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スクウェア・エニックスのオンラインゲーム 【 戦国IXA 】を 応援する煙の妖怪 のろし が 戦国IXAやのろしのことをゆる~くお届けしますもく

【戦国IXA】1 月の追加武将一覧

ガオーッ トラのろしだぞもくーぅぅ

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トラのろしは今年トランポリンにトライしタイガー
みんなは何にトライしタイガーもくぅ?
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はい というわけで こんにちは のろしですもく
みんな2022年には慣れてきたかなもく?

 

 

戦国IXA では
新年早々ド派手なコラボイベントが発表されていますが
もちろん新しい武将たちの追加もあるもくよ

 

 1月 追加武将 公開されました もく 

 

追加されるのは

【 極 】 伊達輝宗さん 朝倉義景さん 武田勝頼さん 雪窓院さん

【 特 】 藤堂高吉さん 神保長職さん 上杉定正さん

【 上 】 千葉胤富さん 

【 序 】 鵜殿長照さん

以上の 9 名と

 


さらに

【 天 】 蘆名盛氏さん 毛利元就さん 尼子経久さん

以上の 3 名が 

スキルやステータスを新しくした復刻版として登場するとのこともく

 

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武田勝頼【 極 】、雪窓院【 極 】、

蘆名盛氏【 天 】、毛利元就【 天 】、尼子経久【 天 】は

取引出品・譲与不可で

2022年4月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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伊達輝宗 さんは政宗さんの父で、伊達家を再興させて息子が躍進する土台を築いた人物もく

輝宗さんが幼少期に家督を引き継いだ頃は、周辺勢力をも巻き込んだお家騒動「天文の乱」が終結した直後ということで、伊達家がそれ以前に誇った権威も揺らいでいたもく

また、家督相続後もしばらく父が実権を握るなど難しい舵取りを迫られたけれど、適材適所の人員配置などでお家を立て直し、政宗さんが生まれるとその才能を見出し早くから熱心な教育を施したそうもく

こうして次代への準備を着実にこなした輝宗さんだけど、その最期もまた次代のために悲劇的となったことも知られているもく

 

 

 

越前にて栄華を極めた朝倉家の最後の当主であったのが 朝倉義景 さんもく

織田信長さんが台頭し戦国時代の熱気がより増していくなか、その信長さんの前に立ち塞がり、追い詰める機会も何度かあったけれど、優柔不断とも取れる行動を繰り返し敗れてしまったため武将としての評価はあまり芳しくないようもく

ただ、もともと戦を好まない性格だったといわれ、芸術に長けた文化人として優秀さが伝わっており、その面で幕府から絶大な信頼を得ていたことや、足利義昭さんが還俗して将軍になる際にはじめ義景さんを頼ったこともよく知られるところで、時代が異なればまた違った輝きを放つ名君となったかもしれないもく

 

 

 

信玄さん亡き後の当主を担い、武田家最大版図を築いたのが 武田勝頼 さんもく

一方で、織田信長さん、徳川家康さんの連合軍と対した「長篠の戦い」に敗れ、武田家最後の当主となった人物でもあるもく

お家の滅亡を招いたことや偉大過ぎる父との対比によって長年その評価はあまり良くないものであったのだけれど、近年では、武勇に優れ信長さんや上杉謙信さんに一目置かれていたという逸話や、いずれも難局であったともいわれる家督相続の経緯だったり当時の武田家が置かれた状況の考察によって再評価の動きも高まっているもく

 

 

 

雪窓院 さんは、薩摩の地域を五つの家に別れて治めていた渋谷家の支流の一つ入来院家の生まれで、当時渋谷家と対立を繰り返し勢力拡大にも励んでいた島津家からの所望によって、島津貴久さんに嫁いだもく

この婚姻は薩摩の情勢を安定させ、さらに島津家の最盛期を築く島津四兄弟のうち、義久さん、義弘さん、歳久さんを生むなど、地域史にとって大きな意味を持つものとなったもく

子供達がまだ幼い時に亡くなってしまったのだけれど、その三十回忌には子供達によって菩提寺が作られ、義久さんが島津家の命運を掛けた秀吉さんとの謁見前にこの寺を訪れるなど、母としても大きな存在だったことがうかがえるもく

 

 

 

織田家において柴田勝家さんに続く二番家老丹羽長秀さんの三男として生まれた 藤堂高吉 さんは、本能寺の変後、一度羽柴秀長さんの養子となり、のちに藤堂高虎さんの養子となったもく

高吉さんは伊予今治のうち二万石を与えられ、そのまま藤堂家を継ぐかと思われたけれど、高虎さんに実子ができたためそれはかなわず、高虎さんの没後はその実子である高次さんに仕えたもく

藤堂家の転封にともない高吉さんは伊賀名張に移封され名張藤堂家の祖となったけれど、本家の高吉さんからは冷遇されていたといわれ、名張藤堂家と本家は江戸時代に入ってからも良好な関係ではなかったみたいもく

 

 

 

神保長職 さんは、正確な出自が不明ながら、おそらく神保慶宗さんの子ではないかとされている人物もく

神保家は室町幕府管領畠山家の鎌倉以来の譜代家臣だったけれど、慶宗さんは畠山家から独立する動きを見せ、さらに越後守護代である長尾家との関係も悪化させてしまい、その結果、長尾畠山連合軍の侵攻を受けて自刃したもく

