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【戦国IXA】9 月の追加武将一覧

∩^з^)∩ こんにちはー のろしもく

新たな舞台が開幕してもうすぐ1ヶ月もくね

すでに合戦も2回おこなわれたけど みんなハッスルしてるかなもく? 

 

さて 戦国IXA では 今月も頼もしい顔ぶれが新登場ですもく

 

 9 月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 義姫さん 小早川隆景さん 水谷正村さん 織田信雄さん

【 特 】 村井長頼さん 三村元親さん 稲葉正成さん

【 上 】 池田勝正さん 

【 序 】 真田信政さん

以上の 9 名

 

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水谷正村【 極 】、織田信雄【 極 】 は 取引出品・譲与不可で

2021年12月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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出羽国山形城主である最上義守さんの娘としてうまれた 義姫 さんは、おなじ出羽国の米沢城主である伊達輝宗さんの正室となったもく

最上家とは対立関係にあった伊達家へ一種の政略結婚で嫁いだ義姫さんは、知性と度胸、さらには行動力も兼ね備えた人物だったようで、夫の輝宗さんが兄の最上義光さんを攻めた際には、みずから戦場へ駈けつけ、駕籠で陣中を突っ切り、輝宗さんに撤兵するよう迫ったんだってもく

さらに輝宗さんの没後、息子の伊達政宗さんと義光さんのあいだで争いがおこると、またしても義姫さんは輿に乗って戦場に駈けつけ、両者が停戦を了承するまで両軍のあいだに居座り続けたといわれており、その日数はなんと80日間と伝わっているもく

さすが戦国時代を代表する武将伊達政宗さんの母君、ただ者ではないもくね

 

 

 

毛利元就さんの三男である 小早川隆景 さんは、次兄の吉川元春さんとともに「毛利両川」と称され、三代の毛利家当主を支えて毛利家を中国地方の覇者へと押し上げたもく

隆景さんが当主を継承した小早川家は水軍で有名な一族で、隆景さんに率いられて毛利一門となってからは、毛利水軍として数々の合戦で活躍し、毛利家の勢力拡大に貢献したもく

毛利家の政略を一手に担ってきた隆景さんは、豊臣秀吉さんからもその能力や人柄を高く評価されており、天下人をして「日本の西は、小早川隆景に任せればすべて安泰である」とまで言わしめ、豊臣政権下では五大老のひとりに任命されたもく

 

 

 

常陸国の名門結城家の家臣で、結城四天王の一人にも数えられる 水谷正村 さんは、出家後の蟠龍斎という名でもよく知られ、生涯無敗を誇る勇猛果敢な武将だったと伝わっているもく

結城家と下野の宇都宮家の対立が深まるなか、正村さんは最前線に久下田城を築いて城主となり、宇都宮勢を相手に多くの武功を挙げ、さらに結城領と宇都宮領の境界付近に位置する中村城を攻めて中村玄角さんを討ち取り、その武勇を不動のものとしたもく

複雑な勢力図が展開される関東において、持ち前の勇猛さで結城家を支え続けた正村さんは、豊臣秀吉さんが天下人となると結城家からの独立を許されて大名となったもく

 

 

 

織田信雄 さんは織田信長さんの子で、本能寺の変で父と長兄の織田信忠さんが討たれ、その敵を討った羽柴秀吉さんが織田家の勢力を継承しようと突き進むなかで、兄弟の織田信孝さんもまた自害に追い込まれてしまったもく

家臣であるはずの秀吉さんが、主筋をないがしろにして台頭していくことを快く思わない信雄さんは、徳川家康さんと同盟を結んで秀吉さんに合戦を仕掛けたけれど、自領に羽柴方の侵攻を受けると、家康さんに無断で秀吉さんと単独講和を結び、その後は秀吉さんに臣従することとなったもく

大坂の陣で徳川方についた信雄さんは、上野国甘楽郡などに五万石を与えられ、その子孫たちは大名や旗本として江戸時代を送ったもく

 

 

 

前田家の家臣だった 村井長頼 さんは、はやくから前田利家さんのそばに仕え、戦場ではみずからが盾となって主君を救うこともあったんだってもく

苦楽をともにした長頼さんに対する利家さんの信頼はあつく、前田家が加賀国に封じられて大名になると、長頼さんは家老に任じられ、他の重臣らとともに加賀前田家の基礎を築いたもく

長頼さんの「又兵衛」という通称は、利家さんの通称「又左衛門」から一字を拝領したといわれており、また、長頼さんが立派な髭をたくわえていたことから、利家夫妻は長頼さんのことを「髭殿」と呼んでいたと伝わっているもく

こういった逸話からも利家さんからの信頼のあつさと親しみの気持ちがうかがえるもくね

 

 

 

三村元親 さんは備中松山城主で、父の三村家親さんは宇喜多直家さんが放った刺客に鉄砲で狙撃されて亡くなったもく

家督を継いだ元親さんは、毛利家の力を借りながら宇喜多勢と合戦を繰り返したけれど苦戦が続き、父の無念を晴らすことはなかなかできなかったもく

さらには頼りとしていた毛利家が宇喜多家と手を結ぶという事態が発生したため、元親さんは毛利家を離れ、織田家を頼ることを決意したもく

すると毛利家は三村討伐に乗り出し、備中松山城の周辺の城を次々と陥落させていったもく

孤立無援の状況に追い込まれた元親さんは、毛利方に切腹を願い出て、城下町にある松連寺で自刃したもく

 

 

 

稲葉重通さんの婿養子となった 稲葉正成 さんは、豊臣秀吉さんに仕えたのちに小早川秀秋さんの家臣となることを命じられ、関ヶ原の戦いでは秀秋さんを徳川方に寝返らせることに成功したもく

しかし戦後は、奇行の目立つ秀秋さんと対立して美濃に蟄居し、秀秋さんの死後は浪人となり、のちに徳川家康さんに召し出されて、美濃国内に一万石の領地を与えられ十七条藩主となったもく

その後、松平忠昌さんの家老として清崎城主となるも、忠昌さんの越前移封に従わず蟄居を命ぜられ、数年後またもや幕府に召し出されると、今度は下野真岡で二万石を領する大名となったもく

 

 

 

室町時代後期、摂津池田家は摂津国内最大級の国人で、その版図は 池田勝正 さんの代において最大となったとされているもく

足利義昭さんを擁して上洛した織田信長さんに対し、勝正さんは抵抗を試みたものの織田家の軍事力の前に降伏を余儀なくされたもく

しかし、勝正さんの能力を高く評価した信長さんは、加増の上で領地を安堵し、伊丹親興さん、和田惟政さんとともに「摂津三守護」のひとりとして、摂津の支配を任せたもく

その後、一族の寝返りによって池田城を追われた勝正さんは、信長さんから原田城主に任じられたけれど、信長さんと義昭さんが対立すると幕府方についたため、今度は原田城からも追われてしまうこととなったもく

 

 

 

真田信政 さんは、真田信之さんの次男として生まれ、父が上田から松代へ加増移封された際、松代藩の一部を支藩として与えられたもく

しかし、沼田藩主であった兄の真田信吉さんが早世し、その跡を継いだ熊之助さんも七歳で亡くなったため、信政さんが沼田藩主となったもく

兄が亡くなったため、いずれ信政さんが父・信之さんの跡を継いで松代藩主となるはずだったけれど、なかなか信之さんが隠居しないので、信政さんは父が自分ではなく兄の系統に松代藩を継がせようとしているのではないかという疑念を抱いていたといわれているもく

九十歳を過ぎた信之さんが隠居し、ようやく松代藩主となった信政さんだったけれど、それからわずか二年後に病死してしまったもく

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

  

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【戦国IXA】「 螺旋興亡 ~ 払暁の勇将 ~ 」 新天情報

こんにちはーっ! 元気ですかーっ!

  p(〃>ε<〃)ノ   のろしもくーっっ!!

