戦国IXA のろしのBLOG もくっ ・ε ・

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【戦国IXA】4 月の追加武将一覧

こんにちはわわわー (。^ε ^。)ノ 

過ごしやすい季節になってきたし 4月ということもあるから 

お部屋の模様替えでもして気分をリフレッシュしようかなと思案中の のろしもく!

 

でも お昼寝が気持ちいい~ 季節でもあるのよね~ 

な♪ の♪ で♪ 今日のところは (˘ε˘ 人 スヤー zzz もく♪

 

さて 戦国IXA では

 

  4 月 の  将  た 

 

追加されるのは

【 極 】 陶晴賢さん 小西行長さん 佐竹義重さん 阿茶局さん

【 特 】 結城晴朝さん 伊東マンショさん 徳川義直さん

【 上 】 都築秀綱さん 

【 序 】 皆川広照さん

以上の 9 名と

 

 

さらに

【 天 】 織田信長さん 今川義元さん

以上の 2 名が 

スキルやステータスを新しくした復刻版として登場するとのこともく

 

 

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佐竹義重【 極 】、阿茶局【 極 】 は 取引不可 で

2021年7月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

織田信長【 天 】、今川義元【 天 】 は 取引不可 で

2021年6月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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陶晴賢さんは代々重臣として大内家につかえた家のうまれで美少年だったと推測されており、幼少の頃から、時の大大名であった主君の義隆さんの寵愛を受けたもく

やがて父譲りの武力で「西国無双の侍大将」と称されるほどに成長すると、家内の武断派の中心を担うようになったもく

しかし、尼子家を相手にした月山富田城攻めの敗戦によって義隆さんが軍事を蔑ろにして貴族文化に傾倒していったことに反発、元々の気性の粗さも相まって謀反を起こすと、ついには主君を討つに至り、中国地方の覇権争いに名乗りを上げたのだが、その眼前には次代の覇者・毛利元就さんが立ち塞がったもく

 

 

 

豊臣政権において交渉役などを務め、キリシタンとしても有名な小西行長さんは、商人の出とも元から武家出身だったともいわれるが生い立ちについてははっきりとはしていないみたいで、その存在が確認できるようになった頃は宇喜多家につかえていたもく

主君が織田家に従ったのを機に、秀吉さんに才覚を見出されて舟奉行に任じられると、海の司令官として手腕を発揮したもく

そして、九州平定の戦功によって肥後国加藤清正さんと分け合う形で与えられたのだが、この隣接する領地の関係や、熱心な日蓮宗信者で武断派でもあった清正さんとは馬が合わなかったようで、文禄・慶長の役では先陣を争ったことがつたわっているもく

反対に文治派の石田三成さんとは朝鮮出兵以降通じるところがあったようで、関ヶ原の戦いでは西軍として参戦し斬首の最期となったもく

 

 

 

戦国時代に不遇の名門となっていた佐竹家を一代にして有力戦国大名に押し上げた佐竹義重さんは、その勇猛さから「鬼義重」と恐れられたもく

外交にも長け、家督を継いだ若年期には上杉謙信さんとの協力に成功し周辺勢力を撃破、関東の覇権を北条家と争うに至った折には結城家や宇都宮家との婚姻による同盟や羽柴秀吉さんとの関係を構築することによって窮地を乗り越えると、成熟期には奥州の諸将をまとめ上げ反伊達連合も結成したもく

長男の義宜さんに家督を譲って隠居した後も実権を握っていたそうだけれど、親子ともに毛虫をあしらった兜を着用していたことがつたわっているもく

 

 

 

徳川家康さんがもっとも信頼した女性ともいわれる阿茶局さんは、はじめ神尾忠重さんのもとに嫁いだもののはやくに死別し、その後、家康さんにつかえて側室となったもく

家康さんは聡明で才略にたけた阿茶局さんを寵愛し、たびたび戦場へもともなったといわれているもく

また、徳川秀忠さんの生母である西郷局さんが亡くなると、奥向きの諸事一切をとりしきり、事実上の正室ともいえる存在だったみたいもく

大坂冬の陣にも同行した阿茶局さんは、淀さんの妹である常高院さんと会見して和議を成立させており、奥向きの仕事のみならず、戦場においても家康さんにとって頼りになる存在だったことがうかがえるもく

