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スクウェア・エニックスのオンラインゲーム 【 戦国IXA 】を 応援する煙の妖怪 のろし が 戦国IXAやのろしのことをゆる~くお届けするブログもく

【戦国IXA】2026 年 11 月の追加武将一覧

こんにちはもく

焼き芋をたべると 毎回はじめてのように

焼き芋の甘さにびっくりするのろしですもく Σ(゚ε゚)アマーッ!!

次回も絶対びっくりしますもく ( ´ ε ` ) エヘヘ

 

 

戦国IXAでは

 

   11 月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

 

追加されるのは

【 極 】 尼子国久さん 大崎義宣さん 龍造寺家兼さん 鉢屋弥之三郎さん

【 特 】 泰心院さん 杉興運さん 細川澄元さん

【 上 】 松田盛秀さん 

【 序 】 真里谷信興さん

以上の 9 名

 

 

 

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龍造寺家兼【 極 】、鉢屋弥之三郎【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2027年2月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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「十一州の太守」と称されるほどの巨大勢力を築き上げた尼子経久さんの次男としてうまれた 尼子国久 さんは、尼子家中の精鋭部隊からなる戦闘集団「新宮党」を率いて尼子家の繁栄に貢献したもく

しかし、父の経久さんから「軍務にかけては鬼神のごとき」と評されるほどの猛将であった国久さんの振る舞いには、次第におごりがみられるようになり、宗家の当主である尼子晴久さんによって粛清されてしまったもく

 

 

 

奥州において急速に勢力を拡大する伊達稙宗さんの子としてうまれた 大崎義宣 さんは、かつて奥州で絶大な勢力を誇った名門大崎家に養子として送り込まれ、大崎義直さんの後継者となったもく

伊達家において稙宗さん晴宗さん父子のあいだで天文の乱が勃発すると、義宣さんは実父の稙宗さんにくみしたけれど、養父の義直さんは晴宗さんに味方し、義宣さんは義直さんの討手によって殺されたといわれているもく

 

 

 

肥前の国人である龍造寺康家さんの子としてうまれ、水ヶ江龍造寺家を興した 龍造寺家兼 さんは、一門の長老として本家の実権を掌握し、龍造寺家の主家にあたる少弐家においても筆頭家臣として重きをなしたもく

家兼さんは、おなじ少弐家の重臣であった馬場頼周さんの謀略によって子や孫が暗殺されると筑後国へと逃れ、のちに九十歳を超える老躯を押して兵を挙げ、頼周さんを討ち、龍造寺家の再興を果たしたもく

 

 

 

主家である京極家や幕府の命令に背き、一時守護代の職を剥奪された尼子経久さんが、月山富田城を奪還するために力を借りたのが 鉢屋弥之三郎 さんだといわれているもく

弥之三郎さんの率いる鉢屋衆は正月に、月山富田城内で祝いの舞を披露し、そのすきに経久さんの兵が奇襲を仕掛けて城を奪い取ったといわれており、その後、弥之三郎さんは尼子家に忍びとして仕えたと伝わっているもく

 

 

 

蘆名家第十三代当主である蘆名盛高さんの娘としてうまれ、伊達稙宗さんの正室となった 泰心院 さんは、のちに稙宗さんとのあいだで天文の乱を巻き起こすこととなる伊達晴宗さんの生母であり、伊達政宗さんの曾祖母にもあたる女性もく

泰心院さんの菩提寺として米沢に創建された「泰心院」は、仙台に移築されて現在に至っているけれど、たび重なる火災のため、残念ながら創建時の建物は残っていないというもく

 

 

 

西国随一の権勢を誇る大内義興さんに仕えた杉興長さんは、主君から「興」の一字を賜り、興長さんの子の 杉興運 さんもまた義興さんから偏諱を賜ったもく

義興さんの没後、大内家の当主となった大内義隆さんのもとで、興運さんは筑前国の守護代を務めるなどして大内家に尽くし、大寧寺の変で義隆さんが自害すると、主君に殉じて自害、あるいは討ち死にしたと伝わっているもく

 

 

 

阿波国守護である細川義春さんの子としてうまれた 細川澄元 さんは、細川京兆家の当主で管領の細川政元さんに養嗣子として迎え入れられたけれど、政元さんが他にも細川高国さんなどの養子を迎えたことにより、家督をめぐる争いが起こったもく

一時は細川京兆家の家督を継承して京を制することに成功した澄元さんだったけれど、足利義晴さんを擁する高国さんとの戦いの末に、京をおわれて阿波国へと逃れたもく

 

 

 

後北条家の祖である伊勢盛時さんから三代の北条家当主に仕えた 松田盛秀 さんは、北条家の猛将として知られる北条綱成さんの妹を妻に迎え、北条家で重きをなした武将もく

北条家の多方面での戦いで活躍した盛秀さんは、交通の要衝の地の代官を任されるなど政務の面でも手腕を発揮したもく

 

 

 

真里谷家は、甲斐武田家につらなる家系で、真里谷信興 さんの祖父である武田信長さんが上総に兵を進めて上総武田家の祖となり、庁南城と真里谷城を築いたといわれているもく

真里谷城主となった信興さんは、庁南城主となった弟の武田道信さんとともに上総の両武田と称され、扇谷上杉家の太田道灌さんらの侵攻に抵抗したもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2026 年 10 月の追加武将一覧

こんにちはもく 毎朝 目が覚めると

芸術的な寝相と芸術的な寝癖が完成しているのろしですもく ヽ(ゝз・)ノ

 

