戦国IXA のろしのBLOG もくっ ・ε ・

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【戦国IXA】10 月の追加武将一覧

どたどたどたどた。。。。。。゙(ノ・`з・)ノ こんにちはーのろしもく 

10月になってもまだ暑~いという感じのところも多いけれど

朝晩はだんだんと秋の気配も? ということで

スポーツの秋にチャレンジ中もく! 

でも ちょいと休憩タ~イム

からのぉ 食欲の秋 ♪ ( ^ )з^)🍙もーぐもーぐもく

 

 

さて 戦国IXA では 秋のはじまりを彩る

 

 10 追加武将 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 丹羽長秀さん 母里太兵衛さん 片倉景綱さん 朝比奈摩仙名さん

【 特 】 本多忠朝さん 北郷忠相さん 一条信龍さん

【 上 】 尾藤知宣さん 

【 序 】 松井康之さん

以上の 9 名 

 

 

そして

服部半蔵さん 風魔小太郎さん 百地三太夫さん

以上の 3 名 がそれぞれ

新規イラストでの 【 天 】 と 

スキルやステータスを新しくした

イラスト復刻版の 【 極 】 で 登場するとのこともく

 

 

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片倉景綱【 極 】、朝比奈摩仙名【 極 】、

服部半蔵【 天 】【 極 】、風魔小太郎【 天 】【 極 】、百地三太夫【 天 】【 極 】

取引出品・譲与不可で

2022年1月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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丹羽長秀さんは、猛者ぞろいの織田信長さんの家臣団にあって、多岐にわたる活躍により柴田勝家さんに続く二番家老を務めていた人物もく

信長さんがまだ尾張統一にも苦心する若き頃から小姓として仕え、年齢も近く、その後天下を目指す主君を大いに支えたため、信長さんからは友であり兄弟であると評され、最も厚い信頼を得ていたともいわれるもく

「鬼五郎左」と呼ばれるほど勇猛な武将であったそうだが、物資の調達や補給路の確保、戦後処理など裏方的な任務も着実にこなし、造船や築城などの政務も任されたことから、米のように何にでも合い織田家にとってなくてはならないものとして「米五郎左」とも称されたもく

 

 

 

黒田家に仕えた母里太兵衛さんは、長政さんの家臣の中から24人の精鋭を選出したという「黒田二十四騎」に数えられ、さらにその中でも如水さんの時代から活躍する優れた8人を指した「黒田八虎」のひとりもく

相当な腕っ節だったようで合戦では常に先鋒を務め生涯にあげた首級は家内一だったと伝わるもく

そんな太兵衛さんの代名詞として知られるのが民謡「黒田節」で伝わるお酒に関する逸話もく

同じく豪快な逸話が多く残る福島正則さんのもとを、長政さんの使者として訪れた際にお酒を勧められたが、仕事で来ているからと断るもあまりにしつこく、また、悪酔いの挑発で黒田家を見下すような発言もあったため我慢ならず受けて立つと、大盃で数杯を飲み干し、その褒美に名槍「日本号」を所望して福島家の家宝を見事に呑み取ったそうもく

 

 

 

代々の片倉家当主が襲名した「小十郎」の初代で、その通称でも知られる片倉景綱さんは智勇兼ね備え、武の伊達成実さんと並び伊達家の双璧として活躍したもく

幼少期に両親を亡くしたため、文武両道の才女と伝わる年の離れた姉・喜多さんに育てられて、その姉が政宗さんの乳母に任命されると自身も政宗さんの傅役に抜擢されたもく

景綱さんは最も政宗さんから信頼されていたといわれ、逆に景綱さんも囮になって戦場で窮地の政宗さんを救ったり、主君より先に子宝に恵まれるわけにはいかぬからと実子を殺そうとするなど、家内随一の忠義ぶりで応えたもく

政宗さんの参謀として名を馳せると、時の天下人である豊臣秀吉さんや徳川家康さんが直臣に迎えようとするほど能力を評価されたが、いずれの誘いも断って生涯伊達家のために尽くしたもく

 

 

 