いよいよ この日が や ーーーーーーーー ってきましたもく!!!

 

 

2021 年 8 月 13 日( 金 )

  戦国IXA  新たな舞台が開幕・・・!

  螺旋興亡  ~  ★★★

↓↓  新たな舞台の詳細はこちらもく

https://sengokuixa.jp/new_season/

 

新章では武将カードの仕様変更もあるとのこともく

↓↓  天限突破の詳細はこちらもく

https://cache.sengokuixa.jp/www/2021tengen/2021080201.html

 

 

そして 新たな舞台の大殿であり

   戦国 IXA の 新【天】武将カード として登場するのは

                   こちらの 12 名もくっっっ!!!

 

 

上杉景勝さんは、軍神から義を引き継ぎ武家の誇りを胸に、生涯の腹心である直江兼続さんと二人三脚で戦乱の時代を生き抜いた気骨ある人物もく

幼少期に母の弟である謙信さんに養子として迎えられ薫陶を受け育つと、実子がいなかった謙信さん急死後の家督相続争い・御館の乱を、武田家との関係強化などによって勝利し、上杉家の当主となったもく

しかしその混乱がまだ燻る中、今度は敵対関係となっていた織田信長さんの軍勢が迫り、武田家滅亡によって上杉家も窮地に陥ったが、本能寺の変によって難を乗り切ると、すぐに秀吉さんに接近しその天下を後押しした功績から豊臣政権の五大老の座に付いたもく

そして会津百二十万石に加増移封されて全国屈指の大大名になると、秀吉さん死去後には、同じ五大老のひとりであり次の天下を狙う徳川家康さんに堂々と喧嘩を売り、それが関ヶ原の戦いのきっかけになったともいわれているもく

かなりの愛刀家であったそうで、収集した刀の中には現代の国宝・重要文化財が多数あるんだってもく

 

 

 

毛利輝元さんは、父・毛利隆元さんが急死したため幼くして中国地方の覇者の座を引き継いだもく

13代将軍・足利義輝さんより「輝」の一字を賜って元服、幼年だったためしばらくは戦国一の智将と名高い偉大なる祖父・元就さんや、叔父の吉川元春さんが後見となって補佐したもく

祖父が亡くなりいよいよ独り立ちとなった頃、中央では幕府の権威が失われ織田信長さんが台頭、そして足利義昭さんが毛利家を頼り落延びてくると、当時毛利家は織田家と同盟関係であったが義昭さんの要望に応じ信長包囲網に加わったもく

戦況は反信長勢力が次々と脱落していき劣勢となったものの本能寺の変が起こったため一変、交戦していた秀吉さんと和睦が成立し、その後は秀吉さんの天下取りに臣従したことで豊臣政権では五大老のひとりに数えられたもく

関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立されたけれど、戦場には赴かなかったそうで、そのまま敗軍の将となったが毛利家改易は何とか免れると、減封された長門にて領国繁栄に尽力し、幕末で倒幕運動の中心を担う長州藩の礎を築いたもく

 

 

 

羽州探題世襲するも停滞していた名門を、戦国大名として復活させた最上義光さんは、巧みな策略と剛勇さで「羽州の狐」や「奥羽の驍将」と呼ばれたもく

家督相続も一筋縄ではいかず、相続直後も周辺勢力支配に苦慮したため、内政の充実に舵を切り数々の善政によって領民の支持を得て、さらに織田信長さんに謁見し出羽守への推任を願い出るなどしっかりと足場を固めて、まずは威信を回復させたもく

そして義光さんは調略による敵陣営の切り崩しを得意とし、極力戦わず勝利を収めることができたそうで、それを可能として優れた観察眼によっていち早く秀吉さんに接近したことにより、奥州仕置では所領を安堵されたもく

しかし豊臣秀次さん切腹事件により愛娘の駒姫さんを失ったことが影響したのか、次第に旧知の間柄であった徳川家康さんとの仲を深めていくと、関ヶ原の戦いでは東軍に属し上杉景勝さんと戦い、その功を評価されて戦後には五十七万石を領する出羽山形藩の初代藩主へと至ったもく

幼少の頃より体格に恵まれ力が強かったことから刀の約二倍の重さの鉄製の指揮棒を愛用していたそうだが、一方で、妹を溺愛し筆まめだった一面もあり、やりとりした手紙が多数残っているらしいもく

 

 

 

生涯五十回以上の合戦に参戦したのに傷一つ負わなかったという逸話や、数々の輝かしい戦歴で戦国最強とも評されるのが本多忠勝さんもく

本多家は古くから徳川(松平)家に仕える家柄で、忠勝さんも幼少の頃から家康さんを支え続け、天下統一に導いたもく

家康さんの三河統一の際に頭角を現し若くして親衛隊に抜擢されると、織田家との連合で浅井・朝倉連合軍を相手にした姉川の戦いでは果敢な単騎駆けなどで勇名を馳せ、武田信玄さんと激突した一言坂の戦い後には「家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多忠勝」という声が出るほど敵味方問わずその活躍ぶりを称えられ、やがて豊臣秀吉さんからも「天下無双の大将」だと絶賛されたもく

また、忠勝さんといえば、鹿の角をあしらった鹿角脇立の兜や、漆黒の甲冑、自らが葬った敵を弔うためにかけていたという大数珠、そして天下三名槍に数えられる愛槍・蜻蛉切といった出で立ちも有名で、最強伝説や忠義を貫いた武骨な人物像などとともに現代でも人気が高い武将もく

 

 

 

主君であった武田家滅亡、そして織田、豊臣、徳川と天下が移り変わる激動の時代に、着実にお家を守り抜いた名君が真田信之さんもく

父・昌幸さんは「表裏比興の者」、弟・幸村さんは「日本一の兵」として知られているため、幾分目立たぬという評価もあるが、しかしながらその実績は確かなもので、武田家滅亡の混乱の中、父を補佐し近隣にもその勇猛さが知れ渡っていたといわれるもく

そして領地を守るため徳川家と戦った第一次上田合戦では活躍が家康さんの目にも留まると、戦後の和睦において徳川方の重臣本多忠勝さんの娘を妻として迎えることになり、また、父、弟と東西別れて戦うことになった関ヶ原の戦い後には敗将となった二人の助命嘆願が認められたことからも、相当な人物であったことがうかがえるもく

当時としては異例の長寿で93歳まで生き、四代将軍・徳川家綱さんの時代には歴史の生き証人として幕府から「天下の飾り」と呼ばれ、死去の際には家臣だけでなく多くの領民も悲しんだと伝わるもく

 

 

 

福島正則さんは、豊臣秀吉さんの親戚筋だったとされ、ねねさんとの間に実子がなかった秀吉さんに幼少期からかわいがられた子飼いの武将もく

小姓として仕えた後に初陣を飾り、秀吉さんの主立った合戦に参加し功を挙げ出世していくと、柴田勝家さんを相手にした賤ヶ岳の戦いでは一番槍の活躍により「賤ヶ岳の七本槍」のひとりに数えられてその名を轟かせたもく

