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【戦国IXA】2024 年 3 月の追加武将一覧

冬と春が激しい攻防を繰り広げる季節なので

体調などいかがでしょうかもく?

のろしは元気ですっ こんにちはもく (((= ´ σз`)ノ

さてさて

 

 

戦国IXAでは

 

 3月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】十河一存さん 豊臣秀長さん 梅津憲忠さん 五郎八姫さん

【 特 】松倉重政さん 吉良親実さん 桂林院さん

【 上 】成富茂安さん 

【 序 】穂井田元清さん

以上の 9 名

 

 

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梅津憲忠【 極 】、五郎八姫【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2024年6月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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十河一存 は、三好元長さんの四男に生まれ、兄には三好長慶さんがいたもく

讃岐の国人・十河景滋さんの養子となってからも兄をよく助け、当時絶大な力を有していた細川晴元さんの政権を崩壊させることになる摂津江口の戦いで活躍し、長慶さんの政権確立を後押ししたもく

また、猛将として知られており、ある時合戦で腕に大怪我を負うも、傷口に塩をすりこみ消毒をして何食わぬ顔で戦い続けたため、敵からは「鬼十河」と恐れられ、後世には「十河額」と呼ばれたその髪型を真似する者が出るなど、語り継がれる勇猛さだったそうもく

兄に従順だったけれど唯一受け入れられなかったのが、長慶さんが重用した松永久秀さんの存在で、馬が合わなかったと伝わっており、一説では一存さんの死に久秀さんが関与したという話もあるらしいもく

 

 

 

こちらも時の支配者へと躍進していく兄に多大な貢献をしたことで知られる 豊臣秀長 さんもく

秀長さんの兄は三英傑のひとり豊臣秀吉さんで、秀吉さんがまだ木下藤吉郎と名乗っていた時代から右腕となって、その出世街道に寄り添ったもく

秀吉さんとは対照的に温和な性格だったようで、多くの人に好かれて、一癖も二癖もある豊臣家臣団をよくまとめ、外交においても一目を置かれていたもく

秀吉さんの天下統一直後に亡くなってしまうのだけど、織田信長さん亡き後の秀吉さんに対して、異を唱えたり諫めることができた数少ない人物のひとりでもあったため、秀長さんがもっと長生きしていれば豊臣の天下は安泰だったのではないかと評価する声は少なくないもく

 

 

 

梅津憲忠 さんは、宇都宮家に仕えていた父が浪人となったため、非常に貧しい幼少期を過ごしていたもく

苦難の時代に生活や勉学の世話をしてくれたのが佐竹家分家の義憲さんで、その恩に感銘を受けて、義憲さんから偏諱を所望し憲忠と名乗るようになったそうもく

その後、佐竹家本家の義宣さんに登用されるとめきめき頭角を現し、側近として重用されていったもく

大坂の陣では「佐竹の黄鬼」と称されるほどの武勇を有した一方で、藩政を支える政治手腕も大変優れていたため義宣さんからの信頼も厚く、憲忠さんの活躍によって梅津家は幕末まで代々家老を輩出する家柄になっていくもく

 

 

 

伊達政宗さんの長女である 五郎八姫 さんは、政宗さんの正室・愛姫さんとの間においては、結婚十五年目にして授かった待望の第一子だったもく

大名である政宗さんには当然跡継ぎ問題があるため、男子を期待し男子名しか考えていなかったそうで、そのまま男子名である五郎八と名付けられたといわれているもく

徳川家の天下取り事業の一環として家康さんの六男・松平忠輝さんと結婚することになり、夫婦仲は良かったのだけど忠輝さんの改易により離縁して、その後は実家のある仙台に移って生涯独身のまま過ごしたもく

五郎八姫さんが生きたのはバテレン追放令後の時代だったため、確かな史料は残っていないようだけど、キリシタンだったのではないかといわれ、離縁後独身のままだったこともそれが関係しているのではないかという考察もあるみたいもく

 

 

 

