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【戦国IXA】2023 年 4 月の追加武将一覧

春の陽気で気持ちがぽかぽかしてくるこの季節は

新生活をはじめる人も多いから新たな出会い なーんてのも楽しみもくね

 

おや? どうやら戦国IXAの武将カードにも

新たな顔ぶれがやってきたみたいだから 元気にご挨拶しておこうっともく

チラッ ((。^ε ^。ppこんにちはー! のーろしもくーぅ

 

 4月 追加武将 が 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 北条氏規さん 唐梅院さん フロイスさん 藤原惺窩さん

【 特 】 志駄義秀さん 酒井忠世さん 立花直次さん

【 上 】 横谷幸重さん 

【 序 】 庵原朝昌さん

以上の 9 名

 

 

そして

曲直瀬道三さん 今井宗久さん 果心居士さん

以上の 3 名 がそれぞれ

新規イラストでの 【 天 】 と 

スキルやステータスを新しくした

イラスト復刻版の 【 極 】 で 登場するとのこともく

 

 

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フロイス【 極 】、藤原惺窩【 極 】、

曲直瀬道三【 天 】【 極 】、今井宗久【 天 】【 極 】、果心居士【 天 】【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2023年7月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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曲直瀬道三 さんは、戦国時代の医学の発達において偉大な足跡を残し、日本医学中興の祖や医聖などと称される人物もく

近江あるいは京出身ともいわれる道三さんは、生まれてすぐに両親を亡くして幼い頃から寺で学んでおり、二十歳を超えた頃に当時の関東における事実上の最高学府であった足利学校に遊学したもく

その地で、最新の中国医学を日本に根付かせて同じく医聖などと称された当代きっての名医、田代三喜さんと出会い、医学研究に傾倒していくようになるもく

京に戻ると還俗して医療に精を出したが、道三さんはそれまでの常識であった医学書などに基づく定型的な医療から、今日では当たり前になっている患者一人一人の診断に基づく医療を施したことで評判を呼び、時の権力者達からも信頼を集めて名声を高めると、医学校の創設や医学書を著して革新的な医術を全国に広めたもく

 

 

 

 

 

 

貿易にて発展し、室町時代から安土桃山時代にかけて商業の重要拠点として栄華を極めた堺には、商いで立身出世を志す者も多く集まり、その中には 今井宗久 さんの姿もあったもく

当時の堺商人の間では茶の湯が流行しており、宗久さんは茶の湯で名を馳せた豪商の武野紹鴎さんに師事して商いと茶に関する作法を学び、紹鴎さんに気に入られて娘婿になり商人の基盤を築くと、鉄砲の時代を予測しての投資、また、上洛した織田信長さんにいち早く接近し信任を得るなど、先見の明と商才を発揮していったもく

後に千利休さん、津田宗及さんとともに茶の湯天下三宗匠と称された宗久さんであるけれど、他の二人とは異なり茶の湯を芸術面よりも商談スキルとして昇華させていたという評価もあり、信長さんをはじめ多くの戦国武将と繋がり、合戦の主役が騎馬隊から鉄砲隊へと移り変わる時代の裏側で、武器商人として巨万の富を得ていたと伝わるもく

 

 

 

 

 

 

果心居士 さんは、有名戦国武将達を数々の幻術で惑わせた謎の人物もく

大和国興福寺の僧であったけれど、外法による幻術で人を化かすことばかり熱心だったため破門にされてしまい、自身の士官先を探して噂を聞きつけた者や権力者の前でその腕前を披露したといわれるもく

ある時には、梟雄とも呼ばれて海千山千の松永久秀さんから自分を驚かせることができるかと問われて、数年前に死んだ久秀さんの妻の幻影を見せて驚嘆させ、またある時には、豊臣秀吉さんが誰にも話していない過去の過ちを暴き、それに激怒した秀吉さんによって磔に処されてしまうけれど果心居士さん自身の姿を鼠に変えて脱出し、さらに鳶がやってきてその鼠を加えて飛び去ったなんていう不思議な逸話が数多く伝わるもく