鉄砲伝来以降、高い軍事力によって台頭し、中央集権に抗う傭兵集団として紀州で一大勢力を誇った雑賀衆であったが、本能寺の変後に覇権を狙った秀吉さんの紀州征伐によって終焉を迎えようとしていたもく

雑賀衆方もゲリラ戦法で応酬するが、大兵力を前にじり貧状態となって落城を重ね、残る拠点が少なくなる中、雑賀衆・太田党を率いた宗正さんらは太田城に籠城したもく

この戦いで太田城は日本三大に数えられる激しい水攻めを受けて降伏することになるのだけれど、その最中に城中から単独で船を出し秀吉軍に攻め込んだ者がいたんだってもく

名を朝比奈摩仙名さんといい、朱柄の槍を持った尼僧で、縦横無尽に暴れ回って秀吉軍を驚かし、生け捕りにされるもその奮闘ぶりに感心した秀吉さんが城に帰らせたと伝わるもく

 

 

 

本多忠朝さんは、徳川家康さんの重臣・忠勝さんの次男として生まれ、初陣の関ヶ原の戦いでは父に劣らぬ勇猛さで活躍し、その戦功により忠勝さんの旧領上総大多喜5万石を与えられて上総大多喜藩の2代藩主となったもく

新田開発を積極的に行うなど内政面でも手腕を振い、また、近海を航海中に難破したスペイン船乗組員団を手厚く保護したり、遺産相続に関する兄弟間でのやりとりでは自分には不要と受け取りを拒否する頑固さを見せるなど、何かと芯がある人物だったみたいもく

一方でお酒による失敗が多かったようで、大坂冬の陣でお酒を飲んでいたため不覚をとってしまい敗退したとも伝わるもく

汚名返上の覚悟で臨んだ大坂夏の陣では毛利勝永さんを相手に奮戦するも討死、死の間際までお酒の失敗を後悔していたそうで、お酒で失敗する人をお酒嫌いにして救うと遺言したことから、今日では「酒封じの神」として崇められているんだってもく

 

 

 

北郷忠相さんは、島津家の分家である北郷家の8代当主で、初代からの悲願であった都城盆地の統一を成し遂げ、都城中興の祖とも呼ばれる名将もく

忠相さんが家督を継いだ戦国時代初期の頃に北郷家が治めていたのは3城ばかりで、周囲には実力者が割拠しており、特に伊東家からの猛攻には防戦一方であったが伊東尹祐さんの急死をきっかけとして攻勢に転じると、島津本家や他分家とも協力しながら都城盆地の統一に乗り出したもく

周辺勢力を次々と討って成長し広大な都城盆地を次第に手中に収めていくと、統一を成し遂げた頃には島津本家にも大きな影響を与えるまでの力を有し、10代当主・時久さんの時代に迎える北郷家最大版図の礎を築いたもく

 

 

 

武田信玄さんの異母弟で、鎌倉時代に断絶していた名門・甲斐一条家名跡を継いだ一条信龍さんは、武田家の親族衆として騎馬200騎などを有したそうもく

戦場では主に後方に配置されることが多かったためか目立った活躍はあまり伝わっていないが、武田家の駿河国侵攻後には対徳川家の重要拠点である田中城を任されたり、信玄さんの遺言によって武田勝頼さんの後見人となるなど、家内での序列の高さが想像できるもく

また、その死については諸説あるようだけれど、崩れゆく武田家のために最期まで奮闘したのではないかとの推測が一般的みたいもく

人物像などもはっきりとしたことがあまり伝わっていないけれど、甲陽軍鑑では「どれほど忙しくても武具や馬が新しく、常に諸国の良い浪人を集めており、伊達者にして花麗を好む性質」と評されており、文武両道に秀でていたことがうかがえるもく

 

 

 

尾藤知宣さんは、秀吉さんに仕えた古参中の古参の武将もく

はじめ織田信長さん配下の森長可さんに仕え、次に秀吉さんに仕えることになり、秀吉軍黎明期において最も軍事に通じていた者として功績をあげ、黄母衣衆に列したもく

仕えた当初には想像もできなかったであろう地位へと突き進む主君に従い小牧・長久手の戦いなどにも参加、四国征伐後には戦功によって讃岐国宇多津5万石を与えられる出世も果たしたもく