続く四国征伐でも活躍し伊予今治に十万石を与えられて大名になり、秀吉軍随一の猛将としての地位を確固たるものとしていった正則さんであるが、良くいえば裏表なく豪快、悪くいえば荒くれ者や大酒飲みという逸話が多くあり、悪酔いでの約束で天下三名槍に数えられる家宝の日本号を取られてしまったこともあるらしいもく

そういう性根のせいか文治派の石田三成さんとはそりが合わなかったようで、秀吉さんの死を機に対立が決定的になり、反対に徳川家康さんとは接近したため、関ヶ原の戦いを前にした諸将の東西軍選択に大きな影響を与えたといわれるもく

正則さんがなぜ東軍に属したかについては、一本気な性格なので老獪な狸(家康さん)にうまく丸め込まれた、三成さんをよほど嫌いだったなど色々考察もあるようだけれど、東軍勝利に大貢献し安芸・備後四十九万石を賜ったもく
しかしその後の豊臣家を相手にした大坂冬の陣、夏の陣では戦地に赴くことはなかったと伝わるもく

 

 

 

豊臣秀頼さんは、父が時の天下人であった秀吉さんで、母は淀さん(織田信長さんの妹・お市さんの娘である浅井三姉妹のひとり)というもの凄い血筋を引き継ぎながら、時代に翻弄される生涯となったもく

秀吉さんはあとを継ぐ実子に恵まれず、甥の秀次さんを後継者とするため養子に迎えていたのだけれど、そんな中で秀頼さんが生まれたので当然秀吉さんは大層喜び、それが影響したのかは諸説あるが、やがて秀次さんは粛清されて切腹となり、さらに秀頼さんの世継ぎのために様々な無理を強いたといわれているもく

加えて、秀頼さんが生まれた時には秀吉さんは既に高齢であり、出生については当時から様々な噂があったことも影響したのか、秀頼さんがまだ幼年時に秀吉さんが亡くなると、政争に巻き込まれていくことになるもく

東西両軍とも秀頼さんのためにという大義名分であった関ヶ原の戦いであったが、その戦後処理から雲行きが怪しくなり、徳川家康さんによる天下を狙う動きが次第に顕著になってくると、豊臣家と徳川家は決裂し大坂の陣へと突入したもく

戦いに敗れて豊臣家滅亡の暗君とも評されるが、大坂方に集まった武将も少なくなかったことから器量申し分なく、家康さんに若年のうちに何とかしておかないとと思わせる程の才覚を有したのではと評する見方もあるみたいもく

また、母とともに炎上する大坂城にて自害したとされるが、死体がはっきりしないことから多種多様な生存説も伝わっているもく

 

 

 

築城名人であることと、何度も主君を変えて出世していったことで知られる藤堂高虎さんは、近江の小領主の家に生まれたが暮らしは豊かではなく、そこから己の実力で立身した傑物もく

はじめ浅井長政さんに足軽として仕え姉川の戦いなどで功を挙げたが、浅井家滅亡により浅井家旧臣や織田信長さんの甥・信澄さんのもとを転々とすることになり、いずれも長続きはしなかったもく

転機となったのが羽柴秀吉さんの弟である秀長さんとの出会いで、ここでは相性が良かったのか、数々の合戦で活躍するとそれに見合う正当な評価により出世を重ねることに成功、高虎さん自身も主君をとても信頼していたようで秀長さんとそのあとを継いだ秀保さんの二人が亡くなると出家して隠棲するほどであったもく

秀吉さんが才を惜しんだことで還俗すると、伊予七万石を与えられて豊臣政権下で活躍し、秀吉さんが亡くなると今度は徳川家康さんに仕えたもく

徳川配下の中には、主君を何度も変え、大坂の陣においては恩義ある豊臣方を敵に回して戦うような高虎さんを良く思わなかった者も少なくなかったが、そんな声を跳ね返すほどの活躍ぶりで家康さんから信任を得て外様筆頭の立場に至ったもく

不忠と評されることも多いが、裏切りなどで主君を変えたことはなく、秀長さん時代の働きぶりや、家康さんに仕えた後に生涯徳川家のために尽力した姿こそが本来のものとして、忠臣だと評する声もあるもく

 

 

 

四国の覇者である元親さんの子として生まれた長宗我部盛親さんは、四男でありながらその後継者となった人物もく

物心がついた頃には、秀吉さんの四国征伐によって長宗我部家は豊臣家の配下となっていて、従軍した九州征伐の際に、本来の後継者であり将来を期待された長兄の信親さんが戦死、残る二人の兄も他家の養子となっていたため、元親さんの強い後押しもあり家督を相続したもく

しばらくは父との二元体制であったが、父の死、秀吉さんの死が立て続けに重なり、間もなく起こった関ヶ原の戦いでは西軍につくことを選択するも、これが裏目になってしまうもく

若年による経験不足もあってか、本戦に参加したが何もできないうちに西軍が敗北し長宗我部家も改易されると、盛親さんはそこから長い浪人生活を送ることになるもく

寺子屋の教師をやってなんとか暮らしていたような時代もあるといわれるが、不屈の精神で堪え忍び復興の機会を待つこと10年、ついにその時は訪れるもく

関係が悪化する豊臣家と徳川家の戦いに旧臣とともに豊臣方としての参加を決意し、大坂の陣では「五人衆」に数えられる主力部隊を率いて奮戦、豊臣方の敗北が濃厚となる中でも最期まで再興の道を探ったもく

 

 

 

小早川秀秋さんは、関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返り大局を決定づけたことで広く知られているもく

豊臣秀吉さんの正室・ねねさんの兄の子であり、実子がいなかった秀吉さんの養子に迎えられて後継者のひとりとして育てられていたが、秀頼さんが生まれたことで状況が一変、実子を優先するために遠ざけられたとも取れる形で、毛利家の重臣で後継ぎがいなかった小早川隆景さんのもとへ養子に出されたもく

そして同じく秀吉さんの養子で、継承順では自身より上に位置する秀長さんが、秀頼さん誕生後に不可解な粛正にて切腹させられると、秀秋さんも嫌疑により十万石を没収されてしまうもく

さらに慶長の役から帰国した際には、秀吉さんから理不尽な減転封命令が出されて、多くの家臣の解雇が必要となり、長年の補佐役とも離れることになってしまったもく

この減転封命令には石田三成さんが関わる部分もあってそれをキーとする見方もあるみたいもく

秀吉さんが亡くなると、一連の扱いをひどく思ったのかあるいは他に思惑があったのか、徳川家康さんは秀秋さんを旧領復帰させたもく

天下分け目の戦いでは東西両軍から加増と、西軍からは秀頼さんが成人するまでの間の関白の地位を約束されたそうだけれど、秀秋さんはなぜ東軍を選んだのか?そこには様々な人間模様が見え隠れしているもく

 

 

 

黒田長政さんは、黒田官兵衛(如水)さんの嫡男で、父子ともに英傑達の天下取りに貢献したもく

官兵衛さんが織田信長さんの配下になり、その証として幼少の長政さんが織田軍の羽柴秀吉さんのもとに人質に出されたが、当時実子がいなかった秀吉さんには、同じく子飼いの武将として後の豊臣政権を支えた福島正則さんや加藤清正さんらとともにとてもかわいがられたもく

