戦国IXA のろしのBLOG もくっ ・ε ・

スクウェア・エニックスのオンラインゲーム 【 戦国IXA 】を 応援する煙の妖怪 のろし が 戦国IXAやのろしのことをゆる~くお届けするブログもく

【戦国IXA】2023 年 11 月の追加武将一覧

こんにちは~~~~♪ ٩( ´ε` )( ´з` )۶ ♪

のろしですです♪ のろしですもく♪ ٩( ´ε` )( ´з` )۶ ♪ 

 

あっという間に今年もあと二ヶ月ほどとなったもくね
一年のはやさにおどろきながら
秋の味覚を満喫することにいそがしい今日このごろですが

 

戦国IXA では

 

 11月 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 片倉喜多さん 毛利隆元さん 向井正綱さん 俵屋宗達さん

【 特 】 宇喜多忠家さん 曽根昌世さん 蒲生郷舎さん

【 上 】 木下家定さん 

【 序 】 原昌胤さん

以上の 9 名

 

-------------------------------------------------------------

向井正綱【 極 】、俵屋宗達【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2024年2月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

-------------------------------------------------------------

 

 

 

伊達家の重臣である鬼庭良直さんの娘 片倉喜多 さんは、男児に恵まれなかった母が良直さんから離縁されてしまったため、母とともに鬼庭家を去り、その後、母が再嫁した片倉景重さんのもとで生来の才気に磨きをかけて、文武両道の女性へと成長していったもく

その後、伊達政宗さんの乳母となることを伊達輝宗さんから命じられた喜多さんは、のちに奥羽の覇者となる政宗さんの人格形成や武将としての素地の構築に、多大な影響を与えたといわれているもく

政宗さんの軍師的存在として天下に名を知られ、豊臣秀吉さんが直臣に迎えようとしたほどの人物である片倉景綱さんは喜多さんの異父弟であり、景綱さんもまた喜多さんの影響を強く受けて育ったもく

景綱さんが旗印に用いた「黒釣鐘」の紋は、「その名を天下に鳴り響かせよ」という弟への思いを込めて、喜多さんが考案したものであると伝わっているもく

 

 

 

毛利家を中国地方の覇者へと成長させた稀代の策略家毛利元就さんの嫡男 毛利隆元 さんは、吉川元春さん小早川隆景さんという、これまた名将として知られる二人を弟に持つ人物で、偉大な父や有能な弟に対する劣等感からか、自己を卑下していたと思われる手紙や資料が残されているもく

突如隠居を表明した元就さんが、家督を隆元さんに譲ったあとも実権を握り続けたのは、隆元さん自身が自分の能力や器量に自信を持つことができなかったためではないかという説もあるもく

しかし、元就さんの補佐者としての隆元さんは決して暗愚な武将ではなく、特に内政の面で優れた手腕を発揮して毛利家の勢力拡大におおきく貢献したもく

元就さんをよく補佐した隆元さんは、毛利家の麾下にある和智誠春さんに招かれて饗応を受けたのちに突如体調を崩し、父に八年先立って世を去ったもく

 

 

 

武田信玄さんは、海のある駿河国を制圧すると伊勢国の海賊衆である向井正重さんらを招いて水軍を編成し、正重さんの子 向井正綱 さんも、父の討死により家督を継承すると、水軍として武田勝頼さんに仕え、感状を賜るほどの活躍を見せたもく

武田家の滅亡後は徳川家が武田水軍衆をそのまま召し抱え、本多重次さんの配下となった正綱さんは、小牧・長久手の戦いにおいて九鬼嘉隆さんらを撃破するなどの活躍を見せ、次第に徳川水軍の中心的な存在へとなっていったもく

徳川家が江戸へ移封されると、正綱さんは相模国上総国にあわせて二千石を与えられ、徳川家の船奉行として、江戸湾の警固や発展などに貢献したといわれているもく

 

 

 

国宝『風神雷神図屏風』の作者である 俵屋宗達 さんは、同時代のみならず後世の絵師にも多大な影響を与えた大画家でありながら、生没年をはじめ、その生涯に多くの不明な点がある人物もく

当時、京の町では扇や屏風などに絵を施して販売する「絵屋」が栄えており、「俵屋」という絵屋を営んでいた宗達さんは、「寛永の三筆」の一人であり当代一流の文化人であった本阿弥光悦さんの書巻に下絵を描くなどしたことで、その名を広く知られるようになったといわれているもく

