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【戦国IXA】3 月の追加武将一覧

こんにちは♪(∩・ε・∩)のろしもく♪

 

【 下天開闢 ~ 導かれし宿星 ~ 】の開幕から
早くも一ヶ月が経った 戦国IXA では
春を彩る新武将たちが登場もく

 

 3月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 島左近さん 榊原康政さん 佐々木小次郎さん 奈多姫さん

【 特 】 鍋島勝茂さん 直江景綱さん 吉田孝頼さん

【 上 】 足利政知さん 

【 序 】 杉興運さん

以上の 9 名

 

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佐々木小次郎【 極 】、奈多姫【 極 】

取引出品・譲与不可で

2022年6月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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石田三成さんを支えた人物として知られる 島左近 さんは、三成さんが召し抱えようとしたときにはすでに世に知られた名将であり、まだ四万石ほどの知行しか持たない三成さんが家臣とするには不釣り合いな武将だったもく

最初は仕官の要請を断り続けていた左近さんだったけれど、三成さんの再三の説得により仕官を決意し、四万石の知行のうち二万石を与えられるという破格の待遇で三成さんの家臣となったもく

三成さんに最後まで忠義を尽くした左近さんは関ヶ原の戦いで戦死したけれど、東軍諸将を「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と恐れさせるすさまじい活躍をし、後日、戦場で左近さんを目撃した武将たちがその服装について語ったところ、みな恐怖のあまり記憶が曖昧になっていたといわれているもく

 

 

 

徳川四天王のひとりに数えられる 榊原康政 さんは、本多忠勝さんらとともに徳川家康さんを支えた勇将で、康政さんの「康」の字は、家康さんから武功を賞されて賜ったものもく

家康さんと羽柴秀吉さんが対峙した小牧・長久手の戦いで、康政さんは、織田家の権力を簒奪した秀吉さんのことを痛烈に批判する檄文を書き、激怒した秀吉さんは康政さんの首を挙げた者に十万石を与えるという触れを出したという逸話が残っているもく

後年、天下人となった秀吉さんは、家康さんからの使者に康政さんを指名して対面し、死を賜ることも覚悟してやってきた康政さんに対し、その武勇を褒め称えて従五位下式部大輔の官位を授けたといわれているもく

 

 

 

宮本武蔵さんとの「巖流島の決闘」で有名な 佐々木小次郎 さんは謎の多い剣客で、出自や生年だけでなく、姓名についても確かなことがわかっていないもく

中条流の遣い手である富田勢源さん、あるいは勢源さんの門下である鐘捲自斎さんの弟子だったとされる小次郎さんは、毛利家に仕えたのち武者修行の旅に出て、その後、小倉藩細川家で剣術指南役になったといわれているもく

「巌流」という流派を創始した小次郎さんは、物干し竿と呼ばれる長刀を小太刀を扱うかのように使いこなし、刀を素早く振り上げて飛んでいる燕を斬ったといわれ、その秘技は「燕返し」と呼ばれたもく

 

 

 

九国一の美女とも称された 奈多姫 さんは、九州において六ヶ国を支配した豊後の王こと大友義鎮さんの継室となったけれど、義鎮さんが側室を多く持つなど浮気がちであることに悩まされていたというもく

もうひとつ奈多姫さんを悩ませたことがあり、それは義鎮さんや息子の親家さんらがキリスト教に入信したことだったもく

八幡奈多宮の大宮司の娘である奈多姫さんは信仰をめぐって義鎮さんと対立するようになり、やがて義鎮さんは臼杵城下に屋敷を建てて林ジュリアという側室を住まわせ、子らや親戚が反対するのも聞かず奈多姫さんを離縁してしまったもく

その後も奈多姫さんは神道に対する信仰を捨てなかったけれど、晩年はキリスト教に対する気持ちもだいぶやわらいでいたと伝わっているもく

 

 

 

