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スクウェア・エニックスのオンラインゲーム 【 戦国IXA 】を 応援する煙の妖怪 のろし が 戦国IXAやのろしのことをゆる~くお届けするブログもく

【戦国IXA】2025 年 7 月の追加武将一覧

 

=ヾ(`・ε´・*)9” こんにちはー のろしもくー

だんだんと暑さも本番がやってくるこの季節

 

戦国IXAでも 激アツな新カードがやって… キターーーもく!!!

 

 

 

    7月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

 

追加されるのは

【 極 】 高橋紹運さん 佐久間信盛さん 天草四郎さん 藤林長門守さん

【 特 】 清原マリアさん 上井覚兼さん 益田正親さん

【 上 】 長続連さん 

【 序 】 朝倉景紀さん

以上の 9 名

 

 

 

さらに

【 天 】 柳生石舟斎さん 前田慶次さん 百地三太夫さん

以上の 3 名が 

スキルやステータスを新しくした復刻版として登場するとのこともく

 

 

 

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天草四郎【 極 】、藤林長門守【 極 】

柳生石舟斎【 天 】、前田慶次【 天 】、百地三太夫【 天 】は

取引出品・譲与不可で

2025年10月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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柳生新陰流の開祖で、刀を持たずに刀を持つ者を制す「無刀取り」により徳川家康さんの信頼を得てお家復活を成した 柳生石舟斎 さんが、イラスト復刻の新カードとして登場もく

上位盟主城を中心に今でもよく見かける石舟斎さん、新カードではどのような活躍を見せてくれるのか楽しみもく!

 

 

 

自由奔放な生涯を送りながらも義侠を重んじていたと伝わる戦国一の傾奇者 前田慶次 さんが、イラスト復刻の新カードとして登場もく

「前田慶次を救いたい。」という名言(⁉)も生み出された飛翔の慶次さん、新カードではどのような活躍を見せてくれるのか楽しみもく!

 

 

 

百地丹波さんと同一視されている江戸時代の物語の登場人物で、石川五右衛門さんや霧隠才蔵さんに忍術を伝授したという伊賀流忍術の祖 百地三太夫 さんが、イラスト復刻の新カードとして登場もく

初期スキルおよび隠し候補スキルの「〇倍して模倣する」効果に脅かされた三太夫さん、新カードではどのような活躍を見せてくれるのか楽しみもく!

 

 

 

 

高橋紹運 さんは、大友義鑑さんの重臣である吉弘鑑理さんの次男に生まれ、義鑑さんの子の宗麟さんの代になると、立花道雪さんと共に風神雷神と称され大友家の双璧として活躍したもく

大友家が島津家を相手にした耳川の戦いで大敗を喫して斜陽となっていく中でも義を尽くし戦い続けると、岩屋城の戦いでは5万の島津軍を相手にわずか700人強の小勢で抗戦、主家が衰えた時に一命をかけることこそ武家に生まれた者の務めであると降伏勧告も固持して壮絶に散ったもく

豊臣秀吉さんからもその死について惜しまれて、下剋上や裏切りが当たり前になっている世において、紹運さんの忠義心を、乱世に咲いた華だと称えたもく

 

 

 

信秀さんの代から織田家に仕えた 佐久間信盛 さんは、若き信長さんに重臣として付けられたもく

信秀さんが亡くなった後の後継者問題の際には、当時まだうつけ者と評されていた信長さんに一貫して味方し続けたことから、以降信長さんの家臣団で筆頭格として扱われたもく

信長さんの主要な戦いにはほぼ全て参加し、最も危険な任務ともいわれる退却戦の殿軍指揮に優れたことから退き佐久間と称されたもく

その後も長きに渡り筆頭家老を務めたものの、対本願寺戦の総大将を任されながら結果を出せず、また、過去の失態も蒸し返される形で信長さんの怒りを買ってしまい、19条にもおよぶ折檻状を突きつけられて追放されてしまったもく

 

 

 

1612年、江戸幕府により禁教令が発令されると、キリスト教の取り締まりが強化されて各地の宣教師らも国外追放となったもく

宣教活動が盛んだった天草地方でも滞在中の宣教師が「25年後、16歳の天童が現れ人々を救うであろう」という予言を残して去ることになったもく

時は流れて1637年、かつてキリシタン大名小西行長さんが治めていた天草、同じくかつてキリシタン大名の有馬晴信さんが治めていた島原では、苛烈な年貢の取り立てや一層激しさを増すキリスト教の取り締まりに領民達が苦しめられていて、浪人や百姓に転じていた小西家、有馬家の旧臣らを中心に一揆が組織されていったもく

同じ時期同じ地では、確かな教養力と不思議な魅力を持ってキリシタンの間で衆目集めていた16歳の少年がいたもく

天草四郎 」と呼ばれたその少年は、一揆軍の総大将に擁立されて、日本史上最も大規模な一揆といわれる島原の乱を指導することになるもく

 

 

 

藤林長門守 さんは、現代において服部半蔵さん、百地丹波さんと並ぶ伊賀の三大上忍の一人に数えられていて、近接する土地を支配していたことから甲賀にも影響力が強かったとされる人物もく

いわゆる忍者と呼ばれる人々は、務めの性質上経歴などがはっきりと後世に伝わっていることは稀で、中でも長門守さんは特に情報が少なく、その分忍び働きに優れていたのかもしれないもく

一説では若い頃に今川義元さんに仕えていたようで、同じく諸説ある人物でのちに武田信玄さんの軍師となる山本勘助さんと親交を深めて、互いに忍術と兵法を伝授しあったらしいもく

