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【戦国IXA】「 下天開闢~導かれし宿星~ 」 新天情報

2022 年 2 月 4 日( 金 )

  戦国IXA  新たな舞台が開幕・・・!

 

【 下 天 開 闢 ~ 導 か れ し 宿 星 ~ 】

 

↓↓  新たな舞台の詳細はこちらもく

http://sengokuixa.jp/getenkaibyaku/

 

 

さて 新たな舞台の大殿も気になるところですが

その前に・・・こちらの武将カードをご紹介もく!!

 

 

新章でのアップデート内容として

戦国時代の顔とも言える武将 織田信長 さんが

新レア度 【傑】 で新登場!!!!

その超超強力なスペックは特設ページでチェックもく!!

 

↓↓ 新レアリティ【傑】 の詳細はこちらもく

https://sengokuixa.jp/new_rarity/

 


そして ここからは 新たな舞台の大殿であり

   戦国 IXA の 新【天】武将カード として登場する

                   12 名をご紹介もくっっっ!!!

 

 

 

室町時代のはじめに足利尊氏さんが土岐頼貞さんに守護職を与えて以来代々土岐家が守護を務めてきた美濃国を、下剋上によって奪い取ったのが  斎藤道三  さんもく

その出自については、油売りの行商から成り上がったという説や、父の代にはすでに美濃において武士となっていたという説など諸説あるけれど、いずれにせよ国主の座など望むべくもない地位から権謀術数を用いて国主へと成り上がった道三さんは、戦国時代屈指の謀略家であり、下剋上の代名詞ともいえる人物もく

織田信長さんの舅としても有名な道三さんは、まだ世間で「うつけ者」と評されていた頃の信長さんを見て、その尋常ならざる能力を見抜いたといわれているもく

 

 

 

一度は仏門に入りながらお家騒動の末に今川家の家督を継いだ  今川義元  さんは、幕府の命令を待たない独断での遠江進出や「今川仮名目録」制定などをおこない、足利家一門である守護大名今川家を、戦乱の世に耐えうる戦国大名へと変貌させていったもく

大軍を擁しながら寡兵の織田軍に討ち取られてしまったことや公家文化を好んだことなどが相まって、軟弱な武将という印象を持たれがちな義元さんだけれど、実は「海道一の弓取り」と称され、今川家の最盛期を築き上げた人物であり、当時天下人に最も近い武将だったともいわれているもく

そんな義元さんが用いた「赤鳥紋」と呼ばれる家紋は、櫛のよごれを取る化粧道具の「垢取り」を図案化したものだといわれているもく

 

 

 

織田信長さんについて述べるとき、その超人的な事績の象徴として語られるのが桶狭間の戦いであるならば、信長さんの破滅とともに語られるのが本能寺の変であり  明智光秀  さんもく

信長さんからその能力を高く評価され、天下取りへ邁進する織田家において五大将のひとりに数えられるほど重用された光秀さんがなぜ主君を討ったのかは、いまなお多くの謎が残っており、動機や真相について数えきれないほどの説が唱えられているもく

主君を討った光秀さんが用いていた桔梗の家紋は、「裏切り者の家紋」とみなされるようになり、桔梗紋を家紋としていた武将のなかには別の家紋に変える者もいたと伝わっているもく

 

 

 

武田信玄の名で広く知られる  武田晴信  さんは、諸大名から「甲斐の虎」と畏怖された名将で、織田信長さんが最も煩わされ細心の注意を払って外交をおこなった相手だといわれているもく

晴信さんに対し、野心や敵意のないことを示したい信長さんは何度も晴信さんに高価な品を献上したようで、あるとき晴信さんが献上品の梱包に使われていた漆塗りの箱を切りその断面を確認すると、それは漆が何層にも塗り重ねられた高価な漆箱であったもく

梱包にまでこれほど高価なものを用いるのは誠意が本物であることの証であると判断した晴信さんは、信長さんに対する警戒心を弱めたといわれているもく

敵対を避けるためにそこまで徹底する信長さんも見事だけれど、献上品そのものではなく梱包の箱の品質をあらためる晴信さんの入念さにも恐れ入るもくね

 

 

 

織田信長さんが、武田信玄さんとおなじくらい恐れていたのが上杉謙信の名で知られる  長尾景虎  さんもく

信玄さんとの五度にわたる川中島の戦いをはじめ、数多くの武将らと合戦を繰り広げた景虎さんは、戦国時代屈指の戦上手であり、諸大名から「軍神」と恐れられていたもく

そんな無類の強さを誇る景虎さんと、急速に勢力を拡大していく信長さんは、ある時期までは良好な協力関係にあったけれど、次第に関係は悪化し、景虎さんが畠山家の七尾城を攻略しようとした際、畠山家の重臣らが信長さんに援軍を要請し、信長さんがそれに応えたことで、ついに上杉軍と織田軍は衝突することとなったもく

手取川の戦いと呼ばれるこの合戦は、織田軍到着前に景虎さんが七尾城を陥落させていたことにくわえ、織田家の武将同士が意見を衝突させて足並みを崩したことなどもあり、兵数では劣る上杉軍が大軍を擁する織田軍に大勝したと伝わっているもく

 

 

 

