戦国IXA のろしのBLOG もくっ ・ε ・

スクウェア・エニックスのオンラインゲーム 【 戦国IXA 】を 応援する煙の妖怪 のろし が 戦国IXAやのろしのことをゆる~くお届けするブログもく

【戦国IXA】12 月の追加武将一覧

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Σ( ゚з゚ ) ハッ!! どっ どうもこんにちはもく っ

もう今年も残り1ヶ月だという事実に

呆然としているのろしですもく ( ̄ε ̄;) イチネン ハエー

 

なにかと慌ただしくふわふわとした気持ちになる12月ですが

今月も 戦国IXA にはどっしり頼もしい顔ぶれが新登場もくよ

 

 12月 追加武将公開されました もく

 

追加されるのは

【 傑 】 朝日姫さん

【 極 】 大内義興さん 支倉常長さん 甲斐宗運さん 佐々木ユキさん

【 特 】 大友義統さん 伊達秀宗さん 姉小路頼綱さん

【 上 】 長坂信政さん 

【 序 】 木俣守勝さん

以上の 10 名

 

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甲斐宗運【 極 】、佐々木ユキ【 極 】は

取引出品・譲与不可で

2023年3月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

朝日姫【 傑 】は取引出品・譲与不可で

2023年6月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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▼レアリティ【 傑 】について

https://sengokuixa.jp/new_rarity/

 

豊臣秀吉さんの妹である 朝日姫 さんは、まだ秀吉さんが織田家で出世の階段を駆けあがる前、尾張国地侍である佐治日向守さんと結婚したといわれているもく

結婚相手については、地侍ではなく農民だったという説や、佐治日向守さんではなく副田甚兵衛さんという武士だったという説などもあるもく

本能寺の変のあと、織田家の勢力を引き継いで天下人となった秀吉さんは、徳川家康さんに朝日姫さんを嫁がせることで、家康さんを懐柔して臣下の礼をとらせたいと考え、朝日姫さんと夫を離縁させてしまったもく

政略結婚に利用された朝日姫さんは、家康さんの継室となって駿河に移り住み「駿河御前」と呼ばれるようになったけれど、二年ほどすると母の見舞いを理由に京の聚楽第にもどったもく

そのあと一度は駿河にもどったという説もあるけれど、病気がちだった朝日姫さんは、家康さんと結婚した数年後、聚楽第で病死してしまったもく

 

 

 

大内家は周防国を中心に一大勢力を築いた名門で、大内義興 さんの父大内政弘さんは、山名宗全さんに次ぐ西軍側の主力として応仁の乱に参戦したもく

隠居した父が病死すると、義興さんは名実ともに大内家の当主となり、家中の不穏分子や九州の大友家や少弐家との争いに対処しながら、名門大内家の勢力をさらに拡大していったもく

細川政元さんらに将軍職を追われて諸国を転々としていた前将軍足利義尹さんが、大内家を頼って周防国へ流れてくると義興さんはこれを保護したもく

そして義興さんは、政元さんが家臣に暗殺されるとその好機を逃さず上洛し、義尹さんを将軍職に復帰させ、自らは幕府管領代となり、強大な軍事力をもって将軍を支えたもく

 

 

 

慶長十四年にスペインの船が日本に漂着したことが遠因となり、伊達政宗さんは徳川家康さんの許可を得て、スペインとの通商交渉を目的とした外交使節の派遣を決定したもく

慶長遣欧使節と呼ばれるその使節を率いたのが、政宗さんの家臣 支倉常長 さんもく

アメリカ大陸のスペイン領を経てヨーロッパに到着した常長さんは、マドリードにてスペイン国王に謁見し、国王ら臨席のもと洗礼を受け、続いて向かったローマではローマ教皇に謁見し、ローマの市議会から「ローマ市公民権証書」を与えられ、貴族に列するほどの待遇を受けたもく

しかしその頃、日本国内ではキリスト教の弾圧が行われており、長期間ヨーロッパに滞在して交渉を続けた常長さんらの努力が実ることはなく、七年ぶりに日本の土を踏んだ常長さんは、その二年後、失意のうちに亡くなったもく

 

 

 

肥後国の北東部を治める阿蘇神社大宮司阿蘇家の家臣 甲斐宗運 さんは、生涯無敗ともいわれる武勇と知略、そして堅固なる忠誠心で阿蘇家に最盛期をもたらしたもく

おなじ肥後国の相良家や豊後国の大友家などと結んで、小大名である阿蘇家の存続に尽力する宗運さんは、島津家や龍造寺家といった大勢力による肥後国侵攻が激化すると、大友家に見切りをつけて龍造寺家に従う決断をしたもく

一方、同盟関係にあった相良家は島津家に臣従し、島津家が相良義陽さんに宗運さんの御船城攻略を命じたため、宗運さんは、誓詞まで交わしあった義陽さんとの合戦を余儀なくされたもく

宗運さんは、見事に義陽さんを討ち取り大勝したけれど、義陽さんの苦しい立場に同情し、涙を流したといわれているもく

その後も阿蘇家に忠義を尽くした宗運さんの最期は、病死とも、孫娘による毒殺ともいわれているもく

 