神保家の再興をめざす長職さんは、神通川を越えた椎名家の支配地に富山城を築いたけれど、上杉家がたびたび椎名家を援護したため、椎名、上杉の両家を相手に合戦を繰り返すこととなったもく

 

 

 

関東管領山内上杉家の分家である扇谷上杉家を継いだ 上杉定正 さんは、関東管領上杉顕定さんや古河公方足利成氏さんらが威を張る関東において、有能な家臣太田道灌さんの活躍にも助けられ勢力を拡大していったもく

しかし、「関東不双の案者」とまで称された道灌さんの能力と声望を危険視したためか、定正さんは道灌さんを暗殺してしまい、その結果、多くの家臣の離反を招いたもく

その後、顕定さんと対立した定正さんは、伊勢宗瑞さんと同盟を結ぶも、高見原での対陣中に急死してしまったもく

一説には川を渡ろうとした際に落馬して亡くなったともいわれており、道灌さんの亡霊が定正さんを落馬させたのではないかとささやかれたもく

 

 

 

下総千葉家の当主千葉昌胤さんの子として生まれた 千葉胤富 さんは、はじめ海上家の家督を継いだけれど、千葉家を継いだ千葉親胤さんが家臣によって殺害されたため、あらためて千葉宗家の家督を継ぐこととなったもく

上杉謙信さんと古河公方足利家の争い、結城家や里見家による侵攻など、少しの油断もゆるされない情勢のなかで、胤富さんは頼るべき相手として北条家を選び、その支援を受けて里見家や上杉家の撃退に成功したもく

一貫して北条家に従うことで周辺の強国に侵略されることを回避した胤富さんは、合戦の能力もさることながら、その外交手腕の高さによって千葉家の勢力を保ったといえるかもしれないもくね

 

 

 

今川家の家臣で三河国上ノ郷城主である鵜殿長持さんを父に持つ 鵜殿長照 さんは、生母が主君今川義元さんの妹にあたる女性だという説もあるもく

西進を目論む今川家にとって上ノ郷城は重要な拠点であったため、鵜殿家は今川家に重用され、長照さんもその信頼を裏切らず今川家によく仕えたもく

桶狭間の戦いで義元さんが討たれると、三河の多くの武士が今川家を見限って松平元康さんに鞍替えするなか、長照さんは今川家にとどまり、義元さんのあとを継いだ今川氏真さんに忠節を尽くしたもく

 

 

 

奥州随一の勢力を誇る大名伊達稙宗さんの娘を正室に迎えた 蘆名盛氏 さんは、父から家督を譲られると、それまで対等の関係であった山内家を従属させるなどして会津での勢力を拡大していったもく

伊達家で勃発した稙宗さん晴宗さん父子の争い「天文の乱」において、晴宗さんの勝利に大きく貢献した盛氏さんは、次第に伊達家の影響下からも脱し、本格的に隣国への侵攻を開始したもく

強国佐竹家に対しては北条家や武田家と結んで対抗する遠交近攻の策をとり、領内においては積極的な金山開発や人材登用をおこなうなど、軍事以外の面でも優れた手腕を発揮して蘆名家の最盛期を築きあげていったもく

 

 

 

戦国時代を代表する武将のひとりである 毛利元就 さんは、安芸の国人領主毛利弘元さんの次男として生まれ、そこから一代で中国地方統一を成し遂げた英雄的人物もく

大内家と尼子家という二大勢力が対立する中国地方において、元就さんはぬかりのない外交や卓越した軍略、ときには謀略なども用いて、大内尼子の両家をしのぐ勢力となり、ついには中国地方の覇者となったもく

それだけの大勢力となれば当然天下を争う資格を有しているといえるのだけれど、元就さんは「我、天下を競望せず」と語り、子や孫たちにも天下を狙わぬよう戒めたといわれているもく

その軍略や政略の非凡さもさることながら、これだけの実力がありながら天下を望まず一地方の覇者であることに徹したところに、元就さんの凄みを感じるもくね

 

 

 

山陰の覇者尼子家の中興の祖であり、下剋上によって一大勢力を築いた 尼子経久 さんは、毛利元就さんや宇喜多直家さんとともに「中国の三大謀将」と称されているもく

その狡猾さや謀略の巧みさから「謀聖」とも称された経久さんだったけれど、一方で、家臣に自分の持ち物を褒められると、すぐにそれを家臣にあげてしまうほど「天性無欲正直の人」だったともいわれているもく

家臣に庭の松を褒められ、それを掘り返して与えようとしたという話も伝わっており、経久さんが当時としてはかなりご長寿だったということもあいまって、なんだか「中国の三大謀将」や「謀聖」という印象にはそぐわない穏やかでやさしいおじいさんが目に浮かぶもくね

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】12 月の追加武将一覧 ②

こんにちはっ のろしですもくーぅぅ 。゚。゚寒(ノ)´з`(ヾ)寒゚。゚。

戦国IXA では ついこのあいだの12月1日に

九戸政実さんをはじめとする頼もしい武将たちが追加されましたが

 

noroshi-sengokuixa.hatenablog.com

 


クリスマスを来週にひかえた今日このごろ

なんと今月2回目の武将追加がおこなわれるとのこともく!