伊賀に帰国後は六角家の活動に協力することが主となり、織田家による天正伊賀の乱まで活躍したとも、その頃には息子に代替わりしていたともいわれるもく

 

 

 

代々高名な学者を輩出していた家柄に生まれた 清原マリア さんは、大伯母が細川藤孝さんの生母であったことから細川家の侍女となり奉公していたもく

藤孝さんの子の忠興さんの正室となった、明智光秀さんの娘のたまさんの侍女頭を担い、自身の出自から備わる聡明さや教養により、特に細川家正室の外交面に関してたまさんの力になっていたみたいもく

洗礼により「マリア」の名を授かっており、たまさんが実父による本能寺の変後の激動にさらされてから、洗礼を受けて「細川ガラシャ」の名を授かった際にも深く関わったと伝わるもく

 

 

 

上井覚兼 さんは、島津貴久さん、義久さんに仕えて島津家の奏者や家老として政務を取り仕切った人物もく

また、覚兼さんが役職を担った頃は島津家が九州制覇へと勢いを増していた時代なので戦場でも活躍したもく

非常に筆まめだったようで、14年に渡り書かれた日記「上井覚兼日記」には、島津家や九州の情勢、戦地の様子、芸能や暮らしに至るまで戦国大名家の日常が事細かにつづられており、当時をうかがい知ることができる貴重な史料として現代に伝わっているもく

他にも武士としての心得や教養などをまとめた「伊勢守心得」を著したり、有馬晴信さんから南蛮犬を贈られたりしたそうもく

 

 

 

益田正親 さんは、貧農から黒田官兵衛さんに取り立てられて、下僕や薙刀持ちなどを経て士分となったという異色の経歴を持つ黒田二十四騎もく

文禄・慶長の役を前に500石に加増されて足軽大将となり、関ヶ原の戦い後に黒田家が筑前国に入国すると3000石を与えられて鉄砲組頭を担い、また、福岡城の石垣奉行を同じ黒田二十四騎の野口一成さんと共に務めたもく

貧農の出自であったことから学問の機会に恵まれず、文字の読み書きができなかったため3000石にとどまったともいわれるけれど、その分足軽らの気持ちをよく理解し、取り立てられた恩に対しても実直に応えていたことから、戦場では1万石の武将にも匹敵するほどの働きだったといわれるもく

 

 

 

能登畠山家は7代の義総さんの時代に最盛期を迎えていたのだけど、義総さんが亡くなると家内の主導権争いが始まり、8代義続さんを傀儡とした畠山七人衆と呼ばれる重臣達が領国支配を担う体制が確立したもく

七人衆の一人だったのが 長続連 さんで、七人衆の一部の反乱によって再編となっても引き続き名を連ねたもく

その後能登での大規模な武力闘争となった弘治の内乱では能登畠山家9代の義綱さんを支持して反乱を鎮圧し、さらに永禄九年の政変にて義続さん、義綱さん親子を追放して、能登畠山家の実権を握ったもく

永禄九年の政変が起こる前に続連さんが義綱さんをもてなした饗応の記録が残っていて、その献立や宴会内容の豪華さから当時の続連さんの力の大きさがうかがえるといわれるもく

 

 

 

朝倉景紀 さんは、朝倉家9代当主の貞景さんの四男に生まれ、朝倉家の全盛期を支えた名将朝倉宗滴さんの養子となったもく

宗滴さんと共に各地を転戦して、室町幕府将軍足利義晴さんからの要請により京都出兵した際には、義晴さんから感状を賜る活躍をしたもく

その後宗滴さんから敦賀郡司を引き継ぎ、加賀出兵をはじめとした軍事活動で戦果をあげているもく

一方で、和歌や連歌にも造詣が深く、一乗谷で行われた連歌会の運営を務めるなど、養父にも劣らぬ文武両道の武将だったと伝わるもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2025 年 6 月の追加武将一覧

こんにちは のろしですもく

「もう今年も半分が過ぎたのかもくぅ」 (・ε・,,)
(,,・з・) 「いや今月が終わると半分だよもく」

というやりとりを毎年やっちゃう6月ですねもく (,, ´ ε ` ,,)ゞ テヘ

 

 

そんな今月も 戦国IXA では新しい武将カードが登場もく

 

 

  6月追加武将 が 公開されました もく

 

 

 

追加されるのは

【 極 】 高山マリアさん 小山田信茂さん 坪井将監さん 山田長政さん

【 特 】 亀井茲矩さん 菅正利さん 長寿院盛淳さん

【 上 】 伊木忠次さん 

【 序 】 岡田重孝さん

以上の 9 名

 

 

 

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坪井将監【 極 】、山田長政【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2025年9月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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摂津国能勢郡高山荘を拠点とする土豪の高山友照さんは、三好家の重臣松永久秀さんの与力となり、大和国宇陀郡沢城の城主に任命されたもく

久秀さんのもとに仏僧たちからイエズス会の宣教師に対する苦情が持ち込まれ、宣教師と仏僧とのあいだで討論をおこなわせることになった際、審査役としてその場に居合わせた友照さんはキリスト教の教えに感銘を受け、妻の 高山マリア さんや子の高山右近さん、そして家臣らとともに洗礼を受けたもく

現在、摂津高山の地に二組のキリシタン夫婦の墓と伝わる基碑がのこっており、そのうちのひとつはマリアさんの墓ではないかともいわれているもく

 

 

 

武田二十四将の一人にかぞえられる 小山田信茂 さんは、武田信玄さんから合戦の相談を受ける「弓矢の御談合七人衆」でもあったとされる武田家の重臣で、合戦だけでなく他家との交渉や取次などでも活躍した人物もく

