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【戦国IXA】12 月の追加武将一覧

( ・з・)

( ・з・)

( ・з・)

Σ( ゚з゚ ) ハッ!! どっ どうもこんにちはもく っ

もう今年も残り1ヶ月だという事実に

呆然としているのろしですもく ( ̄ε ̄;) イチネン ハエー

 

なにかと慌ただしくふわふわとした気持ちになる12月ですが

今月も 戦国IXA にはどっしり頼もしい顔ぶれが新登場もくよ

 

 12月 追加武将公開されました もく

 

追加されるのは

【 傑 】 朝日姫さん

【 極 】 大内義興さん 支倉常長さん 甲斐宗運さん 佐々木ユキさん

【 特 】 大友義統さん 伊達秀宗さん 姉小路頼綱さん

【 上 】 長坂信政さん 

【 序 】 木俣守勝さん

以上の 10 名

 

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甲斐宗運【 極 】、佐々木ユキ【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2023年3月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

朝日姫【 傑 】は取引出品・譲与不可で

2023年6月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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▼レアリティ【 傑 】について

https://sengokuixa.jp/new_rarity/

 

豊臣秀吉さんの妹である 朝日姫 さんは、まだ秀吉さんが織田家で出世の階段を駆けあがる前、尾張国地侍である佐治日向守さんと結婚したといわれているもく

結婚相手については、地侍ではなく農民だったという説や、佐治日向守さんではなく副田甚兵衛さんという武士だったという説などもあるもく

本能寺の変のあと、織田家の勢力を引き継いで天下人となった秀吉さんは、徳川家康さんに朝日姫さんを嫁がせることで、家康さんを懐柔して臣下の礼をとらせたいと考え、朝日姫さんと夫を離縁させてしまったもく

政略結婚に利用された朝日姫さんは、家康さんの継室となって駿河に移り住み「駿河御前」と呼ばれるようになったけれど、二年ほどすると母の見舞いを理由に京の聚楽第にもどったもく

そのあと一度は駿河にもどったという説もあるけれど、病気がちだった朝日姫さんは、家康さんと結婚した数年後、聚楽第で病死してしまったもく

 

 

 

大内家は周防国を中心に一大勢力を築いた名門で、大内義興 さんの父大内政弘さんは、山名宗全さんに次ぐ西軍側の主力として応仁の乱に参戦したもく

隠居した父が病死すると、義興さんは名実ともに大内家の当主となり、家中の不穏分子や九州の大友家や少弐家との争いに対処しながら、名門大内家の勢力をさらに拡大していったもく

細川政元さんらに将軍職を追われて諸国を転々としていた前将軍足利義尹さんが、大内家を頼って周防国へ流れてくると義興さんはこれを保護したもく

そして義興さんは、政元さんが家臣に暗殺されるとその好機を逃さず上洛し、義尹さんを将軍職に復帰させ、自らは幕府管領代となり、強大な軍事力をもって将軍を支えたもく

 

 

 

慶長十四年にスペインの船が日本に漂着したことが遠因となり、伊達政宗さんは徳川家康さんの許可を得て、スペインとの通商交渉を目的とした外交使節の派遣を決定したもく

慶長遣欧使節と呼ばれるその使節を率いたのが、政宗さんの家臣 支倉常長 さんもく

アメリカ大陸のスペイン領を経てヨーロッパに到着した常長さんは、マドリードにてスペイン国王に謁見し、国王ら臨席のもと洗礼を受け、続いて向かったローマではローマ教皇に謁見し、ローマの市議会から「ローマ市公民権証書」を与えられ、貴族に列するほどの待遇を受けたもく

しかしその頃、日本国内ではキリスト教の弾圧が行われており、長期間ヨーロッパに滞在して交渉を続けた常長さんらの努力が実ることはなく、七年ぶりに日本の土を踏んだ常長さんは、その二年後、失意のうちに亡くなったもく

 

 

 

肥後国の北東部を治める阿蘇神社大宮司阿蘇家の家臣 甲斐宗運 さんは、生涯無敗ともいわれる武勇と知略、そして堅固なる忠誠心で阿蘇家に最盛期をもたらしたもく

おなじ肥後国の相良家や豊後国の大友家などと結んで、小大名である阿蘇家の存続に尽力する宗運さんは、島津家や龍造寺家といった大勢力による肥後国侵攻が激化すると、大友家に見切りをつけて龍造寺家に従う決断をしたもく

一方、同盟関係にあった相良家は島津家に臣従し、島津家が相良義陽さんに宗運さんの御船城攻略を命じたため、宗運さんは、誓詞まで交わしあった義陽さんとの合戦を余儀なくされたもく

宗運さんは、見事に義陽さんを討ち取り大勝したけれど、義陽さんの苦しい立場に同情し、涙を流したといわれているもく

その後も阿蘇家に忠義を尽くした宗運さんの最期は、病死とも、孫娘による毒殺ともいわれているもく

 

 

 

巖流島の決闘で有名な佐々木小次郎さんは、生年や経歴、さらにはその姓名についてすらも確かなことがわかっていないもく

そんな謎多き剣豪の妻と考えられているのが 佐々木ユキ さんで、彼女はキリシタンだったといわれているもく

巖流島の決闘で小次郎さんが宮本武蔵さんに敗れたとき、ユキさんは懐妊していたといわれ、夫の遺髪が届けられるとユキさんは山陰方面に逃れて各地を流転したのち、ある寺に身を寄せて尼になったとのこともく

その地に夫の墓を建てたユキさんは、我が子が父の最期を知って仇討ちなどを考えないように、小次郎さんの名を「古志らう」と記したといわれているもく

 

 

 