そんな芸術の秋にふさわしい素敵なイラストの新武将たちをご紹介もく

 

 

   10 月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 林秀貞さん おつやの方さん 蘆名盛隆さん 徳川家光さん

【 特 】 玄広恵探さん 最上義守さん 飛鳥井雅綱さん

【 上 】 万里小路貞子さん

【 序 】 遠山綱景さん

以上の 9 名

 

さらに

濃姫さん 三郎信長さん 今川氏真さん

以上の 3 名が それぞれ

【 天 】(No.10077~10079)と パラレル【 天 】(No.40077~40079)で

登場するとのこともく

 

 

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濃姫、三郎信長、今川氏真 の、それぞれ【 天 】とパラレル【 天 】、

蘆名盛隆【 極 】、徳川家光【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2027年1月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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下剋上によって美濃国主へと上り詰めた斎藤道三さんを父に持つ 濃姫 さんは、隣国同士で対立関係にあった斎藤家と織田家が和睦を結んだ際、織田家の当主織田信秀さんの嫡子である織田信長さんのもとへ嫁ぐこととなったもく

奇矯な行動が多くみられた信長さんは世間から「尾張の大うつけ」と評されており、道三さんの家臣にも信長さんを侮る者や婚姻を不満に思う者が少なくなかったけれど、道三さんのみは信長さんの異能異才を見抜いていたといわれているもく

しかし、道三さんは信長さんのもとへ嫁ぐ濃姫さんに短刀を渡し、もし信長さんが評判通りのうつけ者であったならば刺し殺すように言い聞かせたという逸話も伝わっており、このとき濃姫さんは、「この短刀で父上を刺すことになるかもしれません」と勇ましい言葉を返したといわれているもく

 

 

 

 

 

戦国三英傑のひとりで、現代でもその名や肖像画がひろく知られている織田信長さんは、尾張国の戦国大名織田信秀さんの嫡男にうまれ、幼名を吉法師といい、元服して 三郎信長 と称したもく

信秀さんは、たびたび斎藤道三さんの治める美濃国へ攻め込んだけれど、加納口の戦いでの大敗を機に和睦を結ぶこととなり、道三さんの娘である濃姫さんを信長さんの正室に迎えたもく

信秀さんの没後、尾張と美濃の国境近くにある聖徳寺において、信長さんと道三さんが初めて顔を合わせたと伝わっており、この会見で道三さんは信長さんの尋常ならざる器量を見抜いたといわれているもく

数年後、道三さんと嫡男の斎藤義龍さんが対立し、両軍が長良川にて激突する事態となると、信長さんはみずから軍を率いて道三さんの救援に向かったけれど、戦場に到着する前に道三さんは討ち死にしてしまったもく

勢いに乗る義龍軍は織田軍の撃破をもねらったけれど、みずから殿をつとめると宣言した信長さんがたくみに兵を指揮し、織田軍は自領へと引き揚げたもく

 

 

 

 

 

戦国時代における今川家の最盛期を築き上げ、「海道一の弓取り」と称された今川義元さんが、桶狭間の戦いで織田信長さんに討ち取られたあと、動揺する今川家を継承して難局にあたることとなったのが義元さんの嫡男 今川氏真 さんもく

桶狭間の戦いで統率者の義元さんのみならず、多くの有能な重臣をも失ってしまった今川家では、家臣の離反や領内での紛争が相次いだもく

氏真さんは家中や領内の混乱をおさめるべく経済政策を打ち出し、外交などにも手を尽くしたけれど、今川家の衰退を食い止めることはできず、氏真さんの代で戦国大名としての今川家は滅亡してしまったもく

父の義元さん同様、氏真さんも公家文化に精通していたとされ、後半生は、京都で公家などの文化人と交流し、和歌や連歌、蹴鞠などを極めたといわれているもく

 

 

 

織田信秀さんの代から織田家に仕えた 林秀貞 さんは、信秀さんに厚く信頼されて家中で重きをなし、織田家の次期当主織田信長さんが幼くして那古野城を譲られると、一番家老として信長さんを補佐するように命じられ、信秀さんの期待に違わず、秀貞さんは若き信長さんによく仕えたもく

しかし、信秀さんの没後、信長さんの力量や性格に不安を覚えるようになった秀貞さんは、柴田勝家さんらと共に信長さんの弟である織田信勝さんを当主にしようと画策し、兵を挙げたけれど、信長さんの軍に敗れ、このとき秀貞さんの弟である林通具さんが戦死してしまったもく

政務能力を高く評価されていた秀貞さんは、謀叛を起こしたにもかかわらず織田家にとどまることを許され、その後も信長さんに重用されたけれど、それから四半世紀も経とうかという頃に、突然信勝擁立の一件を持ち出され、秀貞さんは織田家から追放されてしまったもく

 

 

 

尾張国の織田弾正忠家の当主織田信定さんの娘としてうまれた おつやの方 さんは、織田信長さんの叔母にあたる女性で、信定さんの晩年の子であったため、信長さんよりも若い叔母だったという説もあるもく

東美濃の有力者であった岩村城主遠山景任さんに嫁いだおつやの方さんは、夫の没後、信長さんの息子の御坊丸さんが岩村遠山家の後継として送り込まれてくると、その後見人となり、家中を取り仕切ったもく

おつやの方さんが事実上の城主となってまもなく、秋山虎繁さんらが率いる武田家の軍勢が東美濃に押し寄せ、おつやの方さんのこもる岩村城を包囲するという危機が訪れたもく

このとき武田方から、おつやの方さんが虎繁さんと婚姻すれば城内の者達を助命するという条件が提示され、おつやの方さんは、御坊丸さんらの命を守るためこの条件を受け入れて開城し、虎繁さんの妻となったもく

