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【戦国IXA】2023 年 12 月の追加武将一覧

も~~ い~~くつ寝~~~る~~~と~~~~~

 ・・・・って あああああああっっっ!!!!

はやいっ はやすぎるもくぅぅぅ (。>ε<。 ))

 

この前まで半袖でも平気だったような気もするんだけど

もう今年最後の月もくかぁ (;゚з゚)

こんにちは 1年があっという間で戸惑い中の のろしもく

 

 

 

さて 戦国IXAでは

 

 12月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 今川氏真さん 津軽為信さん 陶晴賢さん 京極マリアさん

【 特 】 伊奈忠次さん 尼子義久さん 大村純忠さん

【 上 】 土屋昌続さん 

【 序 】 山崎長徳さん

以上の 9 名

 

 

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陶晴賢【 極 】、京極マリア【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2024年3月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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今川氏真 さんは、今川家の最盛期を築き上げた父の義元さんから当主を引き継いだもく

引き継いだ時期については諸説あるものの、義元さんが織田信長さんに討たれたあの桶狭間の戦い前後と考えられており、家督相続から僅かな期間で戦国大名としての今川家の終焉を招くことになるもく

そのため長年暗愚と評価されてきたけれど、近年の研究では、父だけではなく家内の重臣の多くも戦死した桶狭間の戦い後という苦しい状況やその中でも抗おうとした姿勢などを考慮すれば、暗愚だとは必ずしも言い切れないという評価もあるみたいもく

一方で不変の評価とされているのが文化人としての一面で、後半生は京にて和歌や連歌、蹴鞠などを極めて公家をはじめとする文化人と交流を深めており、その縁により江戸時代の今川家の子孫達は代々朝廷や公家の交渉役を務めることになるなど、平和な時代においてはしっかりと次世代にバトンをつなぐことに成功しているもく

 

 

 

津軽為信 さんは、出自ははっきりとはしていないものの、南部家の一支族ではないかという立場から、一代で大名に成り上がった梟雄もく

為信さんが台頭した時代には、南部家が晴政さんの力で急成長して、現在の青森県下北半島から秋田県東北部、岩手県中北部までの広範囲を支配する勢力を誇っていたもく

南部家に内乱が発生すると、その機に乗じて為信さんは主であった石川家を急襲し津軽地方の支配を掠め取ったもく

この動きについては晴政さんが南部家内乱における対立相手の石川家弱体のために仕向けた、あるいは為信さん自身の野心によるものなど様々な理由が考えられているもく

その後も晴政さん死去により南部家は後継者争いに揺れるけれど、為信さんはそれを尻目に謀略を駆使して勢力を拡大して、津軽統一と南部家からの独立を果たしたもく

中央の動きにも鋭敏に反応して豊臣秀吉さんに接近することで奥州仕置きを乗り切り、徳川の時代まで生き抜いて津軽藩の開祖として藩の基礎を作ったもく

 

 

 

戦国時代初期の中国地方は大内家と尼子家の二大国が支配しており、陶家は大内家の重臣として代々活躍してきた家柄だったもく

陶晴賢 さんは、はじめ大内家当主の義隆さんに寵童として重用され、次第に武人として頭角を現していき「西国無双の侍大将」と呼ばれるほどに成長したもく

当時まだ二大国に翻弄される一国人にすぎなかった毛利家が尼子家に攻められると、晴賢さんは毛利家の援軍として出陣した大内家の総大将を務めて尼子家を撃破し、その勢いで尼子家の本拠地に攻め込むも、これには大敗してしまうもく

この大内家の大敗を境に義隆さんは戦への興味を失い文治派の家臣を重用するようになっていくと、武断派の晴賢さんとの関係もぎくしゃくし、納得できない晴賢さんは謀反を起こし義隆さんを討ち取って大内家の実権を握ることになるもく

ところがそれも束の間、今度は晴賢さんが成り上がり著しい毛利家に討たれて、中国地方の勢力図は目まぐるしく塗り替えられていったもく

 

 

 

京極マリア さんは、近江の浅井家に生まれた女性で、弟に三代当主の長政さんがいるもく

古くから北近江を支配し浅井家の主筋でもあった京極家の高吉さんのもとに嫁いだけれど、弟率いる浅井家の下剋上によって争いが起こり、北近江を追われてしまうもく

その後、織田信長さんが浅井家を滅ぼしたが、京極家は織田方に与していたためマリアさんもお咎めなしとなり、信長さんが開いた安土城城下にてキリスト教に出会うと夫婦で洗礼を受けたもく

夫とは洗礼後すぐに死別してしまったけれど、マリアさんは敬虔なキリシタンとなり、キリスト教への風当たりが次第に強くなっていく時代変化の中でも熱心に布教活動に励んだそうもく

また、二男三女の子供たちも、豊臣秀吉さんの側室になった竜子さんを除く四人が洗礼受けたといわれており、そのうちのひとりである高次さんは浅井三姉妹の初さんを正室に迎え、若狭国主になったことでもよく知られているもく

 

 

 

伊奈忠次 さんは、徳川家康さんの下から何度か出奔していたのだけど、本能寺の変が起こった際に居合わせた堺から家康さんを脱出させることに貢献して、再び帰参を許されたもく

そして、検地や街道整備などの代官であった小栗吉忠さんの同心として働き、吉忠さんの役割を引き継ぐ形で代官衆の筆頭になり、三河遠江駿河の住民達の生活や徳川家財政の安定のために汗を流したもく

家康さんが関東に移封されると、関東地方の領国支配を担当した四名の「関東代官頭」のひとりとして江戸の都市計画に携わっていったもく

新田開発、河川改修、宿場整備といった多方面で活躍し、武士や町民、農民に対してまで分け隔てなく様々な技術を伝承したことなどもあって、領民からも大層慕われたと伝わるもく

 

 

 

時の中国地方は大国大内家が散り、もう一方の大国尼子家に新興勢力の毛利家が肩を並べるなど戦乱真っ只中の頃だったもく

尼子家と毛利家の間では石見銀山の争奪戦が繰り広げられていたのだけど、その最中に尼子家最大版図を築き上げた晴久さんが急死してしまい、尼子義久 さんが家督を継いだもく