 

12 月 の 追加武将 が 公開 されましたもく

 

追加されるのは

【 極 】 加藤清正さん 福島正則さん 

以上の 2 名

 

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加藤清正【 極 】、福島正則 【 極】 は

取引出品・譲与不可で

2022年3月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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長烏帽子形兜と呼ばれる変わり兜をかぶった姿が印象的な 加藤清正 さんは、豊臣秀吉さん子飼いの家臣のなかでも屈指の猛将として知られているもく

賤ヶ岳の七本槍」の一人に数えられる清正さんは、数々の合戦で武功を挙げて秀吉さんの天下取りに貢献し、九州平定後には、難治の国とされる肥後半国を与えられたもく

戦場での働きだけでなく、築城や治水、農業政策、さらには商業政策などでも優れた手腕を発揮した清正さんは、一揆があったばかりで不安定な情勢の肥後を見事に統治し、肥後人からの尊敬を勝ち取ったもく

清正さんの没後に肥後をおさめることとなった細川忠利さんは、清正さんの霊位を先頭にかざして肥後に入国し、「あなたの城地をお預かりします」と清正さんの墓所に向かって遥拝することで、清正さんを敬う姿勢を肥後人に対して示したといわれており、いかに肥後人が清正さんを崇敬していたかがうかがえるもく

秀吉さんが亡くなったあと、豊臣家は武断派と文治派の対立が深まり、清正さんをはじめとする武断派徳川家康さんに接近し、その助力を得ようと図ったもく

家康さんがこの対立をうまく利用して豊臣政権を切り崩していったという見方もあり、関ヶ原の戦いでは多くの武断派が家康さんに味方して、様々なかたちで東軍の勝利に貢献したもく

豊臣家に対しての恩義も忘れていない清正さんは、家康さんと豊臣秀頼さんの会見実現に尽力したけれど、その会見を見届けたあと、帰国する船のなかで発病し、帰国後に亡くなったもく

 

 

 

豊臣秀吉さんの親戚筋だったとされる 福島正則 さんは、秀吉さん子飼いの家臣のなかでも加藤清正さんとともに武断派の代表格とされる勇猛果敢な武将もく

賤ヶ岳の戦いで一番槍の手柄を挙げた正則さんは、その討ち取った相手が猛将として知られた拝郷家嘉さんだったこともあり、「賤ヶ岳の七本槍」のなかでも突出した加増を受けたもく

その後も秀吉さんのもとで武功を重ねた正則さんは、九州平定後、伊予国今治十万余石を与えられて大名となったもく

秀吉さんの没後、豊臣家の武断派と文治派の対立が深刻なものとなり、その両派をおさえていた前田利家さんが亡くなると、ついに正則さんら武断派の武将七名が、文治派の代表格である石田三成さんの屋敷を襲撃したもく

危機を察知した三成さんは辛くも逃れることに成功したけれど、武断派は三成憎しの思いからか徳川家康さんに接近し、この両派の対立はその後の関ヶ原の戦いに大きな影響を及ぼすこととなったもく

関ヶ原の戦いで家康さんに与した正則さんは、宇喜多家の大軍を相手に奮闘し、戦後、安芸国備後国にあわせて四十九万石を賜ったもく

粗暴で直情径行と評されることの多い正則さんは、大酒飲みとしても知られ、泥酔して家臣に切腹を命じたという話や、酒席で黒田家の母里太兵衛さんにしつこく酒を勧めた挙げ句、秀吉さんから拝領した名槍「日本号」を奪われたという話などが伝わっているもく

一方で領国経営については、安芸備後の領内で検地を実施して年貢徴収制度を整え、農民の負担が少なくなるように図ったり、陸路や海路の積極的な整備をおこなうなど、粗暴な印象とは程遠い善政だったといわれているもく

 

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【戦国IXA】12 月の追加武将一覧

|ョ・з・)こ|ョ・з・)ん|ョ・з・)に|ョ・з・)ち|ョ・з・)は|ョ^з^)のろしもく

 

2021年も いよいよ12月だねぇもく

まだ1か月ほどあるとはいえ

年末年始の独特な雰囲気も近づいてきましたという感じですなぁもく

 

そんな師走の始まりに 戦国IXAでは こちらのみなさんが新登場!

 

 12 追加武将 公開されました もく

 

追加されるのは

【 極 】 九戸政実さん 甲斐姫さん 小野和泉さん 愛洲移香斎さん

【 特 】 本多政重さん 柳生宗章さん 真田昌輝さん

【 上 】 葛西晴信さん 

【 序 】 木造長政さん

以上の 9 名 

 

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小野和泉【 極 】、愛洲移香斎【 極 】

取引出品・譲与不可で

2022年3月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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九戸家は北奥羽・南部家の分家で、九戸政実さんは武将として大変優れ、南部晴政さんの時代に安東家との戦いなどで活躍して本家の最盛期を支えたもく

最有力勢力として南部家と対等な関係であったともいわれるが、晴政さんとその実子の相次ぐ死によって南部家の後継者争いが起こり、政実さんと南部家の養嗣子であった信直さんが対立したもく

豊臣秀吉さんの奥州仕置後もこの関係は変わらず、挙兵した政実さんに苦戦する信直さんは、本家が南部家の後継者であると公認を出していた秀吉さんに援軍を請うたもく

こうして秀吉さんとの対立も生まれ、これに奥州各地に燻っていた反豊臣勢力の決起も呼応し「九戸政実の乱」と呼ばれる反乱となり、政実さんの名は天下統一直前の秀吉さんが最後に戦った相手として後世に伝わることとなったもく

 

 

 