信玄さんが亡くなり武田勝頼さんの代になってからも武田家に尽くした信茂さんは、長篠の戦いにおいて、決戦を主張する勝頼さんを他の重臣らとともに諌め、撤退を進言したけれど容れられず、武田軍はおおくの重臣をうしなう大敗を喫したもく

この大敗は武田家中の動揺を招き、滅亡遠からずという気配のなか離反が相次ぎ、ついには信茂さんも勝頼さんを裏切って織田家への仕官を試みたけれど、織田家では主君を裏切った不忠者として信茂さんを非難し、信茂さんは家族らとともに処刑されてしまったもく

 

 

 

安芸国の国人である新里因幡守さんの子で、新里宮内少輔の名でも知られる 坪井将監 さんは、主家である厳島神主家が衰えると大内家に仕え、さらにのち毛利家に従い、厳島の戦いでは毛利元就さんの命により宮尾城に入城し、陶晴賢さんが率いる大軍をおびき寄せて奮戦したもく

本願寺勢力と織田信長さんとのあいだで石山合戦が勃発すると、将監さんは石山本願寺に入って奮戦し、本願寺法主の顕如さんから褒美として、阿弥陀如来の木像などを与えられたもく

並外れた膂力の持ち主であったとされる将監さんは、寺の参道にある巨石が参詣者のさまたげになっていることを知ると、みずからの手で家に持ち帰って常日頃の鍛錬にもちいたという伝説があり、その石は将監さんの所領であった地に「坪井将監の力石」と呼ばれて残っているもく

 

 

 

駿河国の生まれとされる 山田長政 さんは、もとは藩主の駕籠かきをしていたといわれているけれど、1612年、幕府から渡航や貿易の許可を得た朱印船に乗り込み、シャム(タイ)へと渡ったもく

日本人傭兵隊に加わった長政さんは、シャムと近隣諸国との戦いに参加して頭角をあらわし、やがて日本人町の頭領となり、さらに傭兵隊の隊長にも任命されると、スペイン艦隊のアユタヤ侵攻を撃退するなどの活躍を見せ、アユタヤ王朝ソンタム国王から大臣級の官職を授けられたもく

しかし、パタニ軍との戦闘中に脚を負傷した長政さんは、傷口に毒入りの薬を塗られ、異国の地で非業の死を遂げたと伝わっており、反乱のおそれがあるとして日本人町も焼き払われてしまったもく

 

 

 

尼子家の再興をめざす 亀井茲矩 さんら尼子残党は、織田信長さんの助力を得ながら播磨国を転戦したけれど、主君尼子勝久さんらが籠もる上月城を毛利家の大軍に包囲され、援軍を得られないまま落城し、再興の夢は途絶えてしまったもく

このとき茲矩さんは羽柴軍と同行していたため上月城には入っておらず、上月城の陥落後は羽柴秀吉さんのもとで織田家の中国攻略に貢献し、因幡国鹿野城主に任命されるなど、秀吉さんから深く信頼され、豊臣政権下においても因幡衆の一人として、銀山経営などの行政面で手腕を発揮したもく

関ヶ原の戦いでは東軍に与し、三万八千石の鹿野藩初代藩主となった茲矩さんは、幕府の朱印状を得てシャムに貿易船を派遣するなど、日本海側の大名ながら世界にも目を向けて領国経営をおこなったもく

 

 

 

菅原氏から派生した美作菅氏の流れをくむ播州菅氏は、菅正利 さんの祖父の代に播磨国の越部邑に移り住んだとされ、正利さんは黒田官兵衛さんに小姓として仕え、初陣となる賤ヶ岳の戦いにおいて首級をふたつあげる働きを見せたもく

正利さんの武勇については、枚挙にいとまがないほど逸話が残されており、文禄の役の際には、主君の黒田長政さんが虎狩りをしていたところ虎が家臣に襲いかかり、そばにいた正利さんが一太刀で虎を仕留めたと伝わっているもく

「斃秦」と名付けられた正利さんの愛刀は、「秦は虎狼の国なり」という古語にちなんで、虎を斃したという意味が込められているといわれているもく

 

 

 

幼少時に大乗院で仏門に入り、紀州根来寺や高野山で修行を積んだ 長寿院盛淳 さんは、その後、生国である薩摩国に戻り、安養院の住持となったけれど、島津義久さんに見出されて還俗し、島津家の九州統一や豊臣政権との和睦などに貢献したもく

関ヶ原の戦いにおいて、行きがかりから西軍に属し、味方の総崩れにより戦場で孤立する状況に陥った島津軍は、島津義弘さんを護衛しつつ一丸となって徳川本隊に突撃し、敵中を突き抜けて戦場を脱する策をとったもく

鳥頭坂退き口と呼ばれるこの退却戦で、盛淳さんは、剛力の家臣である玉林坊さんに義弘さんを背負わせて山中突破を命じ、自身は義弘さんから拝領した陣羽織を身につけて影武者となり、主君の脱出をたすけたといわれているもく

 

 

 

織田信長さんに仕えた 伊木忠次 さんは、伊木山の斎藤軍を攻めた際に武功があったため信長さんから「伊木」の姓を賜ったとされ、その後、織田家の重臣である池田恒興さんに仕えたもく

本能寺において信長さんが討たれ、小牧・長久手の戦いが起こる頃には、忠次さんは池田家中の中心的な存在となっていたようで、この戦いで池田家が織田方ではなく羽柴方に加担したのは、忠次さんの進言によるものだったといわれているもく

