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「 戦国異伝 ~ 諸国に輝く将星の乱 ~ 」 新天情報

こんにちはー のろしもくー ヽ(〃^ε^〃)ノ 


夏の夜空を 花火が ドドドドン! と彩るこの季節

戦国 IXA を彩る 新たな舞台がやってきた・・・

2019 年 8 月 8 日( 木 ) 開幕!

 「    ~ 諸国に輝く将星の乱 ~    

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↓↓ 新たな舞台の詳細はこちらもく 


 

そして大注目の 新 【 天 】カードとして登場するのが こちらの大殿 12 名もく!!!!!



石田三成 さんは 低い地位の出自でありながら 
小姓として仕えた豊臣秀吉さんに引き立てられると 主君が天下人へと成った過程において自身も台頭 
秀吉さん亡き後の関ヶ原の戦いで 西軍の指揮官を務めたもく 結果敗れたという印象が強いが
豊臣政権の重要政策の数々を執り行っていた手腕は疑う余地なく
先頭に立つことよりも 先頭を支える補佐 ・ キレ者としての適性が高かったのかもしれないもく
近年では 主君への義に最後まで忠実だった面も評価されているもく

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竹中半兵衛さんと並び 豊臣秀吉さんを天下人に押し上げた 稀代の知将 黒田如水 さん
本能寺の変以降は参謀ぶりを加速させ 島津家が台頭していた九州を平定する際には先鋒隊として出陣
平定後には統治のために 内政や築城の名人ぶりも発揮したもく 秀吉さんが亡くなると
その慧眼で何を見たのか? 一説では九州から天下を狙ったという見方もあるが 関ヶ原の戦いにおいて
息子の長政さんと共に東軍勝利に大貢献 戦後にはその報酬として筑前52万石の大大名へと至ったもく
キシリタン大名としても有名もく

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こちらも 豊臣秀吉さんの天下取りにおいて欠かせないひとり 加藤清正 さん 
秀吉さんの数少ない親類筋の出自で 子飼いの家臣としてとても重用されていたもく 
最前線で武功を挙げ続け武断派の筆頭的立場に至った猛将だが 九州平定によって任された肥後では
優れた築城 ・ 内政手腕も発揮 熊本では現在でも清正公さんと呼ばれて親しまれているとのこと
秀吉さんの死後 関ヶ原においては東軍に与したが その理由は文治派 ・ 石田三成さんとの確執とも 
徳川家の天下を先見したとも 豊臣家の立場を出来る限り守るためだったとも言われているもく 

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生涯 上杉景勝さんを支えた 直江兼続 さんは 幼少期にその優れた器量を見込まれ 
近習として取り立てられたらしいけれど その頃についてや 謙信さんとの関係性については諸説あって
確かなところはわからないとのこと ただ上杉家の後継者争いを制した景勝さんの時代には 家老として
政治外交軍事のすべてを担い 伊達政宗さんや最上義光さんを相手にもひるまず 
豊臣秀吉さん亡き後に 徳川家康さんに対して肝の据わった直江状を送り付けたことも伝わっているもく
愛の字をかたどった兜も有名だが この愛は 上杉家ともゆかりの深い
愛宕神社愛染明王の愛からとったのではないかと言われているもく

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代々 扇谷上杉家の家宰を務めた家柄に生まれた 太田道灌 さん
相模守護代も務めた父の博識は評判で その才を受け継ぐと さらに幼少期より
様々な学問に励み 学者としても一流と評された人物もく 江戸城築城でも有名であるもく
道灌さんが家督を継いだ頃は上杉家の内紛が絶えない時期で
関東に戦国時代をもたらした一因とも言われる享徳の乱や 長尾景春の乱で活躍
主家の勢力拡大に貢献するが 肥大し過ぎた権力や能力を主君に恐れられ暗殺されてしまったもくぅ

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真田昌幸さんの次男 真田幸村 さん 幼青年期は主家武田家滅亡後の父の奮闘に隠れる形で
人質時代を送るなど苦難を経験していたが 豊臣秀吉さんが躍進した頃に 表舞台に登場し始める
しかし 西軍として参加した関ヶ原の戦いで敗軍の将になると 東軍に参加していた兄の尽力で
蟄居の刑罰にとどまるが 長年の幽閉生活となり 同じ境遇の父もその間に死去
世は敵方徳川家の天下が盤石になろうかという時に届いた 大坂からの招待 そこに何を想い
何を見出したのか 後生にも伝わる日本一の兵の戦いが始まるのであったもく