本能寺の変と前後し、官兵衛さんが秀吉さんの軍師として天下統一事業で力を発揮していくと、自身も初陣を飾って父に従い転戦し名をあげていったもく

家督を継ぐと豊臣政権の七将に烈し、文禄・慶長の役に参戦したが、この時に石田三成さんら文治派との確執が表面下し、秀吉さんの死により発生した政争では徳川家康さんに従ったもく

関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋さんや諸将の寝返り交渉をする役目を務め、戦場でも石田三成さんを支えた猛将・島左近さんを討ち取るなど、一番の功労者として筑前五十ニ万石を与えられ、福岡藩初代藩主を任されることになったもく

一説には、官兵衛さんが関ヶ原の混乱に乗じて九州から天下を狙ったが、長政さんの大活躍でまさかの一日で終戦となったため目論見が外れてしまい、これを切り取って偉大な父を子が超えたという見方もあるらしいもく

 

 

 

尚寧王さんは、琉球王国第二尚氏王統・七代目の国王もく

琉球王国沖縄本島を中心にその周辺諸島からなり、1429年に尚巴志さんによる三山統一によって成立した独立国家で、朝貢関係の明や室町幕府、朝鮮など周辺諸国との交易で栄えたが、尚寧王さんの時代になると情勢が複雑化したもく

当時、東アジアでは西洋の交易圏侵入が始まっており、加えて、琉球王国に対しては天下統一を成し国外に目を向け始めた豊臣秀吉さんから朝鮮出兵についてほぼ恫喝に等しい協力要請が出されるなど、難しい舵取りを迫られたもく

徳川の時代になっても明との交易の道を模索する幕府からの協力要請が出されたが、これらをかわし続けるも、ついに1609年には家康さんの許しを得た薩摩藩の島津家の侵攻が始まり降伏したもく

薩摩へと連行され約2年帰ることができなかったが、国王としての威厳を保ち、その間には江戸にものぼり、道中の駿府で謁見した家康さんからも異国の王として迎え入れられたもく

琉球に戻ると、日本と明の両属という立ち位置で独特の文化を発展させていったもく

 

 

 

【天】武将カードとして初登場の 5 名を含めて

それぞれどんな活躍をしてくれるのか楽しみもくね (〃^ε ^〃)どきどき

 

なお

上杉景勝【 天 】 毛利輝元【 天 】  については取引出品・譲与不可とのこともく

 

 

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今回の【天】武将カード追加時に下記の【天】武将カードは一部くじより排出停止とのこともく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】8 月の追加武将一覧

((((●´ε`●)ノ こんちゃっす のろしもく

戦国IXAでは 今月もニューフェイスが登場し

夏真っ盛りの8月をさらにアツくするもく

 

  8 月 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 蜂須賀家政さん 石川数正さん 由布雪下さん 荒木だしさん

【 特 】 馬場頼周さん 柴田勝豊さん 溝口秀勝さん

【 上 】 金子元宅さん 

【 序 】 千葉直重さん

以上の 9 名と

 

 

【 天 】 鍋島直茂さん 佐竹義宣さん 直江兼続さん 山本勘助さん

 

以上の 4 名が  

「 戦国IXA 千万の覇者 弐 」コラボ天武将カードとして登場するとのこともく

 

▼ ▼「 戦国IXA 千万の覇者 弐 」コラボイベント特設ページ

https://sengokuixa.jp/chiyorozu2021/

 

 

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由布雪下【 極 】、荒木だし【 極 】 は 取引不可 で

2021年11月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

鍋島直茂【 天 】、佐竹義宣【 天 】、直江兼続【 天 】、山本勘助【 天 】 は 取引不可 で

2021年10月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく 

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蜂須賀家政さんの父である蜂須賀小六さんは、早い時期から豊臣秀吉さんの片腕として活躍し、秀吉さんの日本史上稀に見る立身出世を助けたといわれているもく

そして小六さんの嫡男家政さんもまた、天下統一へと突き進む秀吉さんのもとで数々の武功を挙げ、四国平定ののちには阿波一国を与えられたもく

その後も九州征伐小田原征伐文禄・慶長の役などで武功を挙げた家政さんだったけれど、秀吉さんの没後は徳川家康さんに接近し、関ヶ原の戦い大坂の陣では嫡男の蜂須賀至鎮さんが徳川方として奮戦したもく

大坂の陣での戦功により淡路一国を加増された蜂須賀家は、阿波国とあわせて二ヶ国を領する大大名として明治維新まで存続したもく

長生した家政さんは、御伽衆として第三代将軍徳川家光さんに戦の話をするなど、晩年は戦国の時代を知る大長老といった感があったようで、同じく家光さんの時代まで生きた伊達政宗さんから「阿波の古狸」と評されたという逸話がのこっているもく

 

 

代々松平家に仕えた石川家は、「安祥譜代」と呼ばれる松平家(徳川家)最古参の家臣のひとつに数えられ、石川数正さんは幼少期の徳川家康さんが今川家の人質になった際にも随行して仕えたもく

武骨者が多いとされる三河武士のなかで、外交や内政の才にも長けた数正さんは、酒井忠次さんとともに家康さんの老臣として活躍したもく

しかし、家康さんと羽柴秀吉さんのあいだで小牧・長久手の戦いがおこなわれ、その和睦が成立した翌年、数正さんは突如として徳川家を出奔し、秀吉さんの家臣となったもく

結束の固さや忠誠心の強さで知られる徳川家臣団の最古参のひとりである数正さんの出奔は、徳川家に大きな動揺を与えたといわれているけれど、その出奔の理由については、諸説あるものの確かなことはわかっていないもく

 

 

由布惟信の名でも知られる由布雪下さんは、立花四天王の筆頭とされ、立花道雪さんが率いる立花家の副将格として活躍し、戦場におもむくこと六十五回、傷を負うこと六十五ヶ所、感状を賜ること七十通と伝わる猛将もく

由布家はもともと大友家の家臣だったけれど、道雪さんに惚れ込んだ雪下さんは家督を弟にゆずり、その生涯を立花家に捧げたといわれており、「雪下」という号も道雪さんを慕ってつけたものと推測されるもく

道雪さんは孫子兵法の「奇正相生」を引用して、雪下さんを正将、小野鎮幸さんを奇将に任じ、立花双翼と称された両将は、道雪さんの没後も豊臣秀吉さんの九州征伐などで活躍し、立花家を筑後柳川十三万石の大名へと押し上げたもく

その後、立花家は関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易されてしまったけれど、雪下さんは浪人となった主君立花宗茂さんに付き従ったもく

のちに宗茂さんは許されて奥州棚倉の地に封じられ、雪下さんは無事に立花家の再興を見届けることができたもく

 

 

荒木村重さんの妻である荒木だしさんは、出自などについて不明なことが多いけれど、その容姿については「今楊貴妃」と評されるほどの美女であったと伝わっているもく

織田信長さんに仕えて武功を重ね、織田家でも有数の武将となった村重さんは、突如信長さんに反旗を翻し、居城である有岡城にこもって徹底抗戦したのち、妻子をのこして尼崎城に移ったもく

信長さんは村重さんに、尼崎城を明け渡せば有岡城の妻子や兵の命を助けるという条件を提示したものの、村重さんはこれを受け入れず、尼崎城から出奔してしまったもく

村重さんに見捨てられた恰好となっただしさんら荒木一族は、信長さんの命令により、京の六条河原で処刑されてしまったもく

 

 

九州の名門少弐家の一門であり重臣である馬場家に生まれた馬場頼周さんは、大内家の侵攻によって衰えゆく主家を懸命に支え、龍造寺家兼さんらとともに少弐家の再興に尽力したもく

