戦国IXA のろしのBLOG もくっ ・ε ・

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【戦国IXA】2 月の追加武将一覧

ヾ(⌒(_*'з'*)_ やっほーい こんにちは のろしもくーぅ

 

先日ついに 戦国IXA 新たなる舞台 
  下天開闢 ~ 導かれし宿星 ~が開幕したもくね

 

既に 新【天】武将カードをゲットできた人もいるかなもく?

 

noroshi-sengokuixa.hatenablog.com

 

のろしの同盟員やお友達もここ数日 一喜一憂いろいろあったみたいだけど

開幕の余韻と興奮もさめやらぬ中 要チェック情報がこちら!

 

  2 月追加武将 が 公開されました もく 

 

追加されるのは

【 極 】 五郎八姫さん 三好元長さん 吉川元春さん 真田昌親さん

【 特 】 西郷純久さん 小田政治さん 前田利常さん

【 上 】 八十姫さん 

【 序 】 浦上宗景さん

以上の 9 名

 

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吉川元春【 極 】、真田昌親【 極 】

取引出品・譲与不可で

2022年5月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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五郎八姫さんは、伊達政宗さんと正室の愛姫さんの結婚十五年目にして初めて生まれた子供だったもく

「五郎八」というその名については、政宗さんが後継者誕生を熱望し男子であることしか考えていなかったためそのまま男子名が付けられたといわれているもく

そして、徳川家との結びつきを強めるために家康さんの六男である松平忠輝さんのもとに若くして嫁いだが、すぐにまた政略によって離縁させられてしまったもく

とても美しく聡明であったそうだけれど、キリシタンである母の影響から自身もキリシタンであったといわれ、その教義に従ったため再婚はしなかったと考えられているもく

 

 

 

三好元長さんは細川家に仕えた重臣であり、のちに三好政権を築きあげる長慶さんの父もく

織田信長さんらが活躍した時代のひと世代上にあたり、戦国時代序盤に覇権を争うことになる細川家と三好家、そして将軍足利家を巻き込む因縁の発端に大きく関わった人物でもあるもく

細川家の後継者争いの渦中に祖父と父が亡くなると、元長さんはそのことにより仇敵となった細川高国さんに対して、若年であった細川晴元さんを擁して戦ったもく

その戦いを優位に進め、足利義維さんを擁立した堺幕府の創設にも貢献して山城守護代を務めたのだけれど、高国さんとの戦いに勝った後に晴元さんとの関係が悪化し、最期は自害に追い込まれてしまったもく

 

 

 

毛利元就さんの三人の息子は、後世に創作されたといわれる「三本の矢」の逸話や、毛利家とそれを支える吉川家・小早川家を表した「毛利両川」として有名であるが、三兄弟の中の次男であったのが吉川元春さんもく

稀代の策略家であった元就さんにより、安芸の名門・吉川家に養子として送り込まれて家督を乗っ取る形で相続したもく

知略に長けた父や兄弟とは気質が異なる武人肌だったそうで、元就さんをして「我は戦では元春に及ばぬ」と言わしめるほどの猛将に成長すると、毛利家の戦いの先鋒として生涯の大半を過ごし、中でも山陰の覇者として一時代を築いた尼子家とは度々激戦を繰り広げたことが伝わっているもく

 

 

 

真田昌親さんは、昌幸さんの三男、あるいは四男とされる人物で、兄に信之さんと信繁さんがいるもく

真田家の命運をかけた「犬伏の別れ」には不在であったものの、一時、徳川家からは昌幸さん信繁さんと同じく裏切ったのではないかと疑われたが事なきを得て、信之さんに従い関ヶ原の戦いでは東軍についたもく

その後は、西軍敗戦により蟄居を命じられて九度山で過ごす昌幸さん信繁さんの生活費を援助したともいわれるもく

のちに幕臣となって活躍する信之さんに従ったことも功を成し、息子の信親さんは江戸時代の旗本になったそうもく

 