大坂夏の陣によって豊臣家を滅ぼし、戦乱の世に泰平をもたらした徳川家康さんは、今川家の支配下にあった頃、 松平元康  さんと名乗っていたもく

織田信長さんの名を天下に知らしめた桶狭間の戦い今川義元さんが討ち取られると、元康さんは今川家からの独立を果たし、その後は信長さんと同盟を結んで領土を拡大していったもく

それからの信長さんの躍進はすさまじく、元康さんは次第に同盟というよりも従属に近いような姿勢で信長さんに尽くし、嫡男である松平信康さんを切腹させるよう信長さんに命じられた際も、その命令に従ったもく

そのような経緯が影響しているのか、本能寺の変に関する数多くの説のなかには、元康さんを黒幕や共犯者であると考える説も存在するもく

 

 

 

のちに天下人となる  羽柴秀吉  さんも、明智光秀さんとおなじく、織田信長さんによって見出だされ、織田五大将のひとりに数えられるほどの地位にまで引き上げられた人物もく

秀吉さんは信長さんのもとで、一夜にして城を築いたと伝わる「墨俣の一夜城」や、備中高松城を文字通りの水攻めで孤島にしてしまった「高松城の水攻め」など、奇策を用いて数多くの手柄を挙げたけれど、その一方で、朝倉浅井連合軍によって織田軍が窮地に立たされた際には、全軍の壊滅を防ぐために命を捨てる覚悟で殿軍をつとめたと伝わっているもく

「人たらし」と称されるほどの人心掌握の巧みさや、機知に富んだふるまいなどがよく語られる秀吉さんだけど、こういった生死を顧みない行動があったからこそ、信長さんの信頼を得ることができたのかもしれないもくね

 

 

 

戦国三大梟雄のひとりに数えられる  松永久秀  さんは、阿波の戦国大名である三好長慶さんに仕えた人物で、長慶さんが上洛して三好政権を成立させるとその政権内で地位を高めていき、大名並の実力を持つようになったもく

長慶さんの没後、織田信長さんに茶の名器として知られる「九十九髪茄子」を献上して臣従を誓ったけれど、全国の反信長勢力が連携を強めはじめると、久秀さんもそれに呼応して信長さんにそむき、信貴山城に立て籠もったもく

久秀さんは「平蜘蛛」と呼ばれる茶釜を所有しており、信長さんは「平蜘蛛」を差し出せば助命すると伝えたけれど、久秀さんはその申し出に応じず、「平蜘蛛」を抱いて爆死したといわれているもく

 

 

 

キリシタン大名としても有名な  大友宗麟  さんは、守護大名や有力な土豪など大小の勢力が入り乱れる九州において六ヶ国を支配し、「豊後の王」として諸外国にまでその名を知られていたもく

毛利家に身を寄せて織田家攻めを画策する足利義昭さんが、毛利家と長年敵対している大友家を将軍に背く者であると糾弾したため、宗麟さんは織田信長さんに接近して勢力の維持を図ったもく

しかし、本能寺の変で信長さんが討たれてしまい、薩摩の島津家の勢いにおされた大友家は次第に衰退していったもく

一時は九州最大の勢力となった宗麟さんはキリスト教国家の建国を夢見ていたといわれ、その理想郷を「ムジカ」と名付けたと伝わっているもく

 

 

 

織田信長さんの家臣である森可成さんの三男として生まれた  森蘭丸  さんは、ふたりの弟とともに小姓として信長さんに仕えたもく

あるとき信長さんに、隣の座敷の障子が開いているので閉じてくるよう命じられ、蘭丸さんが隣の座敷へ行くと障子が閉まっていたので、蘭丸さんは一度障子を開き音を立てて閉め、信長さんの思い違いだったことを周囲に気づかれぬよう対処したといわれているもく

機転がきき、気配りもできる人物だった蘭丸さんは忠義の心もあつく、明智光秀さんが謀反を起こし本能寺を襲った際も、最後まで信長さんのそばを離れず、主君とともに討ち死にしたもく

 

 

 

「海賊大名」の異名を持つ  九鬼嘉隆  さんは、九鬼水軍を率いて織田信長さんに仕え、信長さんを苦しめた長島の一向一揆石山本願寺との戦いにおいてめざましい働きを示したもく

第一次木津川口の戦いと呼ばれる海戦で毛利軍に敗れた信長さんは、嘉隆さんに命じて大型の鉄甲船六艘を建造させ、二年後に再び木津川河口で毛利水軍と織田水軍が激突した戦いは、織田軍の大勝におわったもく

毛利家から本願寺への海上補給を阻むことに成功した意義はおおきく、嘉隆さんはこの戦功によって加増をうけ、三万五千石を領する大名となったもく

豊臣政権にも仕えた嘉隆さんは朝鮮出兵の際にも、日本国の水軍の代表的な存在として大船団を率いて参陣したもく

 

 

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摂津池田家の家臣だった  荒木村重  さんは、池田家に起こった内紛の混乱に乗じて主家の実権を握り、その後、織田家へと転じると、伊丹城主として摂津一国を任されるほど織田信長さんに重用されたもく

