(oゝз・)ノ こんちゃ!のろしもく!
食べ物がおいしい季節こと「冬」が
もうそこまで来てる今日このごろ
戦国IXA では
11月 の 追加武将 が 公開されました もく
追加されるのは
【 極 】 馬場信房さん 内藤昌豊さん 宮本武蔵さん 悪景政さん
【 特 】 石川昭光さん 飯田覚兵衛さん 糸姫さん
【 上 】 丸毛兼利さん
【 序 】 天草久種さん
以上の 9 名
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馬場信房【 極 】、宮本武蔵【 極 】、悪景政【 極 】は
2022年2月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく
宮本武蔵【 極 】、悪景政【 極 】は 取引出品・譲与不可とのこともく
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馬場信房さんは、武田三代に仕えた重臣で、戦国最強といわれる武田軍の中枢をになった人物もく
武田信玄さんが駿河国に侵攻した際、今川家の財宝が焼失するのを惜しんだ信玄さんは、家臣たちに館から財宝を運び出すよう命じたけれど、信房さんは「信玄公が貪欲な武将として後世の物笑いになる」といって、火中に財宝を投げ込んだといわれているもく
これに対し信玄さんは、怒るどころか、財宝よりも武田家の武名を惜しんだ信房さんの器量に感服したと伝わっており、信房さんが信玄さんの行動を諌めることができる存在だったことがうかがえるもく
そんな信房さんは武田三代のもとで数多くの戦に参加したけれど、長篠の戦いで戦死するまで、かすり傷ひとつ負ったことがなく、「不死身の鬼美濃」と称され、長篠の戦いでも織田方から「馬場美濃守の働き、比類なし」と評される最期だったと伝わっているもく
馬場信房さん、山県昌景さん、高坂昌信さんとともに武田四天王のひとりに数えられる内藤昌豊さんは、武田信玄さんの側近として、戦国最強の武田軍を支えた人物もく
信玄さんの弟である武田信繁さんとともに武田家の副将格と評され、その武勇が他家にまで轟いていた昌豊さんは、合戦での働きも抜群で、数多くの武功を挙げていたもく
それにも関わらず、昌豊さんは信玄さんから一度も感状をもらったことがないといわれており、その理由として信玄さんは、「昌豊ほどの弓取りであれば、常人を抜く働きがあってしかるべし」と語ったといい、また昌豊さんも「合戦は大将の軍配によって勝利を得るもので、いたずらに個人の手柄にこだわることなど小さなこと」と、感状をもらっていないことなど気にしていなかったんだってもく
巌流島で佐々木小次郎さんと決闘したことで有名な剣豪宮本武蔵さんは、六十余度の勝負に一度も負けたことがなかったといわれているもく
その前半生には不明な部分も多くあるけれど、大坂の陣では、徳川方の大名のもとに客将として参陣したという記録がのこっていて、その後も姫路藩や小倉藩などに客分として招かれたもく
その晩年は肥後熊本藩に客分として招かれ、藩主細川忠利さんの求めに応じて「二天一流」の心得などをまとめた「兵法三十五箇条」を著したといわれているもく
悪小次郎の名でも知られる悪景政さんは、毛利家の鉄砲隊に所属していたといわれる鉄砲の名手もく
その出自については詳しい記録がのこっておらず謎に包まれているけれど、鉄砲の腕はたしかで、毛利元就さんの軍勢が大友家の立花城を攻略した戦いでは、市川久栄さんや岡元良さんらとともに鉄砲で大活躍し、つづく多々良浜の戦いでも敵三人を撃ち倒すなどの活躍を見せたもく
その後も従軍した合戦で武功を重ね、元就さんから「比類なき武功」と賞賛する言葉を賜ったもく
出自同様、その晩年についてもよくわかっていない景政さんだけど、子孫はその後も毛利家に仕えたと伝わっているもく
伊達晴宗さんの四男としてうまれた石川昭光さんは、伊達輝宗さんの弟にあたる人物で、陸奥国石川郡三芦城主である石川晴光さんの養嗣子となったもく
晴光さんの跡を継いだ昭光さんは、蘆名家や佐竹家などが割拠する奥州の複雑な情勢のなかで、次第に生家である伊達家と対立するようになっていったけれど、甥の伊達政宗さんが摺上原の戦いで蘆名家を下すと、昭光さんも伊達家に降伏したもく
伊達家に仕えた昭光さんは一万二千石を与えられ、その後の石川家は伊達家臣の最上位である「一門」の筆頭として江戸時代の伊達家を支えたもく
飯田覚兵衛さんは若い頃から加藤清正さんに仕え、生涯にわたって清正さんを支えた人物で、加藤十六将や加藤家三傑のひとりに数えられているもく
槍術の達人であり日本槍柱七本にのひとりでもあるもく
また、文禄・慶長の役では亀甲車という装甲車を開発して、晋州城に一番乗りを果たしたといわれているもく
さらに土木普請も得意であり、熊本城築城の際にはその能力を遺憾なく発揮し、百間石垣とよばれる石垣は覚兵衛さんの功績といわれていて、「飯田丸」という覚兵衛さんの名を冠した郭ものこされているもく
蜂須賀正勝さんの娘である糸姫さんは、正室として黒田長政さんのもとに嫁いだけれど、豊臣秀吉さんの没後、徳川家康さんに接近していた長政さんは、関ヶ原の戦いがおこる直前、糸姫さんを離縁し、家康さんの養女である栄姫さんを正室にむかえたもく
この離縁がきっかけで蜂須賀家と黒田家は「不通大名」となり、江戸城内で顔を合わせても会釈も挨拶もせず、やむを得ず同席する場合も離れて座についたといわれているもく
はじめ斎藤道三さんに仕えた丸毛兼利さんは、のちに織田信長さんに仕え、本能寺の変のあとは豊臣秀吉さんに仕えたもく
関ヶ原の戦いがおこった際、福束城二万石の主だった兼利さんは、東軍からの誘いを蹴って西軍に属したもく
しかし、福束城が東軍に対する最前線ともいえる場所に位置していたために、東軍先鋒の猛攻を受けることとなった兼利さんは、城を支えきれず大垣城へと逃れたもく
戦後は、前田利常さんに仕えたと伝わっているもく
肥後天草諸島の国人であり、キリシタンでもあった天草久種さんは、豊臣秀吉さんの九州平定の際に服属したため本領を安堵されたけれど、秀吉さんが発令したバテレン追放令には従わなかったもく
その後、小西行長さんに対し反乱を起こすものの鎮圧され、またもや本領を安堵された久種さんは行長さんに臣従し、文禄・慶長の役や関ヶ原の戦いにも従軍したもく
関ヶ原の戦いのあとは小早川秀秋さんのもとに身を寄せたと伝わっているもく
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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく
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