2025 年 2 月 7 日( 金 )
戦国IXA 新たなる舞台が開幕・・・!
煌 智 蓋 世 ~ 那由多の術策 ~

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https://sengokuixa.jp/season29_kouchi/
新たなる舞台では
新【 傑 】武将カードとして
主君の天下統一を支えた 稀代の名軍師が登場するもく!!!!
そして 大殿ならびに
新【 天 】武将カードとして 12 名の猛者達が登場するもく!!!!

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https://sengokuixa.jp/new_rarity/
黒田如水 さんは、豊臣秀吉さんの参謀として活躍し、剃髪前の孝高や官兵衛などの名前もよく知られる戦国大名もく
それぞれ勢力を拡大していた織田家と毛利家に挟まれた地である播磨国に生まれた如水さんは、先見の明から織田信長さんに味方することを選んだもく
織田家内で秀吉さんの配下となり、兵糧攻めや水攻め、高度な情報戦など多様な戦術で勝利を収め、信長さん没後にも智謀を巡らして秀吉さんの天下統一を大いに支えたもく
豊臣家による九州平定後に豊前国を与えられており、また、その頃に洗礼を受けてキリシタン大名になったと伝わるもく
秀吉さんが亡くなった後に、一説では関ヶ原合戦に乗じて九州から覇権を狙ったとも言われるけれど、関ヶ原合戦が予想外に早期決着したことによりその野望は泡と消えたみたいもく

豊臣秀吉 さんは、織田信長さん、徳川家康さんと並び戦国の三英傑と称された人物もく
人の心を掴む天才と言われ、信長さんの草履取りから出世を重ねていき、信長さんが亡くなるとその後継者としての地位を確立して天下統一を成し遂げた戦国一の出世頭もく
秀吉さんの最側近として天下統一事業に貢献した黒田如水さんについては、才知を高く評価すると同時に智謀を恐れていたという考察があるらしいもく
秀吉さんが「黒田如水がその気になれば、例え自分が生きているうちでも天下が取れるだろう」と語ったとも、「真に警戒すべきは徳川家と黒田家だ」などと評したとも言われるけれど、秀吉さんの存命中に両者が争うことはなかったもく

豊臣秀吉さんが三顧の礼を尽くして登用したという天才軍師が、竹中半兵衛 さんもく
美濃国の斎藤家に仕えて、斎藤家と織田家が占有を争った稲葉山城での活躍が織田信長さんの目に留まり、秀吉さんからの勧誘を受けてその配下となったもく
官兵衛の名でも知られる黒田如水さんとは、共に秀吉さんの名軍師として活躍したことから後世では「両兵衛」「二兵衛」などと呼ばれているもく
また、如水さんが信長さんと対立する荒木村重さんの説得に行ったが逆に幽閉されてしまった際には、如水さんが寝返ったと誤解した信長さんが如水さんの息子を処刑するよう命じたのだけれど、半兵衛さんは盟友の裏切りはないと判断して、如水さんが救出されるまでその息子を匿っているもく
なお、身体が弱かったそうで、秀吉さんの天下統一を目にする前に病死してしまったもく

結城秀康 さんは、徳川家康さんの次男で、越前松平家の初代当主もく
秀康さんの母は家康さんの側室だったのだけど、正室の築山殿さんがその出産を承認しなかったことから、幼少期は家康さんの実子であると認知されぬまま過ごしたそうもく
築山殿さんが亡くなった後にようやく家康さんから認知されるようになるも、小牧・長久手の戦いの講和の条件として羽柴秀吉さんのもとに養子に出されるもく
そして、秀吉さんに実子が誕生すると他の秀吉さんの養子と同じく他家に再び養子に出されることになり、黒田如水さんの仲立ちにより関東の名門である下総の結城家の跡を継ぐことになったもく
関ヶ原合戦では父家康さんから宇都宮にて上杉景勝さんの抑えを命じられて、戦後に越前国北ノ庄へ加増移封されたもく
武勇に優れた器量人で、天下三名槍のひとつ「御手杵」を愛用していたことでも知られるもく