豊後の王と称された大友宗麟さんの嫡男である 大友義統 さんが大友家の家督を継いだあとも、実権は隠居した宗麟さんが握りつづけたため大友家は二頭政治となり、耳川の戦いで島津軍に大敗を喫した頃から、大友家は弱体化と家臣団の分裂が進んでいったもく

島津家の侵攻を食い止められず滅亡寸前にまで追い詰められた大友家は、豊臣秀吉さんの援軍を得ることで島津軍の撃退に成功し、豊後一国と豊前宇佐郡半郡を安堵されたもく

その後、秀吉さんから豊臣の姓を下賜され、さらに偏諱まで与えられた義統さんだったけれど、文禄・慶長の役において、窮地に陥った小西行長さんを救うことなく撤退したことが秀吉さんの逆鱗に触れ、大友家は改易されてしまったもく

時が流れ、豊臣秀頼さんから罪をゆるされた義統さんは、関ヶ原の戦いでは西軍に味方したため、戦後、今度は徳川家康さんの怒りを買って常陸国宍戸への流罪となり、義統さんはその地で没したとされているもく

 

 

 

奥羽の戦国大名伊達政宗さんの長子として生まれた 伊達秀宗 さんは、人質として豊臣秀吉さんに差し出され、秀吉さんのもとで元服して「秀」の一字を賜ったもく

徳川政権下で石高六十二万石の仙台藩主となった政宗さんは、秀宗さんが側室の子だったためか、あるいは
豊臣家との関わりの深さを憚ってのことか、長子の秀宗さんを家督相続者とせず、次男の忠宗さんを伊達宗家の後継者に定めたもく

そして、大坂冬の陣に従軍した功で、徳川家康さんから政宗さんに伊予国宇和島十万石が与えられると、政宗さんは別家を立てて秀宗さんを伊予国宇和島藩の初代藩主としたもく

 

 

 

姉小路頼綱 さんの祖父は三木直頼さんという飛騨の国人で、守護の京極家や国司姉小路家が戦乱や内紛により力を弱めると、美濃の土岐家と手を結ぶなどして飛騨国内での勢力を強めていったもく

直頼さんの嫡男で頼綱さんの父である良頼さんは、三家に分裂して対立していた姉小路家のうち二家を滅亡に追い込むなどすると、将軍足利義輝さんや関白近衛前嗣さんに工作をおこない飛騨国司となり、さらに姉小路家の名跡を嫡男の頼綱さんに継がせることにも成功したもく

頼綱さんの妻は斎藤道三さんの娘であり、頼綱さんと織田信長さんとは相婿の関係になるもく

織田家との強い結びつきにも助けられながら頼綱さんは、飛騨の一国人だった直頼さんから三代にわたった下剋上の、ひとつの到達点ともいえる飛騨国統一を成し遂げたもく

 

 

 

長坂家は清和源氏義光流小笠原家の流れを汲み、九郎守重さんという人物が足利将軍家に仕え山城国長坂村に居を構えたことから、長坂姓を称したとされているけれど、詳しいことはわかっておらず、この一族の事績がはっきりするのは 長坂信政 さん以降のこともく

守重さんの孫とされる信政さんは、徳川家康さんの祖父である三河国松平清康さんに仕えて戦功を重ね、次の当主松平広忠さんの代でも織田家との戦いなどで活躍し、さらにその次の当主家康さんにも近侍し、松平家三代に仕えたもく

信政さんの戦場での槍働きは凄まじく、その槍を血で濡らさないことはなかったといわれ、清康さんから「血鑓九郎」の異名を与えられたと伝わっているもく

 

 

 

楠木正成さんの孫である楠木正勝さんの子孫木俣守時さんが伊勢から三河に移り住んで徳川家康さんの家臣となり、守時さんの子 木俣守勝 さんも幼い頃から家康さんに仕えたもく

一時徳川家を出奔し明智光秀さんに仕えた守勝さんだったけれど、のちに徳川家に復帰すると、井伊直政さんの傘下に配置された武田家旧臣の統率を任されるなど、直政さんの寄騎として活躍したもく

その後、正式に直政さんの家臣となり付家老の先駆的存在となった守勝さんは、井伊直継さんの代になっても彦根城の築城や政務の取り仕切りなどで井伊家に貢献し、守勝さんの子孫たちも筆頭家老として幕末まで井伊家を支えたもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】11 月の追加武将一覧

こーん こーん こーん にちはーもく

のろしもくっ 

朝おふとんから脱出するのも難易度があがってきたけれど

 テイッ ( (  ⊂(^ε^))⊃)))^ε^)⊃ ) ) テイッ テイッ

反復横跳びでからだをあたためつつ

戦国IXAの ほっとな顔ぶれをご紹介もく

 

 11月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 長尾晴景さん 毛利秀元さん ヴァリニャーノさん 上杉謙信さん

【 特 】 徳川頼宣さん 庄林一心さん 成瀬正成さん

【 上 】 山中長俊さん 

【 序 】 楠木正盛さん

以上の 9 名

 

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ヴァリニャーノ【 極 】、上杉謙信【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2023年2月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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長尾晴景 さんは、下剋上を起こして越後の事実上の支配者となった父の為景さんから越後守護代を引き継いだもく

しかし父の行いにも起因する越後の内乱を収めることができず、病弱でもあったため弟の景虎(のちの上杉謙信)さんに家督を譲って隠居したというあまりぱっとしないイメージが定説であったけれど、近年の研究では名君であったという見方もあるようもく

それによれば、越後守護の上杉家を傀儡として強行策で実権を握った父とは異なり、極力戦わないことを重視した宥和政策によって越後の国人や守護の上杉家と関係を良化させると、東北の覇者として勢力を拡大していた伊達稙宗さんの越後侵攻を巧みな外交戦略によって退けて、越後の独立を保ったうえで弟に家督を譲ったと考えられているもく