突然のことに尼子家内部も大変な混乱状況となり、いきなりの難局を強いられた義久さんは石見銀山については和平の道を探り、一方で九州の大国大友家と結んで周囲へけん制の動きを見せるなど、立て直しに奮闘したもく

しかし、敵は飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進し後世では戦国一の智将とまで評される毛利元就さん、逆にそれらの動きを巧みに利用されてしまい尼子家は孤立してしまうもく

もう手段は残っていないと判断して義久さんが降伏の道を選んだため、戦国大名としての尼子家は滅亡を迎えたけれど、毛利家の配下に入る形で尼子家の名は後世にも残っていくことになるもく

 

 

 

肥前の有馬家の次男に生まれた 大村純忠 さんは、母方の大村家の養子になって家督を継いだもく

同じ頃、肥後の平戸に初めてポルトガル船が渡航して南蛮貿易が始まったのだけど、平戸の領主松浦家とポルトガル人の間に不和が生じたので、南蛮貿易のための新しい港が求められていたもく

ポルトガル人の要望に応えたのが純忠さんで、自領内の横瀬浦、福田、そして長崎を港として提供すると、長崎は南蛮貿易の拠点として急速に発展していったもく

港誘致については、大村家が周囲を敵対勢力に囲まれていたので南蛮貿易による利益や軍事力の獲得を目的としたものと考えられており、結びつきを強化するために純忠さんはキリスト教も受け入れて、自身も日本初のキリシタン大名になったもく

次第に信仰深くなっていくと、領民に対してもキリスト教への改宗をすすめるようになり、六万人をキリシタンに改宗させることに成功したそうだけど、一方でその過程においてはかなり過激な手段を取り入れていたとも伝わるもく

 

 

 

武田二十四将に数えられる 土屋昌続 さんは、武田信玄さんの傅役とされる金丸虎義さんの子に生まれ、後に甲斐の名門土屋家を継いだ人物もく

将来の幹部候補生ともいえる「奥近習六人衆」のひとりとして信玄さんの側近となり、六人衆の中には真田昌幸さんらがいたけれど、その中でも昌続さんは筆頭格で、信玄さんからも格別に寵愛されたそうもく

第四次川中島の戦いで初陣を飾って、それから程なくして異例の若さで百騎の侍大将に抜擢されると、三方ヶ原の戦いでは徳川十六神将鳥居忠広さんを一騎討ちで討ち取り、さらには外交で交渉役を担うなど広く活躍を重ねたもく

信玄さんの病死の際には後を追うことも考えたけれど、武田四天王高坂昌信さんに説得されて思いとどまり、長篠の戦いにて織田軍へ特攻し壮絶な最期を迎えたと伝わるもく

 

 

 

槍術を得意としたともいわれる 山崎長徳 さんは、朝倉義景さんの宿老の山崎吉家さん一族の出自ではないかなどと考えられているけれど、確かなことはわかっていないとのこともく

はじめに仕えた朝倉家が織田信長さんによって滅ぼされると、織田家配下の明智光秀さんに仕えて、そのまま本能寺の変山崎の戦いまで従軍したそうもく

光秀さんが討たれると、今度は柴田勝家さんの家臣である佐久間安政さんに仕えて賤ヶ岳の戦いに参加し、勝家さんが亡くなった後は前田家の利家さん、そして利長さんに仕えたもく

何度も主家滅亡の憂き目にあってきたけれど、利長さんの下でようやく好転し、関ヶ原の戦いの戦功により一万四千石の所領を与えられて、さらには息子の妻に利家さんの孫娘を迎えるなど、前田家の重臣としての地位を確立して、その後の生涯を過ごしたもく

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2023 年 11 月の追加武将一覧

こんにちは~~~~♪ ٩( ´ε` )( ´з` )۶ ♪

のろしですです♪ のろしですもく♪ ٩( ´ε` )( ´з` )۶ ♪ 

 

あっという間に今年もあと二ヶ月ほどとなったもくね
一年のはやさにおどろきながら
秋の味覚を満喫することにいそがしい今日このごろですが

 

戦国IXA では

 

 11月 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 片倉喜多さん 毛利隆元さん 向井正綱さん 俵屋宗達さん

【 特 】 宇喜多忠家さん 曽根昌世さん 蒲生郷舎さん

【 上 】 木下家定さん 

【 序 】 原昌胤さん

以上の 9 名

 

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向井正綱【 極 】、俵屋宗達【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2024年2月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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伊達家の重臣である鬼庭良直さんの娘 片倉喜多 さんは、男児に恵まれなかった母が良直さんから離縁されてしまったため、母とともに鬼庭家を去り、その後、母が再嫁した片倉景重さんのもとで生来の才気に磨きをかけて、文武両道の女性へと成長していったもく

その後、伊達政宗さんの乳母となることを伊達輝宗さんから命じられた喜多さんは、のちに奥羽の覇者となる政宗さんの人格形成や武将としての素地の構築に、多大な影響を与えたといわれているもく

政宗さんの軍師的存在として天下に名を知られ、豊臣秀吉さんが直臣に迎えようとしたほどの人物である片倉景綱さんは喜多さんの異父弟であり、景綱さんもまた喜多さんの影響を強く受けて育ったもく

景綱さんが旗印に用いた「黒釣鐘」の紋は、「その名を天下に鳴り響かせよ」という弟への思いを込めて、喜多さんが考案したものであると伝わっているもく

 

 

 

毛利家を中国地方の覇者へと成長させた稀代の策略家毛利元就さんの嫡男 毛利隆元 さんは、吉川元春さん小早川隆景さんという、これまた名将として知られる二人を弟に持つ人物で、偉大な父や有能な弟に対する劣等感からか、自己を卑下していたと思われる手紙や資料が残されているもく

突如隠居を表明した元就さんが、家督を隆元さんに譲ったあとも実権を握り続けたのは、隆元さん自身が自分の能力や器量に自信を持つことができなかったためではないかという説もあるもく

しかし、元就さんの補佐者としての隆元さんは決して暗愚な武将ではなく、特に内政の面で優れた手腕を発揮して毛利家の勢力拡大におおきく貢献したもく

元就さんをよく補佐した隆元さんは、毛利家の麾下にある和智誠春さんに招かれて饗応を受けたのちに突如体調を崩し、父に八年先立って世を去ったもく

 

