀持ちなどを経て士分となったという異色の経歴を持つ黒田二十四騎もく
文禄・慶長の役を前に500石に加増されて足軽大将となり、関ヶ原の戦い後に黒田家が筑前国に入国すると3000石を与えられて鉄砲組頭を担い、また、福岡城の石垣奉行を同じ黒田二十四騎の野口一成さんと共に務めたもく
貧農の出自であったことから学問の機会に恵まれず、文字の読み書きができなかったため3000石にとどまったともいわれるけれど、その分足軽らの気持ちをよく理解し、取り立てられた恩に対しても実直に応えていたことから、戦場では1万石の武将にも匹敵するほどの働きだったといわれるもく
能登畠山家は7代の義総さんの時代に最盛期を迎えていたのだけど、義総さんが亡くなると家内の主導権争いが始まり、8代義続さんを傀儡とした畠山七人衆と呼ばれる重臣達が領国支配を担う体制が確立したもく
七人衆の一人だったのが 長続連 さんで、七人衆の一部の反乱によって再編となっても引き続き名を連ねたもく
その後能登での大規模な武力闘争となった弘治の内乱では能登畠山家9代の義綱さんを支持して反乱を鎮圧し、さらに永禄九年の政変にて義続さん、義綱さん親子を追放して、能登畠山家の実権を握ったもく
永禄九年の政変が起こる前に続連さんが義綱さんをもてなした饗応の記録が残っていて、その献立や宴会内容の豪華さから当時の続連さんの力の大きさがうかがえるといわれるもく
朝倉景紀 さんは、朝倉家9代当主の貞景さんの四男に生まれ、朝倉家の全盛期を支えた名将朝倉宗滴さんの養子となったもく
宗滴さんと共に各地を転戦して、室町幕府将軍足利義晴さんからの要請により京都出兵した際には、義晴さんから感状を賜る活躍をしたもく
その後宗滴さんから敦賀郡司を引き継ぎ、加賀出兵をはじめとした軍事活動で戦果をあげているもく
一方で、和歌や連歌にも造詣が深く、一乗谷で行われた連歌会の運営を務めるなど、養父にも劣らぬ文武両道の武将だったと伝わるもく
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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく
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