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【戦国IXA】2023 年 12 月の追加武将一覧

も~~ い~~くつ寝~~~る~~~と~~~~~

 ・・・・って あああああああっっっ!!!!

はやいっ はやすぎるもくぅぅぅ (。>ε<。 ))

 

この前まで半袖でも平気だったような気もするんだけど

もう今年最後の月もくかぁ (;゚з゚)

こんにちは 1年があっという間で戸惑い中の のろしもく

 

 

 

さて 戦国IXAでは

 

 12月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 今川氏真さん 津軽為信さん 陶晴賢さん 京極マリアさん

【 特 】 伊奈忠次さん 尼子義久さん 大村純忠さん

【 上 】 土屋昌続さん 

【 序 】 山崎長徳さん

以上の 9 名

 

 

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陶晴賢【 極 】、京極マリア【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2024年3月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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今川氏真 さんは、今川家の最盛期を築き上げた父の義元さんから当主を引き継いだもく

引き継いだ時期については諸説あるものの、義元さんが織田信長さんに討たれたあの桶狭間の戦い前後と考えられており、家督相続から僅かな期間で戦国大名としての今川家の終焉を招くことになるもく

そのため長年暗愚と評価されてきたけれど、近年の研究では、父だけではなく家内の重臣の多くも戦死した桶狭間の戦い後という苦しい状況やその中でも抗おうとした姿勢などを考慮すれば、暗愚だとは必ずしも言い切れないという評価もあるみたいもく

一方で不変の評価とされているのが文化人としての一面で、後半生は京にて和歌や連歌、蹴鞠などを極めて公家をはじめとする文化人と交流を深めており、その縁により江戸時代の今川家の子孫達は代々朝廷や公家の交渉役を務めることになるなど、平和な時代においてはしっかりと次世代にバトンをつなぐことに成功しているもく

 

 

 

津軽為信 さんは、出自ははっきりとはしていないものの、南部家の一支族ではないかという立場から、一代で大名に成り上がった梟雄もく

為信さんが台頭した時代には、南部家が晴政さんの力で急成長して、現在の青森県下北半島から秋田県東北部、岩手県中北部までの広範囲を支配する勢力を誇っていたもく

南部家に内乱が発生すると、その機に乗じて為信さんは主であった石川家を急襲し津軽地方の支配を掠め取ったもく

この動きについては晴政さんが南部家内乱における対立相手の石川家弱体のために仕向けた、あるいは為信さん自身の野心によるものなど様々な理由が考えられているもく

その後も晴政さん死去により南部家は後継者争いに揺れるけれど、為信さんはそれを尻目に謀略を駆使して勢力を拡大して、津軽統一と南部家からの独立を果たしたもく

中央の動きにも鋭敏に反応して豊臣秀吉さんに接近することで奥州仕置きを乗り切り、徳川の時代まで生き抜いて津軽藩の開祖として藩の基礎を作ったもく

 

 

 

戦国時代初期の中国地方は大内家と尼子家の二大国が支配しており、陶家は大内家の重臣として代々活躍してきた家柄だったもく

陶晴賢 さんは、はじめ大内家当主の義隆さんに寵童として重用され、次第に武人として頭角を現していき「西国無双の侍大将」と呼ばれるほどに成長したもく

当時まだ二大国に翻弄される一国人にすぎなかった毛利家が尼子家に攻められると、晴賢さんは毛利家の援軍として出陣した大内家の総大将を務めて尼子家を撃破し、その勢いで尼子家の本拠地に攻め込むも、これには大敗してしまうもく

この大内家の大敗を境に義隆さんは戦への興味を失い文治派の家臣を重用するようになっていくと、武断派の晴賢さんとの関係もぎくしゃくし、納得できない晴賢さんは謀反を起こし義隆さんを討ち取って大内家の実権を握ることになるもく

ところがそれも束の間、今度は晴賢さんが成り上がり著しい毛利家に討たれて、中国地方の勢力図は目まぐるしく塗り替えられていったもく

 

 

 

京極マリア さんは、近江の浅井家に生まれた女性で、弟に三代当主の長政さんがいるもく

古くから北近江を支配し浅井家の主筋でもあった京極家の高吉さんのもとに嫁いだけれど、弟率いる浅井家の下剋上によって争いが起こり、北近江を追われてしまうもく

その後、織田信長さんが浅井家を滅ぼしたが、京極家は織田方に与していたためマリアさんもお咎めなしとなり、信長さんが開いた安土城城下にてキリスト教に出会うと夫婦で洗礼を受けたもく

夫とは洗礼後すぐに死別してしまったけれど、マリアさんは敬虔なキリシタンとなり、キリスト教への風当たりが次第に強くなっていく時代変化の中でも熱心に布教活動に励んだそうもく

また、二男三女の子供たちも、豊臣秀吉さんの側室になった竜子さんを除く四人が洗礼受けたといわれており、そのうちのひとりである高次さんは浅井三姉妹の初さんを正室に迎え、若狭国主になったことでもよく知られているもく