松倉重政 さんは、筒井家の重臣松倉右近さんの長男で、はじめ筒井順慶さんに仕えて、順慶さん没後に跡継ぎの定次さんが転封されたことを機に豊臣家の直臣となったもく

関ヶ原の戦いでは東軍に付いて戦い、徳川家康さんから評価されて大和の五条二見城主になると、大坂の陣でも活躍して肥前の日野江に加増転封されたもく

五条や日野江の発展に寄与したとする評価もある一方で、日野江に移ってからは過重な年貢徴収など苛政も目立ちはじめ、江戸幕府の政策の潮流に乗ってキリシタンも厳しく弾圧するようになっていったため、息子の代で引き起こされる島原の乱の遠因を作ったといわれているもく

 

 

 

吉良親実 さんは、四国の覇者・長宗我部元親さんの弟である吉良親貞さんの子に生まれたもく

智勇に優れ若い頃から功を立てて、元親さんの娘を娶ることを許されるなど、元親さんから重用されたのだけど、長宗我部家の跡継ぎ騒動時の進言によって元親さんの怒りを買ってしまうもく

加えて、元々犬猿の仲であった元親さんの側近の久武親直さんが、その機に乗じて親実さんを陥れようとする告げ口などをしたため、親実さんは切腹させられてしまうもく

それだけでは収まらず親実さんの家臣達も次々と斬られるのだけど、親実さん達が非業の死を遂げてからは度々不可思議なことが発生するようになったそうで、その怪異が現代の四国、中国地方に伝承される祟りや妖怪の類「七人みさき」の起こりではないかともいわれているもく

 

 

 

戦国時代の関東周辺では、北条家、武田家、上杉家、今川家など大国同士の対立と同盟が繰り返されていたもく

桂林院 さんは、北条氏康さんの娘で、長篠の戦い前後の時期に武田家再起に向けて北条家との同盟強化に動いていた武田勝頼さんのもとに継室として嫁いだもく

桂林院さんの兄には、北条家四代当主の氏政さんや、上杉謙信さんの養子になっていた上杉景虎さんがいるもく

謙信さんの死によって、景虎さんと景勝さんの間で上杉家の後継者争い御館の乱が起こると、当初勝頼さんは桂林院さんや北条家との関係から景虎さんを支持したものの、この時期には武田家と上杉家も友好関係にあったため、争いを景勝さんが制すると、そのまま景勝さんと同盟関係を結んだもく

それをよしとしなかった北条家とは同盟関係が解消されてしまうのだけど、桂林院さんは武田家に留まり、武田家安泰のための奉納をするなど夫に尽くし、最期の時を共にするまで添い遂げたもく

 

 

 

肥前の龍造寺家臣の家に生まれた 成富茂安 さんは、十一歳の時に若過ぎるため出陣の許可が出なかったことに納得がいかず独断で戦場へ物見に出るなど、幼少から青年期は血気盛んな性格だったと伝わるもく

主君の龍造寺隆信さんからはその様子を評価され小姓として仕えると、十七歳で初陣を飾り、次々と武功をあげて出世していったもく

年齢を重ねて血気盛んさが落ち着いてくると、知略縦横の曲者となっていき、機知に富んだ様々な逸話を残したもく

戦国の世が終わってからは利水開発や洪水防止の事業で手腕を発揮し、「治水の神様」と呼ばれて後世でもその功績が高く評価されているもく

 

 

 

穂井田元清 さんは、中国地方の覇者・毛利元就さんの四男で、「三本の矢」として知られる兄達からは年の離れた異母弟となる人物もく

何しろ三人の兄達が有名であり甥には毛利輝元さんもいて、さらに元就さんが正室の子と側室の子の扱いを明確に切り分けていたこともあって、影の薄い存在になりがちなんだけど、「謀神」と呼ばれた父の才を受け継いでいることを実績で示し、毛利軍総大将を担う時期もあるなど、生涯を通して毛利家の屋台骨を支えたことから、四本目の矢の役割を果たしていたと評価する声もあるもく

また、元清さんの子孫達は毛利本家の養子となり、江戸時代中頃には嫡流となってその血筋は引き継がれていったもく


 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

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