戦国IXA のろしのBLOG もくっ ・ε ・

スクウェア・エニックスのオンラインゲーム 【 戦国IXA 】を 応援する煙の妖怪 のろし が 戦国IXAやのろしのことをゆる~くお届けしますもく

【戦国IXA】4 月の追加武将一覧


えっほ┏( ・ε・)┛ほいさっ┏( ・ε・)┛どっこいしょ┏( ・ε・)┛

こんにちはー のろしもくっ

 

春になって新生活が始まった人もいるかなもく?

のろしのご近所にも最近引っ越してきた人がいるけれど

新たに 戦国 IXA へとやってきたのは こちらの皆さんもく!

 

 

 

追加されるのは

【 傑 】 賀茂在昌さん

【 極 】 大野治房さん 龍造寺家兼さん 片倉重長さん 宍戸梅軒さん

【 特 】 堀直政さん 大井の方さん 九鬼浄隆さん

【 上 】 中野康実 さん 

【 序 】 稲田植元さん

以上の 10 名

 

そして

帰蝶さん ねねさん 淀さん

以上の 3 名 がそれぞれ

新規イラストでの 【 天 】 と 

スキルやステータスを新しくした

イラスト復刻版の 【 極 】 で 登場するとのこともく

 

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片倉重長【 極 】、宍戸梅軒【 極 】、

帰蝶【 天 】【 極 】、ねね【 天 】【 極 】、淀【 天 】【 極 】

取引出品・譲与不可で

2022年7月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

賀茂在昌【 傑 】は取引出品・譲与不可とのこともく

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▼レアリティ【 傑 】について

https://sengokuixa.jp/new_rarity/

 

戦国時代から安土桃山時代にかけて、賀茂在昌 さんというキリシタン陰陽師が存在したそうもく

在昌さんの実像については確かなことがわかっていないものの、ルイス・フロイスさんらが残したキリシタン文献において、公家にして天文学の名家の出自である人物が、宣教師達の天文学知識に感銘を受けたことをきっかけに洗礼を受けてキリシタンになったという記述が確認できるらしいもく

また、日本側の史料では、天文や暦の担当機関を統括する陰陽頭を務めていた人物が、焼損した東大寺大仏に代わる大仏造立・安置のために豊臣秀吉さんが創建した方広寺地鎮祭に携わったという記録が残されているそうで、いずれの史料においても人物名が「あきまさ」あるいはそれに近い名であることから、同一人物という可能性を基にして研究が進められているみたいもく

 

 

 

大野治房 さんは、幼少より豊臣秀頼さんに仕えた武将で、古田織部さんから茶道を学んだ茶人でもあったそうもく

武将としての活躍は大坂の陣が知られており、まず冬の陣では防衛の総指揮を担い、戦局不利になっていく中でも夜襲を敢行して勝利するなど武闘派として存在感を示したもく

冬の陣は和睦となったが、それを推し進めた側にいた兄の治長さんとも不和になるなど納得がいっていなかった治房さんは、待ってましたとばかりに夏の陣では徳川秀忠さんを追い詰める奮闘ぶりを見せたと伝わるけれど、敗戦後の足取りは諸説あってわからないらしいもく

 

 

 

龍造寺家の分家である水ヶ江龍造寺家を興した 龍造寺家兼 さんは、本家が当主の早逝や分裂で衰退していく中、本家に代わって実権を握ると、剛勇と智謀で少弐家筆頭家臣にまで地位を押し上げたもく

北九州の覇権を狙い攻めてきた大内家も撃退するなど、遂には少弐家との主従関係を脅かすほどの力を有するようになったが、その台頭を恐れた同僚の馬場頼周さんの謀略によって子や孫が暗殺され、自身も筑後に逃れざるを得なくなってしまったもく

それでも既に九十を超える年齢でありながら再び戦場へ舞い戻ると、見事に頼周さんを討ち、曾孫の隆信さんを還俗させる旨を遺言して世を去ったもく

 

 

 

