オイッス──ッ♪(*・з・ )ノ のろしでっすもく
朝晩さむい日が増えてきて風邪をひきやすい時季だけど
みんな大丈夫かなもく?
のろしは夜しっかり布団にくるまって
朝も目覚まし時計が鳴ろうがなにしようが
なかなか布団から出ないようにしてるから
風邪予防ばっちりもくよ [布団]ω¦) ウーン アト2ジカンダケ…
さてさて
戦国IXA では そんなのろしとは違って
朝にも合戦にも強そうなたくましい顔ぶれが登場もく
11 月 の 追加武将 が 公開 されましたもく
追加されるのは
【 極 】 少弐冬尚さん 平塚為広さん 柳生十兵衛さん 加藤段蔵さん
【 特 】 堀尾吉晴さん 於フ子さん 太田資康さん
【 上 】 土岐頼芸さん
【 序 】 福原貞俊さん
以上の 9 名
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柳生十兵衛【 極 】、加藤段蔵 【 極 】 は 取引不可 で
2021年2月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく
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九州の名門少弐家の第十七代当主 少弐冬尚 さんは、父の少弐資元さんが大内義隆さんの家臣陶興房さんに攻められて自害すると、蓮池城主小田資光さんのもとに落ち延びたもく
その後、龍造寺家兼さんら家臣団の力を借りて少弐家の再興を果たした冬尚さんだったけれど、龍造寺家の勢力拡大を妬んだ馬場頼周さんが、龍造寺家一族の多くを暗殺してしまったもく
老躯をおして反攻に出た家兼さんによって頼周さんが討たれると、冬尚さんと龍造寺家は対立することとなり、家兼さんの曾孫龍造寺隆信さんとの争いの末、勢福寺城を囲まれた冬尚さんは自害し、長い歴史をもつ少弐家は滅亡したもく
豊臣秀吉さんに仕えた 平塚為広 さんは、小牧・長久手の戦いや小田原征伐で武功を挙げ、醍醐の花見では秀吉さんの護衛をつとめるなど、その信頼は厚かったみたいもく
秀吉さんの没後も豊臣秀頼さんに仕え、豊臣家に忠義を尽くした為広さんは、美濃垂井城主として大名となったもく
関ヶ原の戦いでは、大谷吉継さんと共に藤川台に布陣し、西軍を裏切った小早川秀秋さんの部隊と激戦し、最後は秀秋さんの家臣横田小半介さんに討たれたという説や、山内一豊さんの家臣樫井太兵衛さんに討たれたという説などがあるもく
徳川将軍家の兵法指南役をつとめた柳生宗矩さんを父にもつ 柳生十兵衛 さんは、10歳の頃、宗矩さんに連れられて徳川秀忠さんに謁見し、その3年後には徳川家光さんの小姓となったもく
20歳の頃に家光さんの怒りに触れ、十兵衛さんは11年ものあいだ江戸を離れることとなり、この間、柳生新陰流兵法の研鑽や剣術修行に明け暮れていたといわれているもく
また、武者修行のために諸国を旅していたともいわれ、このことが後に多くの逸話や創作物の材料となっているもく
再び家光さんに仕えることを許された十兵衛さんだったけれど、44歳のとき鷹狩に出かけた先で、原因不明の急死によりその生涯を終えたもく
加藤段蔵 さんは、常陸国茨城郡の生まれという説や、甲賀あるいは伊賀の生まれであるという説がある人物で、軍学書などに「鳶加藤」の名で登場し、忍術や幻術に優れた忍びだったといわれているもく
越後国春日山城下で幻術を演じ、長尾景虎さんの前でも幻術を披露した段蔵さんは、景虎さんに危険視されたことを敏感に察し、甲斐国に逃れたといわれているもく
しかし、甲斐国でも武田晴信さんにその異能を危険視されたのか、武田家の家臣土屋昌続さんによって討ち取られてしまったもく
豊臣秀吉さんに古くから仕えた 堀尾吉晴 さんは、九州征伐や小田原征伐で戦功をあげ、遠江浜松十二万石を与えられ、豊臣政権では三中老のひとりとなったもく
秀吉さんが亡くなってからは、徳川家康さんに接近し、隠居の際には越前府中に5万石を与えられるなど、家康さんからも信頼を勝ち取っていたことがうかがえるもく
吉晴さんは通称を茂助といい、その温和で誠実な人柄から「仏の茂助」と呼ばれる一方で、戦場での勇敢な戦いぶりに対しては「鬼の茂助」と呼ばれていたと伝わっているもく
於フ子 さんは、信濃中野城主高梨澄頼さんの娘として生まれ、北信濃の葛尾城主である村上義清さんに嫁いだもく
敵対関係にあった高梨家との和睦により、砥石城に侵攻してきた武田晴信さんを撃退した義清さんだったけれど、その後の度重なる武田軍の侵攻や調略によって勢力をそがれた義清さんは、葛尾城を捨て、越後へと落ち延びたもく
於フ子さんもまた千曲川対岸にある東国寺を目指して城をぬけたけれど、その後は、無事に落ち延びたという説や、義清さん戦死のしらせを聞き千曲川に身投げしたという説などがあるもく
江戸城を築城したことで有名な太田道灌さんを父にもつ 太田資康 さん。
主家扇谷上杉家の勢力拡大に貢献した父道灌さんが、主君上杉定正さんに謀殺され、資康さんは家督こそ継いだものの、定正さんに追われ長いあいだ江戸城の主となることはできなかったもく
定正さんが亡くなり、長享の乱がおさまると、資康さんは約二十年もの亡命生活をおえて江戸城へと帰還したもく
その最期は、北条早雲さんの攻撃をうけた舅三浦義同さんの加勢に駆けつけ、大軍を相手に果敢にたたかい戦死したといわれているもく
土岐頼芸 さんは、美濃国主土岐政房さんの次男として生まれたけれど、長きにわたる争いの末に兄を追放し、自らが守護の座に就いたもく
しかし数年後、重臣の斎藤道三さんによって、自らもまた国外へ追放されてしまうもく
頼芸さんは書画や和歌にも長じた文化人で、特に頼芸さんが書いた鷹の絵は「土岐の鷹」として珍重され、現代にも伝わっているもく
福原家は毛利家に古くから仕えた重臣で、家中でも発言力がおおきく、福原貞俊 さんの代には毛利元就さんに信頼されて筆頭重臣にとりたてられたもく
槍働きだけでなく政務能力にも恵まれた貞俊さんは、元就さんの死後も毛利輝元さんを補佐し、吉川元春さんらとともに「四人衆」と称され、家中で重要な地位を占めていたもく
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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく
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