 

 

 

陸奥国の戦国大名である二階堂盛義さんの長男としてうまれた 蘆名盛隆 さんは、父が蘆名盛氏さんとの争いに敗れた際に人質として蘆名家に差し出されたもく

蘆名家では盛氏さんの嫡男である蘆名盛興さんが第十七代目の当主となっていたけれど、盛興さんが跡継ぎのないままに早世してしまったため、盛氏さんは盛隆さんを自身の養子とし、蘆名家第十八代当主に据えたもく

盛氏さんが亡くなり蘆名家の実権を握った盛隆さんは、御館の乱を制して越後国主となった上杉景勝さんを、その反抗勢力を支援するなどして苦しめ、上杉家と交戦中の織田家とも交渉をもったもく

自領においては、実家である二階堂家の勢力の回復と拡大に努めたけれど、この身内びいきともとれる動きは家中に反発の気分を生じさせたもく

盛隆さんは、寵愛していた家臣の大庭三左衛門さんに、突然背後から斬りかかられてこの世を去ることとなったけれど、これは盛隆さんに不満を持つ者が裏で糸を引いていたとも、男色関係のもつれであるともいわれ、確かな動機はわかっていないもく

 

 

 

江戸幕府第三代将軍 徳川家光 さんがこの世に生をうけたときには、関ヶ原の戦いもおわり、すでに祖父の徳川家康さんが将軍宣下を受けていたため、のちに家光さんは諸大名に向けて「余はうまれながらの将軍である」と述べたといわれるもく

大御所として幕府の実権を握っていた父の徳川秀忠さんが亡くなり、本格的に幕政をになうようになった家光さんは、老中、若年寄、奉行、大目付などの職制を定め、幕府組織の整備をおこなう一方、大名の参勤交代を制度化し、諸大名の統制を図ったもく

また、島原の乱の鎮圧後、これまで以上にキリスト教を危険視するようになった家光さんは、ポルトガル人の追放をおこなうなど、いわゆる「鎖国」体制を完成させ、対外政策においても、その後の幕府におおきな影響を与える制度を整えたもく

 

 

 

駿河今川家の第九代当主今川氏親さんの子としてうまれた 玄広恵探 さんは、今川義元さんの異母兄にあたる人物で、嫡男ではなかったため早くに出家し、家督は長兄の今川氏輝さんが相続したもく

しかし、氏輝さんと、その後継者たるべき今川彦五郎さんが相次いで亡くなると、恵探さんを当主にと画策する者が家中にあらわれ、恵探さんと同様に出家していた義元さんを支持する勢力と対立することとなったもく

家臣らに擁立された恵探さんは花倉城へ入って蜂起したけれど、北条氏綱さんの援軍を得ることに成功した義元さんは、恵探さんのこもる花倉城を苛烈に攻め、抗しきれなくなった恵探さんは、瀬戸谷の普門寺で自害して、みじかい生涯を終えることとなったもく

 

 

 

最上家第十代当主 最上義守 さんは、最上義光さんの父であり、また、伊達政宗さんの外祖父にもあたる人物で、もともとは最上家の庶流である中野家にうまれたけれど、最上家の当主をたびたび輩出する家柄でもあったため、最上家の家督を相続することとなったもく

この頃、最上家は伊達家の介入をゆるし、事実上伊達家に服属する関係となっていたけれど、二歳という幼さで家督を継いだ義守さんが当主の任にあたることができるほどに成長した頃、伊達家の稙宗さん晴宗さん父子のあいだで天文の乱が発生し、この機に義守さんは伊達家から長谷堂城を奪還し、独立した戦国大名となったもく

しかし後年、義守さんもまた、嫡男の義光さんとのあいだに天正最上の乱と呼ばれる父子の争いを起こすことになるもく

 

 

 

羽林家に列する飛鳥井家の家祖である飛鳥井雅経さんは、鎌倉時代前期に後鳥羽上皇の近臣として重んじられた人物で、和歌や蹴鞠に通じ、その後飛鳥井家が和歌と蹴鞠の両道の家として繁栄する基礎をつくったもく

ときがくだり、戦国時代に飛鳥井家第十代当主となった 飛鳥井雅綱 さんは、和歌ならびに蹴鞠の宗家として、各地に赴いて蹴鞠作法などを伝授し、有力大名たちと交流をもったもく

尾張国の織田信秀さんに招かれた際には、『言継卿記』の著者として有名な山科言継さんも同道し、勝幡城や清州城にて蹴鞠会を催し、賓客や数百人の見物衆が集まったと伝わっているもく

 

 

 

公卿万里小路家にうまれた 万里小路貞子 さんは、西国随一の権勢を誇り、本拠地山口に「大内文化」と称される独自文化を築き上げた大内義隆さんの正室となった女性で、賢婦人の評価が与えられるほど理知的で徳を備えた人物だったといわれているもく

一方、やや気性のつよい一面もあったようで、当時、義隆さんほどの大名であれば、側室をもうけるなど正室以外の女性と関係を持つことはごく当たり前のことだったけれど、貞子さんにはそのことが我慢ならず、夫婦仲は次第に悪化し、ついには離縁となり、貞子さんは京へと戻ったもく

この離縁により京とのつながりが弱まったことは、義隆さんの政治や統治に微妙な影響を与えたと考えられ、のちの大寧寺の変の遠因のひとつになっているという見方もあるもく

 

 

 

