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【戦国IXA】「 虎王咆哮~已まぬ烈風、消えぬ炎~ 」 新天情報

2023 年 8 月 10 日( 木 )

  戦国IXA  新たな舞台が開幕・・・!

 

【 王咆 ~ 已まぬ烈風、消えぬ炎 ~ 】

 

 

↓↓  新たな舞台の詳細はこちらもく

https://sengokuixa.jp/season26/

 

 

新たな舞台では

 

新【 傑 】武将カードとして 

『甲斐の虎』の異名を持つ あの傑物が登場するもく!!!!

 

そして 大殿ならびに

新【 天 】武将カードとして 12 名の猛者達が登場するもく!!!!

 

 

 

 

↓↓  【傑】 の詳細はこちらもく

https://sengokuixa.jp/new_rarity/

 

新たに【 傑 】武将カードとして登場する 武田信玄 さんは、戦国最強と謳われる武田軍を率いた名将で、全国の大名から「甲斐の虎」とおそれられたもく

甲斐源氏嫡流にあたる名門武田家は、信玄さんの父である武田信虎さんによって守護大名から戦国大名へと変貌を遂げたけれど、家臣や領民は度重なる合戦や重税に苦しみ、ついには信虎さんは国外へ追放され、信玄さんが家督を相続したもく

信玄さんによって統率された武田軍は比類なき強さを誇り、「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」と記された軍旗はあまりにも有名で、「風林火山」は信玄さんの代名詞ともいえる四文字となっているもく

そんな信玄さんと武田軍は徳川家康さんの領内へ侵攻し、いよいよ上洛に向けての行動を開始したもく

徳川軍を難なく撃破する武田軍だったけれど、野田城の攻略には予想外の時間を費やし、その後、そのまま西上するかと思われた武田軍は甲斐へ引き返してしまったもく

この武田軍の不可解な動きは、信玄さんの病状悪化によるものとされ、甲斐へ引き返す三河街道上で信玄さんは亡くなり、自身の死を三年間は秘匿するように言い残したといわれているもく

 

 

 

武田信玄さんと並び称される戦国最強の武将 上杉謙信 さんは、五度にわたって川中島の戦いを繰り広げるなど、宿敵として信玄さんを悩ませつづけたもく

信玄さんが「甲斐の虎」なら、謙信さんは「越後の龍」の異名を持ち、その人間離れした合戦のうまさと圧倒的な戦績により、諸大名からは「軍神」とおそれられたもく

謙信さん自身もみずからを武神「毘沙門天」の生まれ変わりであると信じていたといわれ、「毘」の一文字を旗印に用いていたもく

幾度となく合戦をおこなった宿敵信玄さんの死を伝え聞いたとき、謙信さんは「吾れ好敵手を失へり、世に復たこれほどの英雄男子あらんや」と嘆き悲しみ、この機に武田家を攻め滅ぼすべきだという家臣の進言も退けたといわれているもく

 

 

 

「甲斐の虎」武田信玄さん、そして「越後の龍」上杉謙信さん、戦国時代を代表するこのふたりの武将と対等に渡り合い、「相模の獅子」と称された名将が 北条氏康 さんもく

後北条家三代目当主となった氏康さんは、家祖北条早雲さんからつづく善政を継承し、領民や家臣からも慕われ、軍事の面でも政治の面でも優れた手腕を発揮したもく

関東制覇を目論む氏康さんは、北条家、今川家、武田家の甲相駿三国同盟を結ぶことで背後の脅威をとりのぞき、関東での戦いに専念していったもく

しかし、今川義元さんの没後、信玄さんが駿河国へ侵攻したために三国同盟は破棄され、氏康さんは信玄さんとの対立を覚悟の上で今川家の支援に乗り出し、北条家と武田家の同盟関係は崩れてしまったもく

 

 

 

武田家は甲斐国守護大名ではあったものの、国人勢力や守護代の台頭を許し、戦国期の甲斐国はおおいに乱れて守護不在ともいえる状態となっていたもく

そんな甲斐国を統一し、武田家を守護大名から戦国大名へと変貌させたのが、武田信玄さんの父 武田信虎 さんもく

甲斐国を安定させた信虎さんは周辺国への侵攻を開始したけれど、繰り返される合戦により領国経営は苦しくならざるを得ず、負担を強いられる領民や家臣は次第に信虎さんへの不満を募らせていったもく