片倉重長 さんは、伊達政宗さんの軍師として知られる景綱さんの子で、政宗さん、忠宗さん、綱宗さんの三代に仕えたもく

大坂の陣では病床にあった父に代わって軍を率い、兜の前立てに戦勝の神として信仰を集めていた「愛宕山大権現」のお札を貼って出陣し、大坂城五人衆のひとりである後藤又兵衛さんを討ち取るなど武名を轟かせたもく

一軍を預かる大将自ら敵と刃を交えるなどあるまじき事だと父からは叱られたそうだが、世間からはその勇猛ぶりを片倉家代々当主の通称を冠した「鬼の小十郎」と評され、敵将の真田幸村さんにも大いに認められたと伝わるもく

 

 

 

宮本武蔵さんの死後に彼の弟子たちが伝えたという様々な話などが覚え書きとして残されていたそうで、江戸時代中頃に他史料などと一緒に整理されて発表された武蔵さんの伝記が「二天記」だったもく

その伝記の中に、伊賀国の鎖鎌の使い手として宍戸某なる人物が登場するそうもく

創作要素が大きいとも評される「二天記」でしかその存在が明らかになっていないため実在したかどうかも定かではないが、後世の武蔵さん題材の小説において、この人物をモデルにしたとされるのが 宍戸梅軒 さんもく

梅軒さんは、「宍戸八重垣流」という流派を編み出した鎖鎌の達人で、物語の前半を彩る強敵として登場しているそうもく

 

 

 

奥田家に生まれた 堀直政 さんは、いとこの堀秀政さんの家老を務め、その貢献から堀の姓を与えられたもく

はじめ、秀政さんと共に織田信長さんに仕え、先に出世したのが秀政さんだったために以降はその補佐としての役割に徹したとされるもく

信長さんの死後、堀家は豊臣家に仕え、直政さんは賤ヶ岳の戦いで十文字槍を片手に柴田勝家さんの金の馬印を奪う活躍を見せたそうもく

そして堀家が越後に国替えとなった際には、上杉家の旧領地であったために上杉遺民による一揆に苦慮するが、直政さんはこれを鎮圧して徳川家からの評価も上げるなど、お家のために尽くしたことから天下の三陪臣のひとりとも評されているもく

 

 

 

武田信虎さんの正室で、晴信さん(のちの信玄さん)らの母であったのが 大井の方 さんもく

当時の甲斐では守護である武田家と周辺の国衆との間で抗争が頻発していて、実力者であった大井家との和睦のための政略結婚によって武田家に嫁いできたと考えられているもく

子供達への教育に熱心だったそうで、晴信さんもその影響を大きく受けたといわれるもく

信虎さんが晴信さんに追放された後も母子の関係は良好であったため甲斐に留まり、当主となった晴信さんを諭すことができる数少ない人物だったと伝わるもく

 

 

 

九鬼浄隆 さんは、1551年に父の死によって家督を継いだもく

この頃の九鬼家は伊勢の北畠家の勢力に属し、志摩海賊七人衆に数えられ、また、志摩に数多く設置されていた地頭のひとつだったそうもく

九鬼家の力が大きくなってくると次第に他の地頭との対立が増え、北畠家の援助を受けた他地頭連合軍に攻められてしまうもく

浄隆さんは籠城戦を選び、弓の名手と称された腕前も発揮したようだけれど、その戦いの最中で討死したとも病死したともいわれるもく

この戦いから何とか脱出した弟の嘉隆さんは、織田家に仕え、のちの北畠家との戦いで水軍を率いて活躍することになるもく

 

 

 

南部家の支流であり家内の有力者でもあった九戸家を出自とする 中野康実 さんは、南部家が高水寺斯波家を攻略した際に従属させることを目的として高水寺斯波家に婿入りしたもく

しかし高水寺斯波家当主の代替わりによって確執が生まれると南部家に出戻り、この頃に岩手郡中野を領地に与えられたため姓を中野と改名したそうもく

そして復権を狙う高水寺斯波家が南部領へ攻め込んでくると先鋒を務めて返り討ちにしたもく

実兄が南部家および豊臣政権に対して起こした九戸政実の乱でも、実家ではなく南部家側に付き、子孫の代まで南部家内の重職を担う家柄になったもく

 