頼周さんら家臣団の働きによって少弐家は再興を果たしたけれど、次第に龍造寺家が主家を凌ぐほどの勢力へと成長し、宿敵である大内家と通じている気配もあったため、頼周さんは謀略をもって龍造寺一族の大半を誅殺し、龍造寺家の勢力を削いだもく

しかし、龍造寺一族の長老である家兼さんが老躯をおして挙兵すると、それに呼応する者もあらわれ、頼周さんは居城である綾部城へ帰還する途中、子の馬場政員さんとともに討ち取られてしまったもく

 

 

実子のなかった柴田勝家さんは、姉の子、すなわち甥である柴田勝豊さんを養子とし、みずからの居城である北ノ庄城の支城として新たに丸岡城を築いてその城主としたもく

本能寺の変のあと、近江長浜城が勝家さんの所領となり、その守備を任された勝豊さんだったけれど、羽柴秀吉さんの大軍に城を包囲されると、長浜城を明け渡して羽柴方に寝返ったもく

この寝返りは、勝家さんが同じ養子でありながら柴田勝政さんを優遇し、養子同士の対立があったことや、勝家さんの甥である佐久間盛政さんと勝豊さんが不仲であったことなどが、理由ではないかといわれているもく

 

 

溝口秀さんは、丹羽長秀さんや織田信長さんに仕えたのち、羽柴秀吉さんに従って加賀江沼郡に四万六千石を与えられ、のちに秀吉さんから偏諱を受けて、それまでの定勝という名から秀勝へと改名し、越後新発田城を与えられたもく

加賀から新発田へ移る際、不意に野武士集団の襲撃を受けて苦境に立たされた秀勝さんは、五十嵐新五郎さんという商人とその傭兵たちに窮地を救われたといわれているもく

それから数年後、今度は新五郎さんが堀秀治さんに捕縛されて牢に入れられるという窮地に陥ったもく

秀勝さんは、かつての恩に報いるべく秀治さんと交渉し、最終的には手勢をもって牢を囲むという挙に出て、新五郎さんを救ったと伝わっているもく

 

 

天正13年、四国の地は長宗我部元親さんによる平定も束の間、織田信長さん亡きあとの天下を目指し羽柴秀吉さんによる征伐が開始されたもく

徹底抗戦を決めた元親さんであったが、諸将の多くは平定のための四国内の戦いで疲弊しており、さらに秀吉軍の圧倒的な戦力を前に戦意を失っていく中で、唯一の玉砕戦となった天正の陣にて四国勢を率いたのが金子元宅さんもく

侵攻してきた三万の秀吉軍を僅か数千の軍勢で迎え撃ち、寺社も焼失するほどの総力戦の末死去した元宅さんらの気概を、大軍を率いた敵将の小早川隆景さんも称賛し丁重に弔ったと伝わるもく

元宅さんは長宗我部家の臣ではなく友好関係にある一国人にすぎず、最期に戦った小早川家とも交流を持っており、また、時流を読めて才覚ある武将でもあったそうなので、他に選択肢も考えられる中なぜ玉砕を選んだのか?色々と思いを巡らせてみるのも歴史の面白さかもしれないもく

 

 

千葉直重さんは北条氏政さんの子で、はじめ叔父の氏照さんの養子となっていたが、下総の千葉家当主であった邦胤さんが死去すると、家督を継ぐべき実子がまだ幼いという理由で、直重さんが婿養子として送りこまれたもく

千葉家は下総の守護大名平安時代から続く名門であるものの、戦国時代に入ると佐竹家や里見家など周辺の台頭勢力から侵攻を受けており、北条家の力を頼って何とか存続しているような状況であったが、直重さんが家督を継ぐことで実質北条家に実権を握られる形になったもく

そして、豊臣秀吉さんの小田原征伐の際には、北条家と運命をともにし名門の終焉を迎えると、直重さんは高野山に隠棲したのち秀吉さんに許され、以降は蜂須賀家政さんに仕え、子孫も代々蜂須賀家に仕えたと伝わるもく

 

 

 

鍋島直茂さんは、肥前龍造寺隆信さんの片腕として活躍した人物もく

隆信さんとは元々いとこの関係であったが、父と隆信さんの母が再婚したことから義兄弟の関係でもあったため、優秀な家臣というだけにはとどまらない信頼を得ており、大友家や有馬家らと続く戦いにおいて期待に違わぬ成果で応えたもく

隆信さんの晩年には、諫言も厭わぬ直茂さんは疎まれて距離を置かれたともいわれるが、隆信さんが島津家との戦いで戦死すると自身も自害しようとするなど直茂さんの主家への忠義は変わらず、天下人が移り変わる激動の時代に、優れた政治力で隆信さん亡き龍造寺家の舵を取り、豊臣秀吉さんからも徳川家康さんからもその能力を大いに認められたもく

一方で秀吉さんからは天下を取れる力はあるが覇気がないとも評されており、それは常に主家たる龍造寺家への配慮を忘れなかったことの裏付けとも考えられるもく

やがて周囲に推され独立すると龍造寺家の遺領を引き継いで佐賀藩の藩祖となったもく

 

 

父「鬼義重」さんの代で復活した名門の当主を継いだ佐竹義宣さんは、関東の覇権争いや常陸と奥州の国境争いに身を投じたもく

対立する伊達政宗さんとの戦いの最中、懇意であった豊臣秀吉さんから小田原征伐への出陣命令を受けると、戦いを中断し小田原へ散陣、戦勝に貢献した功により豊臣政権下において常陸や奥州の支配を認められ、秀吉さんの後ろ盾もあって周辺勢力を抑え込むと、豊臣政権の六大将に数えられて五十四万石を安堵されたもく

秀吉さんが亡くなると時代は天下分け目の戦いへと歩を進め、義宣さんは徳川家康さん率いる東軍に与する要請を受けていたが、恩義ある豊臣家、親交のあった上杉景勝さんや石田三成さんと敵対することを選らべず中立の立場のまま関ヶ原の戦い終結を迎えたもく

戦後、家康さんから律儀者と評されるも、ほぼ無傷の大兵力を恐れられたためか秋田に減転封されたが、転封先で新たな支配体制を確立し今日の秋田にも続く国づくりで挽回の機を待つと、徳川方として戦った大坂の陣では大活躍をして佐竹家の名誉を取り戻したもく

 

 

上杉景勝さんを生涯支えた文武両道の智将直江兼続さんは、幼少の頃に既にその片鱗があったのか、謙信さんの姉で景勝さんの母である綾御前さんに才を見込まれ、景勝さんの近習として取り立てられたもく

謙信さんの急死による家督争い御館の乱で景勝さん方に与した側近の直江信綱さんが戦後処理の中で殺害されると、跡取りのなかった直江家の存続を願った景勝さんにより兼続さんはその未亡人と結婚をして直江家を相続したもく

織田信長さん没後、上杉家は豊臣家と友好関係を築き、その政権下において有力大名になると会津百二十万石に加増転封され、秀吉さんから高く評価されていた兼続さんも出羽米沢に六万石の所領が与えられて、両方の土地で整備の陣頭指揮をとり優れた経営手腕を発揮したもく

秀吉さん没後は徳川家康さんの力が大きくなっていったが、その家康さんに対して兼続さんが送りつけ激怒させたことで有名な「直江状」は、関ヶ原の戦いの遠因にもなったといわれるけれど本当のところはわからないらしいもく