そして、信虎さんが娘婿にあたる駿河国今川義元さんのもとを訪問した機をとらえ、信玄さんは家臣らを動かして甲駿国境を封鎖し、信虎さんをそのまま追放してしまったもく

甲斐国への帰還をあきらめた信虎さんは、そのまま今川家に身を寄せ、義元さんの「御舅殿」として今川家一門よりも高い身分として遇されたといわれているもく

 

 

 

蘆名家第十六代当主 蘆名盛氏 さんは、奥州において絶大な勢力を持つ伊達稙宗さんの娘を正室とし、会津蘆名家の最盛期を築き上げた人物もく

稙宗さんとその嫡男である伊達晴宗さんとの争いから発展した天文の乱において、盛氏さんははじめ稙宗さん方についたけれど、おなじく稙宗さん方についた田村隆顕さんとの対立などから晴宗さん方に転じ、晴宗さんの勝利に大きく貢献したもく

その後、盛氏さんは領土拡張のため隆顕さんと戦うことになったけれど、田村家の背後に控える常陸国の佐竹家の妨害にあったため、盛氏さんはそれに対抗すべく、北条氏康さん、そして武田信玄さんと同盟を結んだもく

信玄さんは盛氏さんの器量を非常に高く評価していたといわれ、天下の優れた武将四人のうちのひとりに盛氏さんの名を挙げたという話も伝わっているもく

 

 

 

清和源氏の流れをくむ常陸国の名門佐竹家は一度はその勢威が衰えたものの、戦国期に佐竹家第十五代当主佐竹義舜さんが「中興の祖」として活躍し、第十八代当主 佐竹義重 さんの登場によって最盛期を迎えたもく

外交戦略で手腕を発揮する一方、領内の金山に最新の冶金技術を導入することにより豊富な資金を確保し、関東一の鉄砲隊を組織したといわれているもく

また、個人としての武勇にも優れた義重さんは、北条家との戦いにおいて敵陣に突撃し、一瞬のうちに七人の敵を斬り伏せたといわれ、「鬼義重」や「坂東太郎」の異名でおそれられていたもく

義重さんは武田家と同盟を結ぶために武田信玄さんと手紙を交わしたけれど、両家がどちらも新羅三郎義光を祖としていたため、どちらが宗家であるかをめぐって両者のあいだで議論となり、同盟は決裂してしまったといわれているもく

 

 

 

三好義継さんらによって将軍足利義輝さんが殺害され、義輝さんの弟である足利義昭さんが幽閉先の興福寺から脱出して近江国若狭国へ逃亡した末に頼ったのが、越前国朝倉義景 さんもく

義昭さんを快く迎え入れた義景さんではあったけれど、将軍となることを強く願う義昭さんから、ともに上洛することを何度も要請されたもののそれについては頑なに拒否し続け、その結果、義昭さんは朝倉家を離れ織田信長さんを頼ることとなったもく

義昭さんを奉じて上洛を果たした信長さんは、天下布武に向けて歩みを進めていったけれど、次第に義昭さんと信長さんの関係は不和となり、義昭さんは各地の大名に呼びかけて信長包囲網を張ったもく

西上作戦を開始した武田信玄さんは、浅井長政さんと協力して織田軍の動きを封じることを義景さんに要請したけれど、積雪と兵士の疲弊を理由として義景さんは撤退し、信長包囲網にほころびを作ってしまったもく

 

 

 

もともと京極家の被官であった浅井家は、浅井亮政さんの活躍により北近江で勢力を築いたけれど、亮政さんから家督を継承した浅井久政さんはその勢力を保つことができず、南近江の守護六角家に従属することとなったもく

久政さんの嫡男としてうまれた 浅井長政 さんは、その恵まれた武勇と家臣たちの支持により、六角家からの独立、そして久政さんを隠居させることに成功したもく

天下布武の野望を持ち、浅井家との同盟を望む織田信長さんに対し、長政さんは浅井家の盟友である朝倉家への「不戦の誓い」を条件として同盟を受け入れ、信長さんの妹のお市さんを正室に迎えたもく

しかし、信長さんが不戦の誓いを破って朝倉家に争いを仕掛けたため、長政さんは織田家との同盟を破棄し、足利義昭さんや武田信玄さんらの形成する信長包囲網にくわわって信長さんを苦しめたもく

 

 

 

里見義堯さんは北条氏綱さんの支援を受けて、安房里見家の第五代当主となることができたけれど、やがて関東の覇権をめぐって北条家と争うようになり、義堯さんから家督を継承した 里見義弘 さんもまた北条家との戦いに多くの力を注ぐこととなったもく