北条家に仕えた 遠山綱景 さんは、北条氏綱さんから「綱」の一字を賜り、父の死にともなって家督を継承すると、江戸城代の一員として二の丸に配置されたもく

家中でも有力な家臣であった綱景さんは、北条氏康さんの代でさらに重く用いられ、重鎮的存在の家老であった大道寺盛昌さんが亡くなると、綱景さんは筆頭家老のような立場となったもく

しかし、綱景さんの娘婿となっていた太田康資さんが北条家から離反して里見家を頼ると、北条家と里見太田連合軍のあいだで第二次国府台合戦と呼ばれる合戦が起こり、綱景さんはこの戦いで、子の遠山隼人佐さんらとともに討死したもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2026 年 9 月の追加武将一覧

こんにちは のろしもく だんだんと日の入り時刻が早くなってきたり

昼間の蝉さんより夜の鈴虫さんの存在感が増してくると

なんとなーく ちょっとセンチメンタルな気持ちになるよねもく

でも残暑は残暑で 嫌ざんしょもく? ・・ (` ・ ε ´・ ) ・・・はいっ!

 

 

戦国IXAでは

 

    9 月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

 

追加されるのは

【 極 】 吉川広家さん 増田長盛さん 柿崎景家さん 御ツマキさん

【 特 】 前田利政さん 稲葉正成さん 本庄実乃さん

【 上 】 小野木重勝さん 

【 序 】 小笠原秀清さん

以上の 9 名

 

 

 

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柿崎景家【 極 】、御ツマキ【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2026年12月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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祖父に毛利元就さん、父に吉川元春さんをもつ名門の家柄に生まれた 吉川広家 さんは、豊臣政権下では優れた武功により秀吉さんから「日本槍柱七本」のひとりに称されたもく

関ヶ原の戦いでは、毛利一門の生存を最優先に考えて東軍との不戦を主導、東軍との密約の使者に自身が愛用した「鯰形兜」を被らせて送り出し、その本気度を示したそうもく

戦後は、徳川家康さんから恩賞として提示された領地を毛利本家に譲り、西軍総大将を務めた毛利家を大減封にはなったものの取り潰しではなく生存させることに成功したもく

 

 

 

増田長盛 さんは、秀吉さんが織田家家臣としてはじめて領地を与えられ、その経営実務のために大規模な人材登用をおこなった時に登用されたひとりもく

秀吉さんが織田家の中国方面司令官を担って鳥取城を攻めた際に、長盛さんは「陣中萬の物商奉行」に任じられ、兵站や経済活動で優れた手腕を発揮して攻略に大いに貢献したもく

この活躍により実務能力を秀吉さんから認められて、豊臣政権下では石田三成さんらと共に太閤検地を実施、豊臣家の蔵入地管理なども任されて、秀吉さんの晩年には政権の政治実務を遂行する五奉行のひとりにも選ばれたもく

 

 

 

柿崎景家 さんは、上杉謙信さんの最古参の家臣のひとりであり、勇将揃いの上杉家中においても随一と評された猛将もく

武田家との川中島の戦いをはじめ主要な戦場では常に先鋒を務めて戦功をあげたことから、後世の軍記物でも、漆黒の鎧をまとい黒馬に跨って敵方に突撃する様子が敵兵を震撼させたなど、上杉家の武の象徴として描かれることが多いもく

一方で近年の研究では、領内の奉行職を歴任し、北条家との越相同盟の成立にも尽力していたことがわかり、政治的手腕も兼ね備えた武将として評価されているもく

 

 

 

御ツマキ さんは、明智光秀さんの妹または義妹など、かなり近い身内の出自であるとされる女性もく

織田信長さんの女房衆のひとりとなり、寺社や朝廷との取次をするなど、織田家において現代でいうところの官僚のような役割を担っていたと伝わるもく

天正9年の夏に急逝してしまったため、秋の彼岸でその法要が営まれたのだけど、その際に奉納された絵画が近年発見されて、そこに彼女の名前と共に、明智光秀さんの正室の煕子さんの戒名も書かれていたことから、長年諸説あった煕子さんの亡くなった時期が判明したともいわれるもく

明智家と織田家を繋ぐ重要なパイプ役であった御ツマキさんの急逝や、本能寺の変が起こる前に煕子さんが亡くなっていたのであればという観点から、本能寺の変の要因を探る考察もあるみたいもく

 

 

 

加賀百万石の前田利家さんの次男として生まれた 前田利政 さんは、父から所領を分与されて大名になったもく

関ヶ原の戦いでは、兄利長さんが東軍の徳川方に味方する中、それまでの豊臣家から前田家に対しての恩顧や大坂に人質となっていた妻の身を案じる判断などから不参戦を貫いたため、戦後に領地を没収されてしまったもく

領地没収後は、京都に隠棲して茶の湯や書に没頭し、大坂の陣での豊臣方からの誘いや徳川方からの再仕官の打診も断って、風流人として余生を全うしたと伝わるもく

 

 

 

稲葉正成 さんは、はじめ豊臣秀吉さんに仕え、秀吉さんの命によって小早川秀秋さんに仕えて家老となった武将もく

関ヶ原の戦いでは、開戦前から平岡頼勝さんと共に徳川家との交渉に当たり、小早川家の東軍への寝返りと、その影響もあっての東軍勝利に大きく貢献したもく

秀秋さんが亡くなり小早川家が途絶えると、正成さんは一時浪人となるも、家康さんに能力を買われ召し出されて、江戸時代を通じて繁栄することになる名門稲葉家の礎を築いていったもく