 

 

 

小山高朝さんの三男としてうまれた結城晴朝さんは、下総結城家の十六代当主である伯父の結城政勝さんに跡継ぎがなかったためその養子となり、政勝さんが病没すると、関東八屋形に数えられる名家の当主となったもく

晴朝さんは、複雑な勢力図が展開される関東の戦国時代を、合戦もふくめた巧みな外交によって乗り切り、小田原征伐の際には豊臣秀吉さんに従って所領を安堵され、さらに徳川家康さんの子であり、秀吉さんの養子となっていた秀康さんを養嗣子として迎えて家督をゆずったもく

すぐれた外交手腕により名門下総結城家の存続をはかった晴朝さんだったけれど、関ヶ原の戦いのあと結城家は越前国へ転封され、さらに姓を松平に改めることとなり、下総結城家の家名は消滅してしまったもく

 

 

 

祖父である伊東義祐さんが島津家の侵略をうけ、まだ幼い伊東マンショさんは家臣に背負われて、キリシタン大名大友宗麟さんがおさめる豊後国に落ち延びたもく

豊後国キリスト教と出会い洗礼をうけたマンショさんは、宗麟さんの名代として天正遣欧少年使節の正使となりローマに派遣されたもく

けれど、マンショさんがローマに携帯した宗麟さんの書状のなかに「不龍獅子虎」という宗麟さんが他で使用した形跡のない署名があり、この書状が偽作であった可能性や、宗麟さんが少年使節の派遣に関与してなかった可能性なども指摘されているんだってもく

帰国後、マンショさんは勉学に励んで司祭に叙階され、キリスト教の弾圧がすすむなか布教活動にいそしんだもく

 

 

 

徳川義直さんは徳川家康さんの九男で、徳川御三家の筆頭として知られる尾張徳川家の始祖となった人物もく

義直さんは家康さんの実子としてその遺訓をよく守ったけれど、家康さんの実子であるという意識が強すぎたためか、歳の近い甥である三代将軍徳川家光さんとたびたび衝突したといわれているもく

藩政については家臣まかせにせず、新田開発や城下町の整備などを積極的におこない、また、学問を奨励し、家康さんの形見として受け継いだ書物や、みずから収集した書物などをおさめる「蓬左文庫」を創設し、それらの書物を門外不出とすることなく公開したもく

 

 

 

今川義元さんの家臣であった都築秀綱さんは、義元さんが敗死した桶狭間の戦いのあと、今川家内が動揺して離反する者も出るなか変わらずに今川家に仕えつづけ、義元さんの子である今川氏真さんから所領安堵の判物を拝領したもく

しかしのちに秀綱さんは、遠江の今川領に侵攻してきた徳川軍に降伏して、徳川家康さんに仕えることとなったもく

徳川家では本多忠勝さんの与力となって数々の合戦で戦功をあげたといわれ、家康さんの関東移封にともない忠勝さんが城持ち大名となると、秀綱さんは付家老に抜擢されたもく

 

 

 

皆川俊宗さんの次男で、下野の皆川城主、栃木城主だった皆川広照さん。

うまれた頃は上杉謙信さんと北条氏康さんが勢力争いを繰り広げていた時代で、北関東の小勢力は生き残りのために双方への従軍や離反を繰り返しており皆川家もまた例外ではなかったもく

広照さんが家督を継いだ頃には、上杉謙信さんが死去、佐竹家の台頭もあって依然として周辺の不安定な状況が続いていたので、中央の織田信長さんや徳川家康さんに接近するなど存続の道を模索したもく

豊臣秀吉さんの天下統一間際には、北条方として小田原城に入っていたが、豊臣方で繋がりを作っていた徳川家康さんに直ぐに降伏したため所領安堵となり、以降は徳川家に従軍して激動の時代を生き抜くことに成功したもく

 

 

 

三英傑のひとりで、織田家を全国一の勢力にした歴史上屈指の名将織田信長さん。

 

 

 

領地経営能力と戦国武将としての才覚を併せ持ち、今川家の最盛期を築いた今川義元さん。

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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