 

 

 

毛利秀元 さんは、毛利元就さんの四男である穂井田元清さんの子として生まれ、同じく元就さんの孫であり当主を継いでいた輝元さんに実子がいなかったため、その養嗣子になったもく

豊臣秀吉さんからも「秀」の偏諱をうけ、毛利家の跡継ぎとして才覚を認められるほどだったけれど、輝元さんに実子が生まれたので辞退したもく

それでも初陣となった文禄の役、続く慶長の役では病に伏した輝元さんに代わって大将を担うなど大活躍をして、次第に毛利軍の運営においては中心になっていったもく

関ヶ原の戦いでも毛利軍の大将として出陣し自身は戦う気満々だったけれど、ここで世に知られる西軍敗北要因のひとつ「宰相殿の空弁当」の状況に巻き込まれて、のちの毛利本家、分家の確執にも繋がるしこりを残すことになってしまうもく

 

 

 

時の教皇とも親交があったイタリアの名門貴族出身の ヴァリニャーノ さんは、格式高い大学で法学などを学び、聖職者をめざしてカトリック教の修道会のひとつであるイエズス会に入会して専門機関でさらに多岐の分野について学びを深めたもく

ついに司祭に叙階されると、東インド管区の巡察使に抜擢されて総長の名代として管区内の宣教活動に尽力することになり、その果ての地にあった日本にも訪れたもく

ザビエルさんの来日から三十年ほどが経過し日本国内のキリスト教徒数も十万を超えていたともされるが、ヴァリニャーノさんは当時の日本でのアジア人蔑視の宣教方針をよしとせず、日本文化への歩み寄りや相互理解に重きを置いた方針へと改めたもく

そして日本各地を巡って権力者である織田信長さんや、大友宗麟さんらキリシタン大名らと謁見し後ろ盾を得て、天正遣欧少年使節を発案するなど活動は当初順風であったけれど、やがて戦乱の世の荒波に揉まれることになってしまうもくぅ

 

 

 

越後の龍こと 上杉謙信 さんは、越後の守護代であった兄の長尾晴景さんの命によって還俗し初陣から圧倒的な武力によって争乱を収め続けて、生涯七十を超える合戦でもほぼ敗北を知らず、あまりの強さから軍神と呼ばれて恐れられたともいわれる戦国最強武将のひとりもく

さらに宿敵である武田信玄さんとの川中島の戦いや、武神毘沙門天を熱心に信仰し義を重んじた生き方などから今日でもとても人気のある武将であり、一方で謎が多くあるとされる人物なので、創作物への登場も枚挙にいとまがないもく

そのため魅力的な逸話や伝説も数多く語られていて、中には書状の文体が女性的なこと、跡継ぎが重要視される当主の立場になっても生涯独身であったことなどから女性説というのも根強く残っているみたいもく

 

 

 

関ヶ原の戦いの二年後に家康さんの十男として生まれた 徳川頼宣 さんは、二歳にして水戸藩を与えられたけれど水戸には入らぬまま駿府藩主となり、晩年を迎えた父のもとで寵愛と期待を受けて育ったもく

幼少期は気性が荒く大坂の陣の頃にはまだ暴れん坊な様子も目立ったようだけれど、泰平の世へと時代が移り変わり家康さんも亡くなると、転封となった和歌山にて政治家として優れた手腕を発揮することになるもく

和歌山城や城下町の整備、寺社の拡張、国人の懐柔、みかん産業の奨励、浪人問題の対策に取り組んでの治安維持など様々な政策の実施によって藩を大いに発展させて、紀州徳川家の祖としてその礎を築き上げたもく

紀州徳川家は江戸時代の分家御三家となり、八代将軍吉宗さん、十四代将軍家茂さんと御三家からは唯一将軍を出した家になったもく

 

 

 

庄林一心 さんは、子と孫の三代で名乗った「庄林隼人」の通称でも知られる武将で、天草一揆討伐などの活躍によって豊臣秀吉さんが加藤清正さんの家臣団の中でも特に武勇に優れた三人として称えたという加藤三傑のひとりもく

同じく三傑にあげられた飯田覚兵衛さんと森本儀太夫さんは清正さんとは幼少の頃からの仲だったけれど、一心さんは荒木村重さん、仙石秀久さんに仕えたのちに家臣に加わったそうもく

清正さんは、慎重さがあって忠実で、被害を最小限に抑える撤退戦の名手としても名を馳せた一心さんを古くからの家臣よりも厚く信頼したともいわれ、それぞれ気質の異なる三傑を適材適所で重用したと伝わるもく

 

 

 

幼少の頃より小姓として徳川家康さんに仕えた 成瀬正成 さんは、初陣である小牧・長久手の戦いで首級をあげて、直後には家康さんのもとに集まっていた根来衆の残党五十名を与えられて鉄砲隊の将になったもく

最年少ともいわれる大抜擢によって家康さんからの評価が高かったことがわかるが、天下人になった秀吉さんの前で披露することになった徳川家の馬揃えでは、秀吉さんの目にも留まって五万石での引き抜き話があったともいわれるもく

けれど家康さんへの忠義から二君には仕えられないと切腹もやむなしの覚悟で固辞したそうで、それによってさらに二人からの評価を高めたと伝わるもく

家康さんから離れずに済むと徳川家の忠臣として重要な役割を担い続け、家康さんの九男で江戸時代の分家御三家のひとつ尾張徳川家の祖となる徳川義直さんの家老に任命されて尾張藩の創成期を支えたもく

 

 

 