また、徳川家三代将軍家光さんの乳母春日局さんと夫婦であったことでも知られるが、理由は諸説語られているけれど彼女が乳母となる際に離縁しているもく

 

 

 

 

上杉謙信さんがまだ幼少だった頃からその側近として仕えた 本庄実乃 さんは、謙信さんを初陣から補佐して、若き日の軍神の政権確立を支えたもく

謙信さんが越後国主となって春日山城に入ると、直江景綱さんらと共に奉行職を担い重臣として政務をこなした一方で、武将としても「七手組大将」のひとりに数えられる活躍で武功をあげたもく

また、共に家内の実力者で執政においてのライバル関係にあった大熊朝秀さんとの政争から謙信さんの出奔騒動を招いてしまうが、家臣同士の私怨や内紛は国を滅ぼすことになるという教訓を得て猛省し、騒動後の上杉家臣団のより強硬な結束力を生むきっかけとなったもく

 

 

 

小野木重勝 さんは、詳細な時期は不明ながらも秀吉さんがまだ羽柴だった時代から仕えはじめた豊臣子飼い武将のひとりで、馬廻から精鋭部隊である黄母衣衆に抜擢されて頭角を現したもく

豊臣政権下においては、丹波国と但馬国を結ぶ交通や軍事の要衝である福知山城を任される大名となり、福知山城の改修や城下町の整備など内政手腕も発揮したもく

関ヶ原の戦いでは西軍の山陰方面総大将として、細川幽斎さんの籠る田辺城を周辺の諸大名と共に1万5千の大軍で包囲するが、約2か月の足止めにあい、田辺城は開城に至るも関ヶ原本戦には間に合わず西軍敗北となり、東軍の追撃によって自害の最期となったもく

 

 

 

小笠原秀清 さんは、室町幕府の幕臣ののち、細川幽斎さん忠興さん父子に仕えた武将もく

代々足利将軍家に仕え、将軍の弓馬師範も務めた家柄を出自とする秀清さんは、昔からの武家礼法や朝廷の儀礼に通じる高い教養力で細川家内でも重用されたもく

関ヶ原の戦い直前に忠興さんが徳川方として会津の上杉家征伐に従軍すると、秀清さんは忠興さんの正室ガラシャさんらが残る大坂の屋敷の留守居を任されたもく

忠興さん不在の隙をついて石田三成さんがガラシャさんを人質に取ろうとしたけれど、ガラシャさんはこれを拒否、キリシタンであったガラシャさんは自害が禁じられていたため、秀清さんが介錯して、遺体が敵の手に渡らぬよう屋敷ごと爆破し秀清さん自身もその後を追う最期となったもく

 

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2026 年 8 月の追加武将一覧

ヤッホー (*・з・ノノ゙ こんにちは のろしもく

新章開幕から10日ほど経ったけれど 初合戦に向けて準備は進んでいるかなもく?

 

 

新章の大殿【天】武将カードの紹介はこちら
 ▼ ▼

戦国IXA 新たなる舞台
【 覇界動乱~戦雲の暁に煌く群雄~ 】

noroshi-sengokuixa.hatenablog.com

 

 

今月は大殿【天】武将カードに加えて毎月恒例の武将カード追加もあるもく

 

 

戦国IXAでは

 

    8 月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】北条氏邦さん 北信愛さん 脇坂安治さん 長尾景春さん

【 特 】菊姫さん 織田信行さん 保科正俊さん

【 上 】猪俣邦憲さん 

【 序 】横田尹松さん

以上の 9 名

 

 

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脇坂安治【 極 】、長尾景春【 極 】

取引出品・譲与不可で

2026年11月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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北条氏邦 さんは、北条氏康さんの四男、あるいは近年の研究では五男とされる人物もく

武蔵国北部の藤田家の養子となり、鉢形城を拡張整備して北条家の北方防衛を中心人物として担うと同時に、領内では治水などで優れた民政手腕を発揮したもく

豊臣家による小田原征伐の際には小田原城に入らず独自の防衛戦を展開したけれど、大軍を相手に無用な血を流すことを避けて降伏を選び、戦後は敵軍の前田利家さんから器量を惜しまれて、前田家預かりとなって加賀で余生を過ごしたと伝わるもく

 

 

 

北信愛 さんは、陸奥国の南部家を長きにわたり支えた重臣で、人生50年といわれた時代に、91歳まで現役で戦い続けたもく

78歳の時には、関ヶ原の戦い、慶長出羽合戦の混乱に乗じて、同じ東軍に与していた伊達政宗さんの軍勢が信愛さんの守る花巻城を急襲してきたけれど、寡兵で撃退してその名を轟かせたもく

また、信心深く、いつも髪の結び目に小さな観音像を忍ばせて戦場に向かっていたそうで、晩年は慈悲の心で花巻の街づくりに尽力したそうもく

 

 

 

豊臣秀吉さんが「木下藤吉郎」の名だった時代からの家臣である 脇坂安治 さんは、賤ヶ岳七本槍のひとりに数えられる活躍で秀吉さんの天下取りを後押ししたもく

豊臣政権下には淡路島を拠点に強力な水軍を育て上げ、政権の海上戦力を支えたもく

関ヶ原の戦いでは家族を大坂城に人質に取られながらも、戦前から徳川家康さんと内通していて、小早川秀秋さんらと連携して寝返り、東軍の勝利に貢献したもく

その功もあって、戦後は伊予大洲藩初代藩主を任され、外様大名でありながらも家名は明治維新まで続くものになったもく

 

 

 