 

 

西郷家は、鎌倉時代後期から肥前の伊佐早荘一帯にかけて勢力を振るった一族だったといわれるが、1400年代後半までの足跡ははっきりしないらしいもく

有馬家最盛期の礎を築いた貴純さんが大村純伊さんを攻めた際に、西郷尚善さんが有馬家勝利に大きく貢献したことで西郷家の名が広まることになったそうもく

尚善さんは男子に恵まれなかったことから有馬家から養子を迎えたのだけど、それが西郷純久さんもく

純久さんは、兄であり有馬家最盛期の当主となった晴純さんを補佐し、各地を転戦したと伝わるもく

 

 

 

小田政治さんは、小田家の十四代当主にして、戦国大名化へと導いた中興の祖と評される人物もく

堀越公方からの養子だったという説もあるが、北条家が覇者へと駆け上がる以前、勢力図が目まぐるしく変わる混沌とした関東において存在感を放ち、積極的に多方面に戦いを仕掛けて勢力を拡大させていったもく

また、血気盛んな一面ばかりでなく、時流を読んで佐竹家と婚姻による関係強化を図るなど政略にも長けたそうだが、そうした目立ち過ぎる活躍ぶりが警戒され、あとを継いだ氏治さんに苦難の人生を招いてしまったともいわれるもく

 

 

 

前田利常さんは、利家さんの四男で、長兄の利長さんに男子がいなかったためその養子になるなど様々な巡り合わせにより、側室の子でありながら家督を継ぐことになるもく

秀吉さん死去後、五大老同士の前田家と徳川家の微妙な関係から発生した慶長の危機を乗り切るため、お互いにまだ幼年であったが、徳川秀忠さんの娘・珠姫さんと結婚することになったもく

加賀藩初代の利長さんから藩主を継いだのちも依然として徳川幕府から警戒の目を向けられたけれど、前田家伝統ともいえるかぶきものの振る舞いによりうつけを装い、巧みにその視線をかわしたそうもく

一方、藩内では万が一攻め込まれた際の防備を固め、また、農政改革や美術工芸振興に積極的に取り組むなど加賀百万石を安泰とする名君ぶりを見せていたもく

 

 

 

八十姫さんは、晩年の加藤清正さんのもとに次女として生まれ、九⇒苦がないようにという願いを込めて「八十」の名が付けられたそうもく

徳川家との縁組により家康さんの十男である頼宣さんの正室として嫁ぐことになり、その際には娘の晴れ姿を見る前に亡くなっていた父の片鎌槍など多くの遺品を持参したんだってもく

頼宣さんが初代紀州藩主になると自身も紀州に移り、二人の間に子は恵まれなかったものの側室の子を実子同様に厳しく育てて徳川御三家のひとつ紀州徳川家の礎を築き、この系譜から八代将軍吉宗さんなどが輩出されることになるもく

 

 

 

浦上宗景さんは、備前国戦国大名であった父の戦死後、家督を継いだ兄が尼子家の備前侵攻に対して恭順を図ったため対立し、別勢力として天神山城にて旗揚げしたもく

反尼子勢力を取り込み毛利家の助力も得てこの地の争いを制すると、巧みな戦略で影響範囲を拡大していき、やがて毛利家とも権益が重なるほどの勢力へと至り中国地方の覇権争いにも名乗りを上げたもく

その流れの中で同じく実力を付けていったのが、宗景さんの家臣とも同盟勢力ともいわれる宇喜多直家さんで、陰謀家として名を馳せた直家さんの代表的な下剋上によって宗景さんは追放されてしまうもくぅ

追放後歴史の表舞台に戻ってくることはなかったようだけれど、宗景さん旺盛の際の動きは、中央の織田信長さんと中国地方の毛利家らの勢力図に影響を与えたとする捉え方もあるみたいもく

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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