甲斐姫さんは、忍城主の成田氏長さんの長女で、東国無双と評された美貌と、男子であれば成田家を中興させて天下に名を成すとまでいわれるほどの武芸を兼ね備えた姫君もく

その活躍として有名なのが、秀吉さんの小田原征伐において唯一陥落せず、石田三成さんによる水攻めにも耐えた忍城の戦いで、総大将となったのぼう様こと成田長親さんと共に兵を鼓舞し、時には成田家に伝わる名刀「浪切」を携え自ら出陣するなど秀吉軍に大いに抗ったもく

北条家が敗れたため忍城も開城、成田家は蒲生氏郷さんの預かりとなり、甲斐姫さんは氏郷さんの移封に伴い会津に移った後、その美貌や武勇伝を聞いた秀吉さんによって側室に迎えられ大坂城に移り住んだそうもく

秀吉さんの側室となってからの生活については定かとなるような話はあまり伝わっていないが、秀吉さんの晩年まで側にいたと考えられ、秀頼さんともかなり近い関係にあったのではという説もあるらしいもく

 

 

 

小野鎮幸さんの名でも知られる小野和泉さんは、立花道雪さん・宗茂さんに仕え、戦いは正攻法ではじめ型破りな奇法で最終的な勝利をおさめるという孫子兵法「奇正相生」からの引用で、正の将と呼ばれた由布雪下さんと共に奇の将として「立花双翼」と称されたもく

智勇兼備の武将だったと伝わり、生涯に大戦だけでも二十二度参加し、全身には六十を超える戦傷を負いながらも武功を挙げ続け、大友家・立花家から合計六十八枚もの感状を受けたそうもく

また、立花家が豊臣家直臣となった後の文禄・慶長の役でも活躍し、秀吉さんから日本七槍の筆頭だと評されたもく

関ヶ原の戦いで立花家は西軍に付いたため改易されて加藤清正さんの預かりとなり、宗茂さんも浪人生活を送る中、和泉さんは立花家家臣団のまとめ役として肥後に残って尽力し加藤家内でも一目置かれたが、立花家が西軍大名で唯一の旧領復帰を果たすのを見届ける前に世を去ったもく

 

 

 

生来剣術を得意とし、兵法三大源流のひとつ「陰流」を創始した人物といわれるのが愛洲移香斎さんもく

愛洲家は元々熊野水軍に属した一党だそうで、移香斎さんの時代にも海外貿易や海賊のようなことを生業としていたため、幼少の頃より周囲には様々な刺激があったみたいもく

そうした環境にも触発されたのか若くして武者修行で全国を巡ると、日向の鵜戸の海に面した神秘的な洞窟で影を相手にした修業の際、霊験によって開眼し新たな剣術を取得したそうもく

これを「陰流」と名付け全国に広めると、後に剣聖・上泉信綱さんがさらに発展させて生み出したのが「新陰流」との説もあるため、「陰流」は信綱さんの弟子がつくった「柳生新陰流」の源流でもあるといわれているもく

 

 

 

何度も出奔し有名大名家を転々としながらも、加賀八家最高の五万石の禄高を拝領し、加賀本多家の初代として藩を支えたのが本多政重さんもく

政重さんは、徳川家康さんの重臣江戸幕府老中も務めることになる正信さんの次男として生まれたが養子に出され、そこでの悶着によって出奔、大谷吉継さんに仕えた後、関ヶ原の戦いには宇喜多秀家さんの家臣として参加したが西軍は敗北、しかし正信さんの息子ということもあってか罪には問われなかったもく

そして福島正則さんのもと、前田利長さんのもとを渡り歩き、直江兼続さんに乞われ婿養子として迎えられたがここも離れて、藤堂高虎さんの取りなしによって前田家に帰参したもく

こうした経歴となったのは、各大名が徳川家の力を意識し様々な思惑が働いた、あるいは徳川家からの密命があったのではないかと考えられているもく

一方で、各所を離れた時期や背景から義を重んじる政重さん自身の人となりによるものという捉え方もあり、政重さんが前田家に帰参する際には多くの直江家家臣も従い、帰参後には前田家の窮地を救う活躍で初期の加賀藩政を支える役割を担うなど傑物としての様子もうかがえるもく

 

 

  

柳生宗章さんは、「柳生新陰流」の祖にあたる石舟斎さんの四男で、父によって弟の宗矩さんと共に徳川家康さんの剣術指南役に推挙されたが、受けずに武者修行へ出たもく

やがて小早川秀秋さんに召抱えられて関ヶ原の戦いではその警護にあたったが西軍敗北により小早川家が改易されると、米子藩主・中村家家老の横田村詮さんに誘われ客将として厚遇されたもく

しかし村詮さんは同僚からの出世争いの妬みによって謀殺されてしまうもく

これに憤った宗章さんは反抗に出ていた横田家勢に加勢、吹雪の中で数本の刀を差して鎮圧軍十八名を切り倒すなど刀が全て折れるまで戦い続け壮絶な最期を迎えるが、その暴れっぷりにより「柳生新陰流」の実戦でも際立つ強力さが世に知れ渡ることとなったもく

 

 

 

真田昌輝さんは、武田信玄さんの重臣であった幸隆さんの次男で、兄に信綱さん、弟に昌幸さんや信尹さんらをもつもく

父が信玄さんに仕えるようになった頃、自身も信玄さんの小姓として召し抱えられ、武田家の伝令部隊ともいわれる百足衆にも抜擢されたもく

成長すると信州先方衆の副将格として大将である兄をよく補佐し共に各地を転戦したそうだが、一説では信玄さんから真田本家二百騎とは別の五十騎を預かることを許されて単独でも活躍していたそうもく