鍋島家といえば龍造寺家との関係が有名なところで、肥前を統一した龍造寺隆信さんが亡くなると、右腕であった鍋島直茂さんが実権を握り国政を担ったもく

その直茂さんの長男として生まれた 鍋島勝茂 さんは、幼少期より事実上、肥前の大名世子として育ったといわれているもく

関ヶ原の戦いで西軍主力のひとりとして参戦したが父の助言によりいち早く東軍に寝返り、このことが評価された面もあったのか、のちに徳川家康さんの命によって佐賀藩初代藩主となるもく

父の代で既に龍造寺家との力関係は逆転していたものの、勝茂さんの代で公にも認められることとなったが、主従逆転の経緯については怪談や歌舞伎の題材として脚色され、様々な形で語り伝えられているもく

 

 

 

長尾家三代に仕え活躍した 直江景綱 さんは、越後の内乱の折、のちの上杉謙信さんである長尾景虎さんの家督継承を後押ししたことで、その後の長尾(上杉)家内における立場を盤石なものとしたもく

奉行職として景虎さんの活動における政務の多くを担い支えていたが、川中島の戦いでは武田軍を敗走させるなど軍事面でも才を発揮したと伝わるもく

「上杉家軍役帳」によれば家中でも指折りの軍役を負担していたそうで影響力の大きさがうかがえるが、男子に恵まれなかったため跡を娘婿が継いだもく

しかし娘婿も亡くなってしまったので、直江家の断絶を惜しんだ上杉景勝さんの命によってその未亡人を娶り家を相続させたのが、あの兼続さんもく

 

 

 

吉田孝頼 さんは、平安時代の貴族である藤原秀郷さんの系譜で、土佐に土着して豪族となったとされる土佐吉田家に生まれたもく

長宗我部国親さんが岡豊城に復帰した際にその妹を娶り重臣として活躍していくようになると、近隣勢力を謀略で反目させて長宗我部家飛躍の礎を築いたもく

平時は農民の生活をしながらも傍らには槍と鎧を置き、有事には素早く招集に応じる半農半兵の軍制「一領具足」を考案したともいわれ、この野武士集団を効果的に使って四国の覇者となる元親さんのもと、宿老としても活躍したもく

 

 

 

室町時代の関東は将軍家の分家である鎌倉公方が統治し、関東管領の上杉家が補佐する体制であったが、中央とは距離が遠かったこともあり次第に鎌倉公方が力を誇示して、幕府とも対立するようになっていたもく

そうした中で鎌倉公方関東管領も対立して永享の乱、そして関東の戦国時代の幕開けともいわれる享徳の乱が立て続けに起こり、混迷を極めていったもく

事態の収束のため幕府から新たな鎌倉公方として送りこまれたのが、六代将軍足利義教さんの庶子で幼い頃に仏門に入っていた 足利政知 さんだったもく

ところが戦渦は思いのほか激しく、また関東では幕府の威光も薄まっていたことから鎌倉に入ることが出来ず、伊豆の堀越で留まることになってしまうもく

その後もどうにか関東を統治しようと何年も足掻き、晩年には野心も秘めたようだけれど、中央では応仁の乱が起こるなど、各所の様々な思惑や状況が複雑に絡み合い、結局勢力を伊豆一国以上に増やせなかったため堀越公方とも呼ばれているもく

 

 

 

杉興運 さんは、中国と北九州の広域を領した周防の大内義隆さんのもと筑前守護代を務めた人物で、肥前の少弐家や豊後の大友家と交戦するなど北九州の前線指揮を任されていたもく

義隆さんに対し陶晴賢さんが謀反を起こして有力家臣が次々とそれに追随する中、興運さんは主君を裏切ることなく、義隆さんと一緒に自害したとも、最期まで陶軍に徹底抗戦したともいわれているもく

主君からの信任が厚かった一方、晴賢さんとは度々衝突したそうで、これを謀反の遠因と捉える見方もあるらしいもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

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