ただ、存在を確実とする史料はないそうで眉唾物の逸話も多いため、忍びなのではないか、あるいは現在でいうところの手品師や心理テストなどを巧みに操る者の先駆者ではないかという見方もあるみたいもく

 

 

 

三代当主・北条氏康さんの五男または四男とされる 北条氏規 さんは、幼少期を今川家の人質として駿府で過ごしたもく

人質といっても、母の瑞渓院さんが今川家の出自であったため、今川一門として育てられ元服今川義元さんの下で行われるなど待遇は良かったといわれるもく

また、同時期には徳川家康さんも同じような境遇で駿府にて人質生活を送っており、この時に二人には親交があったという説があり、後に氏規さんが徳川家との交渉役として度々活躍したことに影響したのではないかとも考えられているもく

成長後小田原に戻ってからは北条家の外で育んだ知見を活かして軍事や外交で頭角を現し、前線の重要拠点の防衛や北条家の窓口として諸大名との交渉役を担ったもく

豊臣秀吉さんとの交渉も担当して、自身は北条家の服属を主張したものの甲斐なく小田原合戦に至り、戦後は高野山に蟄居するが許されて、晩年は豊臣家に仕えたもく

 

 

 

唐梅院 さんは、徳川家康さんと因縁浅からぬ人生を送った姫君もく

父の松井忠次さんは戦果により家康さんから松平の姓を名乗ることを許されるほど信頼を得た人物で、母はその正室、そして父の側室の子であり自身の異母弟については実は家康さんの隠し子、つまり家康さんが妾を忠次さんに妻としてあてがったという説もあるらしいもく

やがて唐梅院さんは家康さんの養女となって、家康さんの寵臣・井伊直政さんに嫁ぐことになり、一男二女をもうけたもく

直政さんが亡くなってしまったため、嫡男の直継さんが彦根藩の跡を継ぐも、病弱だったことや、温和な性格であったことから一癖も二癖もある井伊家家臣をまとめることができず、家康さんの判断によって直政さんの側室の子・直孝さんと藩主交替させられてしまい、唐梅院さんが複雑な思いを抱いたことは想像に難くないもく

 

 

 

フロイス さんは、ポルトガルに生まれてイエズス会に入会し、ヨーロッパの大航海時代に海を渡って遠くアジアまで布教に赴いた宣教師もく

はじめインドのゴアに派遣されると、そこで文筆や語学の才能を見出されて、アジア各地から届く書籍をまとめてヨーロッパに報告する仕事に携わり、その折に日本の情報にも触れ、渡日する直前のザビエルさんからも影響を受けて、日本への関心を深めていったもく

念願叶い渡日を果たすと、日本での布教の最盛期でもあったため、織田信長さんら要人と積極的に交流して布教活動に汗を流したもく

その後、バテレン追放令が出されて迫害や斜陽の時代になっても日本を離れず、三十年を越える滞在期間中には、当時の暮らしや事件、要人の人物像などを数多く記録しており、フロイスさんならではの細かい描写と国外の感性や視点から記された「日本史」は戦国時代研究の貴重な史料として高く評価されているもく

 

 

 

近世儒学の祖ともいわれる 藤原惺窩 さんは、百人一首の撰者でも知られる日本古典文学の偉人・藤原定家さんの流れを汲む公家で歌道の名門・冷泉家に生まれたけれど、長男ではなかったため家は継がず、京都五山の禅僧になり修行に励んだもく

その頃の儒学は禅を学ぶうえでの教養の一部に過ぎなかったけれど、惺窩さんは儒学の新しい体系である朱子学に触れる中でそれを教養の一部ではなく独立した学問にしたいと考え、京都を中心に発展する朱子学一派・京学派を興したもく

その後、豊臣秀吉さんや徳川家康さんにも儒学を講じており、京学派の弟子の中には江戸幕府お抱えの朱子学者になる林羅山さんらがいたもく

 

 

 