勝頼さんの時代になっても兄弟は変わらぬ勇猛さを見せていたが、長篠の戦いにて織田陣営に果敢に突撃、あるいはその撤退戦にて殿を担い、兄と共に戦死したと伝わるもく

 

 

 

葛西晴信さんは、奥州にて鎌倉時代から続く名門の最後の当主となってしまった人物もく

源頼朝さんにより奥州藤原家が滅ぼされ、その戦いの武功によって葛西家が陸奥国の統治を任されたことで奥州での歴史が始まり、周辺勢力との数多くの抗争や内紛による分裂など紆余曲折を経たが、晴信さんの父が当主を務めた時代においても奥州の有力戦国大名のひとつとして地位を保っていたもく

父が亡くなり兄が家督を継ぐも直ぐに病死してしまったので晴信さんが当主となったが、隣国の大崎家との争いや各地の反乱などの渦中であったため、伊達家と結んで解決の糸口を探ったもく

しかし混乱は収まらず、そのため豊臣秀吉さんの小田原征伐にも参陣ができなかったことで奥州仕置によって改易されてしまったもく

その後については諸国を放浪したとも、秀吉軍に徹底抗戦し戦死したともいわれるが確かなことはわからないらしいもく

 

 

 

木造長政さんの生まれは伊勢・北畠家の分家であったが、織田信長さんの伊勢侵攻の折、父が織田家への協力を選択し、自身も信長さんの息子で北畠家の養嗣子となった信雄さんに仕えることになったもく

信長さん没後の複雑な後継者争いに関係して信雄さん陣営と羽柴秀吉さん陣営が争った小牧・長久手の戦いによって信雄さんが改易されると、長政さんは信長さんの孫である秀信さんに家老として仕えたもく

関ヶ原の戦いでは秀信さんに東軍に付くよう進言したが聞き入れてもらえなかったため西軍に与し奮戦、相対した敵将の福島正則さんから評価されると戦後には福島家に招かれ仕えるようになったと伝わるもく

 

 

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】11 月の追加武将一覧

(oゝз・)ノ こんちゃ!のろしもく!

 

食べ物がおいしい季節こと「冬」が

もうそこまで来てる今日このごろ

 

 戦国IXA では

 11月 追加武将 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 馬場信房さん 内藤昌豊さん 宮本武蔵さん 悪景政さん

【 特 】 石川昭光さん 飯田覚兵衛さん 糸姫さん

【 上 】 丸毛兼利さん 

【 序 】 天草久種さん

以上の 9 名 

 

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馬場信房【 極 】、宮本武蔵【 極 】、悪景政【 極 】は
2022年2月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

 

宮本武蔵【 極 】、悪景政【 極 】は 取引出品・譲与不可とのこともく

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馬場信房さんは、武田三代に仕えた重臣で、戦国最強といわれる武田軍の中枢をになった人物もく

武田信玄さんが駿河国に侵攻した際、今川家の財宝が焼失するのを惜しんだ信玄さんは、家臣たちに館から財宝を運び出すよう命じたけれど、信房さんは「信玄公が貪欲な武将として後世の物笑いになる」といって、火中に財宝を投げ込んだといわれているもく

これに対し信玄さんは、怒るどころか、財宝よりも武田家の武名を惜しんだ信房さんの器量に感服したと伝わっており、信房さんが信玄さんの行動を諌めることができる存在だったことがうかがえるもく

そんな信房さんは武田三代のもとで数多くの戦に参加したけれど、長篠の戦いで戦死するまで、かすり傷ひとつ負ったことがなく、「不死身の鬼美濃」と称され、長篠の戦いでも織田方から「馬場美濃守の働き、比類なし」と評される最期だったと伝わっているもく

 

 

 

馬場信房さん、山県昌景さん、高坂昌信さんとともに武田四天王のひとりに数えられる内藤昌豊さんは、武田信玄さんの側近として、戦国最強の武田軍を支えた人物もく

信玄さんの弟である武田信繁さんとともに武田家の副将格と評され、その武勇が他家にまで轟いていた昌豊さんは、合戦での働きも抜群で、数多くの武功を挙げていたもく

それにも関わらず、昌豊さんは信玄さんから一度も感状をもらったことがないといわれており、その理由として信玄さんは、「昌豊ほどの弓取りであれば、常人を抜く働きがあってしかるべし」と語ったといい、また昌豊さんも「合戦は大将の軍配によって勝利を得るもので、いたずらに個人の手柄にこだわることなど小さなこと」と、感状をもらっていないことなど気にしていなかったんだってもく

 

 

 

巌流島で佐々木小次郎さんと決闘したことで有名な剣豪宮本武蔵さんは、六十余度の勝負に一度も負けたことがなかったといわれているもく

その前半生には不明な部分も多くあるけれど、大坂の陣では、徳川方の大名のもとに客将として参陣したという記録がのこっていて、その後も姫路藩小倉藩などに客分として招かれたもく

その晩年は肥後熊本藩に客分として招かれ、藩主細川忠利さんの求めに応じて「二天一流」の心得などをまとめた「兵法三十五箇条」を著したといわれているもく

 

 

 

