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【戦国IXA】2023 年 3 月の追加武将一覧

こんにちは (`・ε´-ゞ) のろしもくっ

 

新たなる舞台が開幕して早くも一ヶ月が経ったもくね

すでに合戦も三回おこなわれて

だいぶ新章に慣れてきたかなという今日このごろ

戦国IXA にフレッシュな顔ぶれが新登場もくっ (。^ε^。)

 

 3 月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 立花道雪さん 浅野長晟さん 九鬼嘉隆さん 山科言継さん

【 特 】 口羽通良さん 松平家忠さん 二階堂盛義さん

【 上 】 林秀貞さん 

【 序 】 隈姫さん

以上の 9 名

 

 

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九鬼嘉隆【 極 】、山科言継【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2023年6月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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豊後国戦国大名大友家に仕え、主家のために数え切れないほどの合戦で采配をふるった猛将 立花道雪 さんの名は遠く東国にまでとどろき、甲斐の武田信玄さんが対面を望んだという逸話も伝わっているもく

類まれな武勇の持ち主である道雪さんは、九州進出を目論む毛利家との戦いの際、八百の兵を集めて毛利家の小早川軍に大量の矢を射かけさせたもく

それらの矢には道雪さんの名が朱記されており、その矢に記された名を見ただけで小早川軍はおそれをなして総崩れとなったため、道雪さんはみずからの名を敵兵に示すだけで勝利を得たといわれているもく

男子に恵まれなかった道雪さんは娘の立花誾千代さんに家督をゆずり、その後、高橋紹運さんの子統虎(立花宗茂)さんを婿養子に迎えて立花家の当主としたもく

 

 

 

浅野長政さんは寧々さんを介して豊臣秀吉さんと姻戚であったため、早い時期から秀吉さんに仕えて重用され、長政さんの次男として生まれた 浅野長晟 さんも秀吉さんに仕えて三千石を与えられたもく

長政さんが関ヶ原の戦いで徳川方についたこともあり、長晟さんは関ヶ原の戦い以後は徳川家康さんに従って備中足守に二万四千石を与えられ、兄の浅野幸長さんが病死するとその家督を相続して紀伊和歌山藩主となったもく

大坂の陣では豊臣方の猛将塙団右衛門さんを浅野家が討ち取るという手柄を挙げ、戦後、家康さんの三女を妻に迎えたもく

その数年後、安芸広島藩主である福島正則さんが改易されると、長晟さんが加増移封されて安芸広島四十二万石の藩主となり、浅野家は幕末まで大藩として続いたもく

 

 

 

最強の水軍として名高い九鬼水軍を率いた 九鬼嘉隆 さんは、織田信長さんに仕えて毛利水軍との戦いなどで活躍し、豊臣政権下でも水軍の頭領として重用されたもく

関ヶ原の戦いでは東西両軍に九鬼家を属させる策をとり、嘉隆さんの子で九鬼家の当主となっていた九鬼守隆さんを東軍に味方させ、嘉隆さん自身は西軍方として伊勢湾の海上封鎖などに活躍したもく

嘉隆さんは敗軍側に与する結果となったけれど、戦後、守隆さんの助命嘆願が徳川家康さんに聞き入れられ、嘉隆さんのもとへ使者が遣わされたもく

しかし、嘉隆さんはその使者が到着する前に、家臣の豊田五郎右衛門さんに促され、九鬼家の安泰のために切腹してこの世を去ったもく

 

 

藤原北家の流れを汲む山科家は羽林家に列する家柄で、衣紋道や雅楽の笙を伝えるなど、有識故実を家業としていたけれど、知行地を横領されるなどしたため、戦国時代に 山科言継 さんが家督を継いだ頃の家計は相当に厳しい状況だったもく

しかし、言継さんは家業の分野だけでなく、和歌や蹴鞠、漢方医学など、多方面の才能にめぐまれたうえに、かなりの酒豪だったともいわれており、それらの才能を活用して幅広い人脈を築き上げ、山科家のみならず朝廷の財政の建て直しにも貢献したといわれているもく

また、言継さんが五十年にわたって記しつづけた日記「言継卿記」が現在も残っていて、当時の公家や戦国大名の動向、有職故実や芸能などを知るうえできわめて貴重な資料となっているもく

 

 

 

