2022 年 2 月 4 日( 金 )
戦国IXA 新たな舞台が開幕・・・!
【 下 天 開 闢 ~ 導 か れ し 宿 星 ~ 】
↓↓ 新たな舞台の詳細はこちらもく
http://sengokuixa.jp/getenkaibyaku/
さて 新たな舞台の大殿も気になるところですが
その前に・・・こちらの武将カードをご紹介もく!!
新章でのアップデート内容として
戦国時代の顔とも言える武将 織田信長 さんが
新レア度 【傑】 で新登場!!!!
その超超強力なスペックは特設ページでチェックもく!!
↓↓ 新レアリティ【傑】 の詳細はこちらもく
https://sengokuixa.jp/new_rarity/
そして ここからは 新たな舞台の大殿であり
戦国 IXA の 新【天】武将カード として登場する
12 名をご紹介もくっっっ!!!
室町時代のはじめに足利尊氏さんが土岐頼貞さんに守護職を与えて以来代々土岐家が守護を務めてきた美濃国を、下剋上によって奪い取ったのが 斎藤道三 さんもく
その出自については、油売りの行商から成り上がったという説や、父の代にはすでに美濃において武士となっていたという説など諸説あるけれど、いずれにせよ国主の座など望むべくもない地位から権謀術数を用いて国主へと成り上がった道三さんは、戦国時代屈指の謀略家であり、下剋上の代名詞ともいえる人物もく
織田信長さんの舅としても有名な道三さんは、まだ世間で「うつけ者」と評されていた頃の信長さんを見て、その尋常ならざる能力を見抜いたといわれているもく
一度は仏門に入りながらお家騒動の末に今川家の家督を継いだ 今川義元 さんは、幕府の命令を待たない独断での遠江進出や「今川仮名目録」制定などをおこない、足利家一門である守護大名今川家を、戦乱の世に耐えうる戦国大名へと変貌させていったもく
大軍を擁しながら寡兵の織田軍に討ち取られてしまったことや公家文化を好んだことなどが相まって、軟弱な武将という印象を持たれがちな義元さんだけれど、実は「海道一の弓取り」と称され、今川家の最盛期を築き上げた人物であり、当時天下人に最も近い武将だったともいわれているもく
そんな義元さんが用いた「赤鳥紋」と呼ばれる家紋は、櫛のよごれを取る化粧道具の「垢取り」を図案化したものだといわれているもく
織田信長さんについて述べるとき、その超人的な事績の象徴として語られるのが桶狭間の戦いであるならば、信長さんの破滅とともに語られるのが本能寺の変であり 明智光秀 さんもく
信長さんからその能力を高く評価され、天下取りへ邁進する織田家において五大将のひとりに数えられるほど重用された光秀さんがなぜ主君を討ったのかは、いまなお多くの謎が残っており、動機や真相について数えきれないほどの説が唱えられているもく
主君を討った光秀さんが用いていた桔梗の家紋は、「裏切り者の家紋」とみなされるようになり、桔梗紋を家紋としていた武将のなかには別の家紋に変える者もいたと伝わっているもく
武田信玄の名で広く知られる 武田晴信 さんは、諸大名から「甲斐の虎」と畏怖された名将で、織田信長さんが最も煩わされ細心の注意を払って外交をおこなった相手だといわれているもく
晴信さんに対し、野心や敵意のないことを示したい信長さんは何度も晴信さんに高価な品を献上したようで、あるとき晴信さんが献上品の梱包に使われていた漆塗りの箱を切りその断面を確認すると、それは漆が何層にも塗り重ねられた高価な漆箱であったもく
梱包にまでこれほど高価なものを用いるのは誠意が本物であることの証であると判断した晴信さんは、信長さんに対する警戒心を弱めたといわれているもく
敵対を避けるためにそこまで徹底する信長さんも見事だけれど、献上品そのものではなく梱包の箱の品質をあらためる晴信さんの入念さにも恐れ入るもくね
織田信長さんが、武田信玄さんとおなじくらい恐れていたのが上杉謙信の名で知られる 長尾景虎 さんもく
信玄さんとの五度にわたる川中島の戦いをはじめ、数多くの武将らと合戦を繰り広げた景虎さんは、戦国時代屈指の戦上手であり、諸大名から「軍神」と恐れられていたもく
そんな無類の強さを誇る景虎さんと、急速に勢力を拡大していく信長さんは、ある時期までは良好な協力関係にあったけれど、次第に関係は悪化し、景虎さんが畠山家の七尾城を攻略しようとした際、畠山家の重臣らが信長さんに援軍を要請し、信長さんがそれに応えたことで、ついに上杉軍と織田軍は衝突することとなったもく
手取川の戦いと呼ばれるこの合戦は、織田軍到着前に景虎さんが七尾城を陥落させていたことにくわえ、織田家の武将同士が意見を衝突させて足並みを崩したことなどもあり、兵数では劣る上杉軍が大軍を擁する織田軍に大勝したと伝わっているもく
大坂夏の陣によって豊臣家を滅ぼし、戦乱の世に泰平をもたらした徳川家康さんは、今川家の支配下にあった頃、 松平元康 さんと名乗っていたもく
織田信長さんの名を天下に知らしめた桶狭間の戦いで今川義元さんが討ち取られると、元康さんは今川家からの独立を果たし、その後は信長さんと同盟を結んで領土を拡大していったもく