 

 

武田信玄さんは、海のある駿河国を制圧すると伊勢国の海賊衆である向井正重さんらを招いて水軍を編成し、正重さんの子 向井正綱 さんも、父の討死により家督を継承すると、水軍として武田勝頼さんに仕え、感状を賜るほどの活躍を見せたもく

武田家の滅亡後は徳川家が武田水軍衆をそのまま召し抱え、本多重次さんの配下となった正綱さんは、小牧・長久手の戦いにおいて九鬼嘉隆さんらを撃破するなどの活躍を見せ、次第に徳川水軍の中心的な存在へとなっていったもく

徳川家が江戸へ移封されると、正綱さんは相模国上総国にあわせて二千石を与えられ、徳川家の船奉行として、江戸湾の警固や発展などに貢献したといわれているもく

 

 

 

国宝『風神雷神図屏風』の作者である 俵屋宗達 さんは、同時代のみならず後世の絵師にも多大な影響を与えた大画家でありながら、生没年をはじめ、その生涯に多くの不明な点がある人物もく

当時、京の町では扇や屏風などに絵を施して販売する「絵屋」が栄えており、「俵屋」という絵屋を営んでいた宗達さんは、「寛永の三筆」の一人であり当代一流の文化人であった本阿弥光悦さんの書巻に下絵を描くなどしたことで、その名を広く知られるようになったといわれているもく

町絵師としては異例のことながら、僧侶に与えられる法橋の位を朝廷から授けられた宗達さんは、宗達さんと並び称される同時代の画家尾形光琳さんにも大きな影響を与えたと考えられ、「琳派」と呼ばれる流派は光悦さん宗達さんが創始し、光琳さんとその実弟尾形乾山さんが発展させたとされているもく

 

 

 

備前の国人宇喜多興家さんの子として生まれた 宇喜多忠家 さんは、「戦国の三梟雄」の一人に数えられる宇喜多直家さんを兄に持つ人物で、宇喜多家の当主となった直家さんをよく補佐し、宇喜多家の勢力伸張に貢献したもく

毛利家の助力も得ながら勢力を拡大していった宇喜多家は、その後、織田信長さんに臣従したため毛利家と敵対関係となり、毛利家の小早川隆景さんが攻め寄せた際には、重病の兄に代わって忠家さんが宇喜多軍を指揮し、見事に毛利軍を打ち破ったもく

戦国大名としての兄を多方面で支えた忠家さんではあるけれど、稀代の謀略家である兄に接するときは、常に鎖帷子を着込んで警戒を怠らなかったともいわれているもく

 

 

 

武田信虎さんに仕えて偏諱を与えられた曽根虎長さんは、信虎さんが甲斐から追放されると武田信玄さんに仕え、早い時期に隠居をして家督を子の 曽根昌世 さんに譲ったもく 

信玄さんの嫡男武田義信さんに謀反の疑いが持ち上がった「義信事件」では、昌世さんの嫡男であり義信さんの側近となっていた曽根虎盛さんが死罪となり、昌世さんも一時的に駿河国へ逃れることとなったもく

その後、武田家に帰参した昌世さんは、三増峠の戦いにおける殿軍指揮や、駿河侵攻における偵察活動などで目覚ましい活躍を見せ、信玄さんは、昌世さんと真田昌幸さんを「信玄の両眼の如き者ども」と称賛し、厚い信頼をおいていたといわれているもく

 

 

 

蒲生郷舎 さんの父とされる蒲生郷成さんは、初め坂源次郎と名乗り、関成重さんや柴田勝家さんに仕えたのち、蒲生氏郷さんに仕えて蒲生姓を賜ったもく

氏郷さんが陸奥国会津に移封されると、郷成さん郷舎さん父子は白石城四万石を与えられたけれど、氏郷さんの没後に蒲生家でお家騒動が勃発し、郷舎さんは蒲生家を出奔して石田三成さんに仕えたもく

関ヶ原の戦いのあと、蒲生家に帰参した郷舎さんは重臣の岡重政さんと争い事をおこして再び出奔、今度は藤堂高虎さんに仕えたけれど、その後、蒲生家において重政さんが失脚するとまたもや蒲生家に復帰、かと思えば今度は別の重臣との対立により蒲生家から放逐、その重臣の失脚後にまたまた帰参、そしてまた追放、となんともいそがしい仕え方をした武将だったみたいもく

 

 

 

豊臣秀吉さんの正室である北政所さんの兄 木下家定 さんは、もとは杉原孫兵衛と名乗っていたけれど、秀吉さんの姓である木下姓を名乗ることを許され、のちには豊臣姓も下賜されたもく

秀吉さんの一門衆として扱われ、二万五千石の姫路城主となった家定さんだったけれど、関ヶ原の戦いでは東西どちらの陣営にも与せず、妹である北政所さんの警護に徹し、戦後、家定さんは徳川家康さんによって備中国足守に移封されたもく

家定さんの死後、遺領争いが生じて一度は所領を召し上げられたものの、大坂の陣のあと所領を返還され、木下家は足守藩主として江戸時代を送ることができたもく

 

 

 

武田二十四将の一人である 原昌胤 さんは、「鬼美濃」の異名で知られる原虎胤さんと姓がおなじで名前も似ているけれど、別の一族であると考えられているもく

昌胤さんの父である原昌俊さんは弓矢巧者として知られた武将であり、昌胤さんもまた父の武勇を受け継ぎ、戦場の槍働きで目覚ましい活躍を見せたもく

しかし、昌胤さんの才能がもっとも発揮されたのは、合戦に先立って予定戦場を調査し、地形を見極め、味方の陣形や作戦などを指揮官に進言する役目においてであったといわれ、武田信玄さんをして「陣取りのことは隼人佑(昌胤)にまかせよ」と言わしめたとも伝わっているもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

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スクウェア・エニックスサポートセンター

http://support.jp.square-enix.com/contacttop.php?id=1297&la=0

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【戦国IXA】2023 年 10 月の追加武将一覧

待ちに待った食欲の秋は いっぱいもぐもぐタイムすること 

    どこかのかわいい煙の妖怪の如しもくっ

     モグモグモグ((●´)з`))) モグモグモグ

 