山中長俊 さんが生まれたのは、甲賀二十一家のひとつで甲賀流忍術の中心を担ったともいわれる山中家の庶流の家柄だったもく

甲賀室町時代後期の鈎の陣以降には六角家と行動を共にしていたため、長俊さんもはじめ六角家に仕えており、六角義賢さんが織田信長さんに攻められた際には、義賢さんを保護して織田家と抗戦した功によって近江六人衆に数えられているもく

その後は六角家を離れて織田家に従い、柴田家の家老になると賤ヶ岳の戦いまで主君の勝家さんをよく支え、丹羽長秀さんに仕えたのちに秀吉さんに右筆として召し出されて、豊臣政権の奉行衆として多くの役職を歴任し、加増されて一万石の大名に列したもく

 

 

 

楠木正成さんは、後醍醐天皇による鎌倉幕府討伐を成し遂げて後世では日本史上一の戦略家と評される活躍をした人物であるけれど、続く南北朝時代には南朝方に与したため朝敵としての汚名も長く歴史に残ったもく

一族のほとんども南朝方に与したため、北朝に与して南北朝統一後に全盛期を迎えた室町幕府の時代には厳しい立場にあったことが推測されるもく

子孫達は没落していくつかの土地に逃れて、そのひとつで伊勢に落ち延びたことをはじまりとする伊勢楠木家は正成さんの嫡流と考えられているもく

伊勢楠木家の第八代であり最後の当主となったのが 楠木正盛 さんで、織田信雄さんに仕えて秀吉軍と戦ったけれど、小牧・長久手の戦いで討死したもく

 

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 



 

 

 

 

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【戦国IXA】10 月の追加武将一覧

どもどもどもー εεε (っ*´з`)っ

      のろしですもく ε=( *・з<*)ゝ

 

スポーツの秋 食欲の秋 芸術の秋

みんなはどんな秋を過ごしているかなもく?

 

戦国IXAは今月も素敵なイラストの武将たちが追加されて

まさに芸術の秋といった感じもく (● ´ε` ●)

 

 10月追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 傑 】 千利休さん

【 極 】 松前慶広さん 真壁氏幹さん 佐野昌綱さん 北政所さん

【 特 】 吉川経家さん 戸川達安さん 堀直寄さん

【 上 】 伝妙院さん 

【 序 】 海野棟綱さん

以上の 10 名

 

そして

宮本武蔵さん 佐々木小次郎さん 柳生石舟斎さん

以上の 3 名 がそれぞれ

新規イラストでの 【 天 】 と 

スキルやステータスを新しくした

イラスト復刻版の 【 極 】 で 登場するとのこともく

 

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佐野昌綱【 極 】、北政所【 極 】、

宮本武蔵【 天 】【 極 】、佐々木小次郎【 天 】【 極 】、柳生石舟斎【 天 】【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2023年1月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

千利休【 傑 】は取引出品・譲与不可とのこともく

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▼レアリティ【 傑 】について

https://sengokuixa.jp/new_rarity/

 

堺の豪商であり茶人でもある武野紹鷗さんに茶の湯を習った 千利休 さんは、簡素簡略を重んじた紹鷗さんの「わび茶」を完成させたとされる人物で、のちに「茶聖」とまで称される茶人となったもく

織田信長さんに茶頭として仕えた利休さんは、続いて天下人となった豊臣秀吉さんにも仕えて重用され、黄金の茶室の設計や北野大茶湯と呼ばれる茶会の主管などを任されたもく

茶の湯に関することだけでなく、まつりごとに関しても小さからぬ影響力を持つほど秀吉さんの信頼を得ていた利休さんだったけれど、天正十九年、突如として秀吉さんから蟄居を命じられ、その後、弟子たちの助命嘆願もむなしく切腹させられてしまったもく

秀吉さんを怒らせた原因については、利休さんの設置した木像が不敬であったという説や、茶器を高値で売りさばいて私腹を肥やしたという説など、様々な説があるけれどはっきりしたことはわかっていないもく

 

 


 

 

 

佐々木小次郎さんとの「巖流島の決闘」や二本の刀を用いる兵法などで有名な 宮本武蔵 さんは、「五輪書」という兵法書を著したこともよく知られており、そこには十三歳から二十九歳までに六十余度の勝負をおこなって一度も負けたことがないと書き記されているもく

そういったことから剣豪としてひとりで戦う印象が強い武蔵さんだけど、関ヶ原の戦いのときには黒田如水さんに従って九州で戦ったといわれ、また、大坂の陣では徳川家の譜代家臣である水野勝成さんの客将として参陣するなど、大きな合戦にも参加していたみたいもく

また、武蔵さんは剣技だけでなく芸術面にも非凡な才能をもっていたようで、武蔵さんが描いた個性豊かな水墨画がいくつものこされているもく

 

 

 

 

 

宮本武蔵さんとの「巖流島の決闘」で有名な 佐々木小次郎 さんは、武蔵さんと決闘したときはまだ十八歳だったという説もあれば、二十九歳の武蔵さんよりもかなり年上の老人だったという説もあるなど、生年や経歴に多くの謎がある剣客もく

「巌流」という流派を創始したことでも知られる小次郎さんは、物干し竿と呼ばれる大太刀を小太刀でも扱うかのように自在に使いこなしたといわれ、武蔵さんとの決闘でも三尺の白刃を手にしていたと伝わっているもく

武蔵さんとの決闘に敗れて小次郎さんは命を落としたと伝わっているけれど、その決闘の内容については諸説あり、決闘自体がおこなわれていないという説や、そもそも小次郎さんが実在したかどうかさえ疑問視する声もあるとのこともく

 

 

 

 

 