 

 

 

伊奈忠次 さんは、徳川家康さんの下から何度か出奔していたのだけど、本能寺の変が起こった際に居合わせた堺から家康さんを脱出させることに貢献して、再び帰参を許されたもく

そして、検地や街道整備などの代官であった小栗吉忠さんの同心として働き、吉忠さんの役割を引き継ぐ形で代官衆の筆頭になり、三河遠江駿河の住民達の生活や徳川家財政の安定のために汗を流したもく

家康さんが関東に移封されると、関東地方の領国支配を担当した四名の「関東代官頭」のひとりとして江戸の都市計画に携わっていったもく

新田開発、河川改修、宿場整備といった多方面で活躍し、武士や町民、農民に対してまで分け隔てなく様々な技術を伝承したことなどもあって、領民からも大層慕われたと伝わるもく

 

 

 

時の中国地方は大国大内家が散り、もう一方の大国尼子家に新興勢力の毛利家が肩を並べるなど戦乱真っ只中の頃だったもく

尼子家と毛利家の間では石見銀山の争奪戦が繰り広げられていたのだけど、その最中に尼子家最大版図を築き上げた晴久さんが急死してしまい、尼子義久 さんが家督を継いだもく

突然のことに尼子家内部も大変な混乱状況となり、いきなりの難局を強いられた義久さんは石見銀山については和平の道を探り、一方で九州の大国大友家と結んで周囲へけん制の動きを見せるなど、立て直しに奮闘したもく

しかし、敵は飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進し後世では戦国一の智将とまで評される毛利元就さん、逆にそれらの動きを巧みに利用されてしまい尼子家は孤立してしまうもく

もう手段は残っていないと判断して義久さんが降伏の道を選んだため、戦国大名としての尼子家は滅亡を迎えたけれど、毛利家の配下に入る形で尼子家の名は後世にも残っていくことになるもく

 

 

 

肥前の有馬家の次男に生まれた 大村純忠 さんは、母方の大村家の養子になって家督を継いだもく

同じ頃、肥後の平戸に初めてポルトガル船が渡航して南蛮貿易が始まったのだけど、平戸の領主松浦家とポルトガル人の間に不和が生じたので、南蛮貿易のための新しい港が求められていたもく

ポルトガル人の要望に応えたのが純忠さんで、自領内の横瀬浦、福田、そして長崎を港として提供すると、長崎は南蛮貿易の拠点として急速に発展していったもく

港誘致については、大村家が周囲を敵対勢力に囲まれていたので南蛮貿易による利益や軍事力の獲得を目的としたものと考えられており、結びつきを強化するために純忠さんはキリスト教も受け入れて、自身も日本初のキリシタン大名になったもく

次第に信仰深くなっていくと、領民に対してもキリスト教への改宗をすすめるようになり、六万人をキリシタンに改宗させることに成功したそうだけど、一方でその過程においてはかなり過激な手段を取り入れていたとも伝わるもく

 

 

 

武田二十四将に数えられる 土屋昌続 さんは、武田信玄さんの傅役とされる金丸虎義さんの子に生まれ、後に甲斐の名門土屋家を継いだ人物もく

将来の幹部候補生ともいえる「奥近習六人衆」のひとりとして信玄さんの側近となり、六人衆の中には真田昌幸さんらがいたけれど、その中でも昌続さんは筆頭格で、信玄さんからも格別に寵愛されたそうもく

第四次川中島の戦いで初陣を飾って、それから程なくして異例の若さで百騎の侍大将に抜擢されると、三方ヶ原の戦いでは徳川十六神将鳥居忠広さんを一騎討ちで討ち取り、さらには外交で交渉役を担うなど広く活躍を重ねたもく

信玄さんの病死の際には後を追うことも考えたけれど、武田四天王高坂昌信さんに説得されて思いとどまり、長篠の戦いにて織田軍へ特攻し壮絶な最期を迎えたと伝わるもく

 

 

 

槍術を得意としたともいわれる 山崎長徳 さんは、朝倉義景さんの宿老の山崎吉家さん一族の出自ではないかなどと考えられているけれど、確かなことはわかっていないとのこともく

はじめに仕えた朝倉家が織田信長さんによって滅ぼされると、織田家配下の明智光秀さんに仕えて、そのまま本能寺の変山崎の戦いまで従軍したそうもく

光秀さんが討たれると、今度は柴田勝家さんの家臣である佐久間安政さんに仕えて賤ヶ岳の戦いに参加し、勝家さんが亡くなった後は前田家の利家さん、そして利長さんに仕えたもく

何度も主家滅亡の憂き目にあってきたけれど、利長さんの下でようやく好転し、関ヶ原の戦いの戦功により一万四千石の所領を与えられて、さらには息子の妻に利家さんの孫娘を迎えるなど、前田家の重臣としての地位を確立して、その後の生涯を過ごしたもく

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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