こんにちは~ うわさの煙の妖怪 のろしもく

季節の変わり目 衣替えということで

戦国IXAでも 武将カードの入れ替えのようですもく

 

 

 10月 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 酒井忠次さん 伊達稙宗さん 長連龍さん 永田徳本さん

【 特 】 松平信綱さん 武田義信さん 桂岩院さん

【 上 】 浅利信種さん 

【 序 】 赤松広通さん

以上の 9 名と

 

 

武田信玄さんから勝頼さんの時代の重臣達で

「 武田四天王 」とも呼ばれる

高坂昌信さん 内藤昌豊さん 山県昌景さん 馬場信房さん

以上の 4 名 が それぞれ【 天 】で登場するとのこともく

 

 

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高坂昌信【 天 】、内藤昌豊【 天 】、山県昌景【 天 】、馬場信房【 天 】

長連龍【 極 】、永田徳本【 極 】

取引出品・譲与不可で

2024年1月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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武田四天王は出自に関わらず信玄さんに見出され、それぞれが名家の名跡を与えられて出世を果たし、武田家の最盛期を支えた名将達もく

高坂昌信 さんは、美童だったため信玄さんに見染められたとも言われており、百姓の生まれでありながら近習に召抱えられたもく

武将としての英才教育を施されて成長すると、対上杉家の最前線である海津城を任され川中島の戦いで活躍したもく

冷静沈着な判断や、撤退戦の指揮に優れたことから「逃げ弾正」の異名を持った昌信さんだけれど、武田家の有力家臣の多くが散った長篠の戦いには留守役のため参加できず、四天王で唯一の生き残りになったもく

史料としての信憑性については議論もあるものの、現代人がイメージする武田家像の形成に影響が大きい「甲陽軍鑑」は、昌信さんの口述記録が原本だったともいわれるもく

 

 

 

武田信虎さんの重臣であった工藤虎豊さんの次男に生まれた 内藤昌豊 さんは、父が信虎さんとの対立で殺されてしまったため、甲斐を脱出してしばらく諸国を転々としたそうもく

信玄さんによる信虎さん追放からの武田家代替わりを機に呼び戻されると、父の代でのことの申し訳なさもあったのか信玄さんは昌豊さんをよく目に掛けたみたいもく

昌豊さんもまたその期待に応えるべく、信玄さんの主要な戦いほぼ全てに参加して常に数多くの武功を立てて、武田家内での地位を築き上げていったもく

そんな昌豊さんに対して信玄さんは一度も感状を与えなかったそうだけど、それは昌豊さんほどの者であれば常人を抜く働きがあるのは当たり前という理由だったようで、また、同じ四天王の山県昌景さんは昌豊さんこそ真の副将と称えたとも伝わり、それほど優秀な武将であったことがうかがえるもく

 

 

 

山県昌景 さんは、出自については諸説あり武田家の宿老を務めた飯富虎昌さんの弟あるいは甥といわれ、はじめ信玄さんの近習として仕えたもく

信玄さんの嫡子の武田義信さんの謀反に加担したことにより虎昌さんが自害となり、飯富家も断絶となったため、昌景さんは後継者のなかった名家・山県の名跡を与えられて、虎昌さんの「赤備え」部隊も引き継いだもく

昌景さん率いる部隊の活躍は目覚ましく、次第に他国にも知れ渡るようになっていくと、織田・徳川連合軍に圧勝した三方ヶ原の戦いでは家康さんに強烈なトラウマを植え付けるなど、敵軍から畏怖の対象とされるまでに至ったもく

昌景さんは長篠の戦いで討死となったけれど、敵方の「信長公記」には討ち取った首の筆頭にその名が記されており、また、後に武田遺臣を率いた井伊直政さんが「赤備え」を継承したことなどから、昌景さんの「赤備え」部隊は戦国最強武田軍を象徴する存在だったと考える人も多いみたいもく

 

 

 

信虎さんの時代から武田家に仕えて、四天王の中で一番年上だった 馬場信房 さんは、信玄さんの初陣にも参加し早い時期から評価を得ていたようで、信玄さんに物怖じせずに意見できる人物だったと伝わるもく

信玄さんによる信虎さん追放に貢献し、信玄さんが当主になると名家・馬場の名跡を与えられて、その後は内政外政両面で活躍を重ねる現場叩き上げで出世していったもく

生涯七十を超える合戦に出陣しながらも、かすり傷ひとつ負わなかったことから「不死身の鬼美濃」と評されており、屈強な武田軍を代表する猛将ぶりは最期となった長篠の戦いでも遺憾なく発揮されていたそうもく

信玄さん急死後であり、歴史の転換点のひとつともいわれる戦いにおいて武田軍が総崩れになる中、未だに無傷であった信房さんはしんがりを務め、大将だった武田勝頼さんが無事戦場を脱出したことを見届けると、追撃してくる織田軍に突入して、敵方からもその働き比類なしと評される壮絶な散り際となったもく

 

 

 

酒井忠次 さんは、徳川四天王徳川十六神将の筆頭として語られることも多い、徳川家草創期の重臣もく

家康さんの父・松平広忠さんの時代から仕え、家康さんが今川家の人質で駿府に赴く際には同行し、心の拠り所や傳役を担って幼い家康さんの支えになったもく

家康さんが独立すると家老として連なる主要な戦いに参加し数多くの功をあげ、その戦働きぶりを織田信長さんも高く評価していたといわれるもく

また、家臣団のまとめ役としての奮闘も数知れず、今年の大河ドラマでも何度も披露された「海老すくい」の踊りで場を盛り上げたり、三方ヶ原の戦いの敗戦で家康さんが浜松城に逃げ帰った際に、城の櫓上にて太鼓を打ち鳴らして味方を鼓舞した「酒井の太鼓」などの逸話が伝わっているもく

 

 

 

伊達稙宗 さんは、政宗さんの曾祖父であり三代前となる伊達家代当主だった人物もく

稙宗さんの時代の奥州は、大崎家が地域を統括する奥州探題世襲していたものの、伊達家、蘆名家など有力国人が各自で領国支配する割拠の状況であったもく

その中で奥州支配を目論んだ稙宗さんは、将軍足利義稙さんに多額の贈答品を送るなど中央との結びつきを強め、さらには十四男七女の子供達の政略結婚や養子縁組を通じて他勢力を巧みに取り込み勢力を拡大させたもく