いずれにせよ関ヶ原の戦いの結果、敗軍となった上杉家はお家存続を許されたものの出羽米沢三十万石へ減封、兼続さんは変わらず上杉家のために尽力すると、そんな兼続さんに影響を受けた他家臣達も自ら上杉家を離れることはなかったと伝わるもく

 

 

山本勘助さんは武田家の伝説的軍師で、若くして武者修行で全国を巡り各地の大名に仕え武術や築城、兵法を学び、その中で忍術にも触れたともいわれる人物もく

30代後半になり今川義元さんに仕官を試みたが、勘助さんは隻眼で身体に不自由もあり、連れもなく異形であったため断られると、そこからさらに10年近い浪人生活を送ったもく

ようやく転機が訪れたのが、勘助さんの噂を聞きつけた若き武田信玄さんとの出会いで、信玄さんは勘助さんと話すとその知識や能力に確信を持ち、破格の待遇で召し抱えたもく

それに感激した勘助さんは、村上義清さんを前に窮地に陥った戦いを破軍建返しの策で逆転させるなど、優れた戦略で武田家に多くの勝利をもたらしたが、川中島の戦い上杉謙信さんに啄木鳥戦法を見抜かれて討ち死にしたもく

これは武田家の軍学や逸話を記した甲陽軍鑑により伝わる人物像なのだけど、他に甲陽軍鑑の影響を受けていない史料への登場はなく、甲陽軍鑑自体も武田家の英雄譚として後世で脚色が加えられている可能性などから信憑を問われる側面もあって、勘助さんは架空の人物というのが長らく定説だったみたいもく

しかし近年、勘助さんと思われる人物の存在を示す他の史料が発見されており、さらなる研究への期待が膨らむところもく

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

なお 武田信玄【 天 】、上杉謙信【 天 】、黒田如水【 天 】、竹中半兵衛【 天 】は

戦国IXA 千万の覇者 弐 」コラボイベントの「 さんま 」との交換アイテムにラインナップされるとのこと

詳細についてはイベント特設ページをご確認くださいもく

https://sengokuixa.jp/chiyorozu2021/

 

また

現在実施中の「秘境くじ【天戦】」「秘境くじ【天下】」では

ラインナップの変更はないとのこともく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】7 月の追加武将一覧

こんにちはー のろしもく(・з・)ノ

戦国IXAでは 夏本番を前に 

あつあつのニューフェイスのみなさんが登場もく

 

 7 月 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 吉川広家さん 加藤嘉明さん 井伊直政さん 後藤庄三郎さん

【 特 】 織田信行さん 足利氏姫さん 儀間真常さん

【 上 】 太田宗正さん 

【 序 】 長連龍さん

以上の 9 名

 

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井伊直政【 極 】、後藤庄三郎 【 極 】 は 取引不可で

2021年10月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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吉川広家さんは吉川元春さんの三男で、毛利元就さんを支えた三本の矢を継ぐ世代の中心人物として毛利家内で活躍した人物もく

幼少の頃はうつけと呼ばれ素行不良だったそうだが、父や兄の死により家督を相続後には、豊臣政権の下で戦功を重ねて秀吉さんからも厚遇されたもく

その功績による正当な結果ではあるものの、毛利家内では大きくなりすぎてしまった広家さんの所領について一時、問題視されるようになり、それが影響したのかはわからないが毛利家は一枚岩でない状態で関ヶ原の戦いを迎えることになると、西軍の総大将は主君の毛利輝元さんであるにも関わらず広家さんは徳川家と内通したもく

しかしこれは西軍に勝ち目がないと読んでの行動であり、結果、毛利家の動きをおさえ戦わせず、東軍も勝利し、戦後の減封処分はあったものの毛利家存続に成功、広家さんの主家への気持ちは生涯変わらないものであったもく

 

 

 

三河に生まれた加藤嘉明さんは、松平家に仕えていた父が三河一向一揆にて家康さんと対立し敗れたため放浪の幼少期を送り、父が羽柴秀吉さんに仕えることになったのを機に、自身も羽柴秀勝さんの小姓として見出されたもく

小姓でありながら無断で秀勝さんよりも先に初陣を飾ろうとするなど盛んな一面を秀吉さんからは気に入られて、賤ヶ岳七本槍のひとりに数えられる程の武将に成長していったもく

やがて水軍を任せられるようになると、豊臣家内の水軍頭領・九鬼嘉隆さんに次ぐ副将格としての地位を盤石にする活躍を重ねたが、秀吉さんの死去後は武断派のひとりとして徳川方に与し、石田三成さんの前に立ち塞がったもく

その後は、伊予松山藩陸奥会津藩の藩主を歴任し、松山城の築城や城下町整備でも力を発揮したもく

南蛮文化に強い興味があったそうで、日本に現存する唯一のレイピアといわれる「水口レイピア」に関わりがあるらしいもく…

 

 

 

徳川家康さんの天下取りを支えた重臣のひとりで、最大の功労者という評価もあるのが井伊直政さんもく

井伊家は元々今川家に仕えていたが、当主であった父・直親さんが今川氏真さんに謀殺されて、直政さんの命も狙われたため、お家断絶の危機に陥ったもく

まだ幼かった直政さんは再興の機を待つため出家、その間お家を守った女城主・直虎さんや母の働きかけにより家康さんに召し抱えられると、以降は恩義に報いるため自らを厳しく律して奮闘したもく

初陣から活躍し瞬く間に出世すると、武田家滅亡後の遺臣を配下に与えられて最強といわれた「武田の赤備え」を継承、鬼の角ような兜で先陣を切って勇猛に戦う姿から「井伊の赤鬼」と恐れられたもく

また、直政さんは交渉にも秀でたそうで、特に関ヶ原の戦いでは全国の諸大名を東軍に与するよう根回しするだけでなく、西軍に与する有力者の裏切りも成功させるなど勝敗に多大な影響を及ぼし、家康さんの天下を大いに後押ししたもく

 

 

 

後藤庄三郎さんは、江戸幕府から金貨鋳造を独占的に請け負った組織の長・御金改役の名で、世襲制により代々受け継がれたもく

初代の庄三郎さんは、室町幕府以来の御用金匠で京都の三長者に数えられた後藤家の職人のひとりであったが、五代当主の後藤徳乗さんに才能を認められ、その代理として徳川家康さんに謁見することになったもく

家康さんは全国共通の貨幣流通を目的とした一両小判の鋳造を構想していたため、庄三郎さんはその命を受け金貨鋳造に携わるようになって、後藤の名を使用することも許可されたもく

そして江戸時代初期の貨幣で家康さんの天下統一の象徴ともいえる慶長小判が発行されると、庄三郎さんは鋳造された金貨の検定を行う職の長となり、金貨は後藤家の極印を打たれて初めて貨幣としての価値を認められたもく

 

 

 

織田信行さんは信長さんと父母を同じくする弟で、幼少の頃については確かなことはわかっていないようだが、父・信秀さんが体調を崩すようになると、その仕事を引き継ぐ者として表舞台に登場したもく

その頃兄・信長さんは、信秀さんから後継者の期待を受け那古野城を譲られ、父との二元体制で領国支配を行う立場であったため、以降は兄弟でその役割を担っていくことになったもく