上杉家家臣であった志駄家の跡取りに生まれた 志駄義秀 さんは、幼少時に父が川中島の戦いで戦死したため、母方の実家である直江家の比護を受けて養育されたもく

直江家との関係は深く、後に直江景綱さんの養女と結婚しており、また、謙信さん没後の上杉家の後継者争い御館の乱では景勝さんに味方し、直江兼続さん直属の家臣与板衆の筆頭として活躍したもく

そして、天下統一した豊臣秀吉さんの命による上杉家の庄内統治が兼続さんを中心に進められたが、ここでも義秀さんは兼続さんの右腕となってよく働いたもく

上杉家の会津移封にも従い、出羽国酒田城主を務め、慶長出羽合戦では最上家を相手に存在感を示し、江戸幕府の時代になっても上杉家に最期まで尽くすなど忠臣として上杉二十五将に名を連ねたもく

 

 

 

酒井重忠さんの長男に生まれた 酒井忠世 さんは、酒井忠次さんをはじめとして重臣が多数輩出された一族同様に徳川家康さんに仕えたもく

徳川家が関東移封になると、家康さんの嫡男で後の二代将軍・秀忠さん付きの家老となって活躍し、大坂の陣では秀忠さんの本陣を守る旗本を務めたもく

最終的には十二万国を領し、江戸幕府の政治においては老中を三十年近く担い、将軍となった秀忠さんを支え、幼少の家光さんが将軍の後継となることに決まると土井利勝さんや青山忠俊さんとともにその世話役のひとりに数えられたもく

晩年には家光さんが上洛で留守中に起こった火事の責任により老中から失脚し、その後許されて大老に任じられたけれど程なくして亡くなったもく

 

 

 

立花直次 さんは、高橋紹運さんの次男で、兄に立花宗茂さんを持つが、高橋姓を名乗っていた時期が長いため高橋統増さんなどの名前でも知られる武将もく

兄が立花家の養子になったため高橋家を継いだ直次さんは、父、兄と同じく秀でた武勇で大友家家臣の主力として島津家と戦ったもく

豊臣秀吉さんの九州征伐後には、兄とともに豊臣家の直臣に取り立てられており、以降は兄の与力として戦場へ赴いたもく

島津家との戦いでの父の討死を生涯後悔したそうで、その分兄を敬い、文禄・慶長の役では兄の窮地を救うために大剛の士と評されるほどの強さを発揮したとも伝わるもく

大坂の陣にて兄が徳川方に与したのに従い、その後、徳川家の剣術指南役であった柳生宗矩さんの弟子となり「新陰治源流」の開祖となったもく

 

 

 

横谷幸重 さんは、上野と信濃の境にあったという雁ヶ沢城を本拠とした地侍で、幸隆さんの時代から真田家に仕えて、岩櫃城を巡る攻防で活躍したそうもく

真田昌幸さんの時代になると、昌幸さんが参加した戦いほぼ全ての記録にその名が見られるが、出浦昌相さんと並び真田忍者の双璧だったのではないかと考えられているもく

弟も真田忍者で、犬伏の別れ関ヶ原の戦い前後の頃から幸重さんは真田信之さんに仕えるようになったが、弟は真田信繁さんと運命をともにしたと伝わるもく

また、幸重さんや弟のエピソードなどが、真田十勇士の猿飛佐助さんのモデルになっているともいわれるもく

 

 

 

太原雪斎さんを輩出するなど今川家の重臣であった一族に出自を持つ 庵原朝昌 さんは、今川家滅亡後に武田家に仕えて、武田家が滅亡すると秀吉さんの家臣の戸田勝隆さんに仕えたもく

その後、津田信成さんの仲介によって井伊直政さんの家臣になったけれど、直政さんとの諍いによって出奔してしまうもく

しばし放浪の身となった末に、当時佐々成政さんの配下となっていた水野勝成さんに召し抱えられて、成政さんが亡くなると、井伊家に帰参することになったもく

このような経緯がありながらも井伊家内では厚遇されて、それは出自が影響しているのではとも考えられるが、大坂の陣では十文字槍を手にした一騎討ちで敵将・木村重成さんを討ち取るなどしっかりと結果も出して、子孫代々続くことになる井伊家重臣の立場を確かなものにしたもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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