そして陸奥では置かれていなかった守護職に補任されると、大崎家をも婚姻関係によって支配下とすることに成功し、伊達家は名実ともに奥州最大勢力となったもく

ところが、外交に重きを置きすぎた反動か、嫡男の晴宗さんを中心とする内紛・天文の乱を招くことになってしまい、伊達家は一時衰退することになるもく

 

 

 

能登畠山家の重臣であった長続連さんの子に生まれた 長連龍 さんは、嫡男でなかったことから仏門に入ったものの、法衣姿で戦場に出て多くの首級をあげていたとも伝わる武勇の士もく

当時の能登畠山家は当主の死が相次ぎ、続連さんをはじめとする重臣たちの傀儡政権状態になっていたのだけど、そこに越後の上杉謙信さんが侵攻してきたため、織田信長さんへの救援要請の使者に連龍さんが抜擢されたもく

しかし、連龍さんが救援要請に出ているときに、続連さん以外の他の重臣達が寝返り、長一族は皆殺しにされてしまったもく

連龍さんはそのまま織田家配下となって機を待ち、復讐の炎を燃やし続けて一族の仇である寝返った重臣達を次々と討っていくことになるもく

 

 

 

武田信虎さん信玄さん親子の侍医を務めたとされる 永田徳本 さんは、戦国時代の名医のひとりで、「薬草の大家」、「医聖」などと称されるもく

武田家が滅亡すると牛にまたがって諸国を巡り、貧しい人々に無料で薬を与えたり安価で診療を行い、庶民の医療に貢献していたと伝わるもく

どんな診療であってもどんな身分の相手であっても、十六文あるいは十八文ともいわれるわずかな金額以上の報酬をもらうことはなかったそうで、二代将軍徳川秀忠さんの大病を治した際にもそれは変わらなかったんだってもく

ところで、信虎さんから秀忠さんの時代までって随分と活躍期間が長いなぁと思ったら、なんと百十八歳!?まで長生きされたらしいもく 

 

 

 

老中主席も担った 松平信綱 さんは、柳生宗矩さん、春日局さんと共に三代将軍徳川家光さんを支えた「鼎の脚」のひとりに数えられており、幕藩体制を完成させたという評価もある人物もく

代官の家に生まれたけれど、幼年にしてその出自のままでは出世が難しいと悟り、叔父である松平正綱さんが松平家の養子となり家康さんの近臣となっていたことから、出世のためにその養子となるのを望んだそうもく

願いが叶い松平姓になり、家康さんとの謁見機会も得て、家光さんが誕生するとその小姓に任じられたもく

とにかく頭が切れたという信綱さんの逸話は数多く伝わっており、その積み重ねにより家光さんの側近としての信頼を盤石なものとしていき、伊豆守に任官されたことや知恵がどんどん出てくることから「知恵伊豆」とも称されたもく

家光さんが亡くなった後も四代将軍家綱さんを補佐して、引き続き政治手腕を発揮したと伝わるもく

 

 

 

信玄さんの嫡男として生まれた 武田義信 さんは、今川義元さんの娘を正室に迎え、将軍足利義輝さんから武田家では初めての「義」の字の偏諱を受けるなど、信玄さんの後継者として嘱望されていたもく

初陣から派手な戦果をあげて、対上杉家との争いで有名な川中島の戦いでも大活躍をし、一説では謙信さんの本陣を急襲して謙信さんをひやりとさせる場面もあったともいわれているもく

しかし、そんな順風満帆な状況は突如一変し、「義信事件」ともいわれる信玄さん暗殺を企てた謀反計画に関与したとして義信さんは東光寺に幽閉されて、そのまま自害へと追い込まれてしまったもく

「義信事件」については、傳役だった飯富虎昌さんら重臣達主導の派閥闘争に巻き込まれた、あるいは今川義元さんの娘を正室としていた義信さん自身が、桶狭間合戦後に今川家との同盟関係を手切とする方針転換をした信玄さんをこころよく思っていなかったなど、複数の要因が推測されており現在でも議論されているもく

 

 

 

桂岩院 さんは、権大納言を歴任し正二位に叙された四辻公遠さんの娘で、上杉景勝さんの側室になり、出羽国米沢藩の二代藩主となる定勝さんを生んだもく

産後三か月ほどで亡くなってしまったため人となりなどはほとんど伝わっておらず、景勝さんの側室になった経緯についてもはっきりとはわかっていないらしいもく

景勝さんには正室菊姫さんがいたのだけど、上杉家臣からの信頼を集めていた菊姫さんを差し置き、ぽっと出のような側室を寵愛したことをよく思わなかった家臣もいたそうで、桂岩院さんはあまり家臣達から歓迎されていなかったという俗説もあるらしいもく

ただ、菊姫さんとの間では実子がいなかったため、上杉家断絶を心配して重臣直江兼続さんが側室をすすめたともいわれ、四辻家も菊姫さんの実家である武田家と縁が深いということもあり、桂岩院さんとの婚姻はしっかりと考えられたうえでのものという説が有力みたいもく

 

 

 

浅利信種 さんは、武田家の庶流であり甲斐国八代郡浅利郷を本拠とした浅利一族の出自で、武田信玄さんに仕えた武将もく

信種さん自身が史料に登場するのは、信玄さんの嫡子の義信さんが自害となった「義信事件」の頃からわずか数年のみのため、人物像については謎も多いみたいもく

そのため他の武田家の著名な武将ほど知名度はないものの、「甲陽軍鑑」によれば信種さんは騎馬百二十騎という主力級の部隊を率いたそうで、名前の「信」の字についても信玄さんの偏諱を受けたものと推測すると、家内でもかなり上の立場にあったと考察されているもく

今川家との手切によって北条家との三国同盟も破綻となった武田家は、上野国に侵攻し、信種さんは関東方面の責任者として箕輪城の城代に着任したけれど、その後の北条家との戦いの中で戦死したもく

 

 

 