戦国時代がはじまる少し前の関東では、関東管領の山内上杉家が絶対的な権威を誇っていたもく

その山内上杉家において、要職となる家宰を白井長尾家が代々務めていたけれど、白井長尾家の力がこれ以上強大になることを抑えるために、長尾景春 さんの代になると家宰の任命から外されてしまったもく

これに反発した景春さんは、大規模な反乱を起こして、周辺勢力と結びながら30年以上にわたり抵抗を続けたもく

この反乱によって山内上杉家の権威は失墜していき、勢力図が大きく塗り替えられていったことにより、関東における戦国時代の幕が開けたとされるもく

 

 

 

武田信玄さんの娘として生まれた 菊姫 さんは、武田家のライバルである上杉家との甲越同盟の証として上杉景勝さんの正室となったもく

嫁いで間もなく実家が滅亡するという憂き目に遭いながらも、類まれなる聡明さで上杉家の奥向きを取り仕切り、関ヶ原の戦い後に上杉家が米沢へ大減封された際には、人質として置かれた京都の地から私利私欲を捨てて困窮する家臣団を財政的に支援するなど、一貫した内助の功により家臣達からも大いに慕われたと伝わるもく

また、歌舞伎に菊姫さんがモデルとされる「八重垣姫」というヒロインが登場する演目があるそうもく

 

 

 

織田信行 さんは、織田信長さんの同父母での弟で、「信行」の名で知られているが、近年の研究では「信勝」や「信成」が本来の名だったのではないかともされるもく

父信秀さんが亡くなると、信長さんとともに領地経営を担い、奇抜な行動が目立って大うつけと呼ばれた兄とは対照的に、扱いやすい後継者として家臣団の支持を集めたもく

そのことにより次第に兄弟はそれぞれ独自の行動を取りはじめ、ついには対立に至ってしまうもく

信行さんは一度敗れて助命されるも、二度目の対立を計画したことから最期は暗殺されてしまい、信行さんの死によって信長さんの織田家内の地位は盤石となり、尾張統一、天下布武へと突き進んでいくことになるもく

 

 

 

保科正俊 さんは、武田信玄さん、勝頼さんの2代に仕え、槍の名手で最前線で多くの手柄を立てたことから後世において「槍弾正」と称され、「逃げ弾正」高坂昌信さん、「攻め弾正」真田幸隆さんと並んで武田の三弾正に数えられたもく

武田家滅亡後は息子の正直さんとともに、北条家、徳川家と主家を巧みに変えて激動の時代を生き残り、その家名は、のちに江戸幕府の名門となる会津松平家の祖・保科正之さんへと繋がっていったもく

 

 

 

猪俣邦憲 さんは、北条氏邦さんの側近として頭角を現し、上野国の箕輪城代や沼田城代などの要衝担当を歴任して、北条家の北方戦線を支えたもく

歴史的なところでは、豊臣秀吉さんの裁定によって上野国内に真田領として残されていた名胡桃城を謀略で奪取したことにより、秀吉さんに激怒され、豊臣家による小田原征伐を誘発した人物として名が知られているもく

それにより長年北条家滅亡を招いた戦犯者と評されていたけれど、近年の研究では、最前線を任され続けた実力者の邦憲さんが単独で軽率な行動をとることは考えづらく、北条家全体の外交方針だったという説も語られているもく

 

 

 

武田家の猛将・原虎胤さんの孫にあたる 横田尹松 さんは、武田信玄さん、勝頼さんの2代に仕え、遠江国の要害山城・高天神城の守将に任じられたもく

徳川家からの猛攻を受けて高天神城が落城すると、徳川鉄砲隊によって城を包囲されている中、険しい山道を馬で駆け下りて脱出し、戦況を主君の勝頼さんへ報告することに成功したもく

その山道は現在も「犬戻り猿戻り」という名の史跡として残っているそうもく

報告を受けた勝頼さんは労をねぎらい、尹松さんに太刀を与えようとしたけれど、祖父も父も勝って褒美を貰ったのに、自分は負けて帰って褒美を貰うのでは筋が立たないと、これを辞退したと伝わるもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】「 覇界動乱~戦雲の暁に煌めく群雄~ 」新天情報

2026 年 8 月 7 日( 金 )

   戦国IXA    新たなる舞台が開幕・・・!

 

 

覇 界 動 乱 ~ 戦雲の暁に煌めく群雄 ~

 

 

↓↓  新たなる舞台の詳細はこちらもく

https://sengokuixa.jp/season32_hakai_Beex2ATowu/

 

今回も 新【 天 】武将カードにくわえて それぞれ

新パラレル【 天 】武将カード が登場するもく!!!!

 

↓↓  パラレル【天】武将カードの基本仕様はこちらもく

https://sengokuixa.jp/parallel_rarity/

 

 

新たな舞台の大殿であり

 

新【 天 】武将カード(カードNo.1310~1321)

新パラレル【 天 】武将カード(カードNo.31310~31321)として登場するのは

 

こちらの 12 名もく!!!!