そして、大敗により改易された仙石秀久さんの後継の軍監に就任して九州征伐にも参加するが、戦況判断を誤り失態を重ねたことで秀吉さんの怒りを買い、所領を没収されて追放されてしまったもくぅ

 

 

 

代々室町幕府幕臣である家柄に生まれた松井康之さんは、自身も13代将軍・足利義輝さんに仕えたもく

義輝さんが暗殺された後には足利義昭さんに接近したとも、同じ幕臣であった細川藤孝さんと行動を共にしたともいわれるが、藤孝さんが織田信長さんに仕えるようになった頃には、藤孝さんの家臣としての活動が顕著になっていたみたいもく

本能寺の変後、藤孝さんが出家すると子の忠興さんに仕えて、天下人となった秀吉さんの戦いに従軍して活躍、関ヶ原の戦いでは忠興さんと共に徳川方に与したもく

康之さんは忠興さんの大きな危機を二度救ったそうで、いずれも時の権力者である秀吉さん、家康さんに目を付けられるというものであったが、康之さんの奔走により事なきを得たもく

その信頼もあってか、松井家は江戸時代を通して大名細川家の筆頭家老を務めるに至ったもく

 

 

 

 

 

服部半蔵 」さんは、服部家の当主が代々名乗った通り名で、一般的に初代とされるのが将軍足利家に仕えた後に松平清康さんに仕えたといわれる人物、その息子であり2代目とされる人物こそが「徳川十六神将」に数えられるひとりで、世間でよく知られている服部半蔵さんもく

2代目は父が仕えていた清康さんの孫である家康さんに仕えて各地を転戦していたが、有名なのは本能寺の変後に三河へ戻る家康さんの九死に一生の逃亡「伊賀越え」を成功させたことで、後にその時の協力者であり徳川配下となった伊賀同心達の指揮を任されたもく

初代は伊賀出身の忍者であったが、それ以降の半蔵さんは忍者ではなかったという説があり、2代目は槍の名手として活躍した足軽で「鬼半蔵」と恐れられたという記録が残るようだけれど、伊賀同心達を指揮して戦いや諜報活動を行っていたこと、父をはじめ関係者に忍びに造詣が深い者も多いことなどから2代目もまた忍者という認識は根強いみたいもく

 

 

 

 

 

風魔小太郎 」さんも、北条家お抱えの忍者集団の頭領が代々名乗った通り名もく
風魔忍者はいわゆる忍者というよりも盗賊や無法者というような性質で、夜討ちを得意とした「乱波」と呼ばれる武力集団だったらしいもく

日本三大奇襲のひとつで北条家を関東の覇者へと押し上げる河越夜戦武田勝頼さんを相手に戦った黄瀬川の戦いにて風魔忍者と思われる者達の活躍があったとのこともく

小太郎さんに関しては史料が少なく、黄瀬川の戦いに関わったという5代目について伝わっているのがあまりにも人間離れした風貌なため、創作された人物だといわれているけれど、忍びであるため身を隠し本来とはかけ離れた姿の噂話をあえて流したのではないかという見方もあるみたいもく

また、北条家には風間出羽守さんという諜報任務などを担っていた人物が実在したようで、この人が小太郎さんではないかともいわれているもく

 

 

 

 

 

百地三太夫さんは、江戸時代に作られた物語にその名が登場し、伊賀流忍術の祖で石川五右衛門さんや霧隠才蔵さんに忍術を伝授した人物として描かれているもく

今日ではその三太夫さんのモデルと考えられる百地丹波さんと同一人物として語られることが多いみたいもく

百地家は伊賀の喰代に砦を構え、確かなことはわからないみたいだけれど、服部家、藤林家と並ぶ伊賀三上忍、あるいはその土地の名家であったと考えられているもく

織田家伊賀国一揆が戦った第一次天正伊賀の乱にて、伊賀忍者を率いて織田信雄軍を撃退する大金星をあげる活躍をしたということで、後世で伝説的な忍者として語られるのも納得もくね

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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