赤松広通 さんは、室町幕府四職家のひとつで守護職経験者も複数輩出している名門・赤松家の庶流に生まれて、播磨龍野城主や但馬竹田城主を務めたもく

広通さんが当主となった頃は織田信長さんの勢いが著しかった時期で、広通さんも信長さんに従うことを選び、龍野城を明け渡して羽柴秀吉さんの重臣蜂須賀正勝さんの与力として活動したもく

秀吉さんが天下を狙う時代に入ると、四国征伐での功により竹田城を与えられて秀吉さんの直臣になり、宇喜多秀家さんの妹を正室に迎えたもく

好学の人だったようで、播磨国出身の大物儒学者・藤原惺窩さんや、文禄の役の捕虜として日本に連れてこられた朝鮮の高官・姜沆さんと積極的に交流したと伝わるもく

また、名刀として名高い「獅子王」を所有していたことも知られているもく

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


また 9月に
「13周年×まだまだ熱い夏」をテーマとして新イラストで登場した姫達の武将カードも
今回の武将追加時にラインナップから外れるとのこともく

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n651be9baf3a93

 

金くじ・琥珀くじのラインナップ更新について」のお知らせも掲載されていますもく

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n65155076f365a

 

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【戦国IXA】2023 年 9 月の追加武将一覧

こんにちは~~~のろしですもく ヽ(^ε^)ゞ

 

新たなる舞台が開幕して一ヶ月ちかく経ったけれど
新しい同盟員や新しい武将カードなどとの素敵な出会いはあったかなもく?

 

まだまだ新しい舞台が始まったばかりの 戦国IXA ですが
またまた新しい武将たちが追加されるもくよっ (● ´ ε ` ●)

 

 

 9月 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 蜂須賀至鎮さん 本庄繁長さん 風魔小太郎さん 織田有楽斎さん

【 特 】 京極高知さん 御宿勘兵衛さん 内藤ジュリアさん

【 上 】 安倍元真さん 

【 序 】 両角虎定さん

以上の 9 名

 

 

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風魔小太郎【 極 】、織田有楽斎【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2023年12月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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蜂須賀家の家祖である蜂須賀小六さんは若き日の豊臣秀吉さんを支えて家運をひらき、小六さんの嫡男である蜂須賀家政さんもまた秀吉さんに仕えて武功を重ね、阿波一国を与えられたもく

家政さんの嫡男 蜂須賀至鎮 さんも幼い頃から秀吉さんに仕えたけれど、秀吉さんの死後、家政さんは徳川家康さんの養女を至鎮さんの正室に迎え、徳川家と親密な関係を築いていったもく

関ヶ原の戦いにおいては、病を理由に家政さんが旗幟不鮮明な態度を見せる一方で、至鎮さんが東軍として関ヶ原での本戦に参加したため、戦後、蜂須賀家は家康さんから所領を安堵され、家政さんは至鎮さんに家督を譲って隠居したもく

大坂の陣でも徳川方として手柄を立てて淡路国を加増された至鎮さんは、塩田開発や非常時の食料確保、吉野川の治水工事などに注力し、名君として領民から慕われたけれど、元来病弱な体質だったといわれ、享年三十五という若さでこの世を去ったもく

 

 

 

揚北衆(越後北部の有力国人)のひとりである本庄房長さんの子としてうまれた 本庄繁長 さんは、父の十三回忌に父の仇である小川長資さんを捕縛して自害させ、若年ながら見事に本庄家の実権を取り戻し、「気性剛強で勇猛」と評されたもく

ほどなく元服した繁長さんは上杉謙信さんに従ったと考えられるけれど、揚北衆は独立傾向が強く、味方になったかと思えば敵になったりと、完全な従属の関係であったとはいえず、上杉家とのあいだで「本庄繁長の乱」と呼ばれる大規模な戦いまで繰り広げたもく

しかし、この戦い以後は上杉家に臣従したとみられ、謙信さんの没後は上杉景勝さんに仕えたもく

繁長さんは関ヶ原の戦いにおいて、景勝さんの指示により福島城に入り、伊達家の攻撃から城を守り抜く活躍を見せたけれど、その後おこなわれた軍議では、早期講和を主張し、景勝さんから上洛して終戦工作にあたるよう命じられたもく

「越後に鬼神あり」とまで称された繁長さんの奔走により、上杉家は減封はされたものの存続を許され、景勝さんは繁長さんの没後にその武勇を称えて「武人八幡」の称号を与えたもく

 

 

 

北条家に仕えて活躍したとされる風魔一党は 風魔小太郎 さんを頭領とする忍びの集団であるけれど、一般的に想い描かれる忍びとは異なる点も多く、風魔一党に関して、山賊、海賊、強盗、窃盗の類であるという古い記述もあり、忍びというより無法者に近い集団だったのかもしれないもく

武蔵国河越城をめぐる合戦では、風魔一党の忍びが敵軍の陣営に潜入して探索をおこない、敵軍の布陣や兵の士気などをこまかく報告したといわれているもく

風魔一党の報告により詳細な敵情を得た北条軍は、大軍勢に対して夜襲を仕掛けて勝利をおさめ、「河越夜戦」と呼ばれるこの夜襲は「日本三大奇襲」のひとつに数えられているもく

敵の中に紛れ込むことを得意とした風魔一党は、逆に自分たちの中に敵が紛れ込んだ場合には、一斉に立ち上がったりしゃがんだりする敵味方識別法を用いて敵をあぶり出すことができたといわれているもく

 

 

 

織田信長さんの弟である 織田有楽斎 さんは、本能寺の変のあと、小牧・長久手の戦いでは織田信雄さんに仕えていたため羽柴秀吉さんに敵対する恰好になったけれど、豊臣政権下においては家来筋の秀吉さんに御伽衆として仕え、関ヶ原の戦いがおこれば東軍に与するなど、時勢に対して柔軟に応じ、戦国の世を生き抜いたもく

千利休さんに茶道を学んだ有楽斎さんは利休十哲のひとりに数えられるほどの茶人で、「有楽流」と呼ばれる武家茶道を確立したもく

「有楽の茶は、客をもてなすをもって本義となす」という評が伝わっており、有楽斎さんはその茶風の集大成ともいえる茶室「如庵」を京都建仁寺正伝院の院内に建て、現在この茶室は愛知県犬山市に移築され、国宝に指定されているもく