しかし、乱世らしい立身出世を果たした村重さんは、突如として信長さんに反旗を翻して有岡城伊丹城)に籠城するという、これまた乱世の人物らしい挙に出たもく

村重謀反の知らせを聞いた信長さんは、数度にわたって翻意を促す使者を派遣したけれど村重さんは応じず、約一年間の徹底抗戦ののち妻子を残して城から脱出したもく

その結果、一族は皆殺しにされてしまったけれど、豊臣秀吉さんが天下人となった頃、村重さんは大坂に舞い戻り、茶人として余生を過ごしたといわれているもく

 

 

なお

織田信長【 傑 】 斎藤道三【 天 】 今川義元【 天 】 明智光秀【 天 】  については

取引出品・譲与不可とのこともく

 

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今回の【天】武将カード追加時に下記の【天】武将カードは一部くじより排出停止とのこともく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】1 月の追加武将一覧

ガオーッ トラのろしだぞもくーぅぅ

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トラのろしは今年トランポリンにトライしタイガー
みんなは何にトライしタイガーもくぅ?
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はい というわけで こんにちは のろしですもく
みんな2022年には慣れてきたかなもく?

 

 

戦国IXA では
新年早々ド派手なコラボイベントが発表されていますが
もちろん新しい武将たちの追加もあるもくよ

 

 1月 追加武将 公開されました もく 

 

追加されるのは

【 極 】 伊達輝宗さん 朝倉義景さん 武田勝頼さん 雪窓院さん

【 特 】 藤堂高吉さん 神保長職さん 上杉定正さん

【 上 】 千葉胤富さん 

【 序 】 鵜殿長照さん

以上の 9 名と

 


さらに

【 天 】 蘆名盛氏さん 毛利元就さん 尼子経久さん

以上の 3 名が 

スキルやステータスを新しくした復刻版として登場するとのこともく

 

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武田勝頼【 極 】、雪窓院【 極 】、

蘆名盛氏【 天 】、毛利元就【 天 】、尼子経久【 天 】は

取引出品・譲与不可で

2022年4月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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伊達輝宗 さんは政宗さんの父で、伊達家を再興させて息子が躍進する土台を築いた人物もく

輝宗さんが幼少期に家督を引き継いだ頃は、周辺勢力をも巻き込んだお家騒動「天文の乱」が終結した直後ということで、伊達家がそれ以前に誇った権威も揺らいでいたもく

また、家督相続後もしばらく父が実権を握るなど難しい舵取りを迫られたけれど、適材適所の人員配置などでお家を立て直し、政宗さんが生まれるとその才能を見出し早くから熱心な教育を施したそうもく

こうして次代への準備を着実にこなした輝宗さんだけど、その最期もまた次代のために悲劇的となったことも知られているもく

 

 

 

越前にて栄華を極めた朝倉家の最後の当主であったのが 朝倉義景 さんもく

織田信長さんが台頭し戦国時代の熱気がより増していくなか、その信長さんの前に立ち塞がり、追い詰める機会も何度かあったけれど、優柔不断とも取れる行動を繰り返し敗れてしまったため武将としての評価はあまり芳しくないようもく

ただ、もともと戦を好まない性格だったといわれ、芸術に長けた文化人として優秀さが伝わっており、その面で幕府から絶大な信頼を得ていたことや、足利義昭さんが還俗して将軍になる際にはじめ義景さんを頼ったこともよく知られるところで、時代が異なればまた違った輝きを放つ名君となったかもしれないもく

 

 

 

信玄さん亡き後の当主を担い、武田家最大版図を築いたのが 武田勝頼 さんもく

一方で、織田信長さん、徳川家康さんの連合軍と対した「長篠の戦い」に敗れ、武田家最後の当主となった人物でもあるもく

お家の滅亡を招いたことや偉大過ぎる父との対比によって長年その評価はあまり良くないものであったのだけれど、近年では、武勇に優れ信長さんや上杉謙信さんに一目置かれていたという逸話や、いずれも難局であったともいわれる家督相続の経緯だったり当時の武田家が置かれた状況の考察によって再評価の動きも高まっているもく

 

 

 

雪窓院 さんは、薩摩の地域を五つの家に別れて治めていた渋谷家の支流の一つ入来院家の生まれで、当時渋谷家と対立を繰り返し勢力拡大にも励んでいた島津家からの所望によって、島津貴久さんに嫁いだもく

この婚姻は薩摩の情勢を安定させ、さらに島津家の最盛期を築く島津四兄弟のうち、義久さん、義弘さん、歳久さんを生むなど、地域史にとって大きな意味を持つものとなったもく

子供達がまだ幼い時に亡くなってしまったのだけれど、その三十回忌には子供達によって菩提寺が作られ、義久さんが島津家の命運を掛けた秀吉さんとの謁見前にこの寺を訪れるなど、母としても大きな存在だったことがうかがえるもく

 

 

 

織田家において柴田勝家さんに続く二番家老丹羽長秀さんの三男として生まれた 藤堂高吉 さんは、本能寺の変後、一度羽柴秀長さんの養子となり、のちに藤堂高虎さんの養子となったもく

高吉さんは伊予今治のうち二万石を与えられ、そのまま藤堂家を継ぐかと思われたけれど、高虎さんに実子ができたためそれはかなわず、高虎さんの没後はその実子である高次さんに仕えたもく