大和国柳生庄の領主柳生家厳さんの嫡男として生まれた 柳生石舟斎 さんは若い頃から剣術の腕を磨き、三十四歳の時、新陰流の流祖で「剣聖」と讃えられる上泉信綱さんと出会い弟子入りして、柳生庄に信綱さんを招いたもく

石舟斎さんは信綱さんから、無刀の身で武器を持った相手を制圧する剣技「無刀取り」の公案という課題を与えられ、翌年再び柳生庄を訪れた信綱さんに、自ら工夫して完成させた「無刀取り」を披露して激賞されたといわれているもく

その後、新陰流の印可状を与えられた石舟斎さんは、領主として戦国乱世の波に悪戦苦闘しながらもその剣技を磨き、子や門弟に柳生新陰流を伝えたもく

 

 

 

松前慶広 さんは蠣崎季広さんの三男として生まれたけれど、長兄と次兄が相次いで毒殺されたために父のあとを継いで蠣崎家の当主となったもく

蠣崎家は蝦夷管領の流れを汲む安東家の代官として蝦夷地を治めていたけれど、慶広さんは天下人となった豊臣秀吉さんに接近して、安東家から独立した領主として蝦夷地を支配するようになったもく

徳川政権下でも安堵状が与えられ、蝦夷地の領地権、徴役権、交易の独占権を得た慶広さんは姓を松前と改め、日本最北となる松前藩の初代藩主となったもく

 

 

 

常陸国の大半を支配下に置く佐竹家に従属する国人領主真壁家の当主 真壁氏幹 さんは、戦場で、刀ではなく巨大な赤樫に鉄製の鋲を打ち付けた棒を振り回して敵をなぎ倒したといわれ、その勇ましさから「鬼真壁」と渾名されたもく

氏幹さんは佐竹義重さんに仕えて、佐竹家の主要な合戦にはほぼすべて参陣したけれど、真壁家領内の利害に関わるような合戦では佐竹家と対立することも辞さず、真壁家を独立勢力たらしめようとする気構えが見られたもく

また氏幹さんは、無敗の剣聖と評された塚原卜伝さんから剣術を学んだといわれ、自身も「霞流棒術」という流派を創始したもく

 

 

 

北関東に勢力をもつ佐野家の第十五代当主 佐野昌綱 さんは、北条家上杉家武田家の三勢力が北関東進出を目論むなか、懸命に佐野家の存続を保った名将もく

北条家と上杉家の争いが激化すると、昌綱さんは一度は北条家と結んだものの、上杉謙信さんの関東侵攻に呼応して北条家を裏切り、その後また上杉家を裏切って再び北条家に味方するなど、情勢を見極めながら強大な勢力の狭間で巧みに生き抜いたもく

唐沢山城を居城とした昌綱さんは、謙信さんから約十回も攻められたけれど、一時的な降伏などの戦略もとりながら何度も防衛と撃退に成功したため、唐沢山城は関東一の山城と賞賛されたもく

 

 

 

ねねや高台院という名でも知られる 北政所 さんは、まだ織田家の下級将校に過ぎなかった頃の豊臣秀吉さんと結婚して、秀吉さんの日本史上稀に見る立身出世を陰に陽に支えた人物もく

当時としては珍しい恋愛結婚だったけれど、北政所さんは秀吉さんの女性関係にかなり悩まされていたようで、織田信長さんが北政所さんにあてた手紙には、秀吉さんを責め、北政所さんを気遣い励ます言葉が並べられていたもく

家臣の妻を気遣う信長さんの意外な一面が感じられると同時に、信長さんが手紙にこのようなことを書きたくなるほど、北政所さんが才気と人間的魅力に溢れた女性だったのではないかとも思えてくるもくね

秀吉さんの没後もそんな北政所さんのことを慕う武将は多く、彼女の態度や言動が関ヶ原の戦いでの諸将の去就に大きな影響を与えたといわれているもく

 

 

 

安芸国の名門吉川家の分家である石見吉川家の当主 吉川経家 さんは、本家の吉川元春さんに命じられ、羽柴秀吉さん率いる織田軍の攻め寄せる鳥取城に入城したもく

鳥取城主の山名豊国さんは織田軍に降伏しようとしたため家臣らに追放され、その家臣らの救援要請により派遣された経家さんは自らの首桶を持参して入城し、決死の覚悟を示したもく

秀吉さんの鳥取城攻略の作戦は徹底した兵糧攻めで、兵糧の蓄えが不十分だった城内では餓死者が続出し、その凄惨さからのちに「鳥取の渇え殺し」と呼ばれたもく

約四ヶ月の籠城の末に降伏した経家さんに対し、秀吉さんは自害の必要はないと伝えたけれど、経家さんはそれを拒否し、秀吉さんから自害の許しを得たのちに切腹してこの世を去ったもく

 

 

 

宇喜多家の家臣である 戸川達安 さんは、十三歳のときに備前辛川の役で初陣を飾ると、その後も宇喜多家が参加した数々の合戦に出陣して戦功を重ねたもく

宇喜多家が豊臣方として参加した根白坂の戦いにおいて、精強で知られる島津兵を多数討ち取る働きを見せるなど、豊臣政権下で重臣として宇喜多家を支えた達安さんだったけれど、秀吉さん没後に起きた宇喜多家中のお家騒動に巻き込まれ、宇喜多家を去ることとなったもく

宇喜多家を退去して徳川家康さんの家臣となった達安さんは、関ヶ原の戦いでも相変わらずの槍働きを見せ、石田三成さんの重臣島左近さんを討ち取ったのは達安さんだという説もあるもく

戦後、達安さんは三万石を与えられて備中庭瀬藩の初代藩主となったもく

 

 

 