 

 

 

 

 

 

織田信長さんの父である 織田信秀 さんは、周辺勢力から「尾張の虎」と畏怖された猛将で、信長さんが中央政権を確立できたのは、信秀さんの築いた基盤があったからこそという評価もみられるもく

室町時代末期の尾張国は、守護である斯波家の権力が形骸化し、守護代の織田家が実権を握る状況にあり、その守護代織田家も清洲織田家と岩倉織田家に分裂して、それぞれが戦国大名化していったもく

信秀さんの織田家はそのいずれの織田家でもなく、清洲織田家に仕える清洲三奉行家のひとつに過ぎなかったけれど、経済感覚の鋭い信秀さんは流通や商業の要衝を支配して急速に勢力を拡大し、尾張国内のみならず、斎藤道三さん、今川義元さん、松平清康さんら、周辺国の勢力とも領地争いを繰り広げたもく

今回の信秀さんのイラストの背景には、「尾張の虎」の異名にちなんで 虎 が描かれているもく

 

 

 

 

 

戦国三大梟雄の一人にかぞえられる 斎藤道三 さんは、一介の油売りから美濃国主にまでのぼりつめたという説もあるけれど、現在では、道三さんの父が美濃国の長井家に仕えていたと考えられていて、父子二代で国盗りを成し遂げたという見方が有力となっているもく

道三さんが下剋上によって手に入れた美濃国へは、隣国の織田信秀さんがたびたび攻め込んできたけれど、道三さんは信秀さんの侵攻をゆるさず、幾度もこれを撃退したもく

この頃、信秀さんの嫡子である織田信長さんについては、うつけ者という評価がもっぱらであったけれど、道三さんのみはその信長さんの非凡さを見抜いていたといわれ、信秀さんとの和睦が成立すると、娘の濃姫さんを信長さんに嫁がせたもく

今回の道三さんのイラストの背景には、「美濃の蝮」の異名にちなんで 蝮 が描かれているもく

 

 

 

 

 

東海道に絶大な勢力を有しながら、桶狭間の戦いで織田軍に討ち取られた 今川義元 さんは、公家文化に親む文化人であったことも相まって、軟弱かつ無能な武将という印象を持たれがちだけれど、領国経営や軍事改革に能力を発揮して今川家の最盛期を築き上げた人物で、「海道一の弓取り」と称されたもく

武田家、北条家の両強国と甲相駿三国同盟を結んだ義元さんは、三河国の支配権確立に乗り出し、おなじく三河国の切り取りをねらう尾張国の織田信秀さんと衝突したもく

戦国大名として急速な成長を見せていた信秀さんとの対立は長期化したけれど、最終的には織田家の勢力を三河国から締め出すことに成功し、義元さんは、駿河国、遠江国にくわえて三河国をもその支配下におさめたもく

今回の義元さんのイラストの背景には、岐阜県に伝わる「さるとらへび伝説」にちなんで 猿 が描かれているもく

 

 

 

 

 

徳川家康さんの祖父にあたる 松平清康 さんは、安祥松平家六代当主松平信忠さんの嫡男としてうまれ、祖父や一門衆の意向により、十三歳の若さで家督を相続したもく

安祥松平家は三河国に点在する松平家の分家のひとつであったけれど、松平一族の統一をめざす清康さんは、岡崎松平家を攻略して本拠地を岡崎城に移すと、わずか数年のあいだに三河国をほぼ統一してしまったもく

さらなる勢力拡大を画策する清康さんは、織田信秀さんが治める尾張国に侵攻し、信秀さんの弟である織田信光さんの守山城に迫ったもく

しかし、この守山城攻めの陣において、清康さんの家臣である阿部正豊さんが清康さんを斬殺する事件が起こり、松平軍は撤退を余儀なくされ、優れた主君を失った松平家はこののち今川家の支配を受けることになるもく

 

 

 

 

 

室町時代に、周防国、長門国、石見国、豊前国など広大な地域を支配し、西国随一の権勢を誇った名門大内家は、戦国期に 大内義隆 さんが当主となると、戦国大名としてさらなる成長を遂げ、全盛期を迎えるに至ったもく

貿易や銀山開発によって圧倒的な経済力を有する大内家は、京の文化人や僧、公家などを積極的にまねき、必要とする者には庇護を与え、京の文化と大陸文化を融合させた「大内文化」と呼ばれる独自文化を築き上げたもく

大内家は広大な領国支配だけでなく、文化面でも大変な繁栄ぶりを見せたけれど、文治主義に傾きすぎる義隆さんのことを、家中の武断派は苦々しく思っていたようで、ついには「大寧寺の変」と呼ばれる謀叛が起こり、家臣の陶晴賢さんによって義隆さんは自害に追い込まれ、大内家は急速に衰退していったもく

 

 

 

 

 

五代にわたって関東に覇をとなえた後北条家の第二代当主 北条氏綱 さんは、父の北条早雲さんが平定した伊豆国、相模国を継承すると、さらに武蔵国、下総国へと進出して領土を拡大し、関東の覇者たる北条家の礎を築いたもく

氏綱さんは、外征における成果のみならず、領国経営の手腕も高く評価されており、北条領内では、氏綱さんが用いた虎の印判状がない徴収命令は無効とし、役人が百姓や町民から違法に搾取することを防いだもく

死の直前には、後継者の北条氏康さんに対して五箇条の訓戒を遺し、「勝って兜の緒を締めよ」という慣用句は氏綱さんの言葉に由来するといわれているもく

なお、初代の早雲さんは「伊勢盛時」や「伊勢宗瑞」と名乗り、「北条」を称したのは氏綱さんの代になってからであると考えられているもく

 

 

 

 

 

代々、守護京極家の守護代を務めて出雲国で勢力を伸ばしてきた尼子家は、尼子経久 さんが家督を継いだ頃から国人衆との関係性の強化をはかり、京極家や幕府など正当な権威の命令に背くこともあったもく

独自の権力基盤を築く姿勢をとりはじめた経久さんは、守護代の職を剥奪されることになってしまったけれど、出雲国における権力を完全に失うことはなく、のちに守護代の地位に返り咲くと、「謀聖」と称されるほどの謀才を発揮して出雲国の事実上の支配者となったもく