小牧・長久手の戦いで戦死した恒興さんのあとを継いだ池田輝政さんは、関ヶ原の戦いでは東軍に与し、戦後、姫路城五十二万石に加増され、筆頭家老である忠次さんは播磨三木城三万七千石を与えられたもく

 

 

 

織田信長さんの家臣である 岡田重孝 さんは、信長さんが本能寺において明智光秀さんに討たれると、信長さんの次男である織田信雄さんに仕え、浅井長時さんや津川義冬さんとともに三家老と称されたもく

重孝さんら三家老は信雄さんをよく補佐したけれど、織田家の権力の簒奪をねらう羽柴秀吉さんは、織田信雄さんの勢力を削るべく三家老に接近し、懐柔を図ったもく

その結果、信雄さんは三家老が秀吉さんに内通しているのではないかと疑い、三家老を伊勢長島城に呼び出し、重孝さんらを謀殺してしまったもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2025 年 5 月の追加武将一覧

こんにちはー のろしもくっ

ゴールデンウィークは

既に過去?現在も進行中?日をずらして未来?はてナニソレ?など

それは人によりけりだけど

明日からは土日だぞーもくヽ(o≧ε≦o)ノ 

 

そして今日は 戦国IXA に新たな武将カードが追加されるぞーもく

 

 

 

  5月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

 

追加されるのは

【 極 】 稲葉一鉄さん 栗山利安さん 白井入道浄三さん 竹林院さん

【 特 】 城井鎮房さん 中条藤資さん 加藤重次さん

【 上 】 津川義冬さん 

【 序 】 滝川雄利さん

以上の 9 名

 

 

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白井入道浄三【 極 】、竹林院【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2025年8月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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稲葉一鉄 さんは、六男として生まれたため早々に寺に修行に出されていたのだけど、父と兄達が同時に戦死してしまったことにより、還俗して当主を継いだもく

はじめ美濃国守護の土岐頼芸さんに仕えて、その家臣であった斎藤道三さんが下剋上を遂げるとそれに従い、美濃三人衆のひとりとして活躍したもく

道三さんと義龍さんの親子の争いでは義龍さんを支持して勝利に貢献し、義龍さん病死後にはその子である龍興さんには味方せず、織田信長さんに与したもく

織田家配下時代には数多くの戦いに参加し功をあげ、また、武勇だけではなく幼少期の修行で培った教養により信長さんから高く評価されたもく

 

 

 

栗山利安 さんは、黒田二十四騎や黒田八虎のひとりに数えられた人物で、早くから黒田官兵衛さんに仕えて初陣の青山・土器山の戦いで首級を2つあげたと伝わるもく

有岡城に1年以上も幽閉されていた官兵衛さんを利安さんが救出するなど、官兵衛さんが最も頼りにした家臣だったといわれ、黒田家が豊前国を所領とすると利安さんも6千石の加増となり、筆頭家老として家中を任されていたもく

官兵衛さん隠居後も当主の長政さんをよく補佐して、80歳を過ぎて亡くなる間際まで黒田家への忠義を尽くしたそうもく

 

 

 

戦国最強武将として必ずといっていいほど名が上がる軍神上杉謙信さん、その輝かしい戦績の中で数少ない敗北といわれるのが1566年の臼井城の戦いもく

北条家との戦いのために何度も関東に進軍を重ね関東諸将にとっての脅威となっていた謙信さんは、この時も常陸の小田城を攻略して下総の臼井城を大軍で包囲したのだけど、臼井城に偶然いたという名軍師の前に敗北を喫することになるもく

白井入道浄三 さんというその名軍師は、天文学や占いなどに造詣が深い軍配者だったようで、吉凶を占って寡兵で大軍を撃退したもく

浄三さんは、出自不明でその後の足跡もはっきりとはしていないのだけど、この戦いの衝撃によって後世の軍記物には伝説の軍師として度々登場しているもく

 

 

 

竹林院 さんは、大谷吉継さんの娘で、真田幸村さんの正室となった人物もく

幸村さんとの結婚は、父の吉継さんが豊臣家の有力家臣であったことから、主君の秀吉さんの意向による政略結婚だったといわれるもく

関ヶ原合戦で西軍に付いた罰により夫と義父の昌幸さんが九度山蟄居となると、竹林院さんもこれに合流して家計を助けるなど夫を支え、貧しく不自由ながらもしばし平穏な時期を過ごして、幸村さんにとって初の男児となる幸昌さんらを生んでいるもく

大坂の陣勃発により夫と共に下山して大坂城に入り、幸村さんは戦死し、竹林院さんは戦後に捕らえられるも赦免されて京で余生を送ったと伝わるもく

 

 

 

城井鎮房 さんは、はじめ大内家に仕えて、大内家の滅亡後は大友家、さらに大友家の衰退後には島津家に仕えて巧みに戦国の世を渡っていたもく

城井家は当時衰退していたものの元々は下野宇都宮家支流の名門で、艾蓬の射法と呼ばれる秘伝の弓術を一子相伝で受け継いでおり、鎮房さん自身はさらに剛弓の使い手であったとも伝わるもく

島津家が豊臣秀吉さんに降ると、鎮房さんはそれまでの処世術の様子とは異なり、先祖代々の豊前の地に執着して秀吉さんの命令を拒否したため怒りを買ってしまい、新たに豊前の領主としてやってきた黒田官兵衛さん長政さん親子によって謀殺されてしまったもく

 

 

 

