戦国IXA のろしのBLOG もくっ ・ε ・

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【戦国IXA】「 雷雲黎明 ~ 三千世界ノ驍将 ~ 」 新天情報

(σ。ゝз・)σ  こんにちは のろしもく~

 

もうすぐ春だけど 春は出会いの季節 

新しい巡り合わせやご縁などにも心躍るもくね ♪

 

戦国 IXA でも ワクワクドキドキ

2020 年 2 月 14 日( 金 ) 新たな舞台が・・   ☆彡 キラン 開幕もく!!!

 

 「      ~  三千世界ノ驍将  ~ 」

 

↓↓ 新たな舞台の詳細はこちらもく 

https://sengokuixa.jp/season19/

 

そして とっても とっても と~~~っても気になる 

新 【 天 】カードとして登場するのが こちらの大殿 12 名もくーーーっ!!

 

 

 

 

蘆名盛氏さんは16代当主で、合戦や外交の才、金山開発などで蘆名家の全盛期を創りあげた人物もく

父から家督を継ぎ、対立していた山内家を討って会津での勢力を拡大させると、奥羽全土を巻き込んだ伊達家父子の争い天文の乱では、はじめ稙宗さん方についたが、さらなる勢力拡大のための目下の敵・田村家もまた稙宗さん方についたため晴宗さん方に転じると、巧みな立ち回りで形成を優位にし勝利をもたらしたもく

そんな活躍によって会津での地位はより強固となり、武田信玄さんや北条家からも名将と認められて頼られると、隣国の上杉家、佐竹家との戦いにも怯まぬ存在に至ったもく

 

 

 

山陰の覇者、尼子家中興の祖で「謀聖」と呼ばれた尼子経久さん。

出雲守護代の嫡男として生まれ、家督相続後に中央政権を無視した独自の権力基盤を築こうとするも失敗し、守護代の職を剥奪されることになる。

しかしそこから、「謀聖」とも称されるほどの謀略にて守護代に返り咲き、さらには事実上の守護の座につく下剋上によって、中国地方の実に11カ国に支配が及ぼうかというほどの一大勢力を築いたもく

物に対しては執着がなく、家臣から何か物を褒められるとそのままその物を与えてしまう「天性無欲正直の人」だったということも伝わっているもく

 

 

 

関東管領職を代々務める名門・山内上杉家に生まれ、自身も関東管領となった上杉憲政さん。

憲政さんの時代の関東はまさに覇権を巡る戦乱真っ只中、北条氏康さん、武田信玄さんら同世代の名将達と激しく争ったもく

特に北条家については、山内上杉家と長年の抗争関係にあった扇谷上杉家までも含んだ関東大連合軍で臨んだが敗れてしまった河越城の戦いや、居城・平井城を落とされるなど、因縁深い関係にあったもく

そんな台頭著しい北条家の勢いを前にして頼ったのが、越後の長尾景虎さんで、景虎さんを養子とし関東管領職を譲ることで誕生したのが、上杉謙信さんもく

その後、北条家から上杉家に養子・上杉景虎さんを迎えるなど時代は流れ、自身は謙信さんより長生きしたのだけれど、家督争いの御館の乱では、その北条家ゆかりの景虎さんに協力したことで亡くなるという皮肉な最期になってしまったもくぅ
 

 

 

武田信虎さんは、信玄さんの父で、甲斐を統一し戦国大名としての武田家の礎を築いた人物もく

武田家は甲斐の守護を代々務めていたが、信虎さんが家督を継いだ時には、先の戦乱や家督争いの影響により国内は乱れていたもく

近隣の今川家や当時新興勢力の北条家からの脅威にも度々さらされるなど厳しい状況下にあったが、戦に戦を重ね、今川家勢力の福島正成さんの侵攻を退けその力を誇示すると、甲斐の統一に至る。

国内に残った反乱勢力を力で押さえつけ、きびしい政治やさらなる戦によって躍進したが、その暴君ぶりが災いとなったのか、あるいは重い経済負担と凶作に苦しむ国内の声に答えたのか、親子関係の乱れなのか、後に息子の信玄さんにより追放されてしまうもく

 

 

 

北条早雲さんの子で北条家2代当主・北条氏綱さんは、伊豆、相模からの領国拡大を図り、武蔵、下総へと進出し、武田信虎さんや扇谷上杉家らと争ったもく

また、国主としての正当性を示すために、伊勢の名から、鎌倉幕府執権職を継承していた一族・北条の名に改姓したのも氏綱さんの時代で、小田原に本拠を移し、虎の朱印の使用や善政によって領民支持を集め、積極的な人材登用と支城体制の確立など、関東での北条家躍進の礎を築いていったもく

まだまだ戦乱の収まる気配がない中で病に倒れると、息子の氏康さんを心配し、「勝って兜の緒を締めよ」を含む五か条の訓戒を遺したもく

 

 

 

第8代当主で伊勢国司でもあった北畠具教さんは、家督を継ぐと、長野家や九鬼家など争っていた周辺勢力を押さえ、北畠家の最盛期を築き上げたもく

嫡男に家督を譲って隠居した後も実権は握っていたと伝わっており、上洛し勢いに乗っていた隣国・織田信長さんの侵攻に対して、天然の要塞と言われた大河内城に籠城し抵抗したもく

信長さんも手をこまねいたのか、和睦という形で終戦し、織田家からの婿養子を迎え入れたことで具教さんの実権もしばらく続いたが、武田家と通じていることなどが露見し、最期は襲撃により暗殺されてしまったもく

