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【戦国IXA】9 月の追加武将一覧

(*・з・)ノシ◇ きゅきゅっきゅ きゅー  (*・з・)ノシ◇ きゅきゅっきゅ きゅー 

窓ふき 窓ふき(*・з・)ノシ◇ きゅきゅっきゅ きゅー 

 

突然どうしたのかってもく?

今日から9月だからね 9月… 9月… 9… く… きゅう… !

そーれ (*^з^)ノシ◇ きゅきゅっきゅ きゅー

・・・・月や季節の変わり目は気持ちの切り替えが大事もくよー

それでは切り替えていってみよーもく

 

 

戦国IXAの気になる情報☆

 

 9 月 の 追加武将 が 公開 されましたもく

 

 

追加されるのは

【 極 】 山内一豊さん 足利成氏さん 弥助さん 近衛信尹さん

【 特 】 伊達忠宗さん 天遊永寿さん 菅谷政貞さん

【 上 】 上井覚兼さん 

【 序 】 木戸孝範さん

以上の 9 名

 

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弥助【 極 】、近衛信尹 【 極 】 は 取引不可 で

2020年12月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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山内一豊さんは、三人の天下人に仕え、激動の時代を巧みに生き抜き、土佐の一国一城の主に至った人物もく

生まれは尾張で、当時は織田家内の勢力争いの頃であり、信長さんの敵方に与していたことから自陣が敗れて流浪の身となったが、やがて信長さん方として朝倉家との戦いに参戦すると、顔面を矢が貫通するほどの怪我を負いながらも首級をあげる活躍を見せ台頭したもく

信長さん没後は豊臣秀吉さんの下、都市整備などに手腕を発揮し、秀吉さん没後には、妻・千代さんの内助の功もあり、いち早く徳川家康さんに忠義を示すと、さらに出世の道を駆け上ったもく 

 

 

 

足利将軍家の血筋であったが、その人生のほとんどが戦いであった足利成氏さん。

室町幕府が関東統治のために鎌倉に設置した鎌倉府、その管理者を鎌倉公方が、補佐を関東管領が担っていたもく

ところが、この鎌倉府は度々中央と対立するようになり、さらには公方と管領も対立となった結果、成氏さんの父で時の公方・持氏さんが自害となり、関東は混沌の時代へと突入するもく

成氏さんが公方の座を継ぐと管領を暗殺、それに端を発して、中央も含む複雑な対立構造により関東一円を巻き込んだ享徳の乱は、関東における戦国時代の始まりと考えられており、成氏さんと室町幕府の和睦である「都鄙合体」成立までの間、約30年続くこととなったもく

 

 

 

天下統一を間近として最大の実力者となっていた織田信長さんに謁見した宣教師は、ひとりの大柄な男を引き連れていたもく

信長公記では、牛のように黒き身体で10人を相手にも勝てそうな剛力と評されたその人物こそ、初のアフリカにルーツを持つ侍・弥助さんもく

当時は奴隷文化があった頃だが、弥助さんは高い戦闘能力を持った軍事奴隷の戦士だったと考えられており、大層気に入った様子のあった信長さんに譲られたもく

信長さんの小姓に召し抱えられるなどかなりの好待遇として迎えられると、本能寺の変の最後の最後まで恩義に報いたと伝わるもく

一説には、自害した信長さんの首が見つからなかったのは、弥助さんが決死の覚悟で持ち出したためという話もあるもく

 

 

 

近衛信尹さんは、関白を務めたが型破りで多芸な人物としての逸話が残る近衛前久さんの息子で、父同様に多くの才を誇り、特に書道においては、寛永の三筆のひとりに数えられる程の人物だったもく

また、信尹さんの元服の際の加冠役は、父と親交が深かった織田信長さんで、信の一字も賜っており、さらに幼少期から父と共に地方で過ごしていたことなどによって、公家然から外れた一面も多かったみたいもく

それでもしっかりと公卿に列するのだが、時は豊臣秀吉さんの時代、関白の座を目前で秀吉さんに奪われるような形となってしまう。

ならば武士として立身しようとするも、その行動を天皇や秀吉さんに危惧されて薩摩へ3年の配流となるが、そこでの生活を謳歌し教養や人脈をさらに広げて京に戻ると、念願の関白に就任したもく

 

 

 

伊達政宗さんの息子で、仙台藩の二代藩主・伊達忠宗さんは、異母兄がいたが、正室との間の嫡男だったため周囲には早くから跡取りとして見られていたもく

武勇にも優れて申し分ない人物だったけれど、生まれた時代や、派手な人物像が伝わる父の陰に隠れてしまったせいか、跡取りとなるまでに目立った逸話はあまりなかったようで、家督相続も父の生前ではなく死去に伴ってのことだったもく

藩主になってからは、寛永の総検地や新田開発など経営面で多くの策を講じ藩を豊かにし、古くから地元で信仰される神社や徳川家康さんを祀る東照宮といった寺社の造営で各方面へアピールするなど、その善政ぶりから「守成の名君」と評されたもく

 

 

 

中国地方の勢力図に大きな変化が生まれようとしていたもく

時の大国・大内家では、当主・義隆さんが陶晴賢さんに討たれ実権を握られると、一方で、後に一代にして中国地方の覇者となる毛利元就さんも飛躍の機をうかがっていたもく

両者の関係は決裂し衝突は避けられないものになると、地域上、海での戦いが重要と考えた毛利家から、元就さんの孫娘かつ小早川隆景さんの養女の天遊永寿さんが、村上水軍の中心的人物の村上通康さんに嫁ぐこととなったもく

やがて起こった厳島の戦いでは、村上水軍が味方した毛利家が勝利を収め、この戦いがその後の大内家、毛利家の命運を分けることになったもく

 

 

 

土浦城主だった父・勝貞さんと共に、小田氏治さんに仕えた菅谷政貞さん。

氏治さんは結城家や佐竹家、上杉家など関東の有力勢力と何度も争い、その度に敗れて居城の小田城を奪われるもまた奪い返すことを繰り返したため、今日では不死鳥なんて呼ばれたりもするけれど、それを支えたのが優秀な家臣達。

中でも、氏治さんが幾度となく土浦城を頼ったことから、政貞さん達親子の貢献は抜きん出ていたと伝わるもく

政貞さんは、小田家が城を奪還できなくなるほど衰退した頃になっても変わらず忠義を尽くしたことから、その評判は他国にも伝わり、子孫の代の菅谷家の評価に大きく影響を残したんだってもく

 

 

 

島津貴久さんに仕えた上井覚兼さんは、日向や大隅への侵攻戦などで武功を重ね、その後貴久さんの子・義久さんに仕え老中に抜擢されて政務においても活躍し、やがて日向一国を任されるなど島津家において欠かせない重臣へと至ったもく

武将としては珍しく日々日記を書いていて、現代にも伝わる「上井覚兼日記」は、島津家内の様子や政策、周辺情勢を知るための貴重な資料となっているもく

また、キリシタン大名有馬晴信さんから預かった、当時珍犬とされていた南蛮犬をとてもかわいがっていたらしいもく

 

 

 

代々関東管領重臣であった家に生まれた木戸孝範さん。

武将としての目立った活躍は伝わっていないが、幼少の頃に将軍のはからいで上洛すると、冷泉持為さんより和歌を学び、その道で名を馳せるようになり、「孝範集」という歌集を残しているもく

関東に戻ると、和歌を通じて太田道灌さんらとの親交を深めて歌壇で活躍し、多くの文化人との交流などによって混沌の時代を生き抜き、またその系譜は子孫達にも受け継がれたもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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