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【戦国IXA】3 月の追加武将一覧

(」>з<)」< こ ん に ち は ー ー ー ! !

のろしもく ヾ(ゝз・)

 

2月の新舞台の開幕から早くも1か月もくね 

春らしい日も増えてきたかなもく

春は出会いと別れの季節ともいわれるけれど

戦国IXAにも 新しい顔ぶれが登場するとのこともく

 

 3 月 の 追加武将 が 公開 されましたもく

 

追加されるのは

【 極 】 竹中半兵衛さん 本多重次さん 天徳寺礼能さん 柳生宗矩さん

【 特 】 武姫さん 九鬼守隆さん 伊集院忠棟さん

【 上 】 桑名吉成さん 

【 序 】 仙石忠政さん

以上の 9 名

 

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天徳寺礼能【 極 】、柳生宗矩【 極 】 は 取引不可 で

2021年6月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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竹中半兵衛さんは、のちに天下人となる羽柴秀吉さんを支えた軍師として有名で、おなじく秀吉さんの軍師である黒田官兵衛さんとともに「両兵衛」などと称されたもく

智略に満ちた逸話が数多くのこされている半兵衛さんだけど、秀吉さんが織田信長さんから、官兵衛さんの子である松寿丸さんを殺すよう命じられた際には、あのおそろしい信長さんの命令にそむいて、松寿丸さんを自らの領地にかくまい命を助けたという逸話も伝わっており、胆力もそなえた智将だったことがうかがえるもく

享年三十六で病没した半兵衛さんは、「千年おゝとり」とよばれる花押を使用しており、その意匠には平和へのおもいがこめられていたといわれているもく

  

 

 

作左衛門という通称から「鬼作左」とあだなされた本多重次さんは、主君徳川家康さんにもはばかりなく諫言し、また戦場においては数十人の敵にかこまれながら、敵兵のひとりが繰り出した槍をつかんで落馬させ、その武士を討ち取ったうえにその馬を奪って逃げおおせたという逸話が伝わっており、「鬼作左」とよばれるのも納得の勇猛さと気性の荒さもく

しかしその一方で、三河三奉行の一人として非常に優秀な行政能力を発揮したといわれており、豪放なだけの人物ではなかったみたいもく

また、陣中から妻へあてた「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」という簡潔な手紙は、日本一短い手紙として有名もく

 

 

 

天徳寺礼能さんは大友家の家臣で、「豊後のヘラクレス」と称されるほどの槍の名手であり、またリイノという洗礼名をもつキリシタンでもあったもく

もとは柴田という姓だったんだけど、大友宗麟さんが礼能さんの子である統勝さんに「天徳寺」という姓を与えたことから、礼能さんもその姓を称することになったみたいもく

礼能さんは大友一族に準ずる扱いをうけるほど宗麟さんに寵愛され、島津軍によって丹生島城が包囲された際にも宗麟さんとともに籠城軍にくわわっていたけれど、礼能さんの兄である紹安さんが島津方に寝返ったことにより、みずからも宗麟さんから疑いをかけられていると知った礼能さんは、我が子とともに決死の出陣をして、父子ともに討ち取られてしまったもく

 

 

 

石舟斎の号で知られる柳生宗厳さんを父にもつ柳生宗矩さんは、江戸初期を代表する剣豪のひとりで、その剣の腕は父宗厳さんをしのいでいたともいわれるもく

柳生家は宗厳さんの代に所領をうしない一度没落したといわれているけれど、黒田長政さんの仲介により二十四歳で徳川家康さんに仕えた宗矩さんは、関ヶ原の戦い大坂の陣での功績により父祖伝来の地をとりもどし、さらに徳川秀忠さんの兵法指南役をつとめるなどして加増され、三千石の旗本となったもく

その後も徳川家光さんの兵法指南役となって新陰流を伝授するなどした宗矩さんは加増をかさね、ついには大和柳生藩初代藩主となり、一剣術家の身から大名にまでのぼりつめた稀有な人物となったもく