毛利家の一族である坂家の傍流志道家に生まれた 口羽通良 さんは、石見国邑智郡口羽村を領したことから、口羽という姓を称したもく

備後山内家と出雲尼子家の関係悪化を察知した毛利元就さんは、山内直通さんへの接近を家臣の通良さんに指示し、通良さんは直通さんから偏諱を賜るほど親交を深めることに成功したもく

元就さんが亡くなり毛利輝元さんが当主を相続すると、吉川元春さん、小早川隆景さん、福原貞俊さんとともに「御四人体制」を構築して輝元さんを補佐し、毛利家の繁栄と安泰に力を尽くしたもく

 

 

 

深溝松平家の四代当主 松平家忠 さんは、本家の当主である徳川家康さんに仕え、その土木技術を高く評価されて城郭の普請や補修などに活躍したもく

外交手腕にも長けた家忠さんは多方面で家康さんを支え、徳川家が関東へ移封されると武蔵国埼玉郡に一万石を与えられたのち、下総国小見川に移封されて大名となったもく

豊臣秀吉さんの死後、家康さんと石田三成さんの対立が深まると、家忠さんは鳥居元忠さんらとともに伏見城を守備し、関ヶ原の戦いへとつながる伏見城の戦いで戦死したもく

家忠さんが十七年間にわたって記し続けた「家忠日記」は、戦国時代の出来事を家康さんのそばに仕えた武将が長期にわたって記録した貴重な資料として現存しているもく

 

 

 

二階堂家は藤原南家の流れを汲む氏族で、二階堂盛義 さんは陸奥国岩瀬郡を支配する須賀川二階堂家の七代当主もく

南奥州で戦国大名として活発な動きを見せる蘆名盛氏さんの勢力が二階堂領にも及ぶと、盛義さんは何度か抗戦するも、ついには嫡男の二階堂盛隆さんを人質として差し出して蘆名家に臣従することを余儀なくされたもく

その後、盛氏さんの嫡男である蘆名盛興さんが早世すると、盛氏さんが人質である盛隆さんを後継者としたため、二階堂家は蘆名家という強力な後楯を得て勢力を拡大していったけれど、盛義さんが病死し、盛隆さんが暗殺されるなど、その勢いは長くは続かず、二階堂家は伊達政宗さんによって滅ぼされたもく

 


戦国IXAにて3月22日(水)に「武将カードの作家名の修正について」お知らせが掲載されていますもく

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n641aa7e19317b

「No.3536「二階堂盛義」【特】」の作家名を「たわわ実」様から「祀花よう子」様に修正とのこと

 

 

 

父の林通安さんとともに織田信秀さんに仕えた 林秀貞 さんは、信秀さんが織田信長さんに那古野城を与えた際、信長さんの一番家老に任命され、平手政秀さんとともに幼少の信長さんを補佐したもく

しかし、世間から「うつけ」と評される信長さんは奇行が目立ち、秀貞さんは織田家の行く末を案じて信長さんの弟である織田信勝さんを当主にしようと画策したけれど、この企ては失敗に終わったもく

秀貞さんの政治や外交の手腕を惜しんだためか、信長さんは秀貞さんをゆるし、筆頭家老の位置につけるなど、これまでと変わらぬ信頼を寄せて重用したけれど、信長さんの天下統一が近づく天正八年、突如秀貞さんは織田家から追放されてしまったもく

 

 

 

亀徳姫という名も伝わっている 隈姫 さんは、肥後国球磨郡人吉を本拠とする戦国大名相良義陽さんの妹とされ、島津義弘さんのもとへ継室として嫁いだけれど、相良家と島津家の関係が悪化すると義弘さんから離縁されてしまったもく

伝承によると、離縁された隈姫さんは人吉へは帰らず、島津領にとどまって十七日間難行苦行をおこない、義弘さんとの復縁、そして相良島津両家の和睦を神仏に祈願したもく

しかし、願いが叶わぬとさとった隈姫さんは悲嘆に暮れて、川に身を投げこの世を去ったと伝わっているもく

 


戦国IXAにて3月22日(水)に「武将カードの作家名の修正について」お知らせが掲載されていますもく

https://sengokuixa.jp/info.php?news_id=n641aa7e19317b

「No.5229「隈姫」【序】」の作家名を「祀花よう子」様から「たわわ実」様に修正とのこと

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

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