こんにちは のろしもく (^ε^ゞ-★
今年ももう12月かぁ 早いねぇもく
年始の頃には想像ができなかったような状況も多々あるけれど
みんなでそれぞれできることをやってがんばっていきましょうもく
ヽ(´∀`)9グッ ヽ(・ω・)9グッ ヽ(・ε ・)9グッ
さて 戦国IXA では 今月も新しい顔ぶれが登場
12 月 の 追加武将 が 公開 されましたもく
追加されるのは
【 極 】 大野治長さん 大崎夫人さん 織田信忠さん 安楽庵策伝さん
【 特 】 伝林坊頼慶さん 真柄隆基さん 森本儀太夫さん
【 上 】 赤松義祐さん
【 序 】 梅津政景さん
以上の 9 名
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織田信忠【 極 】、安楽庵策伝 【 極 】 は 取引不可 で
2021年3月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく
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大野治長さんは、豊臣家に仕えた重臣で滅亡の折も共にした人物もく
母は淀さんの乳母であり、その関係で淀さんが豊臣秀吉さんの側室になった際に、自身も秀吉さんの馬廻衆として取り立てられたもく
秀吉さんの死後は秀頼さんの側近として仕え、徳川家康さん暗殺計画の流罪によって一時離れるも、関ケ原合戦後に復帰し、家老であった片桐且元さんが追放されると家内を主導する立場に至ったもく
大坂の陣の頃には豊臣家の方々の記録に名が残る程の活躍ぶりで最期まで尽くしたようだけれど、結果として豊臣家は滅亡となっているため、その評価は分かれているみたいもく
また、その評価を分ける要因のひとつになるのかはわからないけれど、淀さんとのただならぬ関係の噂が当時からあったとも言われているもく
大崎夫人さんは、最上家の本家にあたる奥羽の名門・大崎家の出自で、正室として最上義光さんとの間に何人かの子供を授かったと推測される人物もく
中でも、東国一の美少女と称された駒姫さんの母である可能性が高いと考えられていて、駒姫さんが豊臣秀次さんに嫁ぐも直後に秀次さん失脚に連座して処刑されてしまうという悲劇が起こると、ショックが大きかったのか大崎夫人さんもその数日後に後を追うように亡くなったらしいもく
二人の死を悲しんだ義光さんは、専称寺を山形城下に移建して菩提寺とすると、大崎夫人さんだとされる室像を寄進したとされ、その室像は今日も県文化財として秘蔵されているんだってもく
織田信長さんの嫡男で、その後継者になるはずだった織田信忠さん。
出生に関しては諸説あってはっきりしていないようで、帰蝶さんが養子にしたという説もあるみたいだけど、幼年時には武田家との同盟のための婚姻関係に名が登場するなど家内での存在が確かなものとなっていて、元服後には父に従い各地を転戦したもく
才能を父に認められ若くして家督を継ぐと、総大将として出陣した戦いで戦果を重ね、甲州征伐では武田家を滅亡させるなど期待に応えたもく
しかし将来も安泰だと思われた矢先、本能寺の変が起こる。
自身も京都に滞在しており、逃げられる可能性があったものの、明智軍を迎え撃つことを選び、二条城で自害してしまったもくぅ
父や兄は美濃の戦国武将で、自身は幼少期に美濃の浄音寺で出家した安楽庵策伝さん。
上洛し修業の後、山陽地方での寺の建設や再建、布教活動を経て、浄音寺に戻って住職になるなどその生涯の多くを僧として活動していたが、天下の茶人として有名な古田織部さんに学び茶人としても名を馳せたもく
説法や教訓に面白い小噺を織り交ぜて聞かせる名手であったことが知られていて、それらの小噺をまとめた書「醒睡笑」が後に落語の種本となったことで、落語の祖とも呼ばれているもく
伝林坊頼慶さんは中国からやってきた武術家と考えられており、来日理由や、そこに至った経緯については不明であるが丸目長恵さんの「タイ捨流」との決闘に敗れ、弟子となったといわれているもく
忍術に長け、タイ捨流の忍術指導の総帥となったという記録もあるみたいで、その後修験者となって全国を巡ると、修験者で構成された「裏タイ捨」と呼ばれる忍者組織を確立し、伊賀や甲賀、柳生といった幕府勢力に対抗したらしいもく
修験者になってからの活動についても不明なことが多いのだけれど、師である長恵さんのものと並んでお墓が建てられているんだってもく
朝倉家に臣従し、講談や軍記物では北国の猛将として登場する真柄直隆さんは「太郎太刀」と呼ばれる大太刀を振り回したが、その息子の真柄隆基さんもまた規格外の大太刀を振り回して負けず劣らずの怪力を誇り、朝倉家を頼って足利義昭さんがやってきた際には、数人がかりで運んできた大石を手鞠のように数十回空中に投げて怪力ぶりを披露したという逸話も伝わっているもく
父と共に参戦した姉川の戦いで両者討死となるのだけれど、それぞれ撤退する味方を逃がすべく奮戦したようで、敵軍の徳川方に強烈な印象を残したみたいもく
父子が使ったとされる大太刀はどちらも現存していて奉納されているんだってもく
加藤家の重臣で、加藤十六将や加藤三傑のひとり森本儀太夫さんは、同じく十六将、三傑に数えられる飯田覚兵衛さんと共に清正さんとは幼なじみの関係で、幼少期の相撲対決の勝敗による約束を守って生涯清正さんを支えたもく
勇猛な性格のため家内でも攻めを任されることが多かったようで、朝鮮の役では覚兵衛さんと開発した「亀甲車」によって晋州城内一番乗りを果たしたりと、その活躍ぶりを豊臣秀吉さんからも讃えられたもく
また、平時には土木普請の要として築城などに才を発揮していたとのこともく
播磨守護の赤松晴政さんの子に生まれ、元服の際に将軍・足利義輝さんより義の一字を賜った赤松義祐さんは、父との連署体制で当時失われつつあった播磨守護の権威の回復を試みたが、父や親族、一時は息子とも対立するなどお家騒動が続いて消耗してしまったもく
近隣勢力との外交によって活路を見出そうとするも、将軍に就任した足利義昭さんや織田信長さんからの圧力にさらされる状況に陥り、また、近隣勢力も力を付け独自の動きを見せるなどして思惑が外れると、戦国という時代の波に飲み込まれていってしまったもくぅ
梅津政景さんは、佐竹義宣さんに仕え、特に義宣さんが秋田に移封された後の活躍が伝わる人物もく
武術以外にも文筆、算用、土木など高い実務能力を有したことから行政面で重用され、銀山奉行に就任すると開発や経営に手腕を発揮したもく
勘定奉行や家老も歴任し、用水路作成が困難な山間部にトンネルを掘って岩堰用水路を作り新田開発を進めるなど、秋田藩の発展に大いに貢献。
彼が残した「梅津政景日記」は、当時の経営の様子だけでなく、武士や庶民の生活までも記された貴重な資料となっているもく
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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく
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