堀直寄 さんの父堀直政さんは、「名人久太郎」の渾名で知られる堀秀政さんの従弟にあたり、その家老を務めて秀政さんの堀家をよく補佐したもく

秀政さんの没後、秀政さんの嫡男である秀治さんの家督相続を認めてもらうべく、直政さんは十三歳の直寄さんを使者として豊臣秀吉さんのもとに送り、その願いは聞き入れられたもく

秀吉さんに気に入られてその小姓となった直寄さんは、後年徳川家康さんと石田三成さんの対立が深まった際、西軍に味方して太閤殿下の恩に報いるべきだと主張したけれど、一族の合議の末、堀家は東軍に味方したもく

主張がしりぞけられて関ヶ原の戦いで東軍に味方した直寄さんは、その後も家康さんへの忠勤に励み、大坂の陣のあとには越後長岡藩主を経て越後村上で十万石の藩主となったもく

 

 

 

蠣崎季広さんの正室 伝妙院 さんは、蝦夷松前藩の初代藩主松前慶広さんの生母もく

伝妙院さんの父河野季通さんは安東家の家臣で、蝦夷地開拓を行っていた際、アイヌの軍勢による襲撃を受け、まだ三歳だった伝妙院さんを逃したあとに自害したといわれているもく

その後、河野家は一時断絶してしまったけれど、慶広さんの六男、つまり伝妙院さんの孫、季通さんにとってはひ孫にあたる人物が河野家を継ぎ、のちに姓は松前に戻したものの河野系松前家として宗家の藩主を補佐したもく

 

 

 

信濃では滋野三家と呼ばれる豪族が古くから勢力を張っていて、その三家のひとつが海野家であり、戦国時代にその海野家の当主となったのが 海野棟綱 さんもく

信濃の真田家は海野家の分家とされ、真田幸隆さんは棟綱さんの子、あるいは孫、あるいは娘婿ではないかといわれているもく

棟綱さんは、武田信虎さん村上義清さん諏訪頼重さんらの連合軍に侵攻されて領地を失うと、関東管領山内上杉家を頼って上野国へ落ち延びたけれど、その後、領地回復の悲願が成就することはなかったもく

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお
「サービス開始12周年!生誕記念祭!!」第二弾で登場の
【極】藤堂高虎、【極】吉乃、【極】小少将、【極】黄梅院、【極】宇喜多モニカについても
排出停止となるとのこともく

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n633a3e89218b7

 

 

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【戦国IXA】9 月の追加武将一覧

|ョ・з・。)ノ こんにちはー のろしもくー

秋の気配を色濃く感じる地域 まだまだ夏が居座っている地域

それぞれあると思いますが もう9月なんだねぇもく~ぅ

 

ということで 戦国IXAではっ!

 

   9 月 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 前野忠康さん 明智秀満さん 延沢満延さん 角隈石宗さん

【 特 】 井上之房さん 中村一氏さん 奥平信昌さん

【 上 】 高力清長さん 

【 序 】 戸田康光さん

以上の 9 名

 

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前野忠康【 極 】は

2022年12月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

延沢満延【 極 】、角隈石宗【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2022年12月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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舞兵庫さんの名でも知られる 前野忠康 さんは、出自については不明点が多いようだけど、豊臣秀吉さんの最古参の家臣のひとりである前野長康さんのもとに婿入りし歴史の表舞台に登場したもく

長康さんが、秀吉さんの甥で当時その後継者とされていた秀次さんの宿老となっていたため、忠康さんも秀次さんの家臣団となり若江八人衆として活躍したもく

ところが秀吉さんに実子が生まれたことによる秀次事件によって秀次さん、長康さんが自害となってしまい、連座して忠康さんも死罪となるところを石田三成さんに助けられたもく

その恩義に報いるため石田家の重臣になって身を粉にして、関ヶ原の戦いでは最前線で最期まで戦い散ったもく

 

 

 

左馬助さんという通称でも知られ、斎藤利三さんとならび明智光秀さんの重臣中の重臣といえる存在だったのが 明智秀満 さんもく

出自については元々明智家の縁者であったなど諸説あるようだけれど、光秀さんの娘を娶ってから明智姓を名乗るようになったのは確かなところであるみたいもく

光秀さんとはかなり年齢が離れていたけれど相当な信頼を得ていたようで、織田信長さんを討つことを最初に相談されて、また、最初にその決断を後押したといわれるもく

本能寺の変では先鋒として襲撃し、その後要地である安土城の守備のため離脱したけれど、光秀さんの死を知ると明智家の本拠である坂本城への帰還のために、琵琶湖を馬で渡って敵の包囲を突破したという伝説が残っているもく

 

 

 

延沢満延 さんは出羽の有力な国人衆で、天童家を盟主とする八楯のひとつに名を連ねたもく、

八楯は最上義光さんと長い間争っていたけれど、中でも満延さんは義光さんを苦しめたようで、義光さんは娘を延沢家に嫁がせてさらに要望を飲むまでして満延さんを引き抜いたもく

そんな満延さんには怪力伝説が残っていて、力持ちなのかと尋ねられた際には、力自慢達も及び腰になるほどの大きな鐘を軽々持ち上げると、それだけでなくそのまま数十キロ離れた地まで担いでいったそうもく

また、同じく怪力エピソードが多く残る義光さんが満延さんの腕力を試そうとしたが、遙かに上回る怪力ぶりで寄せ付けなかったなんていう逸話もあるらしいもく

 

 

 

角隈石宗 さんは大友義鑑さん、宗麟さんの親子に仕えて大友家の軍配者だった人物もく

軍配者は、兵法はもちろん、占術、天文学などから出陣の日時や方角の吉凶を判断する役割を担ったもく

石宗さんはそれら多岐の分野に造詣が深く、中にはカラスを操ったなんていう妖術めいた話も残るほど当時の人達にとって学を究める奇特な存在だったもく

耳川の戦いでの宗麟さんの大敗も予言したそうだけれど聞き入れられず、死を悟りながらも主君への忠義で戦地に赴いての最期となったもく

 