中条藤資 さんは、上杉謙信さんの父である長尾為景さんに仕えて、為景さんの下剋上成功に大いに貢献したもく

それから一時為景さん方を離れるも帰参して、為景さんが亡くなるとその後継者争いにおいて様々な画策や暗躍をしたのだけど、最終的には謙信さんが後継者になることを後押ししたもく

謙信さんが越後国主に君臨すると藤資さんは七手組大将のひとりに名を連ねて多くの戦いで功をあげ、高齢となってからも活躍して、最晩年の川中島の戦いでは謙信さんから血染めの感状を与えられているもく

 

 

 

近江国甲賀の出自といわれる 加藤重次 さんは、はじめ近江の六角家に仕え、六角家滅亡後に佐々成政さんの家臣となったもく

成政さんが秀吉さんから肥後を与えられるとそれに付き従い、成政さんが失政により切腹になると、かわって肥後入りした加藤清正さんの配下となったもく

清正さんから厚い信頼を得て加藤の姓を賜り、加藤家の飛び領地で交通や国境警備の要地となる佐敷城の城代を任されると、関ヶ原合戦の際には清正さんが東軍に付いたため、西軍方の島津家と小西家を相手に1か月の籠城戦を守り抜いているもく

清正さん没後はその跡取りである忠広さんを家老として支えたと伝わるもく

 

 

 

津川義冬 さんは、室町幕府三管領のひとつで代々尾張国守護も担った斯波家の出身で、当主だった兄が織田信長さんに追放された後に和解して津川と名を改めたことに合わせて、自身も津川と名乗ったもく

その後信長さんに評価されて、信長さんの次男の信雄さんの家老を任じられ、松ヶ島城主を務めたもく

本能寺の変後に信雄さんが秀吉さんと対立するようになると、秀吉さんの謀略により義冬さんが裏切ったという嘘の情報が流れ、それを信じた信雄さんによって義冬さんは誅殺されてしまったもく

 

 

 

若くして出家していた 滝川雄利 さんは、織田家の北畠攻めの勝利に貢献したことから、信長さんの重臣である滝川一益さんにその才能を見出されて還俗し、滝川姓を与えられたもく

そして、信長さんの命より信長さんの次男の信雄さんに仕えると、天正伊賀の乱で活躍して信雄さんに伊賀国守護に任命されたもく

本能寺の変後の小牧・長久手の戦いで秀吉さんと対立していた信雄さんが和睦を決意すると、秀吉さん方になっていた一益さんを通じて信雄さんと秀吉さんの間を取り持ち、そのまま秀吉さん方の使者となって、徳川家康さんとの講和の交渉も担ったもく

それらの働きにより豊臣政権で厚遇され、さらに家康さんからも評価されて徳川政権でも御咄衆として迎え入れられたもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2025 年 4 月の追加武将一覧

過ごしやすい気候の日が増えてきて

アイスクリームの出番が急増中ののろしですもく

こんにちはもく \( ̄ε ̄)/

 

新しい出会いも増えるこの季節

戦国IXA にも新しい武将様たちが登場もく

 

 

   4月追加武将 が 公開されました もく

 

 

 

追加されるのは

【 極 】 後藤又兵衛さん 安宅冬康さん 加藤泰興さん 春姫さん

【 特 】 黒田一成さん 本多正重さん 毛受勝照さん

【 上 】 高山友照さん

【 序 】 木全忠澄さん

以上の 9 名

 

 

さらに

キリシタン大名や宣教師として活躍した

小西行長さん 高山右近さん ルイス・フロイスさん

以上の 3 名 が  それぞれ【 天 】で登場するとのこともく

 

 

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小西行長【 天 】、高山右近【 天 】、ルイス・フロイス【 天 】

加藤泰興【 極 】、春姫【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2025年7月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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キリシタン大名として知られる 小西行長 さんは、豊臣政権において水軍の大将である舟奉行をつとめるなど豊臣秀吉さんに重用され、九州平定や肥後国人一揆の鎮圧戦で功をあげると肥後南半国二十万石あまりを与えられ、宇土城主となったもく

このとき肥後北半国は加藤清正さんに与えられたのだけれど、行長さんと清正さんは、天草五人衆の反乱への対処の食い違いや領地の境界線をめぐる争いなどで反目し合うようになり、文禄・慶長の役における漢城攻略の競い合いや秀吉さんへの報告内容についての疑念などから、両者の対立は決定的なものとなったもく

また、行長さんが熱心なキリシタンであり、一方の清正さんが領内に数多くの寺を創設するほど熱心な日蓮宗の信徒であったことも、対立を深める一因となったのではないかといわれているもく

関ヶ原の戦いでは、清正さんが東軍に味方したのに対し、行長さんは西軍として戦い、合戦の終結後、石田三成さんらとともに斬首されたもく

 

 

 

キリシタン大名の代表格ともいえる 高山右近 さんは、織田家に属した摂津国高槻城主時代、領内に二十を超える天主堂を建設し、七割以上の領民がキリシタンになったといわれているもく

本能寺の変のあと、右近さんは羽柴秀吉さんに従い、秀吉さんが天下人となるべくおこなった数々の合戦に参加したけれど、天正十五年にバテレン追放令が発布されると、信仰をすてる考えなど毛頭ない右近さんは領地を奪われて流浪の身となり、おなじくキリシタン大名である小西行長さんの領内に庇護されたもく

その後、前田家に預けられた右近さんは、徳川家康さんによってキリシタン国外追放令が発布されると長崎から国外に追放され、家族らとともにマニラへ向けて旅立ったもく

マニラでは、信仰を貫いた偉大な人物として熱烈な歓迎を受けたけれど、不慣れな南国の気候に長旅の疲れも重なり、病におかされた右近さんはマニラに到着してわずか四十日ほどでこの世を去ってしまったもく