町絵師としては異例のことながら、僧侶に与えられる法橋の位を朝廷から授けられた宗達さんは、宗達さんと並び称される同時代の画家尾形光琳さんにも大きな影響を与えたと考えられ、「琳派」と呼ばれる流派は光悦さん宗達さんが創始し、光琳さんとその実弟尾形乾山さんが発展させたとされているもく

 

 

 

備前の国人宇喜多興家さんの子として生まれた 宇喜多忠家 さんは、「戦国の三梟雄」の一人に数えられる宇喜多直家さんを兄に持つ人物で、宇喜多家の当主となった直家さんをよく補佐し、宇喜多家の勢力伸張に貢献したもく

毛利家の助力も得ながら勢力を拡大していった宇喜多家は、その後、織田信長さんに臣従したため毛利家と敵対関係となり、毛利家の小早川隆景さんが攻め寄せた際には、重病の兄に代わって忠家さんが宇喜多軍を指揮し、見事に毛利軍を打ち破ったもく

戦国大名としての兄を多方面で支えた忠家さんではあるけれど、稀代の謀略家である兄に接するときは、常に鎖帷子を着込んで警戒を怠らなかったともいわれているもく

 

 

 

武田信虎さんに仕えて偏諱を与えられた曽根虎長さんは、信虎さんが甲斐から追放されると武田信玄さんに仕え、早い時期に隠居をして家督を子の 曽根昌世 さんに譲ったもく 

信玄さんの嫡男武田義信さんに謀反の疑いが持ち上がった「義信事件」では、昌世さんの嫡男であり義信さんの側近となっていた曽根虎盛さんが死罪となり、昌世さんも一時的に駿河国へ逃れることとなったもく

その後、武田家に帰参した昌世さんは、三増峠の戦いにおける殿軍指揮や、駿河侵攻における偵察活動などで目覚ましい活躍を見せ、信玄さんは、昌世さんと真田昌幸さんを「信玄の両眼の如き者ども」と称賛し、厚い信頼をおいていたといわれているもく

 

 

 

蒲生郷舎 さんの父とされる蒲生郷成さんは、初め坂源次郎と名乗り、関成重さんや柴田勝家さんに仕えたのち、蒲生氏郷さんに仕えて蒲生姓を賜ったもく

氏郷さんが陸奥国会津に移封されると、郷成さん郷舎さん父子は白石城四万石を与えられたけれど、氏郷さんの没後に蒲生家でお家騒動が勃発し、郷舎さんは蒲生家を出奔して石田三成さんに仕えたもく

関ヶ原の戦いのあと、蒲生家に帰参した郷舎さんは重臣の岡重政さんと争い事をおこして再び出奔、今度は藤堂高虎さんに仕えたけれど、その後、蒲生家において重政さんが失脚するとまたもや蒲生家に復帰、かと思えば今度は別の重臣との対立により蒲生家から放逐、その重臣の失脚後にまたまた帰参、そしてまた追放、となんともいそがしい仕え方をした武将だったみたいもく

 

 

 

豊臣秀吉さんの正室である北政所さんの兄 木下家定 さんは、もとは杉原孫兵衛と名乗っていたけれど、秀吉さんの姓である木下姓を名乗ることを許され、のちには豊臣姓も下賜されたもく

秀吉さんの一門衆として扱われ、二万五千石の姫路城主となった家定さんだったけれど、関ヶ原の戦いでは東西どちらの陣営にも与せず、妹である北政所さんの警護に徹し、戦後、家定さんは徳川家康さんによって備中国足守に移封されたもく

家定さんの死後、遺領争いが生じて一度は所領を召し上げられたものの、大坂の陣のあと所領を返還され、木下家は足守藩主として江戸時代を送ることができたもく

 

 

 

武田二十四将の一人である 原昌胤 さんは、「鬼美濃」の異名で知られる原虎胤さんと姓がおなじで名前も似ているけれど、別の一族であると考えられているもく

昌胤さんの父である原昌俊さんは弓矢巧者として知られた武将であり、昌胤さんもまた父の武勇を受け継ぎ、戦場の槍働きで目覚ましい活躍を見せたもく

しかし、昌胤さんの才能がもっとも発揮されたのは、合戦に先立って予定戦場を調査し、地形を見極め、味方の陣形や作戦などを指揮官に進言する役目においてであったといわれ、武田信玄さんをして「陣取りのことは隼人佑(昌胤)にまかせよ」と言わしめたとも伝わっているもく

 

 

-------------------------------------------------------------
今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

-------------------------------------------------------------
スクウェア・エニックスサポートセンター

http://support.jp.square-enix.com/contacttop.php?id=1297&la=0

■のろしX(旧twitter

https://twitter.com/noroshi_ixa

-------------------------------------------------------------