 

 

黒田職隆さんに小姓として仕えた 井上之房 さんは、職隆さんが亡くなるとその息子の官兵衛さんに従い側近として活躍したもく

関ヶ原の戦いの際の石垣原の戦いでは、大友家の名将で自身と旧知の間柄でもあった吉弘統幸さんを討つ武功を挙げ、官兵衛さんの息子の長政さんが筑前国へ移封の際に黒崎城を築いて一万六千石を領したもく

長政さんの代では、家臣の中の精鋭として黒田二十四騎、そしてその中でも重臣の黒田八虎に数えられて、最晩年には福岡藩のお家騒動である黒田騒動でも尽力するなど黒田家四代の忠臣として人生を全うしたもく

 

 

 

中村一氏 さんは、出自ははっきりとわかっていないけれど、かなり早い時期から豊臣秀吉さんに仕えその出世街道上にあった戦いで活躍を重ねて、山崎の戦いでは鉄砲隊を指揮して勝利に大きく貢献したもく

そして秀吉さんが天下を取りにいくと、一氏さんは根来衆本願寺残党などやっかいな勢力が燻る紀州への抑えとして最前線の岸和田城主に任命され、それらの襲撃を撃退したもく

この時に僧侶を乗せた大蛸の大軍によって劣勢を助けられたという伝説もあるらしいもく

その後、小田原征伐によって秀吉さんの天下がほぼ決まると、今度は最も驚異となりうる徳川家康さんの監視として駿河駿府城主に配置されるなど、秀吉さんから頼られたことがうかがえる存在感を示したもく

 

 

 

奥平家は戦国時代初期には今川家に従属し、桶狭間の戦い後には徳川家に仕えたものの、武田家の三河侵攻の折に降伏してその傘下となっていたもく

しかし、信玄さんが亡くなって秘匿とされていたその死にいち早く気がつくと徳川家に帰参することを決意し、その頃に当主を引き継いだのが 奥平信昌 さんもく

奥平家の離反に激怒した武田勝頼さんは、大軍を自ら率いて出陣し信昌さんが任せられていた長篠城を取り囲んだもく

長篠は国境で交通の要所という観点からも意味を成す土地であったため信昌さんは必死に守り抜くと、そのまま長篠の戦いへと移り、時の勢力図を大きく変えることになる織田・徳川連合軍の勝利を呼び込んだもく

その功により信長さんから「信」の一字を与えられて、家康さんからは娘婿として重用されたもく

 

 

 

高力清長 さんは、徳川家康さんに仕えた古参の武将で、家康さんが今川家の人質だった時代から苦楽を共にしていたもく

家康さんの三河統一の戦いにおいては一向一揆を鎮圧したが、その際に神仏を敬うことを忘れず信仰の対象物の保護に努め、敵対した相手にも情けをかける寛容さから仏高力とも呼ばれたもく

また、とても誠実な人柄だったようで、役得として自らの懐に収めたとしても咎められないようなことでもそれをせずに素直に差し出したという逸話も複数残っていて、家康さんからの信頼は当然ながら、小牧・長久手の戦いで対した豊臣家のもとに和議の使者として訪れた際には秀吉さんからも大変気に入られ、豊臣の姓を賜るほどだったそうもく

 

 

 

戦国時代初期に三河の渥美群で勢力を持った戸田家は、戦国時代中期には一族の宗主に 戸田康光 さんを据えて三河一帯の支配を狙ったもく

ところが元より力を有した今川家と当時台頭していた松平家の壁は思いのほか高く、目標は頓挫して松平家に従ったもく

躍進著しかった当主・清康さんの急死によって松平家が衰退すると、康光さんは今川家に従属することになり、人質となるのちの徳川家康さんこと竹千代さんを駿府に送り届ける命を受けたもく

しかし、それを反故にして今川家の敵である織田信秀さんのもとにお送り届けてしまい、今川義元さんの怒りを買って討たれてしまったもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】8 月の追加武将一覧

こんにちはー o(。✪з✪。)ノ のろしもくっ

 

新たなる舞台

【 異説覇伝~日輪の威光と轍~ 】が開幕して10日が経つけれど

みんな新戦力の獲得や育成は順調かなもく?

 

noroshi-sengokuixa.hatenablog.com

 

新たなる舞台での初合戦相手国発表は 8月19日(金)予定 もく

しっかり準備をしていいスタートをきろうもく! ٩(。^ε^。)و ♪

 

  8月 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 佐々成政さん 前田玄以さん 大宝寺義氏さん 真理姫さん

【 特 】 三条の方さん 尼子国久さん 一柳直盛さん

【 上 】 神子田正治さん 

【 序 】 杉原家次さん

以上の 9 名

 

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大宝寺義氏【 極 】、真理姫【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2022年11月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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尾張国比良城主佐々成宗さんの三男として生まれた 佐々成政 さんは、若い頃から織田信長さんに仕えて馬廻に抜擢されたもく

さらに森部の戦いなどで武功を挙げて織田家中にその名を知らしめた成政さんは、馬廻の選抜部隊ともいえる黒母衣衆の筆頭に任じられたもく

成政さんは鉄砲隊の指揮に長けた武将だったようで、金ヶ崎の戦いにおける撤退戦では鉄砲隊を指揮して味方の退却を助け、また、長篠の戦いでも鉄砲隊を率いて武田軍の騎馬隊を撃破し織田軍の勝利に貢献したもく