 

 

 

ポルトガルのリスボンにうまれ、十六歳でイエズス会に入会した ルイス・フロイス さんは、アジアにおけるイエズス会の重要な根拠地であるインドのゴアに派遣され、その地でフランシスコ・ザビエルさんと出会ったもく

ザビエルさんの影響もあってか、フロイスさんはゴアでの任務に従事したのちに日本へ渡ることとなり、肥前国に上陸すると、日本初のキリシタン大名とされる大村純忠さんのもとで布教活動をおこない、中央の実力者である織田信長さんとも面会し、畿内での布教をゆるされたもく

しかし、本能寺の変が起こり、豊臣政権がバテレン追放令を発布すると、フロイスさんは畿内を離れて長崎に落ち着き、一時マカオに渡ったものの再び戻った長崎の地で没したもく

語学力と文才に恵まれたフロイスさんが記した『日本史』は、戦国時代の研究のみならず、日本語や人名、地名などの研究においても、きわめて貴重な資料であると評価されているもく

 

 

 

戦国時代屈指の豪傑として知られる 後藤又兵衛 さんは、ながらく仕えていた黒田家を一族そろって出奔してしまったけれど、又兵衛さんほどの名将が浪人となることを惜しんで、多数の大名が召し抱えの誘いをおこなったほどの人物もく

しかし、黒田家が又兵衛さんを奉公構としていたためどの大名家にも仕えることはできず、又兵衛さんは大坂の陣が勃発すると大坂城に入城し、徳川家康さんから「豊臣方の浪人衆の中で武者らしいのは後藤又兵衛と御宿勘兵衛だけだ」と評されたもく

大坂城五人衆の一人に数えられ冬の陣で活躍した又兵衛さんは、夏の陣でも獅子奮迅の働きを見せたけれど、霧のために友軍の到着が遅れて孤軍となり、大軍を相手に突撃を敢行して討ち死にしたと伝わっているもく

 

 

 

三好元長さんの三男にうまれた 安宅冬康 さんは、三好政権を樹立した三好長慶さんを兄に持つ人物で、淡路安宅家に養子入りすると、淡路水軍を管掌して後方から京の三好政権を支えたもく

冬康さんは非常に穏やかな性格で、和歌を愛し、他者に対する思いやりに満ちた人物だったとされ、残虐な争いごとに明け暮れる兄の長慶さんに対し、「鈴虫ですら大事にすれば長生きする、ましてそれが人ならばなおさらであろう」という思いを込めて鈴虫を贈り、無用な殺生を諌めたと伝わっているもく

弟の十河一存さんや兄の三好実休さんなど、三好政権を支える一族が次々と亡くなっていくなか、冬康さんは三好一族の生き残りとして長慶さんをよく補佐し、家中での人望もきわめて厚かったけれど、その最期は、長慶さんの居城にて誅殺されるという思わぬかたちでおとずれたもく

 

 

 

伯耆国米子藩主であった加藤貞泰さんは、徳川方として大坂の陣で戦功をあげたことにより伊予国大洲へ転封されたけれど、世嗣を定めないうちに亡くなってしまい、幕命によって長男の 加藤泰興 さんが伊予国大洲藩第二代藩主となったもく

若くして藩主となった泰興さんは、優秀な人材を召し抱えて家臣団の充実を図るなど、藩の基盤強化に尽力し、その一方で、大坂城や江戸城の改修、仙洞御所の普請工事など、幕府の公役も献身的につとめたもく

また、備中国足守藩主で淡路流槍術の開祖である木下利当さんから槍術を学んだ泰興さんは、槍禅一如の境地をめざし、名僧として知られる盤珪永琢さんに帰依して禅を学び、ついには加藤家伝流を開くほどの達人となったもく

 

 

 

高原院の名でも知られる 春姫 さんの父は浅野幸長さんで、豊臣政権において、加藤清正さんや福島正則さんらとともに武断派の中心的存在となり、文治派の石田三成さんらと激しく対立していた人物もく

豊臣家に忠誠を誓いながらも関ヶ原の戦いでは東軍に与した幸長さんは、戦後、三十七万石あまりを与えられて紀伊国和歌山藩初代藩主となり、娘の春姫さんは尾張徳川家の家祖となる徳川義直さんと縁組し、その正室となったもく

春姫さんの輿入れには駕籠や馬上の侍女が百人ほども付き従い、長持の数は三百、その他にも目を見張るほどの数の武士や中間がお供をし、その長さ十数町に及ぶという絢爛豪華な行列だったと伝わっているもく

 

 

 

黒田官兵衛さんは、荒木村重さんによって有岡城の土牢に幽閉された際、監視役の加藤重徳さんとの交流に救われたという思いを強くいだき、後年、重徳さんの子である 黒田一成 さんを養子に迎え、その恩に報いたもく

黒田長政さんの弟のように養育された一成さんは、関ヶ原の戦いにおいて、東軍勝利の一番の功労者と称えられた長政さんが筑前国福岡藩主となると、筑前国下座郡に一万六千石を与えられたもく

このとき領内の三奈木村に居館を構えたため、一成さんの家系は三奈木黒田家と称されるもく

身の丈六尺の巨漢であったとされる一成さんは、体格相応の巨大な大水牛脇立兜を愛用し、人並み外れた膂力の持ち主であったけれど、その人柄はきわめて温厚であったといわれているもく

 

 

 