悪小次郎の名でも知られる悪景政さんは、毛利家の鉄砲隊に所属していたといわれる鉄砲の名手もく

その出自については詳しい記録がのこっておらず謎に包まれているけれど、鉄砲の腕はたしかで、毛利元就さんの軍勢が大友家の立花城を攻略した戦いでは、市川久栄さんや岡元良さんらとともに鉄砲で大活躍し、つづく多々良浜の戦いでも敵三人を撃ち倒すなどの活躍を見せたもく

その後も従軍した合戦で武功を重ね、元就さんから「比類なき武功」と賞賛する言葉を賜ったもく

出自同様、その晩年についてもよくわかっていない景政さんだけど、子孫はその後も毛利家に仕えたと伝わっているもく

 

 

 

伊達晴宗さんの四男としてうまれた石川昭光さんは、伊達輝宗さんの弟にあたる人物で、陸奥国石川郡三芦城主である石川晴光さんの養嗣子となったもく

晴光さんの跡を継いだ昭光さんは、蘆名家や佐竹家などが割拠する奥州の複雑な情勢のなかで、次第に生家である伊達家と対立するようになっていったけれど、甥の伊達政宗さんが摺上原の戦いで蘆名家を下すと、昭光さんも伊達家に降伏したもく

伊達家に仕えた昭光さんは一万二千石を与えられ、その後の石川家は伊達家臣の最上位である「一門」の筆頭として江戸時代の伊達家を支えたもく

 

 

 

飯田覚兵衛さんは若い頃から加藤清正さんに仕え、生涯にわたって清正さんを支えた人物で、加藤十六将や加藤家三傑のひとりに数えられているもく

槍術の達人であり日本槍柱七本にのひとりでもあるもく

また、文禄・慶長の役では亀甲車という装甲車を開発して、晋州城に一番乗りを果たしたといわれているもく

さらに土木普請も得意であり、熊本城築城の際にはその能力を遺憾なく発揮し、百間石垣とよばれる石垣は覚兵衛さんの功績といわれていて、「飯田丸」という覚兵衛さんの名を冠した郭ものこされているもく

 

 

 

蜂須賀正勝さんの娘である糸姫さんは、正室として黒田長政さんのもとに嫁いだけれど豊臣秀吉さんの没後、徳川家康さんに接近していた長政さんは、関ヶ原の戦いがおこる直前、糸姫さんを離縁し、家康さんの養女である栄姫さんを正室にむかえたもく

この離縁がきっかけで蜂須賀家と黒田家は「不通大名」となり、江戸城内で顔を合わせても会釈も挨拶もせず、やむを得ず同席する場合も離れて座についたといわれているもく

 

 

 

はじめ斎藤道三さんに仕えた丸毛兼利さんは、のちに織田信長さんに仕え、本能寺の変のあとは豊臣秀吉さんに仕えたもく

関ヶ原の戦いがおこった際、福束城二万石の主だった兼利さんは、東軍からの誘いを蹴って西軍に属したもく

しかし、福束城が東軍に対する最前線ともいえる場所に位置していたために、東軍先鋒の猛攻を受けることとなった兼利さんは、城を支えきれず大垣城へと逃れたもく

戦後は、前田利常さんに仕えたと伝わっているもく

 

 

 

肥後天草諸島の国人であり、キリシタンでもあった天草久種さんは、豊臣秀吉さんの九州平定の際に服属したため本領を安堵されたけれど、秀吉さんが発令したバテレン追放令には従わなかったもく

その後、小西行長さんに対し反乱を起こすものの鎮圧され、またもや本領を安堵された久種さんは行長さんに臣従し、文禄・慶長の役関ヶ原の戦いにも従軍したもく

関ヶ原の戦いのあとは小早川秀秋さんのもとに身を寄せたと伝わっているもく

 

 

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今回の武将追加時にラインナップから外れるカードは下記の武将カードになりますもく

 

 

 

 

 

 

 

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【戦国IXA】10 月の追加武将一覧

どたどたどたどた。。。。。。゙(ノ・`з・)ノ こんにちはーのろしもく 

10月になってもまだ暑~いという感じのところも多いけれど

朝晩はだんだんと秋の気配も? ということで

スポーツの秋にチャレンジ中もく! 

でも ちょいと休憩タ~イム

からのぉ 食欲の秋 ♪ ( ^ )з^)🍙もーぐもーぐもく

 

 

さて 戦国IXA では 秋のはじまりを彩る

 

 10 追加武将 公開されました もく

 

 

追加されるのは

【 極 】 丹羽長秀さん 母里太兵衛さん 片倉景綱さん 朝比奈摩仙名さん

【 特 】 本多忠朝さん 北郷忠相さん 一条信龍さん

【 上 】 尾藤知宣さん 

【 序 】 松井康之さん

以上の 9 名 

 

 

そして

服部半蔵さん 風魔小太郎さん 百地三太夫さん

以上の 3 名 がそれぞれ

新規イラストでの 【 天 】 と 

スキルやステータスを新しくした

イラスト復刻版の 【 極 】 で 登場するとのこともく

 

 

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片倉景綱【 極 】、朝比奈摩仙名【 極 】、

服部半蔵【 天 】【 極 】、風魔小太郎【 天 】【 極 】、百地三太夫【 天 】【 極 】

取引出品・譲与不可で

2022年1月上旬予定のアップデートメンテナンスにてラインナップから外れるとのこともく

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丹羽長秀さんは、猛者ぞろいの織田信長さんの家臣団にあって、多岐にわたる活躍により柴田勝家さんに続く二番家老を務めていた人物もく