秀吉さんの亡き後、関ヶ原合戦で豊臣政権の存続の為に西軍を指揮して、徳川家康さん率いる東軍を相手に戦ったことで有名なのが 石田三成 さんもく
秀吉さんの子飼い武将のひとりとして仕え、武での働きよりも補給などの後方支援や行政において優れた手腕を発揮することで出世し、その方面で秀吉さんの天下統一事業を支えて、豊臣政権五奉行の筆頭格になったもく
一方で、戦場で血や汗を流すことなく粛々と公務や事務処理を進める姿勢について、しばしば武断派の武将達からは反感を買ってしまっていたもく
戦場で軍師として活躍していた黒田如水さんとも折り合いが悪かったのではないかという様子があり、如水さんが九州平定後に豊前国を与えられた際に活躍の割に少ない石高となったようで、そうなった裏に三成さんの讒言があったのではないかとも言われていて、そのため如水さんは関ヶ原合戦で三成さんに味方しなかったという考察もあるみたいもく

豊臣秀吉さんの弟であり、副将格として兄の出世から天下統一への道に寄り添ったのが、羽柴秀長 さんもく
2026年には大河ドラマの主人公も予定されている人物で、もし彼がもっと長生きしていれば豊臣政権の行く末も変わっていたかもしれないという評価もあるもく
内政手腕に優れ人徳があって家臣団をよくまとめ、情け深く温厚な性格だったため、秀吉さんへの仲介について諸大名からよく頼りにされたと伝わるもく
兄からの評価も抜群で、秀吉さんが黒田如水さんに送った直筆の手紙では、如水さんのことを信頼しているよと伝えるための最上級の表現として、「弟秀長と同じくらい信頼している」という形で名前があげられるほどだったもく
天下統一に向けて徐々に高慢となっていく秀吉さんを諫めることができた数少ないうちのひとりであった秀長さんは、兄の天下統一直後に病死したもく

摂津国の池田家に仕えた 荒木村重 さんは、池田家のお家騒動の中でうまく立ち回って、やがて池田家の実権を握ったもく
そして足利義昭さんとの対立が決定的となっていた織田信長さんと謁見すると、その豪胆ぶりを信長さんから気に入られて、摂津国の支配を任されるなど重用されたもく
ところが、信長さん配下の秀吉軍に属して別所家と戦っていた最中に突如として村重さんは居城の有岡城に立てこもると、信長さんに対して反旗を翻したもく
謀反の理由については諸説あって今も確定されていないもく
信長さんは説得のために何度も諸将を送り、諸将のひとりには黒田如水さんがいたのだけど捕らえられてしまい、村重さんが籠城戦を続ける1年もの間有岡城に幽閉されてしまったもく
その後一族は皆殺しにされたけれど、村重さんは茶器を持って毛利家のもとに落ち延び、信長さん没後には若い頃から嗜んでいた茶道に救いを求めて茶人となったもく

小早川隆景 さんは、中国地方の覇者毛利元就さんの三男であり、小早川秀秋さんの養父であることや、毛利家の有名な逸話「三矢の訓」の矢の一本としても知られる人物もく
残り二本の矢のうちの一本で長兄の毛利隆元さん、もう一本であり吉川家の養子となった次兄の吉川元春さん、そして小早川家の養子となった自身による「毛利両川」体制で毛利家を支えたもく
水軍を率いて活躍して、父と二人の兄が亡くなってからは毛利家政略を一手に担って甥の毛利輝元さんをよく補佐したもく
毛利家が豊臣家配下になった後には、豊臣五大老に名を連ねて、秀吉さんから「西日本は隆景に任せれば安泰」とまで評価されたそうもく
黒田如水さんとは仲が良かったらしく、隆景さんの訃報の折には、如水さんは「これで日本に賢人はいなくなった」と述べ悲しんだと伝わるもく

宇喜多秀家 さんは、謀略の限りを尽くして下剋上で伸し上がった父直家さんが病死したため、幼年で家督を継いだもく
当時の宇喜多家は、毛利方から織田方に鞍替えし織田信長さんに臣従していて、秀家さんの家督相続後には中国攻めを担っていた秀吉軍に組み込まれたもく
秀家さんは秀吉さんからとても気に入られて、元服した際に「秀」の字を賜り、前田利家さんの四女であり秀吉さんの養女となっていた豪姫さんを正室に迎え豊臣一門扱いで育てられたもく
その期待に応えるように活躍し、豊臣家の四国攻めや文禄の役では黒田如水さんを軍艦にして出陣するなど武勇を重ねて、豊臣政権では五大老に数えられるに至ったもく
関ヶ原合戦では西軍で参戦して敗戦後に八丈島に流罪になったけれど、実家の前田家に戻った豪姫さんの援助もあって、その地で約50年の長生きをしたそうもく