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戦国時代を終わらせて 江戸幕府を開き 天下泰平の世の礎を築いた徳川家康さんも
松平元康 さんと名乗っていた若かりし頃は 苦難の時を過ごしていたもく
織田家 今川家と人質時代が続いていた頃に迎えた桶狭間の戦いでは 家臣達が
やがて必ず一国の主となる方せめて装いだけでもと工面し 金陀美の鎧を準備したらしいもく
苦難の様子は 名前の遍歴にも表われていて 今川義元さんの元の字をとり 元信
織田信長さんの信の字を捨て 元康 今川家と断交し元の字を捨て 家康 
そして徳川へと改姓すると 天下への道を歩み始めたもく

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豊臣秀吉さんの小姓として仕え 才を認められ出世をしていった 大谷吉継 さんは
賤ヶ岳の戦いでは七本槍に匹敵する活躍をしたとも伝わる名将であったが
皮膚の病を患い やがては視力をも失ってしまったもくぅ 同世代で そんな病に対しても
偏見の様子を見せなかった石田三成さんとの間には深い友情があったと言われ 
徳川家康さんを相手に勝てないだろうと自身では判断し説得するも 変わらなかった友人の意志に応え
関ヶ原の戦いに西軍として参加 裏切った小早川軍などを相手に壮絶な最期を遂げたもく

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三好長慶さんに仕え 室町幕府や寺社との交渉役として次第に頭角を現した 松永久秀 さんは
長慶さんの周りの有力者暗殺や 三好三人衆による将軍暗殺を首謀したという説もあり
謀反を繰り返し自身の富を拡大させた専横ぶりで 戦国三大梟雄にも数えられるが
実際のところは定かではなく 近年ではその革新的な考え方や価値観が 悪人のような人物像として
捉えられてしまったのではないかという見方もあるもく いずれにせよ当時の畿内においての
成り上がりや立ち回り具合は 不世出な存在だったということを裏付けているもく

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瀬戸内海を縄張りに周辺を行き交う民間船を襲うことやその護衛を生業としていた海賊の大将 
村上武吉 さん 村上水軍の全盛期を築き ルイス・フロイスさんいわく日本最大の海賊と評されたもく
大内家の傘下として行動することも多かったが 大内家の実権を握った陶晴賢さんと毛利家が
対立すると 一日だけの味方として毛利家に協力し 勝利に貢献
以降も あくまでも今だけの味方という姿勢で毛利家との距離を保ち 織田家の水軍が
毛利家を攻めた際にはそれを撃退するなど 瀬戸内海一の水軍勢力として繁栄したもく

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大友家の重臣 高橋紹運さんの息子で 同じく重臣であり男児の無かった立花道雪さんに請われ 
立花家の婿養子として家督を継いだ 立花宗茂 さん 共に歴戦の猛者である二人の父の影響を受け
自身も誉れ高き武将へと成長すると 豊臣秀吉さんの九州平定に貢献 その後も活躍は続き
秀吉さんからは 忠義 ・ 剛勇 鎮西一とまで評され 東の本多忠勝さんと共に東西無双と称えられたもく
関ヶ原の戦いでは西軍に与するも本戦には間に合わず そのまま改易となるが 人柄や能力を
徳川家康さんや有力大名からも評価され 西軍唯一の 旧領復帰を果たすに至ったもく

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龍造寺家に仕え 主君の隆信さんとは いとこであり義兄弟の間柄でもあった 鍋島直茂 さん
次代の政家さんの後見人を任せられるなど 隆信さんからの信任も厚かったが 
諫言も厭わない姿勢を疎まれ 次第に距離が生まれると そのことが転じ結果として 
沖田畷の戦いの大敗時に前線におらず自身の戦死を免れたもく その後は実質家内の実権を握り
勝者の島津家へ臣従の様子を示した後 九州平定の動きを察知するとすぐに豊臣家へ接近するなど
巧みに潮流に乗ると 秀吉さんからの評価も得て 主君である龍造寺家とは別の領地を与えられ
国政も担うよう命じられるほどの立場に至ったもく

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花火の華やかさや 満点の星の煌めきと並び立つ
将星達の輝きに 自然と気持ちも うっきうきもく ゚.+:。(〃^ε^〃)゚.+:。
みんなのお城に最初に遊びに来てくれるのは どの大殿かなぁもく?


なお

石田三成【 天 】  黒田如水【 天 】  については取引不可とのこと



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