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【戦国IXA】2024 年 1 月の追加武将一覧

こんにちは のろしですもく (・ε・)ノ

 

戦国IXAでは

「 今後の統合計画とワールド再編成計画 」や

https://sengokuixa.jp/2023_24_schedule/

「 2024年2月の新章突入までの各種日程について 」が発表され

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n658d29991375e

 

来期のことが気になる今日このごろですが

そのまえに2024年1月も 戦国IXAに 新しい武将たちが登場もく

 

 

 1月追加武将 が 公開されました もく 

 

 

追加されるのは

【 極 】 東向殿さん 浅井亮政さん 支倉常長さん 長谷川等伯さん

【 特 】 石川五右衛門さん 鈴木重朝さん 高坂甚内さん

【 上 】 頴娃久虎さん 

【 序 】 桂元澄さん

以上の 9 名

 

 

さらに

【 天 】 上杉景勝さん 毛利輝元さん

以上の 2 名が 

スキルやステータスを新しくした復刻版として登場するとのこともく

 

 

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支倉常長【 極 】、長谷川等伯【 極 】

上杉景勝【 天 】、毛利輝元【 天 】は

取引出品・譲与不可で

2024年4月予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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全国の大名たちから「軍神」とおそれられた上杉謙信さんが急死すると、御館の乱と呼ばれる家督相続争いに勝利した 上杉景勝 さんが上杉家を継承し、腹心の直江兼続さんとともに内乱後の上杉家をまとめあげたもく

謙信さんは、儒教で説かれる仁・義・礼・智・信の「五常の徳」を規範としていたといわれ、謙信さんの薫陶を受けた景勝さんと兼続さんもまたこの教えを重んじ、戦乱の世に上杉家の「義」を示し続けたもく

豊臣政権において五大老として重きをなした景勝さんは、おなじく五大老のひとりである徳川家康さんが天下をねらう態度をあらわにし、おおくの諸大名もそれになびく情勢の中で、一貫して反家康の旗幟を鮮明にし、さらに挑発的ともいえる態度で家康さんの言動を批判して、関ヶ原の戦いのきっかけとなる会津征伐へと家康さんを踏み切らせたもく

 

 

 

毛利元就さんは、裏切りや陰謀が渦巻く戦国の世で権謀術数の限りを尽くし、一代にして毛利家を一国人領主から中国地方の覇者にまで飛躍させたけれど、元就さんから家督を譲られた毛利隆元さんが元就さんに八年先立って世を去ったため、まだ幼いながら隆元さんの嫡男 毛利輝元 さんを毛利家の当主に据えざるを得なかったもく

元就さんの死後、毛利両川と称される二人の叔父に補佐された輝元さんは、織田家羽柴秀吉さんが中国地方へ進出してくるとこれと交戦し、次第に旗色がわるくなってきたものの、本能寺の変がおこったため秀吉さんは和睦を結んで撤兵せざるを得なくなり、毛利家は危機を脱したもく

輝元さんは、天下人への道を歩みはじめた秀吉さんに臣従することを選択し、元就さん以来の領地の多くを安堵され、豊臣政権下においては五大老に任じられるなど重くあつかわれたもく

関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立されて大坂城に入ったものの、輝元さんはそこから動かず、戦場に赴くこともないままに戦いは終結してしまったもく

 

 

 

大内家に仕える内藤家は、家老として代々長門守護代を務めるなど大内家内で重きをなした家柄だったけれど、内藤弘矩さんが当主の時代、主君の大内義興さんに対し讒言する者があり、それを信じた義興さんの指示により弘矩さんは誅殺されてしまったもく

のちに弘矩さんの無実が判明し、誅殺したことを悔いた義興さんは、弘矩さんの娘 東向殿 さんを正室に迎え、弘矩さんの弟である内藤弘春さんを当主に据えて内藤家を再興させたもく

東向殿さんは非常におだやかで優しい女性であったといわれ、義興さんの没後に家督を継いだ大内義隆さんが領土的野心や政治的関心に乏しい文治主義者となったのは、母である東向殿さんの影響もあったのではないかといわれているもく

 

 

 

北近江の国人浅井家の傍系に生まれた 浅井亮政 さんは、浅井家嫡流である浅井直政さんの娘と結婚し、宗家の家督を継承したもく

北近江半国の守護であり浅井家の主君である京極高清さんが、京極家の家督を長男の高延さんではなく次男の高吉さんに譲る意向を示したことによってお家騒動が巻き起こると、亮政さんは高延さんの家督継承を支持して高清さんと対立したもく

このお家騒動に乗じて、高清さんや高吉さん、そして高吉さんを支持した上坂信光さんらを国外へ追放することに成功した亮政さんは、次第に京極家中における実権を掌握して勢力を拡大し、浅井家三代と称される繁栄の基礎を築いていったもく

 

 

 

伊達政宗さんの命を受け、慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに渡った 支倉常長 さんは、マドリードにてスペイン国王に謁見し、国王ら臨席のもと洗礼を受けたあと、ローマにてローマ教皇パウルス5世に謁見し、ローマの市議会からは市民権と貴族の位を認めた「ローマ市公民権証書」を与えられたもく

パウルス5世に謁見した際、常長さんが懐紙を用いて鼻をかんだところ、手鼻かハンカチで鼻をかむ習慣しか持たない西洋ではそれが大層めずらしかったようで、常長さんの捨てた懐紙がバチカンの人類博物館に展示されたといわれているもく

