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【戦国IXA】7 月の追加武将一覧

こんにちは、のろしでっすもくっ \(*・ε・*)ゞ

 

いよいよ夏本番を迎えようとしている今日このごろですが
今月の 戦国IXA はこんな方々を迎えるもくよっ

 

7 月 の追加武将が公開されましたもく

 

追加されるのは

【 極 】 真田信之さん 佐久間盛政さん 春日虎綱さん 三浦按針さん

【 特 】 土田御前さん 津軽信建さん 間宮康俊さん

【 上 】 津田信澄さん 

【 序 】 天徳寺宝衍さん

以上の 9 名と

 

さらに

【 天 】 伊達政宗さん 長宗我部盛親さん 小早川秀秋さん

以上の 3 名が スキルやステータスを新しくした復刻盤として登場するとのこともく

 

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春日虎綱【極】、三浦按針 【 極 】、

伊達政宗【 天 】 、長宗我部盛親 【 天 】 小早川秀秋 【 天 】 は 取引不可 で

2020年10月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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父に真田昌幸さん、弟に真田信繁(幸村)さんという有名な人物をもつ真田信之さん

関ヶ原の戦いでは、昌幸さんと幸村さんは上田城にこもって、徳川秀忠さんが率いる軍を迎え撃ったんだけど、信之さんはその秀忠軍に身をおいていたもく

秀忠軍と交戦したにも関わらず、関ヶ原の戦いの後、昌幸さんと幸村さんが死罪にならなかったのは、信之さんの助命嘆願があったからだともいわれているもく

父昌幸さんの旧領を引き継ぎ上田藩主となった信之さんは、のちに信濃松代に加増移封となり、九十三歳で世を去るまで、藩政をみていたと伝わっているもく

 

 

 

織田家の筆頭家老で、鬼柴田と呼ばれた柴田勝家さんの与力として、数多くの合戦に出陣した佐久間盛政さんは、自身も鬼玄蕃の異名で恐れられるほどの武将へと成長していったもく

本能寺の変で信長さんが討たれたあとも、盛政さんは勝家さんに付き従い、賤ヶ岳の戦いでは秀吉さん不在の隙をついて敵方の砦を急襲し、中川清秀さんを討ち取ったもく

しかし予想外のはやさで帰還した秀吉軍に襲撃された結果、柴田軍は総崩れとなり、落ち延びる途中で盛政さんは捕らえられてしまったもく

盛政さんの武勇を高く評価していた秀吉さんは盛政さんを召し抱えようとしたけれど、盛政さんはその申し出を拒み、処刑されることを選んだもく 

 

 

 

高坂昌信の名でもひろく知られている春日虎綱さんは、武田信玄さん、武田勝頼さんの二代に仕え、武田四天王の一人にも数えられる人物もく

その武勇は他家にまで轟いており、特に退却戦において冷静沈着ですぐれた指揮を見せることから「逃げ弾正」の異名をとったといわれているもく

武田家の軍略や事績、さらには甲州武士の心構えなどを記した「甲陽軍鑑」の生みの親とも言われているもく

  

 

 

三浦按針さんは、イングランド南東部で生まれたイギリス人航海士で、英名はウィリアム・アダムスというもく

オランダから極東へと向かう船に航海士として乗ったものの、この航海は困難の連続で、関ヶ原の戦いの約半年前、按針さんの乗った船は豊後臼杵の黒島に漂着したもく

按針さんの知識やそのすぐれた人柄に目をつけた徳川家康さんは、領地を与え帯刀を許し、按針さんを外交顧問として重用したもく

「三浦按針」という日本名を与えられた按針さんは、家康さんの存命中こそ重宝がられたけれど、秀忠さんの代になってからは不遇な立場となり、帰国もかなわぬまま平戸で、その数奇な人生を終えたもく

 

 

 

土田御前さんは、織田信秀さんの継室で、織田信長さんの生母もく

その出自については、佐々木六角氏後裔である土田政久さんの娘という説や、小嶋信房さんという人物の娘であるという説など、複数の説があり、確かなことはわかっていないみたいもく

うつけと評判の信長さんのことをきらい、その弟である信勝さんを溺愛していたといわれるけれど、そうではなかったという説もあり、こういった点でも謎がのこる人物もくね

晩年は織田信包さんのもとにひきとられて余生を過ごしたと伝わっているもく 

 

 

 

津軽為信さんの長男である津軽信建さんは、烏帽子親を石田三成さんが務め、また、豊臣秀頼さんに小姓として仕えるなど、豊臣家と深い関わりをもっていたもく

そのため信建さんは関ヶ原の戦いで西軍につくことになったけれど、これには、自らは東軍につき両軍どちらが勝っても津軽家が生き残れるようにという父為信さんの思惑があったともいわれているもく

その目論見があたってか、関ヶ原の戦い後も津軽家はのこり、信建さんも死罪などになることはなかったものの、残念ながら慶長十二年に三十四歳の若さで病没してしまったもく

 

 

 

北条家の家臣で、笹下城主だった間宮康俊さんは、歴代相模玉縄城主の北条綱成さん、氏繁さん、氏舜さん、氏勝さんらに仕えたもく

里見義豊さん等との戦いによって鶴岡八幡宮が焼失してしまい、北条氏綱さんがその再建工事を始めた際には、奉行として参加したもく

豊臣秀吉さんによる小田原征伐では、手勢を率いて秀吉方の大軍を相手に奮戦するも、最期は「白髪首を敵に供するのは恥」として、墨汁で髪を染め、敵中に突貫し、討ち死にしたもく

 

 

 

津田信澄さんは、織田信勝さんの嫡男で、織田信長さんの甥にあたる人物もく

父信勝さんが信長さんによって謀殺されると、幼い信澄さんは柴田勝家さんに預けられたもく

謀殺した相手の子ということで、信長さんにとって信澄さんは警戒すべき存在だったはずなんだけど、成長した信澄さんは、織田家で重要な役割を任されることもあったみたいもく

しかし、明智光秀さんの娘を妻にしていたために、本能寺の変のあと、光秀さんとの共謀を疑われ、織田信孝さんと丹羽長秀さんに攻められ、討ち取られてしまったもく

 

 

 

佐野房綱の名でも知られる天徳寺宝衍さんは、下野国の佐野家の人物ながら、佐野家をはなれ諸国をまわり、その後、豊臣秀吉さんに仕えたもく

小田原征伐の際には、関東の詳細図作成を命ぜられるなど、秀吉軍の関東への先導役を果たしたもく

北条家に従った小大名が取り潰されるなか、下野国の佐野家は宝衍さんが継ぐかたちで存続することができたもく

 

 

 

『独眼竜』の異名で有名な奥羽の大名、伊達政宗さん。

 

 

 

四国の覇王長宗我部元親さんの四男、長宗我部盛親さん。

 

 

 

関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返り、大局を決定づけた小早川秀秋さん。

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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