藤堂家の転封にともない高吉さんは伊賀名張に移封され名張藤堂家の祖となったけれど、本家の高吉さんからは冷遇されていたといわれ、名張藤堂家と本家は江戸時代に入ってからも良好な関係ではなかったみたいもく

 

 

 

神保長職 さんは、正確な出自が不明ながら、おそらく神保慶宗さんの子ではないかとされている人物もく

神保家は室町幕府管領畠山家の鎌倉以来の譜代家臣だったけれど、慶宗さんは畠山家から独立する動きを見せ、さらに越後守護代である長尾家との関係も悪化させてしまい、その結果、長尾畠山連合軍の侵攻を受けて自刃したもく

神保家の再興をめざす長職さんは、神通川を越えた椎名家の支配地に富山城を築いたけれど、上杉家がたびたび椎名家を援護したため、椎名、上杉の両家を相手に合戦を繰り返すこととなったもく

 

 

 

関東管領山内上杉家の分家である扇谷上杉家を継いだ 上杉定正 さんは、関東管領上杉顕定さんや古河公方足利成氏さんらが威を張る関東において、有能な家臣太田道灌さんの活躍にも助けられ勢力を拡大していったもく

しかし、「関東不双の案者」とまで称された道灌さんの能力と声望を危険視したためか、定正さんは道灌さんを暗殺してしまい、その結果、多くの家臣の離反を招いたもく

その後、顕定さんと対立した定正さんは、伊勢宗瑞さんと同盟を結ぶも、高見原での対陣中に急死してしまったもく

一説には川を渡ろうとした際に落馬して亡くなったともいわれており、道灌さんの亡霊が定正さんを落馬させたのではないかとささやかれたもく

 

 

 

下総千葉家の当主千葉昌胤さんの子として生まれた 千葉胤富 さんは、はじめ海上家の家督を継いだけれど、千葉家を継いだ千葉親胤さんが家臣によって殺害されたため、あらためて千葉宗家の家督を継ぐこととなったもく

上杉謙信さんと古河公方足利家の争い、結城家や里見家による侵攻など、少しの油断もゆるされない情勢のなかで、胤富さんは頼るべき相手として北条家を選び、その支援を受けて里見家や上杉家の撃退に成功したもく

一貫して北条家に従うことで周辺の強国に侵略されることを回避した胤富さんは、合戦の能力もさることながら、その外交手腕の高さによって千葉家の勢力を保ったといえるかもしれないもくね

 

 

 

今川家の家臣で三河国上ノ郷城主である鵜殿長持さんを父に持つ 鵜殿長照 さんは、生母が主君今川義元さんの妹にあたる女性だという説もあるもく

西進を目論む今川家にとって上ノ郷城は重要な拠点であったため、鵜殿家は今川家に重用され、長照さんもその信頼を裏切らず今川家によく仕えたもく

桶狭間の戦いで義元さんが討たれると、三河の多くの武士が今川家を見限って松平元康さんに鞍替えするなか、長照さんは今川家にとどまり、義元さんのあとを継いだ今川氏真さんに忠節を尽くしたもく

 

 

 

奥州随一の勢力を誇る大名伊達稙宗さんの娘を正室に迎えた 蘆名盛氏 さんは、父から家督を譲られると、それまで対等の関係であった山内家を従属させるなどして会津での勢力を拡大していったもく

伊達家で勃発した稙宗さん晴宗さん父子の争い「天文の乱」において、晴宗さんの勝利に大きく貢献した盛氏さんは、次第に伊達家の影響下からも脱し、本格的に隣国への侵攻を開始したもく

強国佐竹家に対しては北条家や武田家と結んで対抗する遠交近攻の策をとり、領内においては積極的な金山開発や人材登用をおこなうなど、軍事以外の面でも優れた手腕を発揮して蘆名家の最盛期を築きあげていったもく

 

 

 

戦国時代を代表する武将のひとりである 毛利元就 さんは、安芸の国人領主毛利弘元さんの次男として生まれ、そこから一代で中国地方統一を成し遂げた英雄的人物もく

大内家と尼子家という二大勢力が対立する中国地方において、元就さんはぬかりのない外交や卓越した軍略、ときには謀略なども用いて、大内尼子の両家をしのぐ勢力となり、ついには中国地方の覇者となったもく

それだけの大勢力となれば当然天下を争う資格を有しているといえるのだけれど、元就さんは「我、天下を競望せず」と語り、子や孫たちにも天下を狙わぬよう戒めたといわれているもく

その軍略や政略の非凡さもさることながら、これだけの実力がありながら天下を望まず一地方の覇者であることに徹したところに、元就さんの凄みを感じるもくね

 

 

 

山陰の覇者尼子家の中興の祖であり、下剋上によって一大勢力を築いた 尼子経久 さんは、毛利元就さんや宇喜多直家さんとともに「中国の三大謀将」と称されているもく

その狡猾さや謀略の巧みさから「謀聖」とも称された経久さんだったけれど、一方で、家臣に自分の持ち物を褒められると、すぐにそれを家臣にあげてしまうほど「天性無欲正直の人」だったともいわれているもく

家臣に庭の松を褒められ、それを掘り返して与えようとしたという話も伝わっており、経久さんが当時としてはかなりご長寿だったということもあいまって、なんだか「中国の三大謀将」や「謀聖」という印象にはそぐわない穏やかでやさしいおじいさんが目に浮かぶもくね

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】12 月の追加武将一覧 ②

こんにちはっ のろしですもくーぅぅ 。゚。゚寒(ノ)´з`(ヾ)寒゚。゚。

戦国IXA では ついこのあいだの12月1日に

九戸政実さんをはじめとする頼もしい武将たちが追加されましたが

 

noroshi-sengokuixa.hatenablog.com

 


クリスマスを来週にひかえた今日このごろ

なんと今月2回目の武将追加がおこなわれるとのこともく!