うつけと呼ばれた兄とは違い礼儀正しく、信秀さんとともに末森城に住み、母・土田御前さんからも愛されていたことなどから当主を継ぐのは信行さんという声は大きく、それに影響されたのか、はたまた元々の野心なのかは不明だが、父の死を機に信行さんは自分こそが当主であるという振る舞いを見せるようになっていくもく

兄弟は次第に不穏な関係となり、商業権益の争いに端を発し、ついに稲生の戦いにて両者が激突したが信行さんは敗れ、母の取りなしにより助命されたものの、その後も謀反を企てたため反対に信長さんに謀殺されてしまったもくぅ

敵対で終わるもやはり兄弟ということなのか、どちらも鷹狩りを好んだそうで、信行さんはモズも使った独特の手法を用いたらしいもく

 

 

 

室町幕府が関東統治のために設置した鎌倉府において副将軍的な役割を担ったのが鎌倉公方で、関東での戦国時代の幕開けといわれる享徳の乱を機に古河に本拠を移し、古河公方となってからの五代目が足利義氏さんもく

その娘に生まれた足利氏姫さんは、義氏さんが亡くなり、弟も早逝し他に相応しい男児もいなかったので実質六代目となったが、父の代には既に関東では北条家の力が絶大で、氏姫さんの母も北条氏康さんの娘であるなど、副将軍とは名ばかりの傀儡となっていたもく

北条家が小田原征伐によって豊臣家に滅ぼされると、氏姫さんは、関東統治のための利用価値あるいは名家の血を絶やすのを惜しんだと考えられる秀吉さんにより、古河公方の館・鴻巣御所周辺300石ほどを与えられ生かされたもく

そして秀吉さんの命で、祖父の代より分裂、対立していた庶流・小弓公方の足利国朝さんと結婚、これにより関東の足利家は統一されて、後の江戸時代においてはその血筋から例外づくしの特殊な大名格にもなる喜連川家が誕生したのだが、氏姫さんは鎌倉公方から連なる嫡流の意地を通して生涯鴻巣御所に住み続けたそうもく

 

 

 

琉球五偉人に数えられ、琉球産業の恩人と称えられる人物が儀間真常さんもく

豊臣家から徳川家に覇権が移り変わろうかという頃、琉球王国では度重なる台風被害や日照りによって食糧不足が続いていたもく

真常さんは首里城の役人を務め、学者、研究者として表舞台に登場すると、中国から得られたイモが厳しい環境下でもよく育つということに目を付け、琉球各地に広めて食糧不足を救ったもく

諸説あるが、そのイモはやがて薩摩にまで伝わると、これがサツマイモと呼ばれるようになり、さらに歴史が進んだ江戸時代中頃には各地に広まり、ここでも多くの食料不足を救ったもく

真常さんは他にも、サトウキビからの黒とうづくりを一代産業に発展させるなど、現在の沖縄にも続く大きな足跡を数多く遺したもく

 

 

 

戦国時代の紀州では、中央集権に従わない地侍や寺社勢力がいくつも存在しており、孫一さんで知られる鉄砲集団雑賀衆もそのひとつだったもく

雑賀衆自体も五つの地域から構成されていたため派閥のようなものがあって、内陸部の一派を率いたのが太田宗正さんもく

天下人にとってこの紀州を野放しにすることは出来ず、大きく分けると織田信長さんと豊臣秀吉さんの各時代を合わせて二度、紀州攻めが行われており、宗正さんは、信長さんに対しては孫一さん一派らが戦っていたものの加担する立場を取り、秀吉さんに対しては徹底抗戦を選んだもく

太田城に籠城しゲリラ戦法で大いに秀吉軍を苦しめたが、備中高松城攻めでも知られるような強力な水攻めを一か月近く受けた後、最期は自身の命と引き換えに城中の子女の助命を願い開城したそうもく

 

 

 

長連龍さんは能登の名門・畠山家の重臣であった続連さんの子に生まれ、嫡男ではなかったため臨済宗の僧になっていたのだけれど、孝恩寺と名乗り父に従って戦場にも出ていたもく

畠山家内の権力争いを制し続連さんが実権を握った頃、能登の西では織田信長さん、東では上杉謙信さんが勢力を拡大しており、謙信さんは能登への侵攻を開始すると、続連さんと畠山家内の権力を争った遊佐家、温井家を懐柔し、長一族ほぼ全てを謀殺したもく

連龍さんは織田家に救援要請に出ており難を逃れたが、親兄弟を殺された怒りにより復讐の鬼と化すと、信長さんに仕え実直に功を重ねてその機会を待ち、謙信さんの死や前田利家さんらの力もあってついには遊佐家、温井家の滅亡にこぎ着けたもく

そして、その後は利家さんの与力となって活躍し前田家の重臣にまで至ったもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

なお 6月23日(水)から期間限定で登場中の 
「戦国くじ【夏】」のラインナップについては メンテナンス前後で変更はないとのこともく

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n60deed0d47c1c

 

 

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【戦国IXA】6 月の追加武将一覧

こんにちはのろしもく ヽ(*^ε^*)

 

はやいものであと3週間ほどで

2021年も半分がおわるのねもく (●´ε`●) シミジミ

 

月日の流れのはやさを感じる今日このごろ 戦国IXA では

 

  6 月追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 山県昌景さん 奥村永福さん 斎藤朝信さん 綾御前さん

【 特 】 根津昌綱さん 乾正信さん 戸田勝成さん

【 上 】 久武親信さん 

【 序 】 具志頭朝盛さん

以上の 9 名と

 

さらに…!!

 

 

「 戦国IXA 千万の覇者 弐 」とのコラボイベント開催

 

【 天 】 武田信玄さん 上杉謙信さん 黒田如水さん 竹中半兵衛さん

 

以上の 4 名が  

コラボ天武将カードとして登場するとのこともく

 

▼ イベントの詳細はこちら  

https://sengokuixa.jp/chiyorozu2021/

 

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斎藤朝信【 極 】、綾御前【 極 】 は 取引不可 で

2021年9月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

武田信玄【 天 】、上杉謙信【 天 】、黒田如水【 天 】、竹中半兵衛【 天 】 は 取引不可 で

詳細については、イベント特設ページをご確認くださいもく

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飯富虎昌さんの弟、あるいは甥であるとされる山県昌景さんは、猛者ぞろいの武田家中でも屈指の猛将で、武田二十四将武田四天王のひとりに数えられているもく

武田信玄さんの嫡男である武田義信さんらが謀反を企てた際、昌景さんは同族である虎昌さんが加担していることを知ったうえで、そのことを信玄さんに知らせたもく

謀反の首謀者として虎昌さんが処刑されると、虎昌さんが率いていた「赤備え」を昌景さんが継承し、武田家の重鎮となっていったもく

敵方を震えあがらせる赤備えを率い、他家にもひろく名を知られた昌景さんだったけれど、信玄さんの没後、武田勝頼さんとの折り合いはよくなかったようで、長篠の戦いでは撤退を進言したものの聞き入れられず織田軍との決戦となり、奮闘むなしく昌景さんは戦死してしまったもく

 

 

 

奥村家は代々前田家に仕えた家系で、通称である助右衛門の名でも知られる奥村永福さんも、はじめ前田利家さんの父である利春さんなどに仕え、一度浪人したのちまた前田家に復帰し、越前国の朝倉攻めなどで活躍したもく

利家さんからの信頼を得て、加賀国能登国をつなぐ要所である末森城を与えられた永福さんは、佐々成政さんの軍に城を攻められた際、二の丸まで落とされるほどの猛攻を受けたものの、援軍が到着するまで寡兵で城を守り抜いたもく