 

 

 

南北朝時代から近江に割拠した名門京極家にうまれた 京極高知 さんは、京極高次さんを兄に持ち、自身は妻の父である毛利秀頼さんの遺領を相続して、信濃国飯田城主となり六万石を領したもく

領内でのキリスト教の布教を許可し、のちに自身もキリシタンとなった高知さんは、関ヶ原の戦いで東軍に味方して戦功を挙げ、戦後、丹後一国を与えられて国持大名となると、熱心なキリシタンである母の京極マリアさんを領内の泉源寺村に住まわせて、キリスト教の弾圧から母を守ったもく

丹後藩初代藩主となった高知さんは、のちに領地を、宮津藩田辺藩、峰山藩と三分割して、それぞれを嫡男、三男、婿養子の三人に相続させたもく

また、高知さんは「灯台切」という刀を差料としており、この刀は三男の京極高三さんに与えられたもく

 

 

 

御宿勘兵衛 さんは、武田信玄さんの侍医を務めた御宿友綱さんの子、あるいは信玄さんの孫など諸説ある人物もく

武田家滅亡後は北条家に仕え、北条家が滅亡すると徳川家に仕えて、結城秀康さんの下で活躍したもく

秀康さんが亡くなると跡継ぎの松平忠直さんに従ったけれど、忠直さんと不和になり出奔、浪人生活ののちに豊臣方として大坂の陣に参戦したため、忠直さんが激怒して勘兵衛さんに懸賞金を掛けたとも伝わるもく

それでも大坂夏の陣末期、大勢が決しようかという間際に最期を悟った勘兵衛さんが、忠直さんに秘蔵の馬荒波を拝領して戦地を駆けたいと申し出た際にはその願いが受け入れられたそうで、また、開戦当初には徳川家康さんが豊臣方の浪人衆の中で武者らしいのは後藤又兵衛さんと勘兵衛さんだけだと評したともいわれ、武将として誉れ高かった様子がうかがえるもく

 

 

 

内藤ジュリア さんは、松永久秀さんの弟である松永長頼さんが父で、キリシタン武将として知られる内藤如安さんが兄という家に生まれたもく

若くして結婚したあと、夫と死別してしまったため仏門に入っていたのだけれど、兄の仲介もあってキリスト教に改宗してジュリアと名乗るようになったもく

それからは熱心に布教活動に励み、大名夫人らを改宗させたり、日本で初めての女子修道会ベアタス会を京都に設立するなどしたもく

江戸幕府キリシタン追放令で兄達とともにマニラへ追放されてしまったけれど、その地で最期まで布教活動に身を捧げたと伝わるもく

 

 

 

今川義元さんから偏諱を賜った 安倍元真 さんは、今川家、徳川家に仕えて武田家と戦いつづけた武将もく

桶狭間の戦い後の今川家弱体の機を狙い武田信玄さんが駿河へ侵攻してくると、元真さんは今川家の重臣岡部正綱さんらと協力して防戦にあたり激しく抵抗したもく

その様子を見た信玄さんは和睦を提案し、正綱さんは武田家に降ったけれど、元真さんは勧誘を拒否して抗戦をつづけたもく

一時は自領を奪われるなど窮地に陥るも徳川家の支援を受けて奪還、戦国大名としての今川家が滅亡すると正式に徳川家に仕え、高齢になっても戦場で活躍し、武田家の滅亡を見届けて引退したもく

 

 

 

両角虎定 さんは、出自など前半生については確かな史料が乏しく不明点が多いようだけど、武田信玄さんの曾祖父信昌さんの子ではないかという説もあるらしいもく

いずれにせよ、信玄さんの父信虎さんの時代には五十騎持ちの侍大将を担い、飯富虎昌さんなどと並び賞賛されたと伝わるもく

信玄さんの代になっても家内の重臣として活躍しており、信玄さんの弟信繁さんの傅役も務めたとされるもく

第四次川中島の戦いに八十一歳で出陣し、信玄さんの危機を救うために信繁さんが討死したことを知ると、ここを死に場所と決めたのか、わずかな手勢で敵陣に突入しての最期になったもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】2023 年 8 月の追加武将一覧

パタパタ  "Q(´ε`;)ゞ ふぅ~まだまだ暑いもくね

こんにちは~ の~~ろしもく~~~

 

 

戦国IXA 新たなる舞台

【 虎王咆哮 ~已まぬ烈風、消えぬ炎~ 】

noroshi-sengokuixa.hatenablog.com

 

 

いよいよ今週末 8月25日(金)には

新たなる舞台での初合戦相手国発表を控える中

 

 8 月  追加武将  公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 真田信綱さん 振姫さん 小田氏治さん 禰津常安さん

【 特 】 吉田政重さん 富田信高さん 赤井忠家さん

【 上 】 岩成友通さん 

【 序 】 河合吉統さん

以上の 9 名

 

 

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小田氏治【 極 】、禰津常安【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2023年11月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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真田信綱 さんは、昌幸さん、信尹さんらを弟にもった真田家の嫡男もく

前半生は父・幸隆さんと行動を共にし、武田家に仕えて主要な戦いには必ず名を連ねたもく

家督継承後も武田家の先鋒を務めて、三尺三寸もの大太刀「青江の太刀」を振るって数々の功をあげ、信玄さんからも将来を嘱望される才を有したけれど、長篠の戦いで討死したもく

弟の昌幸さんは信綱さんを非常に尊敬しており、息子の信繁さんに兄のようになってほしいと期待して、信綱さんの別名である「左衛門」を名乗らせたそうもく

 

 

 

振姫 さんは徳川家康さんの三女で、母は信玄さんの血筋を欲した家康さんにより選ばれた武田家ゆかりの女性と考えられているもく

この時代の名家の姫は政略結婚の駒とされることが常で、振姫さんは天下を取った秀吉さんの命により、会津藩主の名将・蒲生氏郷さんの嫡男・秀行さんのもとに嫁いだもく

蒲生家は氏郷さんの死後、お家騒動により宇都宮に減封されるが、振姫さんの縁もあり東軍として戦った関ヶ原の戦いの功績で会津に返り咲いたもく

しかし、秀行さんが急死してしまい再びお家騒動となって、振姫さんは幼い息子の後見を務めるが家老の岡重政さんと対立したもく

騒動は家康さんの命によって重政さんが死罪となり決着したけれど、振姫さんも家康さんの命によって紀州藩主の浅野長晟さんと再婚することとなり蒲生家を離れたもく

 