 

 

巖流島の決闘で有名な佐々木小次郎さんは、生年や経歴、さらにはその姓名についてすらも確かなことがわかっていないもく

そんな謎多き剣豪の妻と考えられているのが 佐々木ユキ さんで、彼女はキリシタンだったといわれているもく

巖流島の決闘で小次郎さんが宮本武蔵さんに敗れたとき、ユキさんは懐妊していたといわれ、夫の遺髪が届けられるとユキさんは山陰方面に逃れて各地を流転したのち、ある寺に身を寄せて尼になったとのこともく

その地に夫の墓を建てたユキさんは、我が子が父の最期を知って仇討ちなどを考えないように、小次郎さんの名を「古志らう」と記したといわれているもく

 

 

 

豊後の王と称された大友宗麟さんの嫡男である 大友義統 さんが大友家の家督を継いだあとも、実権は隠居した宗麟さんが握りつづけたため大友家は二頭政治となり、耳川の戦いで島津軍に大敗を喫した頃から、大友家は弱体化と家臣団の分裂が進んでいったもく

島津家の侵攻を食い止められず滅亡寸前にまで追い詰められた大友家は、豊臣秀吉さんの援軍を得ることで島津軍の撃退に成功し、豊後一国と豊前宇佐郡半郡を安堵されたもく

その後、秀吉さんから豊臣の姓を下賜され、さらに偏諱まで与えられた義統さんだったけれど、文禄・慶長の役において、窮地に陥った小西行長さんを救うことなく撤退したことが秀吉さんの逆鱗に触れ、大友家は改易されてしまったもく

時が流れ、豊臣秀頼さんから罪をゆるされた義統さんは、関ヶ原の戦いでは西軍に味方したため、戦後、今度は徳川家康さんの怒りを買って常陸国宍戸への流罪となり、義統さんはその地で没したとされているもく

 

 

 

奥羽の戦国大名伊達政宗さんの長子として生まれた 伊達秀宗 さんは、人質として豊臣秀吉さんに差し出され、秀吉さんのもとで元服して「秀」の一字を賜ったもく

徳川政権下で石高六十二万石の仙台藩主となった政宗さんは、秀宗さんが側室の子だったためか、あるいは
豊臣家との関わりの深さを憚ってのことか、長子の秀宗さんを家督相続者とせず、次男の忠宗さんを伊達宗家の後継者に定めたもく

そして、大坂冬の陣に従軍した功で、徳川家康さんから政宗さんに伊予国宇和島十万石が与えられると、政宗さんは別家を立てて秀宗さんを伊予国宇和島藩の初代藩主としたもく

 

 

 

姉小路頼綱 さんの祖父は三木直頼さんという飛騨の国人で、守護の京極家や国司姉小路家が戦乱や内紛により力を弱めると、美濃の土岐家と手を結ぶなどして飛騨国内での勢力を強めていったもく

直頼さんの嫡男で頼綱さんの父である良頼さんは、三家に分裂して対立していた姉小路家のうち二家を滅亡に追い込むなどすると、将軍足利義輝さんや関白近衛前嗣さんに工作をおこない飛騨国司となり、さらに姉小路家の名跡を嫡男の頼綱さんに継がせることにも成功したもく

頼綱さんの妻は斎藤道三さんの娘であり、頼綱さんと織田信長さんとは相婿の関係になるもく

織田家との強い結びつきにも助けられながら頼綱さんは、飛騨の一国人だった直頼さんから三代にわたった下剋上の、ひとつの到達点ともいえる飛騨国統一を成し遂げたもく

 

 

 

長坂家は清和源氏義光流小笠原家の流れを汲み、九郎守重さんという人物が足利将軍家に仕え山城国長坂村に居を構えたことから、長坂姓を称したとされているけれど、詳しいことはわかっておらず、この一族の事績がはっきりするのは 長坂信政 さん以降のこともく

守重さんの孫とされる信政さんは、徳川家康さんの祖父である三河国松平清康さんに仕えて戦功を重ね、次の当主松平広忠さんの代でも織田家との戦いなどで活躍し、さらにその次の当主家康さんにも近侍し、松平家三代に仕えたもく

信政さんの戦場での槍働きは凄まじく、その槍を血で濡らさないことはなかったといわれ、清康さんから「血鑓九郎」の異名を与えられたと伝わっているもく

 

 

 

楠木正成さんの孫である楠木正勝さんの子孫木俣守時さんが伊勢から三河に移り住んで徳川家康さんの家臣となり、守時さんの子 木俣守勝 さんも幼い頃から家康さんに仕えたもく

一時徳川家を出奔し明智光秀さんに仕えた守勝さんだったけれど、のちに徳川家に復帰すると、井伊直政さんの傘下に配置された武田家旧臣の統率を任されるなど、直政さんの寄騎として活躍したもく

その後、正式に直政さんの家臣となり付家老の先駆的存在となった守勝さんは、井伊直継さんの代になっても彦根城の築城や政務の取り仕切りなどで井伊家に貢献し、守勝さんの子孫たちも筆頭家老として幕末まで井伊家を支えたもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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