 

 

稲田植元 さんは、尾張岩倉城主の織田信安さんの家臣であった稲田大炊助さんの三男として生まれたもく

父が嫌疑によって切腹させられると、幼年の植元さんは父と懇意であった蜂須賀小六さんに預けられたもく

小六さんとは義兄弟の契りを結び、織田信長さん、豊臣秀吉さんに仕えた小六さんをよく補佐したそうもく

豊臣政権下において蜂須賀家が阿波一国を与えられると、蜂須賀家の筆頭家老という形で入国し、阿波九城の一つである脇城の城代になると、要所であるこの地を軍事商業の両面おいて発展させたと伝わるもく

 

 

 

 

 

帰蝶 さんは、美濃の斎藤道三さんの娘で、争っていた尾張織田家との和睦のための政略結婚によって信長さんに正室として嫁いだもく

嫁ぐ際に道三さんから短刀を渡されて、もし信長さんが噂通りのうつけであればそれで刺し殺すようにと言われたが、この短刀で逆に父を殺すことになるかもしれないと答えるなど肝の据わった才女だったらしいもく

また、明智光秀さんのいとこであったという可能性もあり、そういった戦国時代の錚々たる面々の縁者でありながら、嫁いでからは史料に登場することがなく、その後については様々な説が存在しているもく

嫁いで直ぐに離縁または亡くなってしまったという説もあれば、本能寺の変を題材にした浮世絵に薙刀を持った女性が描かれていることから本能寺にて信長さんと運命を共にしたという説、信長さん死去後の織田家内において安土殿という地位の高い女性が存在した記録があるのでこれが帰蝶さんという説もあるが、いずれも憶測の域を出ないみたいもく

 

 

 

 

 

北政所さんの名でも知られる ねね さんは、まだ身分が低く若かった豊臣秀吉さんと、周囲に反対されながらも当時としては珍しい恋愛結婚で結ばれたもく

二人の間に子は恵まれなかったが、夫の出世を内助の功で支え、加藤清正さんや福島正則さん、石田三成さんなど、のちの豊臣政権の中核を担う秀吉さん子飼いの武将達を養育したもく

秀吉さんが天下人になり、実子同様の愛情を注いだ子飼いの武将達が有力者となっていくと、元々持ち合わせていた器量の良さと豪胆さも相まって豊臣政権では大きな政治力を有し、秀吉さん死去後には出家するも強い影響力を保持したままだったと伝わるもく

秀吉さんの側室である淀さんとは対立していたという説では、そのためねねさんは徳川家になびき関ヶ原の戦いで東軍寄りに動いたことが遠因になって豊臣家の滅亡を招いたという見方もあるらしいもく

 

 

 

 

 

浅井長政さんとお市さんの間に生まれた浅井三姉妹の長女・茶々さんの名でも知られる さんは、豊臣秀吉さんの側室となり、その世継ぎである秀頼さんを生んだもく

浅井家滅亡にも関わっていて、母が再婚した柴田勝家さんも討った秀吉さんは、淀さんからすると両親の敵になるわけなので、嫁いだのは戦国の数奇な運命なのか様々な思惑なのかは今もって定かではないけれど、実子に恵まれていなかった秀吉さんの子を身ごもったことにより豊臣政権での発言力を強めていったもく

秀吉さん死去後は秀頼さんの後見人として豊臣家の実権を握るも、徳川家康さんとの対立により勃発した大坂の陣に敗れて大坂城で自害したそうもくぅ

秀吉さんの正室であるねねさんとの関係について近年の研究では、秀吉さんが亡くなった後には双方協調関係にあって、ねねさんは秀吉さんの菩提を弔うこと、淀さんは秀頼さんの後見をすることを役割分担として豊臣家存続にそれぞれ動いていたという説もあるみたいもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

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