 

12 月 の 追加武将 が 公開 されましたもく

 

追加されるのは

【 極 】 加藤清正さん 福島正則さん 

以上の 2 名

 

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加藤清正【 極 】、福島正則 【 極】 は

取引出品・譲与不可で

2022年3月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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長烏帽子形兜と呼ばれる変わり兜をかぶった姿が印象的な 加藤清正 さんは、豊臣秀吉さん子飼いの家臣のなかでも屈指の猛将として知られているもく

賤ヶ岳の七本槍」の一人に数えられる清正さんは、数々の合戦で武功を挙げて秀吉さんの天下取りに貢献し、九州平定後には、難治の国とされる肥後半国を与えられたもく

戦場での働きだけでなく、築城や治水、農業政策、さらには商業政策などでも優れた手腕を発揮した清正さんは、一揆があったばかりで不安定な情勢の肥後を見事に統治し、肥後人からの尊敬を勝ち取ったもく

清正さんの没後に肥後をおさめることとなった細川忠利さんは、清正さんの霊位を先頭にかざして肥後に入国し、「あなたの城地をお預かりします」と清正さんの墓所に向かって遥拝することで、清正さんを敬う姿勢を肥後人に対して示したといわれており、いかに肥後人が清正さんを崇敬していたかがうかがえるもく

秀吉さんが亡くなったあと、豊臣家は武断派と文治派の対立が深まり、清正さんをはじめとする武断派徳川家康さんに接近し、その助力を得ようと図ったもく

家康さんがこの対立をうまく利用して豊臣政権を切り崩していったという見方もあり、関ヶ原の戦いでは多くの武断派が家康さんに味方して、様々なかたちで東軍の勝利に貢献したもく

豊臣家に対しての恩義も忘れていない清正さんは、家康さんと豊臣秀頼さんの会見実現に尽力したけれど、その会見を見届けたあと、帰国する船のなかで発病し、帰国後に亡くなったもく

 

 

 

豊臣秀吉さんの親戚筋だったとされる 福島正則 さんは、秀吉さん子飼いの家臣のなかでも加藤清正さんとともに武断派の代表格とされる勇猛果敢な武将もく

賤ヶ岳の戦いで一番槍の手柄を挙げた正則さんは、その討ち取った相手が猛将として知られた拝郷家嘉さんだったこともあり、「賤ヶ岳の七本槍」のなかでも突出した加増を受けたもく

その後も秀吉さんのもとで武功を重ねた正則さんは、九州平定後、伊予国今治十万余石を与えられて大名となったもく

秀吉さんの没後、豊臣家の武断派と文治派の対立が深刻なものとなり、その両派をおさえていた前田利家さんが亡くなると、ついに正則さんら武断派の武将七名が、文治派の代表格である石田三成さんの屋敷を襲撃したもく

危機を察知した三成さんは辛くも逃れることに成功したけれど、武断派は三成憎しの思いからか徳川家康さんに接近し、この両派の対立はその後の関ヶ原の戦いに大きな影響を及ぼすこととなったもく

関ヶ原の戦いで家康さんに与した正則さんは、宇喜多家の大軍を相手に奮闘し、戦後、安芸国備後国にあわせて四十九万石を賜ったもく

粗暴で直情径行と評されることの多い正則さんは、大酒飲みとしても知られ、泥酔して家臣に切腹を命じたという話や、酒席で黒田家の母里太兵衛さんにしつこく酒を勧めた挙げ句、秀吉さんから拝領した名槍「日本号」を奪われたという話などが伝わっているもく

一方で領国経営については、安芸備後の領内で検地を実施して年貢徴収制度を整え、農民の負担が少なくなるように図ったり、陸路や海路の積極的な整備をおこなうなど、粗暴な印象とは程遠い善政だったといわれているもく

 

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【戦国IXA】12 月の追加武将一覧

|ョ・з・)こ|ョ・з・)ん|ョ・з・)に|ョ・з・)ち|ョ・з・)は|ョ^з^)のろしもく

 

2021年も いよいよ12月だねぇもく

まだ1か月ほどあるとはいえ

年末年始の独特な雰囲気も近づいてきましたという感じですなぁもく

 

そんな師走の始まりに 戦国IXAでは こちらのみなさんが新登場!