豊臣政権下では肥後一国を与えられて大名となったけれど、肥後国人一揆を自力でおさめることができず、秀吉さんから切腹を命じられてしまったもく

 

 

 

僧侶であった 前田玄以 さんは、織田信長さんの臣下に加わると、信長さんの嫡男である織田信忠さんの側近となることを命じられ、信忠さんの領国統治などを補佐したもく

本能寺の変の際、信忠さんとともに二条城にあった玄以さんは、信忠さんの命令で城を逃れ京を脱出し、信忠さんの嫡男である三法師さんを保護したもく

その後、信忠さんの弟織田信雄さんに仕えて京都所司代に任じられた玄以さんは、羽柴秀吉さんのもとでも引き続き京都所司代として朝廷との交渉などに活躍、豊臣政権下では丹波亀山城主として五万石を領し、五奉行の一人となったもく

 

 

 

大宝寺家は、室町幕府から出羽守を与えられ出羽国でおおいに権勢をふるう有力国人だったけれど、 大宝寺義氏 さんが十七代当主となった頃には家勢の衰えが著しかったもく

しかし、家督を継いだ義氏さんによって家中の立て直しや反大宝寺勢力の徹底的な討伐がおこなわれると、大宝寺家は急速に戦国大名化していき、かつての勢力を取り戻すことに成功したもく

さらに天下人の織田信長さんに馬や鷹を献上して屋形号を許されるなど、その権勢を強めていった義氏さんだったけれど、度重なる外征によって疲弊した領民や兵士たちから反感を抱かれ、義氏さんはいつしか「悪屋形」と渾名されるようになり、ついには側近である前森蔵人さんの謀反によって自害へと追い込まれたもく

 

 

 

武田信玄さんの苛烈な信濃国侵攻によって武田家の軍門に下った信濃国国人領主の中でも、木曽一帯を領する木曾義康さんの存在は信玄さんにとって重要だったようで、信玄さんは娘の 理姫 さんを義康さんの嫡男木曾義昌さんに正室として嫁がせたもく

木曽家は真理姫さんの輿入れによって武田家の親族衆に加えられ、その後は武田家の版図拡大に大きく貢献したけれど、信玄さんの没後、義昌さんは武田家を見限って織田家に従ったもく

そのため真理姫さんは義昌さんと離縁し、我が子である義一さんとともに木曽の山中で、身を隠すようにして暮らしたと言われているもく

 

 

 

三条の方 さんは七清華のひとつである名門三条家に生まれ、姉は室町幕府管領細川晴元さんの正室、妹は本願寺顕如さんに嫁いだ如春尼さんもく

三条の方さん自身は武田信玄さんの正室となり、武田義信さんや黄梅院さんら三男二女をもうけたけれど、子供たちはみなそれぞれが不幸な運命におそわれ、天寿をまっとうできたのは末娘だけだったみたいもく

創作物の影響により、高慢で嫉妬深い悪妻という印象が定着している三条の方さんだけれど、武田家と京の公家社会をつなぐ存在でもあり、実際は有能な女性で夫婦仲も良好だったのではないかといわれているもく

 

 

 

月山富田城の北麓にある新宮谷を拠点とする新宮党は、尼子家中の精鋭部隊からなる戦闘集団であり、 尼子国久 さんはその新宮党の頭領だったもく

国久さんは、甥であり娘婿でもある主君尼子晴久さんを、特に軍事面においてよくたすけ、尼子家の勢力拡大におおきく貢献したもく

しかし新宮党のなかには、その武勇を誇るあまり傲慢で無作法な振る舞いをする者もあり、また国久さん自身も晴久さんと対立することが多かったため、ついには晴久さんによって国久さんは暗殺され、新宮党も滅ぼされてしまったもく

 

 

 

一柳直盛 さんは、羽柴秀吉さんに仕えていた兄の一柳直末さんに従って合戦に参加するうちに武功を重ね、特に賤ケ岳の戦いにおいておおきく武名をあげたといわれているもく

この戦いでは賤ヶ岳の七本槍と呼ばれる七名の功名が広く知られているけれど、『一柳家記』には最前線で武功をあげた十四名の「先懸衆」の活躍が記されていて、加藤清正さんや大谷吉継さんらとともに直盛さんの名も挙げられているもく

小田原征伐伊豆国山中城攻めにおける直末さんの戦死により、そのあとを継いだ直盛さんは、尾張黒田城主や伊勢神戸藩主などを経て、伊予西条藩初代藩主となったもく

 

 

 

羽柴秀吉さんが織田信長さんのもとで頭角を現し、家臣を抱えるようになった時期から 神子田正治 さんは秀吉さんに仕えていたとされ、羽柴四天王のひとりに数えられるもく

古くから秀吉さんを支え続けてきた正治さんは、時に秀吉さんに対する皮肉や嘲笑ともとれる言動があったといわれているもく

小牧・長久手の戦いにおいて、ついにその言動が秀吉さんの逆鱗に触れてしまい、正治さんは高野山へ追放され、最期は自害か斬首か不明ながら、その首を一条戻橋にさらされることとなったもく

 

 

 

羽柴秀吉さんの家臣である 杉原家次 さんは、秀吉さんの正室ねねさんの伯父にあたる人物で、秀吉さんが織田信長さんから浅井家の旧領を拝領し長浜城主となると、家老に任じられたもく

秀吉さんの備中高松城攻めでは清水宗治さんの切腹の検死役を務めたとされ、秀吉さんが中国大返しをおこなうにあたっては、家次さんが高松城にとどまり留守居を務めたといわれているもく

家次さんに対する秀吉さんの信頼は厚かったようで、京都を支配下に置いた秀吉さんは家次さんを京都所司代のひとりに任じ、京の治安維持などにあたらせたもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

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