徳川家康さんの側近中の側近として有名な本多正信さんの弟にあたる 本多正重 さんは、家康さんの領内で三河一向一揆が発生した際には、兄とともに一向一揆側に与して家康さんに敵対したけれど、のちにゆるされ、家康さんがおこなったいくつもの合戦で手柄をたてたもく

通称にちなんで「槍の三弥」と称された武辺者の正重さんは、一時徳川家を去って前田家や蒲生家になどに仕えたけれど、関ヶ原の戦い以前に徳川家に帰参し、大坂の陣の終結後、加増を受けて下総国舟戸藩主となったもく

正重さんは、よく言えば正直者、わるく言えば無遠慮にものをいう人柄だったようで、さほど武功があったとも思えない者が過分な恩賞を受けた際には、「いかなる手柄があって所領を与えられたのか」とその者たちに大声で詰め寄ったと伝わっているもく

 

 

 

少年の頃から柴田勝家さんに小姓として仕えた 毛受勝照 さんは、その器量を勝家さんから愛され、一万石を与えられるまでに出世したもく

織田家の伊勢長島攻めにおいて柴田軍の馬印が一揆勢に奪われた際、勝照さんは、それを武門の恥であるとして敵陣に飛び込もうとする勝家さんをおさえ、みずからが敵陣に突入して馬印を奪い返したもく

本能寺の変のあと、勝家さんと羽柴秀吉さんのあいだでおこなわれた賤ヶ岳の戦いにおいても、勝照さんは討ち死にしようとする勝家さんを諌め、みずからが勝家さんの馬印である「金の御幣」を掲げて大軍をひきつけ、勝家さんの脱出をたすけたもく

 

 

 

三好長慶さんの重臣である松永久秀さんに属する 高山友照 さんは、久秀さんが宣教師と仏僧とのあいだで討論をおこなわせることになった際、結城忠正さんとともに審査役を命じられ、このことがきっかけで審査役の両名はキリスト教に傾倒することとなり、友照さんは家族とともに洗礼を受けたもく

織田家が畿内に進出し三好勢力が衰退すると、友照さんは和田惟政さんに属したのちに摂津国高槻城主となり、領内において宣教師らの支援や教会の建設などを積極的におこなったもく

のちにキリシタン大名の代表的存在となる高山右近さんに家督を譲ったあとも布教活動に精を出した友照さんは、生涯、右近さんに劣らないほど熱心なキリシタンでありつづけたもく

 

 

 

織田家の家臣である浅井政貞さんに仕えた 木全忠澄 さんは、のちに滝川一益さんに仕え、「木全の槍」と称された槍の腕前を遺憾なく発揮して数々の武功をあげたもく

知略にもすぐれた忠澄さんは、美濃との国境において一揆が発生した際、策をめぐらし、わずか百人ほどの手勢をもって千人以上の一揆勢を討ちやぶる功名をたてたもく

忠澄さんの長男である忠征さんもまた勇猛果敢をもって知られ、一益さんから滝川の家号を与えられて滝川姓を称し、その家系は尾張徳川家の重臣として明治まで続くこととなったもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2025 年 3 月の追加武将一覧

(●´з`●)ノ こんにちは~~~のろしですもく

 

新章が開幕して早くも一ヶ月ほど経つもくね

 

合戦もすでに二回おこなわれて
みんなの新戦力の活躍ぶりが気になるところですが
戦国IXA では今月も新しい武将たちが登場もくよ

 

 

   3月 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 成松信勝さん 宮部継潤さん 北信景さん 多羅尾光俊さん

【 特 】 佐竹義久さん 毛屋武久さん 五龍局さん

【 上 】 伊勢貞孝さん 

【 序 】 朝倉景総さん

以上の 9 名

 

 

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北信景【 極 】、多羅尾光俊【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2025年6月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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肥前国の戦国大名である龍造寺隆信さんに近侍した 成松信勝 さんは、龍造寺四天王のひとりに数えられる人物で、信勝という名は主君から「信」の一字を賜って名乗ったものもく

隆信さん率いる龍造寺家は肥前国において順調に勢力を拡大していったけれど、その急速な成長を警戒する豊後国の大友宗麟さんが、大友親貞さんを総大将とする軍勢を龍造寺領に侵攻させると、龍造寺軍は佐嘉城に兵をあつめて籠城するという苦しい策をとらされたもく

しかし、援軍の見込みもなく落城必至という状況の龍造寺軍は、危険をおして大友軍に夜襲を仕掛け、見事な勝利をおさめることとなり、信勝さんは今山の戦いと呼ばれるこの戦いにおいて、敵軍総大将である親貞さんを討ち取る大手柄をあげたもく

 

 

 

もとは比叡山の僧侶であったとされる 宮部継潤 さんは、故郷である近江国の宮部村に戻って浅井長政さんに仕えたけれど、浅井家と織田家が対立すると、羽柴秀吉さんの調略に応じて織田陣営に寝返り、秀吉さんの与力として織田家の近江攻略に貢献したもく

秀吉さんによる中国攻めにも従った継潤さんは、但馬国方面の攻略や鳥取城攻めで活躍し、鳥取城が陥落するとその城代に任じられ、戦後処理にあたったもく

本能寺の変のあと、秀吉さんが中国大返しと呼ばれる大移動や山崎の戦いなどに専念できたのは、鳥取城に継潤さんという頼もしい人物があったからだともいわれているもく

その後、正式に鳥取城主となった継潤さんは、九州平定や小田原征伐にも参陣し、晩年は御伽衆として秀吉さんの側近くに仕えたもく

 

 

 