 

 

敗北に敗北を重ねて戦国最弱という評価もあるのが、小田氏治 さんもく

氏治さんの居城・小田城は常陸に位置し、戦国時代には佐竹家、北条家、上杉家、結城家などの周辺大国の緩衝地帯として何度も戦場となり、実に九度も小田城を奪われたそうもく

それだけ奪われたということは、逆に言うとそれだけ奪還したということでもあるため「常陸の不死鳥」とも呼ばれているもく

幾度もの返り咲きを可能とした要因には氏治さんの人柄が大きかったようで、家臣や領民から大層慕われていたといわれるもく

また、現代に残る肖像画には猫が一緒に描かれているのだけど、猫好きだったという話は特に伝わっていないため、この猫が氏治さんの何らかの人となりを表しているのではないかと考える人もいるみたいもく

 

 

 

禰津家は代々婚姻関係によって諏訪家との結びつきを強め、諏訪神党に所属した一族で、鷹匠としても名を馳せたもく

禰津常安 さんが当主の時代には武田信玄さんに仕えて、真田家と共に武田家の勢力拡大を支え、武田家滅亡時には上杉家への援軍要請にあたっていたため難を逃れると、その後は徳川家康さんに臣従したもく

高貴な身分の人々の嗜みとして受け継がれていた鷹狩は、戦国武将の間でも流行り、特に家康さんが好んだことはよく知られるところで、神事にも通ずる鷹狩の技を持った常安さんは重用されたと考えられるもく

常安さんは多くの弟子を育成し、連なる一族も江戸幕府鷹匠を務めたことから、「根津諏訪流鷹術」中興の祖ともいわれるもく

 

 

 

吉田政重 さんは長宗我部家に仕え、六尺二寸の大きな身体で生涯に百十五というとんでもない数の首級をあげたといわれる猛将もく

豊臣家による文禄・慶長の役では敵将を生け捕る大功を立て、さらには陣地を荒らしていた虎を退治したとも伝わるもく

関ヶ原の戦い後に長宗我部家が改易されると浪人になっていたが、再起を図った長宗我部盛親さんに呼応して大坂の陣に豊臣方として参戦したもく

大坂の陣敗戦後も生き延びて土佐に帰国すると、その後は医者として天寿を全うしたそうもく

 

 

 

父の代から豊臣家に仕えていた 富田信高 さんは、秀吉さん没後の徳川家康さんによる会津征伐に従軍し、その折に石田三成さんの挙兵の報が入ると他の諸将と同じく家康さんの東軍に属することを決めたもく

信高さんの居城である三重の安濃津城は交通の要所であったため直ぐに帰還したが、三万ともいわれる西軍の大軍勢が迫ってきたもく

多勢に無勢の中、自らも武器を取って白兵戦に臨んだけれど、いよいよ最期かという時に信高さんを救った若武者がいたそうもく

名前こそ伝わっていないものの、その若武者はなんと信高さんの妻で、この時の武勇は女武者の話として様々な形で後世に語り継がれているもく

やはり安濃津城を守り抜くことはできなかったのだけど、徳川の時代に入ると奮戦したことが評価されて伊予宇和島藩を与えられたもく

しかし、妻の身内に端を発するいざこざが原因で改易に処されてしまったが、それでも信高さんが妻を恨むことはなかったそうもく

 

 

 

赤井忠家 さんは、幼年時に父が亡くなったため、叔父の荻野直正さんの後見を受けて家督を継いだもく

その頃の赤井家は織田信長さんに従っていたのだけど、信長さんと対立した将軍・足利義昭さんから助力を求められたため、赤井家、荻野家は足利家寄りの立場を取ったもく

それに怒った信長さんは明智光秀さんを差し向けて、忠家さんは居城の黒井城を軍勢に包囲されたのだけど、明智方の波多野秀治さんの寝返りによって明智軍を撃退したもく

直正さんが亡くなると赤井家、荻野家は波多野家と結んで織田家への抗戦の姿勢を強めたもく

明智軍を相手に善戦を重ねたものの敗れて、落ち延びた忠家さんはその後豊臣家、徳川家に仕えたと伝わるもく

 

 

 

将軍・足利義輝さんを襲撃した永禄の変でも知られる三好三人衆、その中のひとりだったのが 岩成友通 さんもく

三好三人衆は、三好政権ともいわれる三好長慶さんの一大勢力構築に貢献した重臣達で、他のふたりが三好一族であったことに対して、友通さんは出自などが明らかではないため、家内の出世頭ではないかとも考えられているもく

長慶さんが亡くなると、後継者の義継さんが若年だったので、三好三人衆が後見となり家内での影響力をさらに大きくしたもく

三好三人衆は、長慶さんの死を好機ととらえて将軍家復権に動いていた義輝さんの殺害に成功したのだけど、その後は三好家の主導権を巡って松永久秀さんらとの争いに突入したもく

すると今度はその機を狙い足利義昭さんを擁立した織田信長さんが上洛してきて対立するのだけど、中でも激しく抗った友通さんの健闘もむなしく、ここから三好三人衆三好政権の力は徐々に衰退していき崩壊することになるもく

 

 

 

河合吉統 さんは、越前で栄華を誇った朝倉家の最後の当主・義景さんに仕えた人物もく

河合家は朝倉家の奉行職を世襲する家柄のひとつで、吉統さんも義景さんの奏者を務めてから奉行衆を歴任して、最終的には家内の最高位である「一乗谷奉行人」に任命されて行政全般に携わったもく

内政面ばかりではなく、時には先鋒として出陣するなど戦場でも活躍をした武将であり、その最期は、織田家との激戦に朝倉家が敗れた刀根坂の戦いだったと伝わるもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また その他にも

武将カード排出停止があるとお知らせが掲載されていますもく

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n64dda7b37912d

 

 

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