 

 

 

蒲生氏郷さんの娘、あるいは養妹という説もある武姫さんは、陸奥盛岡藩初代藩主である南部利直さんの正室もく

氏郷さんは、大百足を退治したという伝説をもつ藤原秀郷さんの後裔とされ、武姫さんは、百足退治につかわれたという矢の根を持参して利直さんのもとへ嫁いだといわれているもく

武姫さんが亡くなったあと、そのからだのしたに異様なかたちの変色があらわれ、大百足の怨念をおそれた利直さんが、武姫さんの墓の周囲に堀をめぐらし堀に橋をかけたところ、一夜にして橋が破壊されるということが繰り返しおこったと伝わっているもく

 

 

 

慶長二年に父の九鬼嘉隆さんから家督を継いだ九鬼守隆さんは、徳川家康さんに従って会津征伐におもむき、そのまま東軍として関ヶ原の戦いにのぞんだもく

しかし父の嘉隆さんは西軍に与しており、戦後、守隆さんによる助命嘆願がみとめられたものの、そのしらせが届くよりも先に、はやまった家臣にうながされて嘉隆さんは自害してしまったもく

その後、志摩鳥羽藩初代藩主となった守隆さんは、大坂の陣でも九鬼水軍を率いて功をたて、その際、船の上廻りまで木や竹で装甲した潜水艦のような軍船を使用したという文献がのこされているもく

 

 

 

古くから島津家に仕えた家柄で、自身も筆頭家老を担った伊集院忠棟さんは、国賊とも島津家滅亡を救った忠義の者とも評される人物もく

細川幽斎さんと親交があり豊臣家のことを知っていたため、秀吉さんの九州征伐の折には早い段階で降伏の姿勢を見せ敗戦処理でも活躍し、その功績により戦後には島津家にも匹敵するような待遇を与えられて、豊臣政権との交渉役もつとめるようになったもく

これを面白く思わなかったのは当然島津家で、忠棟さん自身が次第に野心を抱いたという見方もあるが、島津忠恒さんによって殺されてしまったもくぅ

熱心な一向宗門徒だったそうで、石山本願寺を訪れた際には、親鸞さんの木像を所望し持ち帰ったという逸話が伝わっているもく

 

 

 

桑名吉成さんは、長宗我部家臣として元親さんの四国統一で活躍したことがみとめられ中村城代に任命されたもく

元親さんが秀吉さんに降伏したのちの豊臣家の九州征伐では、主君とともに参戦したものの島津家の前に大敗、この際、落ち武者狩りからの撤退を成功させた手腕に元親さんは大層感銘を受け、後継の盛親さんに合戦では吉成さんを先手とせよと遺言したと伝わるもく

関ヶ原の戦いでは盛親さんに従い西軍として参戦、敗戦により長宗我部家が改易となると、吉成さんは東軍方にも伝わっていた好評により藤堂高虎さんに召し抱えられたもく

そして大坂の陣で様々な思いが交錯していたであろう中、かつての主君盛親さんが率いた軍と戦い敗死したもく

 

 

 

羽柴秀吉さんのもとで一代にして立身した秀久さんの子として生まれた仙石忠政さんは、秀吉さん没後には父とともに徳川家康さんに従い、関ヶ原の戦いでは東軍として上田城の戦いに参加、この時の活躍によって徳川秀忠さんの「忠」の字を拝領したもく

父の死去によって跡を継ぐと戦後荒廃していた信濃小諸藩の農村復興に注力し、大坂の陣での戦功によって上田藩への移封がみとめられると、様々な政策を講じて領地安定を図り、関ヶ原の戦い後の処置によって破壊されていた上田城の復興にも着手したもく

 

 

 

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出会いがあれば別れも

今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

※戦国くじ【祝】には 2021年3月7日(日)23:59までのくじ表示期間中
 明智光秀【天】、初【天】、江【天】が引き続きラインナップに含まれるとのこともく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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