 

 12 追加武将 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 九戸政実さん 甲斐姫さん 小野和泉さん 愛洲移香斎さん

【 特 】 本多政重さん 柳生宗章さん 真田昌輝さん

【 上 】 葛西晴信さん 

【 序 】 木造長政さん

以上の 9 名 

 

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小野和泉【 極 】、愛洲移香斎【 極 】

取引出品・譲与不可で

2022年3月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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九戸家は北奥羽・南部家の分家で、九戸政実さんは武将として大変優れ、南部晴政さんの時代に安東家との戦いなどで活躍して本家の最盛期を支えたもく

最有力勢力として南部家と対等な関係であったともいわれるが、晴政さんとその実子の相次ぐ死によって南部家の後継者争いが起こり、政実さんと南部家の養嗣子であった信直さんが対立したもく

豊臣秀吉さんの奥州仕置後もこの関係は変わらず、挙兵した政実さんに苦戦する信直さんは、本家が南部家の後継者であると公認を出していた秀吉さんに援軍を請うたもく

こうして秀吉さんとの対立も生まれ、これに奥州各地に燻っていた反豊臣勢力の決起も呼応し「九戸政実の乱」と呼ばれる反乱となり、政実さんの名は天下統一直前の秀吉さんが最後に戦った相手として後世に伝わることとなったもく

 

 

 

甲斐姫さんは、忍城主の成田氏長さんの長女で、東国無双と評された美貌と、男子であれば成田家を中興させて天下に名を成すとまでいわれるほどの武芸を兼ね備えた姫君もく

その活躍として有名なのが、秀吉さんの小田原征伐において唯一陥落せず、石田三成さんによる水攻めにも耐えた忍城の戦いで、総大将となったのぼう様こと成田長親さんと共に兵を鼓舞し、時には成田家に伝わる名刀「浪切」を携え自ら出陣するなど秀吉軍に大いに抗ったもく

北条家が敗れたため忍城も開城、成田家は蒲生氏郷さんの預かりとなり、甲斐姫さんは氏郷さんの移封に伴い会津に移った後、その美貌や武勇伝を聞いた秀吉さんによって側室に迎えられ大坂城に移り住んだそうもく

秀吉さんの側室となってからの生活については定かとなるような話はあまり伝わっていないが、秀吉さんの晩年まで側にいたと考えられ、秀頼さんともかなり近い関係にあったのではという説もあるらしいもく

 

 

 

小野鎮幸さんの名でも知られる小野和泉さんは、立花道雪さん・宗茂さんに仕え、戦いは正攻法ではじめ型破りな奇法で最終的な勝利をおさめるという孫子兵法「奇正相生」からの引用で、正の将と呼ばれた由布雪下さんと共に奇の将として「立花双翼」と称されたもく

智勇兼備の武将だったと伝わり、生涯に大戦だけでも二十二度参加し、全身には六十を超える戦傷を負いながらも武功を挙げ続け、大友家・立花家から合計六十八枚もの感状を受けたそうもく

また、立花家が豊臣家直臣となった後の文禄・慶長の役でも活躍し、秀吉さんから日本七槍の筆頭だと評されたもく

関ヶ原の戦いで立花家は西軍に付いたため改易されて加藤清正さんの預かりとなり、宗茂さんも浪人生活を送る中、和泉さんは立花家家臣団のまとめ役として肥後に残って尽力し加藤家内でも一目置かれたが、立花家が西軍大名で唯一の旧領復帰を果たすのを見届ける前に世を去ったもく

 

 

 

生来剣術を得意とし、兵法三大源流のひとつ「陰流」を創始した人物といわれるのが愛洲移香斎さんもく

愛洲家は元々熊野水軍に属した一党だそうで、移香斎さんの時代にも海外貿易や海賊のようなことを生業としていたため、幼少の頃より周囲には様々な刺激があったみたいもく

そうした環境にも触発されたのか若くして武者修行で全国を巡ると、日向の鵜戸の海に面した神秘的な洞窟で影を相手にした修業の際、霊験によって開眼し新たな剣術を取得したそうもく

これを「陰流」と名付け全国に広めると、後に剣聖・上泉信綱さんがさらに発展させて生み出したのが「新陰流」との説もあるため、「陰流」は信綱さんの弟子がつくった「柳生新陰流」の源流でもあるといわれているもく

 

 

 

何度も出奔し有名大名家を転々としながらも、加賀八家最高の五万石の禄高を拝領し、加賀本多家の初代として藩を支えたのが本多政重さんもく

政重さんは、徳川家康さんの重臣江戸幕府老中も務めることになる正信さんの次男として生まれたが養子に出され、そこでの悶着によって出奔、大谷吉継さんに仕えた後、関ヶ原の戦いには宇喜多秀家さんの家臣として参加したが西軍は敗北、しかし正信さんの息子ということもあってか罪には問われなかったもく

そして福島正則さんのもと、前田利長さんのもとを渡り歩き、直江兼続さんに乞われ婿養子として迎えられたがここも離れて、藤堂高虎さんの取りなしによって前田家に帰参したもく

こうした経歴となったのは、各大名が徳川家の力を意識し様々な思惑が働いた、あるいは徳川家からの密命があったのではないかと考えられているもく

一方で、各所を離れた時期や背景から義を重んじる政重さん自身の人となりによるものという捉え方もあり、政重さんが前田家に帰参する際には多くの直江家家臣も従い、帰参後には前田家の窮地を救う活躍で初期の加賀藩政を支える役割を担うなど傑物としての様子もうかがえるもく