信長さんがまだ尾張統一にも苦心する若き頃から小姓として仕え、年齢も近く、その後天下を目指す主君を大いに支えたため、信長さんからは友であり兄弟であると評され、最も厚い信頼を得ていたともいわれるもく

「鬼五郎左」と呼ばれるほど勇猛な武将であったそうだが、物資の調達や補給路の確保、戦後処理など裏方的な任務も着実にこなし、造船や築城などの政務も任されたことから、米のように何にでも合い織田家にとってなくてはならないものとして「米五郎左」とも称されたもく

 

 

 

黒田家に仕えた母里太兵衛さんは、長政さんの家臣の中から24人の精鋭を選出したという「黒田二十四騎」に数えられ、さらにその中でも如水さんの時代から活躍する優れた8人を指した「黒田八虎」のひとりもく

相当な腕っ節だったようで合戦では常に先鋒を務め生涯にあげた首級は家内一だったと伝わるもく

そんな太兵衛さんの代名詞として知られるのが民謡「黒田節」で伝わるお酒に関する逸話もく

同じく豪快な逸話が多く残る福島正則さんのもとを、長政さんの使者として訪れた際にお酒を勧められたが、仕事で来ているからと断るもあまりにしつこく、また、悪酔いの挑発で黒田家を見下すような発言もあったため我慢ならず受けて立つと、大盃で数杯を飲み干し、その褒美に名槍「日本号」を所望して福島家の家宝を見事に呑み取ったそうもく

 

 

 

代々の片倉家当主が襲名した「小十郎」の初代で、その通称でも知られる片倉景綱さんは智勇兼ね備え、武の伊達成実さんと並び伊達家の双璧として活躍したもく

幼少期に両親を亡くしたため、文武両道の才女と伝わる年の離れた姉・喜多さんに育てられて、その姉が政宗さんの乳母に任命されると自身も政宗さんの傅役に抜擢されたもく

景綱さんは最も政宗さんから信頼されていたといわれ、逆に景綱さんも囮になって戦場で窮地の政宗さんを救ったり、主君より先に子宝に恵まれるわけにはいかぬからと実子を殺そうとするなど、家内随一の忠義ぶりで応えたもく

政宗さんの参謀として名を馳せると、時の天下人である豊臣秀吉さんや徳川家康さんが直臣に迎えようとするほど能力を評価されたが、いずれの誘いも断って生涯伊達家のために尽くしたもく

 

 

 

鉄砲伝来以降、高い軍事力によって台頭し、中央集権に抗う傭兵集団として紀州で一大勢力を誇った雑賀衆であったが、本能寺の変後に覇権を狙った秀吉さんの紀州征伐によって終焉を迎えようとしていたもく

雑賀衆方もゲリラ戦法で応酬するが、大兵力を前にじり貧状態となって落城を重ね、残る拠点が少なくなる中、雑賀衆・太田党を率いた宗正さんらは太田城に籠城したもく

この戦いで太田城は日本三大に数えられる激しい水攻めを受けて降伏することになるのだけれど、その最中に城中から単独で船を出し秀吉軍に攻め込んだ者がいたんだってもく

名を朝比奈摩仙名さんといい、朱柄の槍を持った尼僧で、縦横無尽に暴れ回って秀吉軍を驚かし、生け捕りにされるもその奮闘ぶりに感心した秀吉さんが城に帰らせたと伝わるもく

 

 

 

本多忠朝さんは、徳川家康さんの重臣・忠勝さんの次男として生まれ、初陣の関ヶ原の戦いでは父に劣らぬ勇猛さで活躍し、その戦功により忠勝さんの旧領上総大多喜5万石を与えられて上総大多喜藩の2代藩主となったもく

新田開発を積極的に行うなど内政面でも手腕を振い、また、近海を航海中に難破したスペイン船乗組員団を手厚く保護したり、遺産相続に関する兄弟間でのやりとりでは自分には不要と受け取りを拒否する頑固さを見せるなど、何かと芯がある人物だったみたいもく

一方でお酒による失敗が多かったようで、大坂冬の陣でお酒を飲んでいたため不覚をとってしまい敗退したとも伝わるもく

汚名返上の覚悟で臨んだ大坂夏の陣では毛利勝永さんを相手に奮戦するも討死、死の間際までお酒の失敗を後悔していたそうで、お酒で失敗する人をお酒嫌いにして救うと遺言したことから、今日では「酒封じの神」として崇められているんだってもく

 

 

 

北郷忠相さんは、島津家の分家である北郷家の8代当主で、初代からの悲願であった都城盆地の統一を成し遂げ、都城中興の祖とも呼ばれる名将もく

忠相さんが家督を継いだ戦国時代初期の頃に北郷家が治めていたのは3城ばかりで、周囲には実力者が割拠しており、特に伊東家からの猛攻には防戦一方であったが伊東尹祐さんの急死をきっかけとして攻勢に転じると、島津本家や他分家とも協力しながら都城盆地の統一に乗り出したもく

周辺勢力を次々と討って成長し広大な都城盆地を次第に手中に収めていくと、統一を成し遂げた頃には島津本家にも大きな影響を与えるまでの力を有し、10代当主・時久さんの時代に迎える北郷家最大版図の礎を築いたもく

 

 

 