常長さんら使節は、長期間ヨーロッパに滞在して、スペインとの通商などを目的とした交渉に尽力したけれど、日本国内ではキリスト教の弾圧がおこなわれており、その努力が実ることはなかったもく

 

 

 

能登国七尾に生まれた 長谷川等伯 さんは、養父である長谷川宗清さんが等春さんという画家の門人であったため、宗清さんから手ほどきを受けて日蓮宗関係の仏画肖像画などを描くようになったもく

三十歳をすこし過ぎた頃、養父母の他界を機に妻子を連れて活動の場を京へ移した等伯さんは、狩野永徳さん率いる絵師集団の狩野派が君臨する画壇において、次第に千利休さんなどの権力者に重用されるようになり、狩野派と対抗しうる存在へと成長したもく

養父の師である等春さんが水墨画の大家である雪舟さんの弟子であったことから、等伯さんは晩年、自身を雪舟さんから五代目にあたると標榜し、「雪舟五代」と自称したといわれているもく

等伯さんの代表作である「松林図屏風」は日本水墨画の最高傑作と称されており、「雪舟五代」にふさわしい評価を得ているもく

 

 

 

稀代の大泥棒として有名な 石川五右衛門 さんについては、虚実とりまぜた伝承が語られ、その実在を疑問視する声もあるけれど、日本に滞在していたスペインの貿易商人が記した「日本王国記」や、公家の山科言経さんが記した「言経卿記」において、実在を思わせる記述が確認されているもく

伊賀流忍者の抜け忍であったともいわれる五右衛門さんは、百地三太夫さんのもとで修行を積んだのち、そこで体得した忍術を駆使して裕福な屋敷などに忍び込み、盗みを働いたといわれているもく

歌舞伎狂言「楼門五三桐」では、追手に追われる五右衛門さんが、南禅寺の山門の上で煙管を片手に、「絶景かな、絶景かな」と夕暮れ時の桜を眺める名場面が演じられるもく

 

 

 

鈴木重朝 さんの出自は、紀州の鉄砲傭兵集団である雑賀党鈴木家と考えられていて、石山合戦織田信長さんを苦しめた鈴木重秀さんの子であるという説があるけれど、重秀さんと同一人物であるという説や弟であるという説もあり、はっきりとしたことはわかっていないもく

豊臣政権下において、秀吉さんに仕えていたとみられる重朝さんは、秀吉さんの没後は鉄砲頭として豊臣秀頼さんに仕え、関ヶ原の戦いでも西軍に属して戦い、伏見城攻防戦で鳥居元忠さんを討ち取ったと伝わっているもく

関ヶ原の戦いのあと浪人となった重朝さんは、伊達政宗さんの仲介によって、元忠さんの主君である徳川家康さんに許され、三千石で召し抱えられることとなったもく

その後、重朝さんは、水戸徳川家の祖となる徳川頼房さんに仕えることを命じられ、鈴木家は、重朝さんの子の代に姓を雑賀とあらため、水戸藩重臣として明治維新まで続いたもく

 

 

 

江戸時代初期、「関東各地を荒らしまわる盗賊の首領は風魔の子孫たちである」と江戸町奉行所に密告し、「盗人狩り」を主導して盗賊を根絶やしにしたといわれる人物が 高坂甚内 さんもく

下総国向崎の出身と考えられている甚内さんは、武田家の重臣高坂昌信さんの子であるという説もあるけれど、実は自身も盗賊団を組織する大泥棒だったとされ、「盗人狩り」により商売敵を一掃して勢力を拡大すると、甚内さんの手下たちは江戸や関東にとどまらず日本各地を荒らしまわったといわれているもく

しかし、各地で捕まった盗賊の口から、甚内さんの大盗人としての所業が奉行所の知るところとなり、甚内さんは市中引き回しの上、浅草原で磔にされたと伝わっているもく

 

 

 

肝付家に生まれ島津久豊さんの養子となった肝付兼政さんが薩摩国頴娃の領主となり、そこから数えて七代目の当主が 頴娃久虎 さんで、久虎さんは頴娃兼賢さんの次男だったけれど、異母兄である頴娃兼有さんが亡くなったために家督を継いだもく

兼有さんの死については、久虎さんの母と兼有さんの対立が起因となり、久虎さんの家臣が兼有さんを襲撃して殺害するに至ったといわれているもく

勇将であったと伝わる久虎さんは、高原城攻め、耳川の戦い水俣攻めなど、島津家の戦いに度々参加して武功を重ね、時には自ら敵陣を偵察することもあり、その豪胆さを島津義弘さんから讃えられたもく

 

 

 

毛利家の一族で毛利宗家の執政を務める坂家に生まれた坂広澄さんは、分家して桂姓を名乗り、その嫡男 桂元澄 さんは、毛利家の家督を相続する毛利元就さんに対し起請文を提出して忠誠を誓った宿老十五人のうちの一人もく

元澄さんの叔父である坂広秀さんらによる謀反が発覚した際、広秀さんの兄である広澄さんは、元就さんが制止したにもかかわらず責任をとって自害し、元澄さんもまた自害を決意したけれど、元就さんの説得により思いとどまり、生涯を通して元就さんの忠臣でありつづけたもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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