さらに出雲国外にも進出した経久さんは、「十一州の太守」と称されるほどの巨大勢力を築き上げ、尼子家を山陰の覇者へと押し上げたもく

 

 

 

 

 

室町幕府において政権の中枢をになう細川京兆家の家督をめぐり、細川高国さんと争いを繰り広げた細川澄元さんは、失意のうちに病死してしまい、高国さんとの争いは子の 細川晴元 さんに引き継がれたもく

高国さんが将軍足利義晴さんを掌中に収めていたため、晴元さんは義晴さんの弟である足利義維さんを擁立して対抗し、決戦によって高国さんの追い落としに成功すると、義維さんを将軍とする堺幕府を樹立したもく

これにより畿内における最高権力者となった晴元さんだったけれど、これまで晴元さんを支えたきた三好元長さんとの関係が悪化してしまい、一向一揆の軍を利用して元長さんを敗死させたもく

その後、晴元さんは、元長さんの子である三好長慶さんを家臣に組み入れ重用したけれど、晴元さんのもとで勢力を拡大した長慶さんは下剋上を実行し、晴元さんは幽閉されてしまったもく

 

 

 

 

 

出家後の法名「信玄」の名で広く知られる 武田晴信 さんは、武田家を守護大名から戦国大名へと変貌させた武田信虎さんの次男としてうまれたけれど、兄が夭折したため幼い頃から嫡男として育てられたもく

しかし、信虎さんは晴信さんの下に信繁さんという弟が誕生すると、晴信さんよりも信繁さんを偏愛するようになり、晴信さんを廃嫡する考えまでも抱きはじめたといわれているもく

この頃、武田領内では、度重なる合戦のしわ寄せで領民に重い負担がのしかかり、家臣の中にも統治者としての信虎さんの能力に疑問を持つ者が現れていたもく

そして、信虎さんを厭う空気が醸成されるなか、晴信さんは重臣らに支持されるかたちで信虎さんを国外へ追放し、武田家の家督と甲斐国の守護職を相続したもく

 

 

 

 

 

越前国朝倉家の第八代当主朝倉氏景さんが、家督を相続してわずか数年でなくなったため、子の貞景さんが家督を継ぐこととなり、氏景さんの弟の 朝倉宗滴 さんが、貞景さんから三代にわたる朝倉家の当主を補佐したもく

一族の重鎮として朝倉家の政務をとりしきった宗滴さんは、軍略においても異能を発揮し、九頭竜川の戦いにおいて、加賀国の一向宗門徒に越中国や能登国の門徒が合流した総勢三十万ほどの連合軍を相手に、一万ほどの兵を率いて撃破する軍功をあげ、その名を天下に轟かせたもく

事実上の朝倉家当主として朝倉家に繁栄をもたらした宗滴さんは、当然家中で深い尊崇の対象となり、宗滴さんの語った言葉や訓戒を家臣がまとめたとされる「朝倉宗滴話記」が現在にも伝わっているもく

 

 

 

 

 

伊達政宗さんの曾祖父にあたる 伊達稙宗 さんは、父の死去によって伊達家十四代当主となると、羽州探題の最上家を打ち破って支配下に置くなど、戦国大名として活発な動きをみせたもく

奥州では大崎家が奥州探題を世襲して諸勢力の上位にあったけれど、稙宗さんは足利将軍家に進物をおくるなどして中央との関係を強化して家格上昇を図り、大崎家が世襲する官位となっていた左京大夫に任官され、その後、室町幕府では置かれていなかった陸奥国の守護職に補任されたもく

さらに大崎家中で内乱が発生すると、稙宗さんは、独力で鎮圧できなかった大崎義直さんの要請に応えて兵を出し、その代償として実子を養子として大崎家に送り込み、大崎家をも伊達家の支配下に置いたもく

巧みな婚姻政策や外征で伊達家を強大な勢力へと成長させた稙宗さんだったけれど、その専制を一部の家臣は快く思わず、稙宗さんの嫡男である伊達晴宗さんが彼らに擁立され、父子の争いは「天文の乱」とよばれる争乱へと発展したもく

 

 

 

 

 

近江国守護である六角高頼さんの子としてうまれた 六角定頼 さんは、嫡男ではなかったため幼少期に出家させられたけれど、家督を継いだ兄が夭折したことにより、還俗して六角家の第十四代当主となったもく

中央で幕府の実権を握る細川高国さんと関係性を築いた定頼さんは、高国さんとともに足利義晴さんの将軍就任に貢献し、義晴さんから管領代に任命され、従四位下に叙されたもく

足利将軍家や細川京兆家に対しても影響力を持つほどの存在となり、六角家の最盛期を築き上げた定頼さんは、先進的な内政手腕を発揮したことでも知られ、あの織田信長さんよりも先に「楽市楽座」を創始していたといわれているもく

 

 

 

なお

織田信秀【 天 】 斎藤道三【 天 】 今川義元【 天 】 と

すべてのパラレル【 天 】(カードNo.31310~31321)については

取引出品・譲与不可とのこともく

 

 

 

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今回の 新【天】武将カード 新パラレル【天】武将カード 追加時に

 

前章「義天連星 ~夢紡ぐ誓いの光~」突入時に登場した

パラレル【 天 】武将カード(カードNo.31298~31309)は 全てのくじ から

【 天 】武将カード(カードNo.1298~1309)は 一部くじ から 排出停止になるとのこともく

 

noroshi-sengokuixa.hatenablog.com

 

 

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