武田信玄さんの異母弟で、鎌倉時代に断絶していた名門・甲斐一条家名跡を継いだ一条信龍さんは、武田家の親族衆として騎馬200騎などを有したそうもく

戦場では主に後方に配置されることが多かったためか目立った活躍はあまり伝わっていないが、武田家の駿河国侵攻後には対徳川家の重要拠点である田中城を任されたり、信玄さんの遺言によって武田勝頼さんの後見人となるなど、家内での序列の高さが想像できるもく

また、その死については諸説あるようだけれど、崩れゆく武田家のために最期まで奮闘したのではないかとの推測が一般的みたいもく

人物像などもはっきりとしたことがあまり伝わっていないけれど、甲陽軍鑑では「どれほど忙しくても武具や馬が新しく、常に諸国の良い浪人を集めており、伊達者にして花麗を好む性質」と評されており、文武両道に秀でていたことがうかがえるもく

 

 

 

尾藤知宣さんは、秀吉さんに仕えた古参中の古参の武将もく

はじめ織田信長さん配下の森長可さんに仕え、次に秀吉さんに仕えることになり、秀吉軍黎明期において最も軍事に通じていた者として功績をあげ、黄母衣衆に列したもく

仕えた当初には想像もできなかったであろう地位へと突き進む主君に従い小牧・長久手の戦いなどにも参加、四国征伐後には戦功によって讃岐国宇多津5万石を与えられる出世も果たしたもく

そして、大敗により改易された仙石秀久さんの後継の軍監に就任して九州征伐にも参加するが、戦況判断を誤り失態を重ねたことで秀吉さんの怒りを買い、所領を没収されて追放されてしまったもくぅ

 

 

 

代々室町幕府幕臣である家柄に生まれた松井康之さんは、自身も13代将軍・足利義輝さんに仕えたもく

義輝さんが暗殺された後には足利義昭さんに接近したとも、同じ幕臣であった細川藤孝さんと行動を共にしたともいわれるが、藤孝さんが織田信長さんに仕えるようになった頃には、藤孝さんの家臣としての活動が顕著になっていたみたいもく

本能寺の変後、藤孝さんが出家すると子の忠興さんに仕えて、天下人となった秀吉さんの戦いに従軍して活躍、関ヶ原の戦いでは忠興さんと共に徳川方に与したもく

康之さんは忠興さんの大きな危機を二度救ったそうで、いずれも時の権力者である秀吉さん、家康さんに目を付けられるというものであったが、康之さんの奔走により事なきを得たもく

その信頼もあってか、松井家は江戸時代を通して大名細川家の筆頭家老を務めるに至ったもく

 

 

 

 

 

服部半蔵 」さんは、服部家の当主が代々名乗った通り名で、一般的に初代とされるのが将軍足利家に仕えた後に松平清康さんに仕えたといわれる人物、その息子であり2代目とされる人物こそが「徳川十六神将」に数えられるひとりで、世間でよく知られている服部半蔵さんもく

2代目は父が仕えていた清康さんの孫である家康さんに仕えて各地を転戦していたが、有名なのは本能寺の変後に三河へ戻る家康さんの九死に一生の逃亡「伊賀越え」を成功させたことで、後にその時の協力者であり徳川配下となった伊賀同心達の指揮を任されたもく

初代は伊賀出身の忍者であったが、それ以降の半蔵さんは忍者ではなかったという説があり、2代目は槍の名手として活躍した足軽で「鬼半蔵」と恐れられたという記録が残るようだけれど、伊賀同心達を指揮して戦いや諜報活動を行っていたこと、父をはじめ関係者に忍びに造詣が深い者も多いことなどから2代目もまた忍者という認識は根強いみたいもく

 

 

 

 

 

風魔小太郎 」さんも、北条家お抱えの忍者集団の頭領が代々名乗った通り名もく
風魔忍者はいわゆる忍者というよりも盗賊や無法者というような性質で、夜討ちを得意とした「乱波」と呼ばれる武力集団だったらしいもく

日本三大奇襲のひとつで北条家を関東の覇者へと押し上げる河越夜戦武田勝頼さんを相手に戦った黄瀬川の戦いにて風魔忍者と思われる者達の活躍があったとのこともく

小太郎さんに関しては史料が少なく、黄瀬川の戦いに関わったという5代目について伝わっているのがあまりにも人間離れした風貌なため、創作された人物だといわれているけれど、忍びであるため身を隠し本来とはかけ離れた姿の噂話をあえて流したのではないかという見方もあるみたいもく

また、北条家には風間出羽守さんという諜報任務などを担っていた人物が実在したようで、この人が小太郎さんではないかともいわれているもく

 

 

 

 

 

百地三太夫さんは、江戸時代に作られた物語にその名が登場し、伊賀流忍術の祖で石川五右衛門さんや霧隠才蔵さんに忍術を伝授した人物として描かれているもく

今日ではその三太夫さんのモデルと考えられる百地丹波さんと同一人物として語られることが多いみたいもく

百地家は伊賀の喰代に砦を構え、確かなことはわからないみたいだけれど、服部家、藤林家と並ぶ伊賀三上忍、あるいはその土地の名家であったと考えられているもく

織田家伊賀国一揆が戦った第一次天正伊賀の乱にて、伊賀忍者を率いて織田信雄軍を撃退する大金星をあげる活躍をしたということで、後世で伝説的な忍者として語られるのも納得もくね

 

 

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