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【戦国IXA】9 月の追加武将一覧

∩^з^)∩ こんにちはー のろしもく

新たな舞台が開幕してもうすぐ1ヶ月もくね

すでに合戦も2回おこなわれたけど みんなハッスルしてるかなもく? 

 

さて 戦国IXA では 今月も頼もしい顔ぶれが新登場ですもく

 

 9 月 の 追加武将 が 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 義姫さん 小早川隆景さん 水谷正村さん 織田信雄さん

【 特 】 村井長頼さん 三村元親さん 稲葉正成さん

【 上 】 池田勝正さん 

【 序 】 真田信政さん

以上の 9 名

 

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水谷正村【 極 】、織田信雄【 極 】 は 取引出品・譲与不可で

2021年12月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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出羽国山形城主である最上義守さんの娘としてうまれた 義姫 さんは、おなじ出羽国の米沢城主である伊達輝宗さんの正室となったもく

最上家とは対立関係にあった伊達家へ一種の政略結婚で嫁いだ義姫さんは、知性と度胸、さらには行動力も兼ね備えた人物だったようで、夫の輝宗さんが兄の最上義光さんを攻めた際には、みずから戦場へ駈けつけ、駕籠で陣中を突っ切り、輝宗さんに撤兵するよう迫ったんだってもく

さらに輝宗さんの没後、息子の伊達政宗さんと義光さんのあいだで争いがおこると、またしても義姫さんは輿に乗って戦場に駈けつけ、両者が停戦を了承するまで両軍のあいだに居座り続けたといわれており、その日数はなんと80日間と伝わっているもく

さすが戦国時代を代表する武将伊達政宗さんの母君、ただ者ではないもくね

 

 

 

毛利元就さんの三男である 小早川隆景 さんは、次兄の吉川元春さんとともに「毛利両川」と称され、三代の毛利家当主を支えて毛利家を中国地方の覇者へと押し上げたもく

隆景さんが当主を継承した小早川家は水軍で有名な一族で、隆景さんに率いられて毛利一門となってからは、毛利水軍として数々の合戦で活躍し、毛利家の勢力拡大に貢献したもく

毛利家の政略を一手に担ってきた隆景さんは、豊臣秀吉さんからもその能力や人柄を高く評価されており、天下人をして「日本の西は、小早川隆景に任せればすべて安泰である」とまで言わしめ、豊臣政権下では五大老のひとりに任命されたもく

 

 

 

常陸国の名門結城家の家臣で、結城四天王の一人にも数えられる 水谷正村 さんは、出家後の蟠龍斎という名でもよく知られ、生涯無敗を誇る勇猛果敢な武将だったと伝わっているもく

結城家と下野の宇都宮家の対立が深まるなか、正村さんは最前線に久下田城を築いて城主となり、宇都宮勢を相手に多くの武功を挙げ、さらに結城領と宇都宮領の境界付近に位置する中村城を攻めて中村玄角さんを討ち取り、その武勇を不動のものとしたもく

複雑な勢力図が展開される関東において、持ち前の勇猛さで結城家を支え続けた正村さんは、豊臣秀吉さんが天下人となると結城家からの独立を許されて大名となったもく

 

 

 

織田信雄 さんは織田信長さんの子で、本能寺の変で父と長兄の織田信忠さんが討たれ、その敵を討った羽柴秀吉さんが織田家の勢力を継承しようと突き進むなかで、兄弟の織田信孝さんもまた自害に追い込まれてしまったもく

家臣であるはずの秀吉さんが、主筋をないがしろにして台頭していくことを快く思わない信雄さんは、徳川家康さんと同盟を結んで秀吉さんに合戦を仕掛けたけれど、自領に羽柴方の侵攻を受けると、家康さんに無断で秀吉さんと単独講和を結び、その後は秀吉さんに臣従することとなったもく