剣術を好み、塚原卜伝さんや上泉信綱さんから剣を学ぶなど剣豪との交流も盛んで、その腕前は相当なものだったらしいもく 

 

 

 

今川氏親さんは、幼少の頃に父が戦死し、家督争いに巻き込まれたもく

父の死に関連して幕府への反逆者という見方をされるようになると、家督争いでは堀越公方の執事・上杉政憲さんや扇谷上杉家の家宰・太田 道灌さんの介入も加わり、苦しい立場に追い込まれる。

そこで頼ったのが母方の親戚である北条早雲さんで、助けを受け9代当主になると、今度は反対に北条早雲さんの関東進出の手助けをしたもく

その後は、遠江・斯波家や甲斐・武田家との対立など戦渦に身を置き、遠江平定を達成した折に検地を実施すると、病に伏し死を前にした頃には戦国時代の代表的な分国法の「今川仮名目録」を制定するなど、今川家の戦国大名としての色合いを濃いものにしていったもく

 

 

 

近江守護を務めた名門六角家は、定頼さんとその子・六角承禎さんの時代に最盛期を迎えており、承禎さんの姉妹は各地の名門に嫁いでいて、相手の中には管領細川晴元さんもいたため、室町幕府に加担し三好長慶さんとの中央政権の争いに参戦していたもく 

中央での戦いは一進一退あったが、近江の地では一時、浅井家を支配下に置くなどその力は確かなものだったもく

承禎さんは早々に隠居し、嫡男・義治さんに家督を譲ったが、浅井長政さんの台頭や、家臣団の不信を生んだ観音寺騒動を機に雲行きが怪しくなると、上洛を開始した織田信長さんとの闘いでの大敗が決定打となり、六角家の戦国大名化の途は絶たれてしまったもくぅ

承禎さんは弓馬の名手で、家臣であった吉田重政さんから日置流弓術を伝授されたと伝わっているもく

 

 

 

土佐の一条家は公家で、応仁の乱の際に中央から下向し土着したが、高い官位を保持し、周辺勢力を圧倒する盟主的立場であったもく

房基さんの時代には勢力拡大の動きがさかんに見られたが突如謎の自殺、その後を若干7歳にして継いだのが一条兼定さん。

周辺外交や伊予への進出、大友宗麟さんの娘を娶り婚姻同盟を結ぶなど、父同様に勢力拡大を狙ったが、それを良しとしなかった毛利家や、四国の覇権争いの新興勢力となっていた長宗我部家の前に大敗を重ねてしまったもく

暗君としての逸話も残るなど、土佐一条家戦国大名化を失敗させたという評価がある一方で、再起を図った際にも一定の人数が集まるなど求心力のあった人物だったのではという評価もあるもく

義父の影響を受けてキリシタンとなったことも知られているもく

 

 

 
父・忠良さんと共に戦国大名島津家・中興の祖と称えらえる島津貴久さんの人生は戦いの歴史だったもく

薩摩、大隅、日向の守護を担っていた島津家だか、室町時代末期には当主の早逝や一族内の独立の動きなどが続き、本家の地盤が揺らいでいたもく

そこで白羽の矢が立ったのが分家である貴久さん達で、長い一族内での混乱を制し、貴久さんが正式に守護を引き継ぐ形となり、分家出身者に難色を示していた薩摩の国人衆も実力で押さえて薩摩統一を果たすと、中央政権からも認められる存在に至ったもく

大隅、日向の平定も悲願として戦いは続き、その遺志は子である四兄弟へと引き継がれたもく

また、旧来より海外交易を行っていた島津家だったためか、貴久さんは鉄砲をはじめて実戦で使った戦国大名とも言われているもく

 

 

 

豊後の戦国大名キリシタン大名としても有名な大友宗麟さん。

当主であった父と正室の母の間の嫡男として生まれたものの、父が側室の子を溺愛したため廃嫡の危機にさらされたが、二階崩れの変によって当主を引き継いだもく

そして、対立していた大内義隆さんの死をきっかけに、北九州の大内家従属勢力を囲い込むと、肥後の菊池家を滅ぼすなど、一時は九州最大の勢力を誇ったもく

キリスト教をはじめ、新しい文化の受け入れに寛容であったため、南蛮貿易などで繁栄を築くが、一方でキリスト教保護によって家臣団や領内の反発を招くなど、大友家衰退のきっかけも作ってしまったと言われるもく

 

 

 

龍造寺家ははじめ肥前の小大名で、龍造寺隆信さんはさらにその分家出身であったが、一代にして九州三強の一角にのし上がった稀代の人物もく

曽祖父・家兼さんの援助を受けて家督相続後、男性が絶えた本家の家督も継ぐと、当時西国随一と言われた大内義隆さんと手を結んだり、九州三強の一角・大友家と接近するなどで急速な勢力拡大を行い、肥前統一を成し遂げたもく

拡大の手は緩むことなく、耳川の戦いで大友家が大敗をしたことを機に大友家の領地を次々と奪って戦国大名としての立場を確かなものにすると、肥前の熊」とも評された冷酷で粗暴な一面が迅速な決断力を生んで成果を重ねたが、晩年はその一面が悪い方に反映されて醜行が目立ったと伝わるもく

 

 

 

どの方も 流石に迫力や貫禄があるもく

|緊張|ョ゚з゚;)ドキドキ  で、できれば 敵国ではなく 

素敵なご縁ということでお会いしたいので

いくさぶる! お、おお、 のやつをよろしくもくよ~ぅ

 


なお

蘆名盛氏【 天 】  尼子経久【 天 】  については取引不可とのこと

 


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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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