 

 

  

柳生宗章さんは、「柳生新陰流」の祖にあたる石舟斎さんの四男で、父によって弟の宗矩さんと共に徳川家康さんの剣術指南役に推挙されたが、受けずに武者修行へ出たもく

やがて小早川秀秋さんに召抱えられて関ヶ原の戦いではその警護にあたったが西軍敗北により小早川家が改易されると、米子藩主・中村家家老の横田村詮さんに誘われ客将として厚遇されたもく

しかし村詮さんは同僚からの出世争いの妬みによって謀殺されてしまうもく

これに憤った宗章さんは反抗に出ていた横田家勢に加勢、吹雪の中で数本の刀を差して鎮圧軍十八名を切り倒すなど刀が全て折れるまで戦い続け壮絶な最期を迎えるが、その暴れっぷりにより「柳生新陰流」の実戦でも際立つ強力さが世に知れ渡ることとなったもく

 

 

 

真田昌輝さんは、武田信玄さんの重臣であった幸隆さんの次男で、兄に信綱さん、弟に昌幸さんや信尹さんらをもつもく

父が信玄さんに仕えるようになった頃、自身も信玄さんの小姓として召し抱えられ、武田家の伝令部隊ともいわれる百足衆にも抜擢されたもく

成長すると信州先方衆の副将格として大将である兄をよく補佐し共に各地を転戦したそうだが、一説では信玄さんから真田本家二百騎とは別の五十騎を預かることを許されて単独でも活躍していたそうもく

勝頼さんの時代になっても兄弟は変わらぬ勇猛さを見せていたが、長篠の戦いにて織田陣営に果敢に突撃、あるいはその撤退戦にて殿を担い、兄と共に戦死したと伝わるもく

 

 

 

葛西晴信さんは、奥州にて鎌倉時代から続く名門の最後の当主となってしまった人物もく

源頼朝さんにより奥州藤原家が滅ぼされ、その戦いの武功によって葛西家が陸奥国の統治を任されたことで奥州での歴史が始まり、周辺勢力との数多くの抗争や内紛による分裂など紆余曲折を経たが、晴信さんの父が当主を務めた時代においても奥州の有力戦国大名のひとつとして地位を保っていたもく

父が亡くなり兄が家督を継ぐも直ぐに病死してしまったので晴信さんが当主となったが、隣国の大崎家との争いや各地の反乱などの渦中であったため、伊達家と結んで解決の糸口を探ったもく

しかし混乱は収まらず、そのため豊臣秀吉さんの小田原征伐にも参陣ができなかったことで奥州仕置によって改易されてしまったもく

その後については諸国を放浪したとも、秀吉軍に徹底抗戦し戦死したともいわれるが確かなことはわからないらしいもく

 

 

 

木造長政さんの生まれは伊勢・北畠家の分家であったが、織田信長さんの伊勢侵攻の折、父が織田家への協力を選択し、自身も信長さんの息子で北畠家の養嗣子となった信雄さんに仕えることになったもく

信長さん没後の複雑な後継者争いに関係して信雄さん陣営と羽柴秀吉さん陣営が争った小牧・長久手の戦いによって信雄さんが改易されると、長政さんは信長さんの孫である秀信さんに家老として仕えたもく

関ヶ原の戦いでは秀信さんに東軍に付くよう進言したが聞き入れてもらえなかったため西軍に与し奮戦、相対した敵将の福島正則さんから評価されると戦後には福島家に招かれ仕えるようになったと伝わるもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】11 月の追加武将一覧

(oゝз・)ノ こんちゃ!のろしもく!

 

食べ物がおいしい季節こと「冬」が

もうそこまで来てる今日このごろ

 

 戦国IXA では

 11月 追加武将 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 馬場信房さん 内藤昌豊さん 宮本武蔵さん 悪景政さん

【 特 】 石川昭光さん 飯田覚兵衛さん 糸姫さん

【 上 】 丸毛兼利さん 

【 序 】 天草久種さん

以上の 9 名 

 

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馬場信房【 極 】、宮本武蔵【 極 】、悪景政【 極 】は
2022年2月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

宮本武蔵【 極 】、悪景政【 極 】は 取引出品・譲与不可とのこともく

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馬場信房さんは、武田三代に仕えた重臣で、戦国最強といわれる武田軍の中枢をになった人物もく

武田信玄さんが駿河国に侵攻した際、今川家の財宝が焼失するのを惜しんだ信玄さんは、家臣たちに館から財宝を運び出すよう命じたけれど、信房さんは「信玄公が貪欲な武将として後世の物笑いになる」といって、火中に財宝を投げ込んだといわれているもく

これに対し信玄さんは、怒るどころか、財宝よりも武田家の武名を惜しんだ信房さんの器量に感服したと伝わっており、信房さんが信玄さんの行動を諌めることができる存在だったことがうかがえるもく

そんな信房さんは武田三代のもとで数多くの戦に参加したけれど、長篠の戦いで戦死するまで、かすり傷ひとつ負ったことがなく、「不死身の鬼美濃」と称され、長篠の戦いでも織田方から「馬場美濃守の働き、比類なし」と評される最期だったと伝わっているもく

 

 

 