大坂の陣で徳川方についた信雄さんは、上野国甘楽郡などに五万石を与えられ、その子孫たちは大名や旗本として江戸時代を送ったもく

 

 

 

前田家の家臣だった 村井長頼 さんは、はやくから前田利家さんのそばに仕え、戦場ではみずからが盾となって主君を救うこともあったんだってもく

苦楽をともにした長頼さんに対する利家さんの信頼はあつく、前田家が加賀国に封じられて大名になると、長頼さんは家老に任じられ、他の重臣らとともに加賀前田家の基礎を築いたもく

長頼さんの「又兵衛」という通称は、利家さんの通称「又左衛門」から一字を拝領したといわれており、また、長頼さんが立派な髭をたくわえていたことから、利家夫妻は長頼さんのことを「髭殿」と呼んでいたと伝わっているもく

こういった逸話からも利家さんからの信頼のあつさと親しみの気持ちがうかがえるもくね

 

 

 

三村元親 さんは備中松山城主で、父の三村家親さんは宇喜多直家さんが放った刺客に鉄砲で狙撃されて亡くなったもく

家督を継いだ元親さんは、毛利家の力を借りながら宇喜多勢と合戦を繰り返したけれど苦戦が続き、父の無念を晴らすことはなかなかできなかったもく

さらには頼りとしていた毛利家が宇喜多家と手を結ぶという事態が発生したため、元親さんは毛利家を離れ、織田家を頼ることを決意したもく

すると毛利家は三村討伐に乗り出し、備中松山城の周辺の城を次々と陥落させていったもく

孤立無援の状況に追い込まれた元親さんは、毛利方に切腹を願い出て、城下町にある松連寺で自刃したもく

 

 

 

稲葉重通さんの婿養子となった 稲葉正成 さんは、豊臣秀吉さんに仕えたのちに小早川秀秋さんの家臣となることを命じられ、関ヶ原の戦いでは秀秋さんを徳川方に寝返らせることに成功したもく

しかし戦後は、奇行の目立つ秀秋さんと対立して美濃に蟄居し、秀秋さんの死後は浪人となり、のちに徳川家康さんに召し出されて、美濃国内に一万石の領地を与えられ十七条藩主となったもく

その後、松平忠昌さんの家老として清崎城主となるも、忠昌さんの越前移封に従わず蟄居を命ぜられ、数年後またもや幕府に召し出されると、今度は下野真岡で二万石を領する大名となったもく

 

 

 

室町時代後期、摂津池田家は摂津国内最大級の国人で、その版図は 池田勝正 さんの代において最大となったとされているもく

足利義昭さんを擁して上洛した織田信長さんに対し、勝正さんは抵抗を試みたものの織田家の軍事力の前に降伏を余儀なくされたもく

しかし、勝正さんの能力を高く評価した信長さんは、加増の上で領地を安堵し、伊丹親興さん、和田惟政さんとともに「摂津三守護」のひとりとして、摂津の支配を任せたもく

その後、一族の寝返りによって池田城を追われた勝正さんは、信長さんから原田城主に任じられたけれど、信長さんと義昭さんが対立すると幕府方についたため、今度は原田城からも追われてしまうこととなったもく

 

 

 

真田信政 さんは、真田信之さんの次男として生まれ、父が上田から松代へ加増移封された際、松代藩の一部を支藩として与えられたもく

しかし、沼田藩主であった兄の真田信吉さんが早世し、その跡を継いだ熊之助さんも七歳で亡くなったため、信政さんが沼田藩主となったもく

兄が亡くなったため、いずれ信政さんが父・信之さんの跡を継いで松代藩主となるはずだったけれど、なかなか信之さんが隠居しないので、信政さんは父が自分ではなく兄の系統に松代藩を継がせようとしているのではないかという疑念を抱いていたといわれているもく

九十歳を過ぎた信之さんが隠居し、ようやく松代藩主となった信政さんだったけれど、それからわずか二年後に病死してしまったもく

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

  

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