その後も永福さんは前田家で重きをなし、その家系は奥村本家と分家の二家までもが、加賀八家とよばれる一万石以上の重臣となったもく

 

 

 

斎藤朝信さんは上杉謙信さんに仕えた武将で、武勇の誉れ高く「越後の鍾馗」という異名をとったもく

鍾馗というのは中国の道教の神様で、日本では病除けや魔除け、さらには学業成就に効があるとされているんだってもく

また、朝信さんは釈迦十大弟子のひとりで才知に長けた富楼那になぞらえ「富楼那の斎藤」とも呼ばれ、謙信さんの使者として武田信玄さんと対面した際、信玄さんからのいじわるな質問に堂々たる受けこたえをし、信玄さんを感心させたといわれているもく

武勇だけでなく内政や外交、さらには弁舌の能力にも長けた、多才な人物だったみたいもくね

 

 

 

仙桃院の名でも知られる綾御前さんは、上杉謙信さんの姉で、上杉景勝さんの生母もく

長尾政景さんのもとへ正室として嫁ぎ二男二女をもうけ、夫の死後は謙信さんの居城である春日山城に移り住んだもく

謙信さんの死後、家督をめぐるお家騒動の末に景勝さんが上杉家の当主となると、謙信さんの姉であり景勝さんの母でもある綾御前さんは、上杉家中で影響力をもつ存在となり、上杉家の発展や存続におおきな役割を果たしたといわれているもく

また、早い時期に直江兼続さんの能力の高さを見抜き、景勝さんの近習として推挙したという逸話ものこっているもく

 

 

 

根津家は信濃国滋野三氏と呼ばれる家のひとつで、根津昌綱さんは叔父の根津政直さんから家督を継ぐと、徳川家、北条家、上杉家などのあいだで主君を変えながら、生き残りと領土拡大をはかったもく

信濃の真田家とは同族であったようだけど、昌綱さんと真田昌幸さんの代で異なる主君に従うことなり、両家のあいだに不和が生じたみたいもく

のちに上杉景勝さんの説得により、昌綱さんは昌幸さんに臣従することとなり、上田城の戦いの際には、徳川軍が攻め寄せるなか、昌幸さんと昌綱さんがのんびりと囲碁をしていたという逸話がのこっているもく

 

 

 

乾正信さんは、武田二十四将のひとりである板垣信方さんの孫にあたる人物だけれど、父の板垣信憲さんが主君武田信玄さんの勘気をこうむり武田家を追放されたため、不遇の幼少期を過ごすこととなったもく

武田家の滅亡後、正信さんは武田家旧臣の浪人らとともに小田原征伐で豊臣方として奮戦し、山内一豊さんに召し抱えられ、乾家は山内家の家臣として幕末までつづいたもく 

正信さんを「御調法ノ侍」と表現している資料も残されていて、一豊さんから強い信頼を得ていたことがうかがえるもく

また幕末には、のちに明治維新の元勲で自由民権運動の主導者となる板垣退助さんが、乾家の当主となっているもく
 

 

 

織田信長さんから朱旄を許された「卅六飛将」に名を連ねる戸田勝成さんは、はじめ丹羽長秀さんに仕え、のちに豊臣秀吉さんの家臣となり、越前安居城主として一万石を領したもく

秀吉さんの没後、加増されて二万石を領した勝成さんは、関ヶ原の戦い石田三成さんに与し、本戦においては平塚為広さんらと共に大谷吉継さんの隊に属して、小早川秀秋さんらの軍との激闘の末に討死したもく

東軍諸将にも勝成さんと親交のある者が多かったので、勝成さんの死には多くの武将が涙したと伝わっているもく

 

 

 

武家は代々長宗我部家の家老として主家を支えてきた家柄で、久武親信さんの代の主君は長宗我部元親さんだったもく

元親さんといえば、土佐の豪族から四国の覇者にまでのぼりつめた英雄的人物として有名だけれど、親信さんはその元親さんから伊予攻略の総指揮権を持つ伊予軍代に任じられており、その能力の高さと元親さんからの信頼の厚さがうかがえるもく

しかし親信さんは、その伊予を完全に制圧するまえに、戦上手の土居清良さんの奇略にあって討ち死にしてしまったもく

 

 

 

具志頭朝盛さんは、琉球王国第二尚氏王統の摂政として、兄である尚寧王さんを支えた人物もく

薩摩藩島津家が琉球王国に侵攻し、圧倒的な武力差の前に降伏を余儀なくされ、尚寧王さんが薩摩へ連行された際にも、朝盛さんは尚寧王さんに随行したもく

その後さらに江戸へ連行されることとなった尚寧王さんにも付き従った朝盛さんは、駿府徳川家康さんに謁見したのちに発病して、まもなく他界してしまったもく

家康さんはその死をあわれみ、手厚い葬礼をおこなったと伝わっているもく

 

 

 

諸大名から「甲斐の虎」と畏怖された甲斐武田家十九代当主武田信玄さんは、戦国時代を代表する名将のひとりといえるもく

上杉謙信さんとのあいだで長年にわたって幾度も繰り返された川中島の戦いはあまりにも有名で、後世ではふたりの関係性に、一般的な敵対関係以上のなにかを感じるひとも多いみたいもく

信玄さんが率いた武田騎馬軍団は戦国最強といわれ、「風林火山」の旗印や「赤備え」は対峙する敵兵を震えあがらせたといわれるもく

 

 

 

「越後の龍」の異名を持つ上杉謙信さんは、その圧倒的な戦績から「軍神」とおそれられ、戦国時代でも屈指の戦上手だったとされるもく

武田信玄さんをはじめとする数多くの戦国大名や武将らと合戦を繰り広げたことから、合戦好きの印象をもたれることもあるけれど、助けを求められそれに応じるかたちでおこなった合戦も多く、私利私欲にこだわらない「義の武将」という印象も後世に与えているもく

旗印にも「毘」の文字をつかうほど毘沙門天をあつく信仰し、自らを毘沙門天の生まれ変わりであると信じていたともいわれているもく

 

 

 

黒田官兵衛の名でも知られる黒田如水さんは、竹中半兵衛さんとともに豊臣秀吉さんの天下統一をささえた軍師で、戦国時代屈指の智将といわれているもく

攻城戦でたびたび優れた戦法を献策したといわれる如水さんは、築城の名人としても知られており、だからこそ籠城側の泣き所を見抜くことに長けていたのかもしれないもくね

関ヶ原の戦いの際には、混乱に乗じて九州から天下を狙った気配もあり、秀吉さんが如水さんの才知を高く評価する一方でその智謀の高さをおそれていたという逸話があるのも、納得できる気がするもくね

 

 

 

のちに天下人となる羽柴秀吉さんの軍師として活躍した竹中半兵衛さんは、おなじく秀吉さんの軍師である黒田官兵衛さんとともに「両兵衛」と称されたもく

半兵衛さんは「今孔明」と称されるほど権謀術数に優れた智将だったといわれ、美濃斎藤家の家臣時代には、わずかな兵で主君斎藤龍興の居城である稲葉山城を乗っ取ったという逸話や、美濃に侵攻してきた織田軍を「十面埋伏陣」という独特の戦法で撃退したという話が伝わっているもく

秀吉さんがまだ織田家の武将であるときに享年三十六で病没した半兵衛さんだったけれど、秀吉さんが天下人になれたことに少なからぬ影響を与えたといわれているもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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