それからの信長さんの躍進はすさまじく、元康さんは次第に同盟というよりも従属に近いような姿勢で信長さんに尽くし、嫡男である松平信康さんを切腹させるよう信長さんに命じられた際も、その命令に従ったもく
そのような経緯が影響しているのか、本能寺の変に関する数多くの説のなかには、元康さんを黒幕や共犯者であると考える説も存在するもく
のちに天下人となる 羽柴秀吉 さんも、明智光秀さんとおなじく、織田信長さんによって見出だされ、織田五大将のひとりに数えられるほどの地位にまで引き上げられた人物もく
秀吉さんは信長さんのもとで、一夜にして城を築いたと伝わる「墨俣の一夜城」や、備中高松城を文字通りの水攻めで孤島にしてしまった「高松城の水攻め」など、奇策を用いて数多くの手柄を挙げたけれど、その一方で、朝倉浅井連合軍によって織田軍が窮地に立たされた際には、全軍の壊滅を防ぐために命を捨てる覚悟で殿軍をつとめたと伝わっているもく
「人たらし」と称されるほどの人心掌握の巧みさや、機知に富んだふるまいなどがよく語られる秀吉さんだけど、こういった生死を顧みない行動があったからこそ、信長さんの信頼を得ることができたのかもしれないもくね
戦国三大梟雄のひとりに数えられる 松永久秀 さんは、阿波の戦国大名である三好長慶さんに仕えた人物で、長慶さんが上洛して三好政権を成立させるとその政権内で地位を高めていき、大名並の実力を持つようになったもく
長慶さんの没後、織田信長さんに茶の名器として知られる「九十九髪茄子」を献上して臣従を誓ったけれど、全国の反信長勢力が連携を強めはじめると、久秀さんもそれに呼応して信長さんにそむき、信貴山城に立て籠もったもく
久秀さんは「平蜘蛛」と呼ばれる茶釜を所有しており、信長さんは「平蜘蛛」を差し出せば助命すると伝えたけれど、久秀さんはその申し出に応じず、「平蜘蛛」を抱いて爆死したといわれているもく
キリシタン大名としても有名な 大友宗麟 さんは、守護大名や有力な土豪など大小の勢力が入り乱れる九州において六ヶ国を支配し、「豊後の王」として諸外国にまでその名を知られていたもく
毛利家に身を寄せて織田家攻めを画策する足利義昭さんが、毛利家と長年敵対している大友家を将軍に背く者であると糾弾したため、宗麟さんは織田信長さんに接近して勢力の維持を図ったもく
しかし、本能寺の変で信長さんが討たれてしまい、薩摩の島津家の勢いにおされた大友家は次第に衰退していったもく
一時は九州最大の勢力となった宗麟さんはキリスト教国家の建国を夢見ていたといわれ、その理想郷を「ムジカ」と名付けたと伝わっているもく
織田信長さんの家臣である森可成さんの三男として生まれた 森蘭丸 さんは、ふたりの弟とともに小姓として信長さんに仕えたもく
あるとき信長さんに、隣の座敷の障子が開いているので閉じてくるよう命じられ、蘭丸さんが隣の座敷へ行くと障子が閉まっていたので、蘭丸さんは一度障子を開き音を立てて閉め、信長さんの思い違いだったことを周囲に気づかれぬよう対処したといわれているもく
機転がきき、気配りもできる人物だった蘭丸さんは忠義の心もあつく、明智光秀さんが謀反を起こし本能寺を襲った際も、最後まで信長さんのそばを離れず、主君とともに討ち死にしたもく
「海賊大名」の異名を持つ 九鬼嘉隆 さんは、九鬼水軍を率いて織田信長さんに仕え、信長さんを苦しめた長島の一向一揆や石山本願寺との戦いにおいてめざましい働きを示したもく
第一次木津川口の戦いと呼ばれる海戦で毛利軍に敗れた信長さんは、嘉隆さんに命じて大型の鉄甲船六艘を建造させ、二年後に再び木津川河口で毛利水軍と織田水軍が激突した戦いは、織田軍の大勝におわったもく
毛利家から本願寺への海上補給を阻むことに成功した意義はおおきく、嘉隆さんはこの戦功によって加増をうけ、三万五千石を領する大名となったもく
豊臣政権にも仕えた嘉隆さんは朝鮮出兵の際にも、日本国の水軍の代表的な存在として大船団を率いて参陣したもく
摂津池田家の家臣だった 荒木村重 さんは、池田家に起こった内紛の混乱に乗じて主家の実権を握り、その後、織田家へと転じると、伊丹城主として摂津一国を任されるほど織田信長さんに重用されたもく
しかし、乱世らしい立身出世を果たした村重さんは、突如として信長さんに反旗を翻して有岡城(伊丹城)に籠城するという、これまた乱世の人物らしい挙に出たもく
村重謀反の知らせを聞いた信長さんは、数度にわたって翻意を促す使者を派遣したけれど村重さんは応じず、約一年間の徹底抗戦ののち妻子を残して城から脱出したもく
その結果、一族は皆殺しにされてしまったけれど、豊臣秀吉さんが天下人となった頃、村重さんは大坂に舞い戻り、茶人として余生を過ごしたといわれているもく
なお
織田信長【 傑 】 斎藤道三【 天 】 今川義元【 天 】 明智光秀【 天 】 については
取引出品・譲与不可とのこともく
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今回の【天】武将カード追加時に下記の【天】武将カードは一部くじより排出停止とのこともく
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