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【戦国IXA】9 月の追加武将一覧

|ョ・з・。)ノ こんにちはー のろしもくー

秋の気配を色濃く感じる地域 まだまだ夏が居座っている地域

それぞれあると思いますが もう9月なんだねぇもく~ぅ

 

ということで 戦国IXAではっ!

 

   9 月 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 前野忠康さん 明智秀満さん 延沢満延さん 角隈石宗さん

【 特 】 井上之房さん 中村一氏さん 奥平信昌さん

【 上 】 高力清長さん 

【 序 】 戸田康光さん

以上の 9 名

 

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前野忠康【 極 】は

2022年12月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

延沢満延【 極 】、角隈石宗【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2022年12月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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舞兵庫さんの名でも知られる 前野忠康 さんは、出自については不明点が多いようだけど、豊臣秀吉さんの最古参の家臣のひとりである前野長康さんのもとに婿入りし歴史の表舞台に登場したもく

長康さんが、秀吉さんの甥で当時その後継者とされていた秀次さんの宿老となっていたため、忠康さんも秀次さんの家臣団となり若江八人衆として活躍したもく

ところが秀吉さんに実子が生まれたことによる秀次事件によって秀次さん、長康さんが自害となってしまい、連座して忠康さんも死罪となるところを石田三成さんに助けられたもく

その恩義に報いるため石田家の重臣になって身を粉にして、関ヶ原の戦いでは最前線で最期まで戦い散ったもく

 

 

 

左馬助さんという通称でも知られ、斎藤利三さんとならび明智光秀さんの重臣中の重臣といえる存在だったのが 明智秀満 さんもく

出自については元々明智家の縁者であったなど諸説あるようだけれど、光秀さんの娘を娶ってから明智姓を名乗るようになったのは確かなところであるみたいもく

光秀さんとはかなり年齢が離れていたけれど相当な信頼を得ていたようで、織田信長さんを討つことを最初に相談されて、また、最初にその決断を後押したといわれるもく

本能寺の変では先鋒として襲撃し、その後要地である安土城の守備のため離脱したけれど、光秀さんの死を知ると明智家の本拠である坂本城への帰還のために、琵琶湖を馬で渡って敵の包囲を突破したという伝説が残っているもく

 

 

 

延沢満延 さんは出羽の有力な国人衆で、天童家を盟主とする八楯のひとつに名を連ねたもく、

八楯は最上義光さんと長い間争っていたけれど、中でも満延さんは義光さんを苦しめたようで、義光さんは娘を延沢家に嫁がせてさらに要望を飲むまでして満延さんを引き抜いたもく

そんな満延さんには怪力伝説が残っていて、力持ちなのかと尋ねられた際には、力自慢達も及び腰になるほどの大きな鐘を軽々持ち上げると、それだけでなくそのまま数十キロ離れた地まで担いでいったそうもく

また、同じく怪力エピソードが多く残る義光さんが満延さんの腕力を試そうとしたが、遙かに上回る怪力ぶりで寄せ付けなかったなんていう逸話もあるらしいもく

 

 

 

角隈石宗 さんは大友義鑑さん、宗麟さんの親子に仕えて大友家の軍配者だった人物もく

軍配者は、兵法はもちろん、占術、天文学などから出陣の日時や方角の吉凶を判断する役割を担ったもく

石宗さんはそれら多岐の分野に造詣が深く、中にはカラスを操ったなんていう妖術めいた話も残るほど当時の人達にとって学を究める奇特な存在だったもく

耳川の戦いでの宗麟さんの大敗も予言したそうだけれど聞き入れられず、死を悟りながらも主君への忠義で戦地に赴いての最期となったもく

 

 

 

黒田職隆さんに小姓として仕えた 井上之房 さんは、職隆さんが亡くなるとその息子の官兵衛さんに従い側近として活躍したもく

関ヶ原の戦いの際の石垣原の戦いでは、大友家の名将で自身と旧知の間柄でもあった吉弘統幸さんを討つ武功を挙げ、官兵衛さんの息子の長政さんが筑前国へ移封の際に黒崎城を築いて一万六千石を領したもく

長政さんの代では、家臣の中の精鋭として黒田二十四騎、そしてその中でも重臣の黒田八虎に数えられて、最晩年には福岡藩のお家騒動である黒田騒動でも尽力するなど黒田家四代の忠臣として人生を全うしたもく

 

 

 

中村一氏 さんは、出自ははっきりとわかっていないけれど、かなり早い時期から豊臣秀吉さんに仕えその出世街道上にあった戦いで活躍を重ねて、山崎の戦いでは鉄砲隊を指揮して勝利に大きく貢献したもく

そして秀吉さんが天下を取りにいくと、一氏さんは根来衆本願寺残党などやっかいな勢力が燻る紀州への抑えとして最前線の岸和田城主に任命され、それらの襲撃を撃退したもく

この時に僧侶を乗せた大蛸の大軍によって劣勢を助けられたという伝説もあるらしいもく

その後、小田原征伐によって秀吉さんの天下がほぼ決まると、今度は最も驚異となりうる徳川家康さんの監視として駿河駿府城主に配置されるなど、秀吉さんから頼られたことがうかがえる存在感を示したもく

 

 

 

奥平家は戦国時代初期には今川家に従属し、桶狭間の戦い後には徳川家に仕えたものの、武田家の三河侵攻の折に降伏してその傘下となっていたもく

しかし、信玄さんが亡くなって秘匿とされていたその死にいち早く気がつくと徳川家に帰参することを決意し、その頃に当主を引き継いだのが 奥平信昌 さんもく

奥平家の離反に激怒した武田勝頼さんは、大軍を自ら率いて出陣し信昌さんが任せられていた長篠城を取り囲んだもく

長篠は国境で交通の要所という観点からも意味を成す土地であったため信昌さんは必死に守り抜くと、そのまま長篠の戦いへと移り、時の勢力図を大きく変えることになる織田・徳川連合軍の勝利を呼び込んだもく

その功により信長さんから「信」の一字を与えられて、家康さんからは娘婿として重用されたもく

 

 

 

高力清長 さんは、徳川家康さんに仕えた古参の武将で、家康さんが今川家の人質だった時代から苦楽を共にしていたもく

家康さんの三河統一の戦いにおいては一向一揆を鎮圧したが、その際に神仏を敬うことを忘れず信仰の対象物の保護に努め、敵対した相手にも情けをかける寛容さから仏高力とも呼ばれたもく

また、とても誠実な人柄だったようで、役得として自らの懐に収めたとしても咎められないようなことでもそれをせずに素直に差し出したという逸話も複数残っていて、家康さんからの信頼は当然ながら、小牧・長久手の戦いで対した豊臣家のもとに和議の使者として訪れた際には秀吉さんからも大変気に入られ、豊臣の姓を賜るほどだったそうもく

 

 

 

戦国時代初期に三河の渥美群で勢力を持った戸田家は、戦国時代中期には一族の宗主に 戸田康光 さんを据えて三河一帯の支配を狙ったもく

ところが元より力を有した今川家と当時台頭していた松平家の壁は思いのほか高く、目標は頓挫して松平家に従ったもく

躍進著しかった当主・清康さんの急死によって松平家が衰退すると、康光さんは今川家に従属することになり、人質となるのちの徳川家康さんこと竹千代さんを駿府に送り届ける命を受けたもく

しかし、それを反故にして今川家の敵である織田信秀さんのもとにお送り届けてしまい、今川義元さんの怒りを買って討たれてしまったもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

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