黒田如水さんが荒木村重さんの説得に行ったけれど逆に幽閉されてしまった際に、如水さんが裏切ったと誤解した織田信長さんによりその息子として処刑されそうになったところを、竹中半兵衛さんに匿われて難を逃れたのが 黒田長政 さんもく
本能寺の変後は、父と共に豊臣秀吉さんの天下統一事業に貢献して、父の隠居により家督を継いでからも豊臣家の武断派の代表格のひとりとして尽力したもく
石田三成さんとは兼ねてから相性が悪く、秀吉さん没後には徳川家康さんに接近して、関ヶ原合戦では小早川秀秋さんら諸将の寝返り交渉を成功させるなど一番とも称される功をあげたもく
如水さんがもし関ヶ原合戦に乗じて天下を狙っていたとする場合には、奇しくも息子の活躍による早期決着によって阻まれた形になるけれど、長政さんは関ヶ原合戦の功によって福岡藩初代藩主となり、黒田家は幕末までその藩主を代々務めたもく

鍋島直茂 さんは肥前国の戦国武将で、義兄である龍造寺隆信さんの家老として活躍した人物もく
隆信さんが当主となり龍造寺家は勢力拡大に乗り出すと、島津家と共に九州の巨大勢力として君臨していた大友家が侵攻してきた際に、直茂さんの奇襲策によってそれを退けたことでさらに勢いを加速させて、九州三強の一角に名乗りを上げたもく
隆信さんが島津家との戦いで戦死すると、その跡を継いだ政家さんの後見として直茂さんが龍造寺家への配慮を欠かさぬようにしつつも実権を握ると、優れた政治能力により豊臣政権下とその後の徳川政権下への変遷にも対応して、周囲の推薦を受けて鍋島家は独立を果たすもく
黒田如水さんとは関ヶ原合戦時には領地が近接する関係であり、東軍西軍に与することについて何らかのやりとりがあったのではないかともされるのだけど、関ヶ原合戦後には九州における反徳川勢力を討伐する軍として共に戦っていたみたいもく

加藤清正 さんは、豊臣秀吉さんの母方の親戚筋の生まれとされ、幼少期から秀吉さんに小姓として仕えたもく
秀吉さんの子飼いの武将となり成長していくと、織田信長さんの後継者争いである賤ヶ岳の戦いにて、秀吉さん方の七本槍のひとりに数えられる功をあげて名を世に知らしめたもく
戦場での活躍に重きを置く武断派の代表格であり、対立構造が生まれていた公務に重きを置く文治派の代表格である石田三成さんに対しては、秀吉さん没後に黒田長政さんら武断派諸将と共に襲撃を企てているもく
関ヶ原合戦時には清正さんが肥後国、黒田如水さんが豊前国を領し、お互いに連絡を取って東軍に与することを確認して九州の西軍勢力相手に戦ったもく
また、如水さんとは共に築城の名手として知られていて、他にも治水事業などでも清正さんの評価は高く、武だけではない才能を有していたもく

薩摩国島津家第16代当主の 島津義久 さんは、最大版図を築いた名将で、いずれも優れた武将であった義弘さん、歳久さん、家久さんとの四兄弟の長男としても有名もく
兄弟仲が良く、前線には弟達が出陣し、義久さんはほとんど国を離れることなく指揮をしており、同じ九州三強の一角であった龍造寺隆信さんが島津家との戦いの前線に誘い出されて戦死し家が傾いたのとは対象的に、島津家は勢力を拡大していったもく
九州制覇が目前に迫るも豊臣秀吉さんとの対立により九州攻めにあって降伏、しかし、その後も豊臣政権との関わりを弟達に任せて、自身は国内に留まって薩摩に島津家ありの威厳を保ったもく
黒田如水さんとは、件の九州攻めの際と、関ヶ原合戦後に島津家が九州の反徳川勢力と目された際に相対する構図になっていたもく
なお
黒田如水【 傑 】 豊臣秀吉【 天 】 竹中半兵衛【 天 】 については
取引出品・譲与不可とのこともく
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今回の【傑】【天】武将カード追加時に
下記の
【傑】武将カードは 全てのくじから
【天】武将カードは 一部くじより 排出停止とのこともく













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