北信景 さんは、南部家に古くから仕える桜庭家にうまれ、おなじく南部家の重臣である北信愛さんの養子になったといわれているもく

関ヶ原の戦いにおいて、南部家は東軍に与して領外へ出兵したけれど、そのすきに伊達政宗さんの煽動による岩崎一揆が領内で発生し、信愛さんの守る花巻城が一揆勢に包囲される事態となったもく

しかし、信愛さんは寡兵ながら知略をもって敵を翻弄し、そこへ信景さんが救援に駆けつけて見事に一揆勢を撃退したもく

大坂の陣では、信景さんは南部家から離れて豊臣方に味方し、その派手な甲冑と活躍によって「南部の光り武者」と称えられたもく

 

 

 

鎌倉時代に近江国甲賀郡信楽荘多羅尾に発祥した多羅尾家の中興の祖ともいわれる 多羅尾光俊 さんは、はじめ六角家に従っていたようだけれど、六角家の没落後は織田信長さんに仕え、織田家による伊賀征伐で活躍したといわれているもく

その信長さんが明智光秀さんによって討たれる本能寺の変が発生すると、光俊さんは堺に取り残された徳川家康さんら一行を信楽領へと招き入れ、甲賀衆の警護をつけて家康さんらの伊賀越えを助けたもく

多羅尾家は豊臣期に没落の憂き目に遭ったけれど、後年、徳川家の旗本に取り立てられて信楽の代官をつとめ、さらに屋敷内に「代官信楽御陣屋」を置くことを命じられ、近江や畿内の天領代官職をも任されることとなったもく

 

 

 

常陸国の戦国大名佐竹家の有力な分家である佐竹東家の第四代当主 佐竹義久 さんは、本家の当主佐竹義重さんに仕え、各地の戦いで武功を重ねる一方、外交面でも優れた手腕を発揮し、中央政権との折衝においても重要な役割を果たしたもく

羽柴秀吉さんや石田三成さんとも関係を築いた義久さんは、天下人となった秀吉さんの直轄地の代官を務めて豊臣姓を下賜され、のちには六万石の所領を与えられ、独立した大名としての処遇をうけたもく

関ヶ原の戦いにおいて佐竹家は旗幟不鮮明な動きを見せたため、改易や減封も予想されたけれど、義久さんの交渉により、徳川家康さんから本領安堵の内諾を得たといわれているもく

しかし、その直後に義久さんが急死し、やはり佐竹家は減封されることとなったもく

 

 

 

近江国の豪族である田原長久さんの嫡男としてうまれた 毛屋武久 さんは、幼い頃に父が戦死したため、六角家に仕えた書家の建部賢文さんに養育され、長じてのち、和田惟政さんや山崎片家さん、柴田勝家さんなどに仕えたもく

越前国毛屋畠の一揆を鎮圧し、勝家さんから「毛屋」の姓を与えられた武久さんは、その後も主家を転々とし、黒田長政さんの家臣として関ヶ原の戦いを迎えたもく

関ヶ原の戦いにおいて、物見として敵情を探った武久さんが、それまで過大に伝わっていた敵兵の数を、戦意の低さや兵の質などを勘案して少なく報告したため、徳川勢の士気がおおいにあがり、徳川家康さんからその機知を称賛された武久さんは、褒美としてその場にあった饅頭を与えられたといわれているもく

 

 

 

戦国一の智将とも評される毛利元就さんとその正室である妙玖さんとのあいだにうまれた 五龍局 さんは、毛利隆元さんの妹で、吉川元春さんや小早川隆景さんの姉にあたる人物もく

元就さんは長年敵対していた宍戸家との関係を修復するため、五龍城主である宍戸隆家さんのもとへ五龍局さんを嫁がせ、これにより隆家さんは毛利家の一門衆として重く扱われるようになったもく

五龍局さんは、弟の元春さんの正室である新庄局さんとの関係が良好ではなかったといわれていて、この二人の不仲は、謀将と称された稀代の策略家である元就さんも頭を悩ませる問題だったみたいもく

 

 

 

室町幕府の奉公衆である伊勢貞辰さんの子としてうまれた 伊勢貞孝 さんは、政所執事伊勢貞忠さんの養子に迎えられてそのあとを継ぎ、室町幕府第十二代将軍足利義晴さんから、後継者の足利義輝さんを補佐するように遺言されたといわれているもく

しかし、三好長慶さんによって義輝さんが京を追放されると、貞孝さんは義輝さんには付き従わず、京に留まって長慶さんに与したもく

その後、長慶さんと和睦した義輝さんが京に復帰すると、幕府内で大きな力を持つようになっていた貞孝さんと義輝さんとのあいだに確執が生じ、その職権の強さは長慶さんの不興をも買うこととなり、ついには長慶さんの命による松永久秀さんの追討を受け、貞孝さんは戦死してしまったもく

 

 

 

越前朝倉家の第七代当主である朝倉孝景さんの四男としてうまれた 朝倉景総 さんは、正室の子ではなかったため、正室の子である弟の朝倉教景さんよりも下座に置かれる扱いを受け、このことを恨みに思った景総さんは教景さんを殺害してしまったもく

この事件のあと、景総さんは寺に逃げ込んで剃髪することとなったけれど、やがてまた朝倉家の本拠である一乗谷に出仕するようになったもく

しかし後年、朝倉宗家の当主である朝倉貞景さんに対して謀叛を企てるなどした末に加賀国へ逃れ、さらにそこでも反朝倉の兵を挙げて貞景さんと対決するも敗戦し、能登国に逃亡して、その地で病没したと伝わっているもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

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