馬場信房さん、山県昌景さん、高坂昌信さんとともに武田四天王のひとりに数えられる内藤昌豊さんは、武田信玄さんの側近として、戦国最強の武田軍を支えた人物もく

信玄さんの弟である武田信繁さんとともに武田家の副将格と評され、その武勇が他家にまで轟いていた昌豊さんは、合戦での働きも抜群で、数多くの武功を挙げていたもく

それにも関わらず、昌豊さんは信玄さんから一度も感状をもらったことがないといわれており、その理由として信玄さんは、「昌豊ほどの弓取りであれば、常人を抜く働きがあってしかるべし」と語ったといい、また昌豊さんも「合戦は大将の軍配によって勝利を得るもので、いたずらに個人の手柄にこだわることなど小さなこと」と、感状をもらっていないことなど気にしていなかったんだってもく

 

 

 

巌流島で佐々木小次郎さんと決闘したことで有名な剣豪宮本武蔵さんは、六十余度の勝負に一度も負けたことがなかったといわれているもく

その前半生には不明な部分も多くあるけれど、大坂の陣では、徳川方の大名のもとに客将として参陣したという記録がのこっていて、その後も姫路藩小倉藩などに客分として招かれたもく

その晩年は肥後熊本藩に客分として招かれ、藩主細川忠利さんの求めに応じて「二天一流」の心得などをまとめた「兵法三十五箇条」を著したといわれているもく

 

 

 

悪小次郎の名でも知られる悪景政さんは、毛利家の鉄砲隊に所属していたといわれる鉄砲の名手もく

その出自については詳しい記録がのこっておらず謎に包まれているけれど、鉄砲の腕はたしかで、毛利元就さんの軍勢が大友家の立花城を攻略した戦いでは、市川久栄さんや岡元良さんらとともに鉄砲で大活躍し、つづく多々良浜の戦いでも敵三人を撃ち倒すなどの活躍を見せたもく

その後も従軍した合戦で武功を重ね、元就さんから「比類なき武功」と賞賛する言葉を賜ったもく

出自同様、その晩年についてもよくわかっていない景政さんだけど、子孫はその後も毛利家に仕えたと伝わっているもく

 

 

 

伊達晴宗さんの四男としてうまれた石川昭光さんは、伊達輝宗さんの弟にあたる人物で、陸奥国石川郡三芦城主である石川晴光さんの養嗣子となったもく

晴光さんの跡を継いだ昭光さんは、蘆名家や佐竹家などが割拠する奥州の複雑な情勢のなかで、次第に生家である伊達家と対立するようになっていったけれど、甥の伊達政宗さんが摺上原の戦いで蘆名家を下すと、昭光さんも伊達家に降伏したもく

伊達家に仕えた昭光さんは一万二千石を与えられ、その後の石川家は伊達家臣の最上位である「一門」の筆頭として江戸時代の伊達家を支えたもく

 

 

 

飯田覚兵衛さんは若い頃から加藤清正さんに仕え、生涯にわたって清正さんを支えた人物で、加藤十六将や加藤家三傑のひとりに数えられているもく

槍術の達人であり日本槍柱七本にのひとりでもあるもく

また、文禄・慶長の役では亀甲車という装甲車を開発して、晋州城に一番乗りを果たしたといわれているもく

さらに土木普請も得意であり、熊本城築城の際にはその能力を遺憾なく発揮し、百間石垣とよばれる石垣は覚兵衛さんの功績といわれていて、「飯田丸」という覚兵衛さんの名を冠した郭ものこされているもく

 

 

 

蜂須賀正勝さんの娘である糸姫さんは、正室として黒田長政さんのもとに嫁いだけれど豊臣秀吉さんの没後、徳川家康さんに接近していた長政さんは、関ヶ原の戦いがおこる直前、糸姫さんを離縁し、家康さんの養女である栄姫さんを正室にむかえたもく

この離縁がきっかけで蜂須賀家と黒田家は「不通大名」となり、江戸城内で顔を合わせても会釈も挨拶もせず、やむを得ず同席する場合も離れて座についたといわれているもく

 

 

 

はじめ斎藤道三さんに仕えた丸毛兼利さんは、のちに織田信長さんに仕え、本能寺の変のあとは豊臣秀吉さんに仕えたもく

関ヶ原の戦いがおこった際、福束城二万石の主だった兼利さんは、東軍からの誘いを蹴って西軍に属したもく

しかし、福束城が東軍に対する最前線ともいえる場所に位置していたために、東軍先鋒の猛攻を受けることとなった兼利さんは、城を支えきれず大垣城へと逃れたもく

戦後は、前田利常さんに仕えたと伝わっているもく

 

 

 

肥後天草諸島の国人であり、キリシタンでもあった天草久種さんは、豊臣秀吉さんの九州平定の際に服属したため本領を安堵されたけれど、秀吉さんが発令したバテレン追放令には従わなかったもく

その後、小西行長さんに対し反乱を起こすものの鎮圧され、またもや本領を安堵された久種さんは行長さんに臣従し、文禄・慶長の役関ヶ原の戦いにも従軍したもく

関ヶ原の戦いのあとは小早川秀秋さんのもとに身を寄せたと伝わっているもく

 

 

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