里見家は上杉家などと結んで大国北条家と対抗していたけれど、上杉家と北条家が越相同盟を結んだため、義弘さんはあらたに武田信玄さんと甲房同盟を締結し、徹底して北条家と対立する姿勢を取り続けたもく

しかし、上杉家や武田家を始めとする各地の勢力が、中央で急成長する織田信長さんとの対決に専念し始めたため、北条家の勢力伸長をおさえる軍事力が関東からなくなってしまったもく

これ以上の争いは里見家にとって無益と考えた義弘さんは、ついに北条家との和睦を決意し、両家の戦いの歴史に終止符を打ったもく

 

 

 

浄土真宗本願寺派第十一世宗主として教団の最盛期を築いた 本願寺顕如 さんは、武田信玄さんの正室三条の方さんの妹である如春尼さんを妻としていたため、信玄さんとは義兄弟の関係にあったもく

全国各地の門徒に号令をかけて一揆を起こさせることもできた顕如さんは、大名に匹敵するほどの権力を持っていて、諸大名におそれを抱かせる存在だったもく

足利義昭さんを奉じて上洛した織田信長さんに対し、最初は従う姿勢を見せた顕如さんだったけれど、次第に信長さんからの要求と圧迫が甚だしくなり、石山本願寺の開け渡しまでも要求されたため、顕如さんは信長さんと敵対することを決意し、本願寺織田家は交戦状態に突入したもく

信長包囲網の一角を担った顕如さんは、十年以上にもわたって織田軍を苦しめ、信長さんの天下統一の歩みを大きな壁となって阻害したもく

 

 

 

大友家の最盛期を築き「豊後の王」と称された大友宗麟さんの宿老 立花道雪 さんは、主家のために大戦三十七回、小戦百余回を戦い、自らが総大将となった戦いはほぼ無敗だったといわれており、戦国乱世にあってもその猛将ぶりは際立っているもく

三十五歳頃のある夏の日、道雪さんが大木の下で昼寝をしているとにわかに天気が崩れ、大木に雷が襲いかかったけれど、道雪さんはそばに立てかけていた愛刀で雷を斬り払ったという伝説がのこされているもく

これほどの武勇を誇る道雪さんなので、当然その名は全国に轟いており、鎮西に道雪という戦上手がいると伝え聞いた武田信玄さんが、「一度戦ってみたいが遠く離れているためにそれができない」と残念がったという話も伝わっているもく

 

 

 

上野国箕輪城主長野家は関東管領山内上杉家に属する豪族で、「上州の黄斑」と称される猛将 長野業正 さんも、山内上杉家十五代当主の上杉憲政さんに仕えて数々の合戦で活躍したもく

しかし、憲政さんは大国がせめぎ合う関東で徐々に支配力を失い、西上州の諸将から見限られ、業正さんもまた憲政さんから離反することとなったもく

ここで上杉家の敵である北条家に従うということもできた業正さんだったけれど、上杉家への義理立てからそうはせず、小大名として独立した勢力となり、幾度となく武田信玄さんの侵攻を受け、その度に武田軍を撃退し、信玄さんに「業正ひとりが上野にいる限り、上野を攻め取ることは出来ぬ」と言わせしめたもく

 

 

 

三英傑のひとり織田信長さんは、幼名を吉法師といい、元服して 三郎信長 と称したもく

最も有名な戦国武将といっても過言ではない信長さんは、戦国時代を舞台とした映像作品が制作されるたびに誰がその役を演じるのかと話題になり、戦国時代を象徴する人物といえるもく

様々な難題難敵を抱えながら織田家を全国一の勢力に押し上げ、天下統一へと邁進する信長さんにとって、武田信玄さんは避けて通ることのできない存在だったけれど、信長さんは信玄さんに高価な品を献上するなどして可能な限り敵対することを避けたもく

しかし、ついに信玄さんは西上作戦を開始し、徳川軍や織田家の援軍を撃破、このまま信長さんの天下統一の野望も打ち砕かれるかと思われたけれど、信玄さんは陣中で病に倒れ、天が信長さんに何事かを託したかのように信長包囲網はほころびを見せ始めたもく

 

 

 

なお

武田信玄【 傑 】 上杉謙信【 天 】 北条氏康【 天 】 については

取引出品・譲与不可とのこともく

 

 

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今回の【傑】【天】武将カード追加時に

下記の

【傑】武将カードは 全てのくじから
【天】武将カードは 一部くじより 排出停止とのこともく

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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